今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ハローワークの日、職安記念日

2008-04-17 | 記念日
日本記念日協会の今日の記念日を見ると1947(昭和22)年今日(4月17日)、公共職業安定所が発足したのを記念したものだそうだ。
公共職業安定所は、求職者には就職(転職)についての相談・指導、適性や希望にあった職場への職業の紹介、雇用保険(かつては、「失業保険」と呼ばれていた)の受給手続きを、雇用主には雇用に関する国の助成金・補助金の申請窓口業務や、求人の受理などのサービスを提供する公的な行政機関である。
公共職業安定所は、取締や、規制は業務としていない。親しみやすさを目指して「ハローワーク」という愛称をつけているが、かって、私達のような古い年代の者は略称で「職安」と呼んでいた。
職安は、東京府慈善協会が運営する中央工業労働職業紹介所が1920(大正9)年6月16日、神田で紹介業務を開始した。それまでにも職業紹介所は全国に50以上あったようだが、それぞれが独立の施設で横の繋がりがなかった。空前の不景気を迎えたこの年、内務省は、それらを総括する中央職業紹介所事業部を開設し全国に多く(44)の職業紹介所を新設した。これが、「職安」の始まりであった。冒頭の画像は1919(大正 8)年2月に開設された大阪・九条職業紹介所で、市営食堂も併設されている(朝日クロニクル「週刊20世紀」)。
大正時代後半のこの時から労働行政は、公的立場での職業紹介業務にはじめて着手することとなるが、これは、この年空前の不景気を迎えたことによる労働運動、農民運動の高まりを受けてのものであり、当時の行政機関としては、翌・1921(大正10)年「職業紹介法」制定(4月9日公布同7月1日より施行。以下参考に記載の「中野文庫 - 職業紹介法」参照)による市町村営職業紹介所の設置に始まり、1923(大正12)年の職業紹介事務局の設置、1938(昭和13)年の職業紹介所の国営化、1941(昭和16)年に国民職業指導所へ改称、そして、1947(昭和22)年、(厚生労働省)によって設置された、職業安定法に基づき国民に安定した雇用機会を確保することを目的に公共職業安定所に組織が変更された。
戦後の時代には失業者だといって職安へ通うことに引け目に感じたものだが、この頃の若者などは、堂々とハローワークへ出入している。私は若い頃2度ほど転職をしいるが、職安など通さずに自分で次のやりたい仕事を見つけその会社に採用され入社が確定してから前の会社を退社しているので、「職安」のお世話にはなったことがなく、「職安」のことは余りよく知らないが、最近では、IT化も進んでおり、求人情報検索はすべてパソコンで行えるようになったのだとか。何でも、日本全国どこのハローワークにおいても、オンラインで他のハローワークで受理した求人・求職情報を閲覧する事が可能でこれを「総合的雇用情報システム」と言うのだとか。このようなコンピューターシステムのことはよく判らないので、以下参考に記載の「「PDF] 7 8-2 職業安定行政の現行業務・システムの概要 」などを見て・・・。
ただ、個人情報の保護などはきっちり出来ているんだろうね~。ああ、それに、少し、横道にそれるが、私は、転職を2度しているが、転職してから勤めている会社を辞めているし、転勤した会社も確りした上場会社であるため、今問題になっている厚生年金の空白期間などが発生する問題は生じていない。しかし、転職をした人に、年金問題の生じている人が多いようだね~。私が関係したある中小の会社では、昔、閉鎖した事務所の金庫に、退職した従業員の厚生年金手帳が退職者に返還されないまま放置されているのを見たことがある。厚生省もいい加減だが、いい加減な中小企業も多いから、就職先の企業がどんな会社かは、就職する人が十分気をつけておかないといけないよね~。
1947(昭和22)年に職業紹介所が、公共職業安定所に組織が変更されたが、戦後のインフレで官公労働者賃金は民間の約半分に落ち込み、2.1ゼネストが計画されたが、GHQの指令によって中止となり、戦後日本の労働運動の方向を大きく左右した年である。勿論民間も同様で、失業者が溢れていた。同・1949(昭和24)年6月11日、 東京都が失業対策事業の日当を240円に決定。100円札2枚と10円札4枚であることから、これをもらう日雇い労働者を当時「ニコヨン」と呼ぶようになった。失業対策事業は戦後の失業者を救済する目的で始めたもので、政府は1946 (昭和21)年に公共事業における失業者優先の原則を定め、1947(昭和22)年11月30日に職業安定法を公布、翌12月1日から実施。1948 (昭和23)年に失業者吸収率を設定するなどしたが、あまり効果はなかった。この日のことは、以前に「6月11日は「ニコヨン」の言葉が出来た日」で書いた。そこでも書いたが、翌1968(昭和43)年の流行歌『山谷ブルース』は、高石ともやなどと同じように自らも釜ガ崎に住んでいたという、フォーク歌手の岡林信康(作詞、作曲、唄 )が、この中で、その日暮らしの肉体労働者の 悲惨な生活を告発している。多くいる関西のフォークのアーティストの中でも、社会的なメッセージを歌に込め、日本のディランと騒がれた岡林信康の歌は、一味違う。凄くいい歌なので、以下のMIDIを聞いてみるとよい。
山谷ブルース(昭和43年)作詞:岡林信康 作曲:岡林信康 唄:岡林信康
http://www15.plala.or.jp/hiroiosa/index-ikinuki-mysong-sanyablues.htm
現代ではニコヨンは差別用語に指定され「日雇い労働者」「自由労働者」と呼ぶようになった。その後、朝鮮戦争以降、高度経済成長をしたものの、そのバブルが弾け長い間不況であったが、それもようやく、景気は回復しかけたようにみえたが、それは、企業のリストラなどによるものであり、失業率は高いものであった。
以下参考に記載の「総務省・統計局/労働力調査(速報)平成20年2月分結果の概要」によると、”・全国就業者数は6418万人と、前年同期に比べ18万人の増加。・完全失業者数249万人と、前年同期に比べ12万人の減少。・完全失業率(原数値)は3,7%と、前年同期の比べ0.2ポイントの低下。”・・・と失業率は改善の兆しが見えかけたものの、昨年の米国サブプライム問題以降、ここに来て、円高ドル安や株式市況の悪化、そして、石油その他全般に高くインフレ気味になってきており、日本経済の先行き不透明になってきた。
これからは、又、企業の倒産や人員整理が増えてくるかもしれない。
1927(昭和 2)年の昭和大恐慌が起こったあと、『大学は出たけれど」働くところのない時代があったが、1929(昭和4)年内務省は社会局では、当時のインテリ層の失業者を10万人と算定、新聞は「大学、高等学校、専門学校を激増させ、教育熱を煽っておきながら、その結果については全く無責任」と教育行政を批判。当時の早大理事の1人は「洋服を着て楽な仕事をしようとするから就職難なので、なっぱ服を着てやるなら少しも就職難ではない」と怪気炎をあげたという(朝日クロニクル「週刊20世紀」)。第二次世界大戦後は、日本は焼け野原となり働く職場も無いところへ戦地や満州などからの引揚者で溢れ、本当になっぱ服を着て働きたくても働く場がない時代であった。しかし、今の時代は、昔とは、少し状況が違っている。世の中小企業や商売人など後継者や従業員が採用できなくてつぶれていくところも多い。キツイ、汚い、危険の俗に3Kと言われる職に尽きたがらず、そのような職場は、今は外国人労働者に頼っている時代である。私が現役時代、人事の会義でよく話題になったのは「ミスマッチ」の問題であった。要するに会社側が欲しい人材が幾らでもいるのであるが、会社側の希望する人が採用出来ないと嘆き、就職を希望する人は行きたい企業がないと嘆いているのである。しかし、先ほどの話ではないがなっぱ服でもしごとをする気で職業の内容を問わないのであれば従業員を募集しているところはいくらでもあるのである。益々、そのような傾向は強まってくるだろう。今、日本は国際化の中で、熾烈な競争をしている。日本人の賃金水準は、グローバル化した社会の中では、國際的にはむしろ、高くなりすぎている。だから、メーカーなどもどんどんとんと賃金の安い国へ製造拠点を移している。この物価高の日本の中で生きてゆくには、それだけの付加価値の高い仕事の出来る人材と企業しか存続できなくなって来ている。かって私が現役時代勤めていた会社でも、新卒の採用ばかりから、優秀な人材を中途採用するものが多くなっている。いわゆるヘッドハンティングである。優秀な人材は企業間で取り合いをしている。これが、資本主義の行き着くところかもしれない。
我が国の少子高齢化は、ボヤッとしている企業や労働者の意識が追いついていかないほどのスピードで進行している。このような高齢化に適切に対応し、我が国経済社会の活力を維持していくためには、高齢者が長年培ってきた能力・経験を活かし、70歳位まで働ける雇用環境の整備を進めていくことも重要であり、また、これは、今問題となっている社会保険の問題にも関連してくるものである。
厚生労働省の 2008年3月 ”報道発表資料” を見ると、「70歳まで働ける企業」の普及・促進を促すための”シンボルマーク”を作ったという。しかし、幾ら、政府が、働けるように普及・促進運動を行っても、採用する側の企業と採用される側の求職者の間にミスマッチがある以上はなかなか、不況下での失業問題を解決するのは難しいことだろうね~。
(画像は1919年2月に開設されした大阪・九条職業紹介所で、市営食堂も併設されている。朝日クロニクル「週刊20世紀」より)
参考:
公共職業安定所 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E8%81%B7%E6%A5%AD%E5%AE%89%E5%AE%9A%E6%89%80
職業紹介事業 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E7%B4%B9%E4%BB%8B%E4%BA%8B%E6%A5%AD
ハローワークインターネットサービス
http://www.hellowork.go.jp/
総務省・統計局/労働力調査(速報)平成20年2月分結果の概要
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm
ニコヨン物語 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24977/index.html?flash=1
岡林信康 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9E%97%E4%BF%A1%E5%BA%B7
6月11日「ニコヨン」の言葉が出来た日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/d83bdc2d87cf0e56fce0fb816d70b631
中野文庫 - 職業紹介法
http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs13-61.htm
[PDF] 7 8-2 職業安定行政の現行業務・システムの概要
http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/03/dl/tp0309-2b08b.pdf
「若年者のためのワンストップサービスセンター(通称ジョブカフェ)」事業 モデル地域の選定について(経済産業政策局 産業人材政策室・平成16年4月20日)
http://www.meti.go.jp/kohosys/press/0005153/
ジョブカフェ・サポートセンターとは - ジョブカフェ・サポートセンター
http://www.jobcafe-sc.jp/sc.html
総務省・統計局/労働力調査(速報)平成20年2月分結果の概要
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm
二・一ゼネスト - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%B8%80%E3%82%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88
昭和恐慌 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C
厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/
日本記念日協会4月17日
http://www.kinenbi.gr.jp/
YouTube - 桑田佳祐 Keisuke Kuwata 弾き語り生歌 ボブ・ディラン - 風に吹かれて
http://www.youtube.com/watch?v=MRI8LqQ-Z10
Blowin' In The Wind /風に吹かれて (歌詞、日本語訳)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sakai-tt/jiyuutyou/blowin'%20in%20the%20wind.htm
紹介--そして音楽が始まる 『風に吹かれて』~ボブ・ディラン
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/blowinginthewind.htm