今日(2月18日)は、ミケランジェロ (伊:彫刻家,画家,建築家)1564年の忌日。 <88歳>
ミケランジェロ・ブオナローティは、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。
ミケランジェロ(Michelangelo)の名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたものだそうだ。ミカエルはキリスト教ではラファエル、ガブリエル、ウリエルと共に四大天使の一人であり、キリスト教、ユダヤ教においてもっとも偉大な天使であるらしく、凄い名前をつけてもらっているのだなと思うのだが、フランスではMichel と言う名の男子もMichèleという名の婦女子もそこら中にゴロゴロといる名前のようだが聖書にミカエルの名が登場するのは、旧約は『ダニエル書』の10章13節、新約は『ユダの手紙』の9節、『ヨハネ黙示録』の12章7のたった三箇所ぐらいだという。『ダニエル書』においてミカエルは天使長たちの一人としてペルシアの天使たちと戦うためにつかわされたといわれておりローマの守護聖人として人気があるようだ。
ミケランジェロは、アレッツォ近郊の小村カプレーゼに生まれ、フィレンツェで育った。教皇に雇われて成年期の大半をローマで過したが、生涯を通じて、フィレンツェの美術と文化に深い愛着をいだきつづけ、フィレンツェに葬って欲しいとの遺言どおり、遺体はフィレンツェのサンタ・クローチェ教会(サンタ・クローチェ聖堂)に安置されている。
幼少の頃から絵画や彫刻に興味を示し13歳でドメニコ・ギルランダイオに弟子入りし、ドメニコに才能を認められ、フィレンツェの支配者だったロレンツォ・デ・メディチに紹介され支援を受ける。その間にプラトン・アカデミーに集まるマルシリオ・フィチーノなどの人文主義者たちと多く出会い、芸術に関する着想を広げ、大きな影響を受けた。この間に、『ケンタウロスの戦い』『階段の聖母』の二つの浮き彫りを制作している。ロレンツォが亡くなった1492年以降メディチ家の支援を得られれずボローニャで3年ほど生活したが、1496年にミケランジェロの天使像を購入したサンジョルジオ枢機卿の招きでローマに5年ほど留まることになる。
彼は、ここで彫刻の傑作『ピエタ』を、その後また、ローマに帰り、4年かけて『ダビデ像』を、・・・美術史上に輝く大傑作を完成させた。他にも、『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。
ミケランジェロは同じフィレンツェ出身のレオナルド・ダ・ヴィンチ、それにラファエロ・サンティなどとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれるが、彼は、後世、伝記作家が彼のこと「石と語り、のみを執れば髪の毛ほどの幅に正確に石を彫る男」それが天才ミケランジェロであるといっているように、彼は、生涯にわたり自らを彫刻家であることを自任していた。
そんな彫刻家であるミケランジェロが絵を描くとどのような絵を描くのか。恐らく当時の人々も興味津々だったに違いない。そんな彼が、1508年、ユリウス2世から バチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じられた。自分は彫刻家であり、画家ではないと拒んだが、しぶしぶユリウスの命令に従った。しかし、弟子の仕事ぶりが気にくわず、結局一人で制作を続けたという。礼拝堂内に足場を組み、横になって苦しい作業を続け、1512年までの4年間をかけて西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われる『創世記』をテーマにした『、天地創造』の大フレスコ画を完成した。『天地創造』は名の通り、旧約聖書創世記の9場面、天地創造からその後アダムとイブの創造、彼らの楽園追放、ノアの箱船と大洪水といった(聖書上の)出来事を描いたものである。
又、 システィーナ礼拝堂天井画完成から24年後、教皇ユリウス2世の後に即位した教皇クレメンス7世がシスティーナ礼拝堂正面壁に壁画を描く構想を最初に練り、その意思を引き継いだ教皇パウルス3世の強くい要請により、正祭壇背面の壁画『最後の審判』を1536年から1541年まで5年をかけて完成させた。
最後の審判は、世界の終末においてメシアが出現し、死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分ける、という思想をいう。これはユダヤ教からキリスト教・イスラム教に引き継がれ、これら3つの宗教において重要な教義となっている。元々はゾロアスター教の教義から来たものと言われる(※最後の審判参照)。
ミケランジェロがバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井画と祭壇画を描いた間には、ローマ略奪という大事件やと宗教改革により、ルネサンス精神は失われ、ヨーロッパ列強の支配が強まりつつあった。そのような不安な時代背景から、調和と安定がキーポイントの盛期ルネサンスから後のバロック美術へ移る途中のこの時期の芸術マニエリスムの時代への転換期とされている。
ミケランジェロの『最後の審判』の主題は、その名の示す通り、マタイ福音書などに記されている「最後の審判」をテーマにしたものであり、400名以上の人物が描かれている。中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下している。大きく四つの階層に分かれており、上から、天使たちの群像、キリストを中心とした天国、地獄に引きずり落とされる人々、地獄、が描かれている。しかし、その解釈と表現には新旧の聖書のほか、ダンテの神曲やトンマーゾ・ダ・チェラーノの『怒りの日』、カトリック改革派の思想、マルティン・ルターの異教的思想など、さまざまなものが影響していると推測されているようだ。その為、制作当初からスキャンダラスとして批判を受け、異教的であるという理由から画家ダニエレ・ダ・ヴォルテッラに依頼し裸体で描かれていた人物に衣服が描き加えられたのを始め、最終的には44箇所に及ぶ加筆がおこなわれたという。また、キリストの右下には自身の生皮を持つバルトロマイが描かれているが、この生皮はミケランジェロの自画像とされる。パオリーナ礼拝堂には他にも『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いている。
『最後の審判』などの壁画・天井画は、長年のススで汚れていたが、日本テレビの支援により1981年から1994年までに修復作業が行われた。壁画・天井画は洗浄され製作当時の鮮やかな色彩が蘇った。ミケランジェロの死後、裸体を隠すために幾つかの衣装が書き込まれていたが、これは一部を除いて元の姿に復元されたという(以下参考に記載の「永遠の都ローマ」参照。ミケランジェロの年表も詳しく記されている)。
美術的なことについての専門知識などは私には無いのでそのようなことは以下に記載の参考の中から見てください。中で、ミケランジェロの作品について、以下2つのHPは、非常に綺麗な画像で、特に大作 システィーナ礼拝堂天井画(『天地創造』)や正祭壇背面の壁画(『最後の審判』)などは細部の細かな絵の説明もあり、非常にわかりやすい。これを見ただけで、ミケランジェロ通になれるよ。今日は、タダで見れる美術館観賞日にしては・・・(^0^)。
ミケランジェロ-主要作品の解説と画像-
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/michelangelo.html
ミケランジェロ ルネサンスの巨匠 画像と解説
http://art.pro.tok2.com/M/Michelangelo/Michelangelo.htm
そうそう、彼は、建築家としての才能も持ち、バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でもある。ここには彼の遺体も安置されている。
(画像は、システィーナ礼拝堂の天井画「天地創造」部分画・アダムの創造。フリー百科事典Wikipediaより。)
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クリック→ ミケランジェロ (伊:彫刻家,画家,建築家)の忌日:参考
ミケランジェロ・ブオナローティは、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。
ミケランジェロ(Michelangelo)の名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたものだそうだ。ミカエルはキリスト教ではラファエル、ガブリエル、ウリエルと共に四大天使の一人であり、キリスト教、ユダヤ教においてもっとも偉大な天使であるらしく、凄い名前をつけてもらっているのだなと思うのだが、フランスではMichel と言う名の男子もMichèleという名の婦女子もそこら中にゴロゴロといる名前のようだが聖書にミカエルの名が登場するのは、旧約は『ダニエル書』の10章13節、新約は『ユダの手紙』の9節、『ヨハネ黙示録』の12章7のたった三箇所ぐらいだという。『ダニエル書』においてミカエルは天使長たちの一人としてペルシアの天使たちと戦うためにつかわされたといわれておりローマの守護聖人として人気があるようだ。
ミケランジェロは、アレッツォ近郊の小村カプレーゼに生まれ、フィレンツェで育った。教皇に雇われて成年期の大半をローマで過したが、生涯を通じて、フィレンツェの美術と文化に深い愛着をいだきつづけ、フィレンツェに葬って欲しいとの遺言どおり、遺体はフィレンツェのサンタ・クローチェ教会(サンタ・クローチェ聖堂)に安置されている。
幼少の頃から絵画や彫刻に興味を示し13歳でドメニコ・ギルランダイオに弟子入りし、ドメニコに才能を認められ、フィレンツェの支配者だったロレンツォ・デ・メディチに紹介され支援を受ける。その間にプラトン・アカデミーに集まるマルシリオ・フィチーノなどの人文主義者たちと多く出会い、芸術に関する着想を広げ、大きな影響を受けた。この間に、『ケンタウロスの戦い』『階段の聖母』の二つの浮き彫りを制作している。ロレンツォが亡くなった1492年以降メディチ家の支援を得られれずボローニャで3年ほど生活したが、1496年にミケランジェロの天使像を購入したサンジョルジオ枢機卿の招きでローマに5年ほど留まることになる。
彼は、ここで彫刻の傑作『ピエタ』を、その後また、ローマに帰り、4年かけて『ダビデ像』を、・・・美術史上に輝く大傑作を完成させた。他にも、『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。
ミケランジェロは同じフィレンツェ出身のレオナルド・ダ・ヴィンチ、それにラファエロ・サンティなどとともにルネサンスの三大巨匠と呼ばれるが、彼は、後世、伝記作家が彼のこと「石と語り、のみを執れば髪の毛ほどの幅に正確に石を彫る男」それが天才ミケランジェロであるといっているように、彼は、生涯にわたり自らを彫刻家であることを自任していた。
そんな彫刻家であるミケランジェロが絵を描くとどのような絵を描くのか。恐らく当時の人々も興味津々だったに違いない。そんな彼が、1508年、ユリウス2世から バチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じられた。自分は彫刻家であり、画家ではないと拒んだが、しぶしぶユリウスの命令に従った。しかし、弟子の仕事ぶりが気にくわず、結局一人で制作を続けたという。礼拝堂内に足場を組み、横になって苦しい作業を続け、1512年までの4年間をかけて西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われる『創世記』をテーマにした『、天地創造』の大フレスコ画を完成した。『天地創造』は名の通り、旧約聖書創世記の9場面、天地創造からその後アダムとイブの創造、彼らの楽園追放、ノアの箱船と大洪水といった(聖書上の)出来事を描いたものである。
又、 システィーナ礼拝堂天井画完成から24年後、教皇ユリウス2世の後に即位した教皇クレメンス7世がシスティーナ礼拝堂正面壁に壁画を描く構想を最初に練り、その意思を引き継いだ教皇パウルス3世の強くい要請により、正祭壇背面の壁画『最後の審判』を1536年から1541年まで5年をかけて完成させた。
最後の審判は、世界の終末においてメシアが出現し、死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分ける、という思想をいう。これはユダヤ教からキリスト教・イスラム教に引き継がれ、これら3つの宗教において重要な教義となっている。元々はゾロアスター教の教義から来たものと言われる(※最後の審判参照)。
ミケランジェロがバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井画と祭壇画を描いた間には、ローマ略奪という大事件やと宗教改革により、ルネサンス精神は失われ、ヨーロッパ列強の支配が強まりつつあった。そのような不安な時代背景から、調和と安定がキーポイントの盛期ルネサンスから後のバロック美術へ移る途中のこの時期の芸術マニエリスムの時代への転換期とされている。
ミケランジェロの『最後の審判』の主題は、その名の示す通り、マタイ福音書などに記されている「最後の審判」をテーマにしたものであり、400名以上の人物が描かれている。中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下している。大きく四つの階層に分かれており、上から、天使たちの群像、キリストを中心とした天国、地獄に引きずり落とされる人々、地獄、が描かれている。しかし、その解釈と表現には新旧の聖書のほか、ダンテの神曲やトンマーゾ・ダ・チェラーノの『怒りの日』、カトリック改革派の思想、マルティン・ルターの異教的思想など、さまざまなものが影響していると推測されているようだ。その為、制作当初からスキャンダラスとして批判を受け、異教的であるという理由から画家ダニエレ・ダ・ヴォルテッラに依頼し裸体で描かれていた人物に衣服が描き加えられたのを始め、最終的には44箇所に及ぶ加筆がおこなわれたという。また、キリストの右下には自身の生皮を持つバルトロマイが描かれているが、この生皮はミケランジェロの自画像とされる。パオリーナ礼拝堂には他にも『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いている。
『最後の審判』などの壁画・天井画は、長年のススで汚れていたが、日本テレビの支援により1981年から1994年までに修復作業が行われた。壁画・天井画は洗浄され製作当時の鮮やかな色彩が蘇った。ミケランジェロの死後、裸体を隠すために幾つかの衣装が書き込まれていたが、これは一部を除いて元の姿に復元されたという(以下参考に記載の「永遠の都ローマ」参照。ミケランジェロの年表も詳しく記されている)。
美術的なことについての専門知識などは私には無いのでそのようなことは以下に記載の参考の中から見てください。中で、ミケランジェロの作品について、以下2つのHPは、非常に綺麗な画像で、特に大作 システィーナ礼拝堂天井画(『天地創造』)や正祭壇背面の壁画(『最後の審判』)などは細部の細かな絵の説明もあり、非常にわかりやすい。これを見ただけで、ミケランジェロ通になれるよ。今日は、タダで見れる美術館観賞日にしては・・・(^0^)。
ミケランジェロ-主要作品の解説と画像-
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/michelangelo.html
ミケランジェロ ルネサンスの巨匠 画像と解説
http://art.pro.tok2.com/M/Michelangelo/Michelangelo.htm
そうそう、彼は、建築家としての才能も持ち、バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でもある。ここには彼の遺体も安置されている。
(画像は、システィーナ礼拝堂の天井画「天地創造」部分画・アダムの創造。フリー百科事典Wikipediaより。)
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クリック→ ミケランジェロ (伊:彫刻家,画家,建築家)の忌日:参考