日本近代文学の森へ 274 志賀直哉『暗夜行路』 161 「リアル」の大事さ 「後篇第四 十三」 その1
2024.12.9
「十三」は、花の名前の列挙から始まる。列挙づいてるね。
竜胆(りんどう)、撫子、藤袴、女郎花(おみなえし)、山杜若(やまかきつばた)、松虫草、吾亦紅(われもこう)、その他、名を知らぬ菊科の美しいは花などの咲乱れている高原の細い路を二人は急がず登って行った。放牧の牛や馬が、草を食うのを止め、立って此方(こっち)を眺めていた。所々に大きな松の木があり、高い枝で蝉が力一杯啼いていた。空気が澄んで山の気は感ぜられたが、登り故になかなか暑かった。そして背後(うしろ)に遥か海が見え出すと、二人は所々で一服しながら行った。
都会育ちなのに、志賀はどうしてこんなに植物の名前を知っているのだろう。いや、志賀だけではなく、昔の人は、都会育ちであろうがなかろうが、案外こういう知識は豊富だったような気がする。都会でも、今の都会のありようと違って、すぐ近くに自然は広がっていただろうから。
「さあ、もう一卜息だ」
「荷は思ったより重いだろう」
「うむ、ずっしりといやに重いね。こりゃあ本かね」
「辛いようなら、その茶屋で少し出して行ってもいい。ついでの時に運んでもらうとして」
「なに大丈夫だ。分けの茶屋で飯を一つよばれよう。そうすりゃあ元気がでらあね。」
「お前は酒を飲むか?」
「たんとはいけないね」
「其所(そこ)で少し飲んだらいいだろう」
「直しを一杯御馳走になるか。旦那はどうだね」
「私は駄目だ」
「全然(まるで)いけないという事はないだろう。直しを一杯やって、一時間ばかり昼寝をして行っちゃあどうだ」
「昼寝はともかく、ゆっくり休んで行こう」
ここで出てくる「直(なお)し」が、すぐに何だかわかるのが嬉しい。ぼくの愛してやまない落語『青菜』に出てくるのだが、そこで知ったのだ。関西では「柳蔭(やなぎかげ)」と呼ばれ、江戸では「本直し」と呼ばれる酒で、みりんと焼酎をほぼ半々に混ぜたものだ。冷酒用として飲まれたもので、植木屋が、旦那からこれを勧められるというくだりがある。夏の暑さの中で、なんともいえない清涼感がある。これを「分けの茶屋」で一杯やろうというのである。
関西では「柳蔭」と呼ぶのに、この老車夫が「直し」というのは、関西でも「直し」と呼ぶ人がいたということだろうか。それとも志賀がそのことを知らなかったということだろうか。いずれにしても、今ではまず飲まれることもないだろう酒が、落語みたいに、こんなところに顔を出してくるのは楽しいことだ。
それにしても、こんな山の中に歩いていくのに、「ずっしりと重い」ほど本を持って行くなんて、ちょっと信じられない。せいぜい2、3冊で事足りると思うのだが、「少し出して行ってもいい」とは、いったい何冊持っていったのだろうか。作家だからか、それとも謙作は、やっぱりまだ若いということか。
ゆっくり休んで行こうという謙作に、老車夫は、この先はぶっそうなところだから、さっさと行こうといって、昔話をする。
「もう三、四町だ。其所は分けの一つ家(や)といって、一里四方人家のない所だ。昔は恐ろしい爺(おやじ)がいて、よく旅人の物を盗ったりしたものだ」
「何時(いつ)頃の話だ」
「俺の若い頃の話さ。大山の蓮浄院(じょうれんいん)へ竹槍を持って押込みをやったのが知れ、茶屋の前で攻め木にかけられているのを見た事がある。海老攻めというので見ていられなかったね。真っ白い長い髪を振ってわあわあいう奴を段々にしめて行くのだ。俺(わし)は丁度雪を背負(しょ)って、其所(そこ)を通りかかって見たのだが、海老攻めというのはえらい拷問だね。身体(からだ)をぎゅうぎゅう海老のように屈(ま)げちまうんだから」
車夫はなお、その時の話を精しくした。頬被りをした強盗が住職を嚇(おど)している間に、気の利いた小坊主が本堂の鐘を乱打した。それが火事その他不時の場合を知らす撞き方なので、他の寺々でも応じて鐘を撞き出したが、静かな真夜中だけに森や谷にこだましてごんごんごんごんそれが響いた。或る僧が戸外(そと)に出ているとちょうど月の入りで、森の中を真白な髪を振り乱しながら逃げて行く老人の姿を遥かに見たという。
「山には竹はないが、その頃一つ家の前だけに竹藪があった。そこで藪を探すと、捨てて行った竹槍にすっきり切り口の合う株が見つかった。これには如何に強情な爺も恐れ入ったそうだ。調べ上げると他にも色々悪い事をしてたのが分って、間もなく米子で死刑になったよ」
なんとも鮮明なイメージで描かれる事件だ。「海老攻め」という拷問の凄まじさ、真夜中の森や谷に響く鐘の音、月の光にまっ白な髪を振り乱して逃げていく老人──こんなイメージを志賀はどこから手に入れたのだろう。どこかで別のところで、かつて聞いたことのある実話だったのかもしれない。それをここに入れたのかもしれない。
竹槍の切り口と、竹藪の中の竹の切り口が一致したなんて、嘘っぽいけど、おもしろい。
このエピソードも、どうしてもなくてはならぬものではない。なければないでかまわないような話だが、やはり、『暗夜行路』では、こうした枝葉が魅力的に光っているのだ。
もっとも、こうした犯罪が罰せられるというエピソードが、直子の過ちが頭を離れない謙作には、なんらかの意味をもって響いているという可能性も考えられるので、速断は慎まなければなるまい。
やがて、二人はその茶屋に着いた。屋根の低い広々とした平家だった。軒前の大きな天水桶にはなみなみと水がたたえてあり、その下で襷(たすき)をかけた六十ばかりの婆さんが、塩びきの鮭を洗っていた。
「暑い暑い」車夫は其所の縁台に重い荷を下ろした。
広い平家は真中に士間が奥まで通ってい、その左が住い、右が客用の間になっていた。そしてその客用の間の真中に八十近い白髪(しらが)の老人が立てた長い胚を両手で抱くようにして、広い裾野から遠く中の海、夜見(よみ)ヶ浜、美保の関、更にそと海まで眺められる景色を前に、静かに腰を下ろしている。老人は謙作たちが入って来たのも気附かぬ風で、遠くを眺めていた。
見事なものだ。茶屋のたたずまいが、たった二文(屋根の低い〜洗っていた。)で活写されている。天水桶にはなみなみとたたえられた水、塩びきの鮭を洗う六十ばかりの婆さん──これだけだ。これだけの「点景」で、全体を描いてしまう。
そして、車夫の「暑い暑い」のセリフをはさんで、こんどは、まるでドローンで撮影したように視点を移動させて、家の間取りを描いていき、その果てに外の風景が広がる。その風景の中に、「静かに腰を下ろしている」老人。
なんという美しい風景だろう。まるで、広重の絵だ。
「車屋にめしと酒」謙作は婆さんにいった。「私には菓子と、それからサイダーをもらおうか」
「お爺さん。お爺さん」婆さんは立って濡れ手を前へ下げたまま老人を呼んだ。
「私は手が臭いからお客様に菓子とサイダーを上げて下さい」
老人は黙って立った。脊(せ)が高く丁度風雨にさらされた山の枯木のような感じがした。
「菓子と何だね?」
「お爺さん、サイダーは俺(わし)が持って来る。菓子だけ出しておくれ」車夫はそういい、自身流しの方へそれを取りに行った。「此方(こっち)の方が冷えているのかね」
爺さんは棚から硝子の皿を取り、石油鑵(かん)から駄菓子を手で掴み出し、それを謙作の前へ持って来た。そして「おいで……」こういってちょっと頭を下げると、また元いた場所へ還って腰を下ろした。
「これを食べるかね」婆さんは塩びきを切りながら車夫にいった。
「結構だね」車夫は胸に流れる汗を拭きながら答えた。
婆さんが「私は手が臭いから」といって、菓子を出すのを爺さんに頼むあたりは、芸が細かい。「塩びき鮭」を洗っているので手が鮭臭いというのだ。こういう細かいところの「リアル」がとても大事だ。鮭の塩びきを肴にのむ「直し」もうまそうだ。これも「リアル」。
余計な話だが、今やってる朝ドラ『おむすび』には、こういう「リアル」が極端に欠けている。同時に再放送中の『カーネーション』が、こうした「リアル」に満ちているので、『おむすび』は余計見ているのが辛い。
「石油鑵(かん)から駄菓子を手で掴み出し」の「石油鑵」も懐かしい。ぼくが子どもの頃にも、「石油鑵」に菓子やら乾物やらを入れていたような気がする。
爺さんが「おいで……」というのは、「おいでなさいまし」というような挨拶の省略形だろう。最初読んだとき、「こっちへおいで」の意味かと思って戸惑った。こういう勘違いがぼくには多くて困る。
さて、ここで重要なのは、美しいパノラミックな風景の中に、ズームインしてきたような座っている爺さんが、謙作には「風雨にさらされた山の枯木のような感じがした。」というところだ。
なんでもないようなたたずまいの爺さんが、この後、重要な意味合いを持ってくるのである。