日本近代文学の森へ (169) 志賀直哉『暗夜行路』 56 衝撃の事実 「前篇第二 六」 その3
2020.9.13
6日後、兄の信行から手紙が届いた。
信行は、手紙を見て驚いたこと、できれば思いとどまって欲しいと思ったこと、しかしそんなことを聞く謙作ではないと思ったこと、それで、お栄に謙作の手紙を見せたこと、お栄はその手紙を見て驚かなかったが、きっぱりと「それはいけない」と言ったことなどを述べた後で、本題に入った。
俺は今、この手紙で何も彼もお前に書かねばならなくなった事を非常に心苦しく思う。俺はお前に対し、今まで本統に済まない事をしていたのだ。そして今でもそれを打明けるのは非常に心苦しい。しかし黙っていて、この後(のち)何時(いつ)までもお前を苦しめる事を思うと、一時は崖から突落すような事ではあるが、思い切って書かねばならぬと決心した。
お前は母上と祖父上との間に出来た子供なのだ。精しい事は知らない。俺も中学を出る頃、神戸の叔母さんに聴いて初めて知ったので、俺がそれを知っている事は父上でも義母上でも恐らく今だに知ってはいられまい。それ故、俺にも精しい事を知る機会がない。また知りたくない気持もあって、そのままでいるが、とにかく、若荷谷に自家(うち)があった頃、父上が三年独逸(ドイツ)へ留学された、その間にお前は生れたのだ。そして、こんな事まで書くのはお前を一層苦しめるばかりだとは思うが、知ってるだけは総ていう決心で書きだしたから書く。自家の祖父上祖母上は父上に秘密で堕胎してしまおうとしたのだそうだ。しかし芝の祖父上が「あなたはこの上にも罪を重ねるおつもりですか」と非常に怒られたそうだ。それ故そういう事なしに済んだが、母上は直ぐ芝へ引とられて行った。そして、芝の祖父上は何から何まで正直に書いて独逸へ送られたという事だ。勿論離婚を覚悟してだ。しかし父上からは、総てを赦すという返事が来た。そしてその手紙が来ると間もなく自家の祖父上は一人自家を出て、何処かへ行ってしまわれたのだそうだ。
こういうのを「衝撃の事実」というのだろう。お栄との結婚を考えて、その相談をした兄から、まったく思いがけない、とんでもない事実を告げられるなんて、謙作は思ってもみなかっただろう。
自分が祖父と母との間に出来た子であり、しかも、祖父と祖母は、自分を堕胎しようとしたということ。しかし芝の祖父(母の父)から強くたしなめられたということ。芝の祖父は、そのことをドイツにいる父に告げたということ。そして、それを知った父が総てを許したということ。そのどの一つをとっても、謙作にとっては重すぎる事実だった。
けれども、自分の出生になにかいいようもないものがあるということを、謙作は、早くから予感していたのだ、という書き方をしているのが「暗夜行路」だ。
ここで、「暗夜行路」の冒頭部分を振り返ってみよう。
私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月ほど経って、不意に祖父が私の前に現われて来た、その時であった。私の六歳(むっつ)の時であった。
或る夕方、私は一人、門の前で遊んでいると、見知らぬ老人が其処(そこ)へ来て立った。眼の落ち窪んだ、猫背の何となく見すぼらしい老人だった。私は何という事なくそれに反感を持った。
老人は笑顔を作って何か私に話しかけようとした。しかし私は一種の悪意から、それをはぐらかして下を向いてしまった。釣上った口元、それを囲んだ深い微、変に下品な印象を受けた。「早く行け」私は腹でそう思いながら、なお意固地に下を向いていた。
しかし老人はなかなかその場を立去ろうとはしなかった。私は妙に居堪らない気持になって来た。私は不意に立上って門内へ駈け込んだ。その時、
「オイオイお前は謙作かネ」と老人が背後(うしろ)からいった。
私はその言薬で突きのめされたように感じた。そして立止った。振返った私は心では用心していたが、首はいつか音なしく点頭(うなず)いてしまった。
「お父さんは在宅かネ?」と老人が訊(き)いた。
私は首を振った。しかしこのうわ手な物言いが変に私を圧迫した。
老人は近寄って来て、私の頭へ手をやり、
「大きくなった」といった。
この老人が何者であるか、私には解らなかった。しかし或る不思議な本能で、それが近い肉親である事を既に感じていた。私は息苦しくなって来た。
老人はそのまま帰って行った。
二、三日するとその老人はまたやって来た。その時私は初めてそれを祖父として父から紹介された。
更に十日ほどすると、何故か私だけがその祖父の家に引きとられる事になった。そして私は根岸のお行の松に近い或る横の奥の小さい古家に引きとられて行った。
其処には祖父の他にお栄という二十三、四の女がいた。私の周囲の空気は全く今までとは変っていた。総てが貧乏臭く下品だった。
ここで幼い謙作が感じた祖父への「反感」は、「釣上った口元、それを囲んだ深い微、変に下品な印象」からのみ来るものではなく、「或る不思議な本能で、それが近い肉親である事を既に感じていた。」とあるように、もっと深いところからくる「反感」だったことが手に取るように分かる。「近い肉親である事」が、どうして「親しみ」ではなくて、「息苦し」さを引き起こすのか、その深い理由を幼い謙作は知るよしもなかったが、感じてはいたのだ。
そしてなぜだか分からぬが、兄弟の中で自分だけが父の家から祖父に家に引き取られる。そしてそこにいたお栄という女。謙作が6歳、お栄が23、4歳。そのお栄が祖父の妾であることを謙作はまだ知らなかった。
この文庫本でたった2ページほどの文章の中に、「暗夜行路」の核心が既に明確に書かれている。初めてここを読む人は、なにやらえたいのしれない不愉快な感じを受け取るだろうが、その実態はもちろん分からないまま、読み進めることとなる。そこから長い長い話が続いた挙げ句、ここへきて、ぱっと秘密が明かされる。読者としても、なにかある、とは思っていても、まさかこんなことまで、という印象はきっとあるはずだ。
けれども、ぼくが高校時代か大学時代に「暗夜行路」を読んだとき、ここにそれほど驚いた印象がない。「え? そうだったの? なんだそれ!」っていうような衝撃を受けた記憶がないのだ。
ということは、結局、その頃のぼくは、「暗夜行路」をぜんぜん理解できなかった、ということだろう。頭では理解しても、感情のレベルで、ぼくの心が震撼することはなかったのだとすれば、それはやっぱり、「ぜんぜん分からなかった」ということになる。
今回は、すでに志賀直哉論やら、暗夜行路についての評論やらに少しは触れていたので、この秘密については知っていたわけだが、それがどういう形で謙作に開かされるのかは、覚えていなかったので、なるほど、こういう経緯なのかと驚いた。周到に用意された筋である。
お栄との結婚という問題がなかったら、この秘密は謙作には生涯開かされなかったかもしれない。あるいはお栄との結婚という問題なしには、この秘密が明かされる必然性がないようにも思える。唯一あったとしたら、愛子との結婚の時だったわけだが。
そういうことも含めて考えてみれば、人生にとって結婚は、ほんとうに一大事なのだということが深く納得される。そういう一大事を、20歳前後のぼくが深く理解することなど土台無理というものだったわけだ。それなのに、ぼくは23歳で結婚してしまったのだから、無謀という他はない。というか、なんにも知らなかったから結婚できたのだとも言える。人生ってむずかしい。