日本近代文学の森へ 238 志賀直哉『暗夜行路』 125 スッキリしない関係 「後篇第三 十六」 その2
2023.2.24
直子のお産は、10月末か11月初めということで、直子の母親が出てこられないようなら、病院ですることに決めた。
そんなある日、ふいに信行がやってきた。相談があるというのだ。
「実はお栄さんの事なんだがね。──今、お前の所に三百円ばかり金あるか?」
「あるよ」
「そうか、そんなら早速それだけでも送ってやるかな」
「どうしたんだ」謙作はお栄が少しも自分の方に相談せず、信行にばかり頼るような所が、そうする気持は解っているが、ちょっと不満に感ぜられた。
「お才かね、あの女はお前もいっていたが、やはり、本統の親切気はなかったらしいんだね。お前の方には知らさなかったそうだが、この六月からお栄さんはもう天津にいなかったんだよ。何でもそれから奉天の方へ暫く行っていて、今は大連にいるんだ」
「何をしているんだ」
「何にもせずに印判屋の二階で近所の小娘を使って自炊してるんだそうだ。──それはいいが半月ほど前に泥棒に入られて今はほとんど無一物になっちまったというんだがね」
「君の所へそういって来たのかい?」
「一昨日そういう手紙を貰った」
「馬鹿だな! そんならさっさと帰って来るがいいんだ」謙作は何という事なし苛々していった。
謙作はいつもお栄に対してはイライラしている。お栄に対する気持ちが完全にはふっきれていないのだ。
新婚の身である自分に、お栄が相談を持ちかけることを遠慮していることは分かっていても、お栄が信行を頼っていることが「不満」だなんて、子どもっぽいにもほどがある。
このお栄という存在は、「暗夜行路」という小説にとって、実に重要な存在で、ことがお栄にからんでくると、どうもスッキリしない展開となる。実の父(祖父だと思っていたのに、実は父だった)の妾であり、謙作の幼い頃からの母親代わりという、まあ、あり得ないような関係であるうえに、謙作がそのお栄と結婚したいと思い詰めたが、諦めざるを得なかったという、更にあり得ないほど「スッキリしない」関係のお栄であるから、話の展開だって、どうしてもスッキリするわけがないのである。
「馬鹿だな! そんならさっさと帰って来るがいいんだ」という謙作の言葉には、お栄に対する愛情がにじみ出ている。それを謙作が気づいていないかのように、「謙作は何という事なし苛々していった。」と志賀は書く。
「俺もそう思うよ。だけど、その印判屋にも少し借りがあるらしく、直ぐも動けないような事が書いてあったからね。旅費とも三百円あったら足りるだろうと思ったが、生憎(あいにく)俺の所に今まるで金がないんだ。自家(うち)から貰ってもいいが、その事を今ちょっといいたくないからね。もっとも、それだけでわざわざ出て来るほどの事もないが、今度寺で庫裏の修築をやるんで寄附金を集めてるんだ。──此所(ここ)の管長は絵かきだって?」
「絵かきでもないかも知れないが、とにかく白木屋あたりで、時々見るよ」
「なかなか高いそうじゃないか。寄附代りに五、六枚描いてもらうんで、それを頼みに行く使を《うち》の和尚に頼まれたんだよ。まあ、そんな事もあるんで急に出て来た」
信行が、いきなり300円ばかり金があるか? と聞いてきたとき、謙作は即座に「あるよ」と答えたわけだが、今の金で、だいたい20万円ほどだ。その程度の金は、謙作には考えなくても「あるよ」と答えられるわけで、まあ、一般庶民とはほど遠いということだろう。今ぼくが「20万あるか?」と聞かれれば、「あるよ。」とは答えることはできるが、それを出せとか、貸せとか言われるに決まっているので、「ない」と答える可能性が高い。実際に、そんな金、おいそれとは貸せないし、出せない。
謙作は「ある」のに、信行には「ない」。「まるで金がない」という。勤めをやめてしまったからだろうが、暢気なものである。寺の寄付帖に、金を出してないのに金額を書いてしまうというおおらかさ(あるいはいい加減さ)が後で出てくるが、信行という男も不思議な男である。
「お栄さんは無一物になったというだけで、別に心配な事はないんだね」
「瘧(おこり)を病んでいるといって来たが、瘧といえばマラリヤだね。あんな所でもそういう病気があるのかね」
「それは何所だってあるだろう。しかし別に危険な病気じゃないだろう?」
「大した事ではないらしいよ。そうだ、その瘧で、薬を呑む時間を間違えたために、それがおこって苦しんだ挙句、すっかり疲れて、うつらうつらしていると、暑いんで夜でも開け放しておいた窓から支那人が二人入って来るのをぼんやりと見てたんだそうだよ。例の東京で買い集めた芸者の衣裳が三行李(こうり)とかあって、それを部屋の隅に積んでおいたんだね。つまりそれを資本に、また同じ商売を何所かでやる気だったらしい。それをすっかり持って行かれたんだ。泥棒だなと思いながら、あんまり疲れているんで、そのまま眠っちまったんだそうだ」
「泣っ面に蜂だね」しかしまたお栄と会える事が謙作には妙に嬉しい気がした。彼は我知らず快活な気分になっていた。
「しかしそれで早く帰って来れば大難が小難みたようなもんだ」
「そうかも知れない」信行も一緒に笑った。
元々謙作はお栄の支那行きには不賛成だったのだ。間に入った信行の話が不充分で、それがお栄まで徹しなかったのである。しかし今案外早く帰って来る事を知ると、「そら、見た事か」とでもいって、手を差しのべてやりたいような気持になっていた。
謙作がお栄にイライラするのは、未練からだけではなさそうだ。このお栄に起きた出来事は、なんともヘンテコだ。マラリアの薬を飲み間違えて、ぼんやりしている所に泥棒が入ってきたのに、「ああ、泥棒だあ。」と思いつつ、眠ってしまうなんて、いくら薬が効いていたからといって、あまりにとろい。(「とろい」なんて言葉は死語かもしれないが、ここではぴったりくる。)
お栄は全財産を盗まれてスッカラカンになってしまったのに、それを聞いて「泣っ面に蜂だね」と冗談を言える謙作も、ことの重大さを感じていない。300円で済むことだからだ。そんな金はいくらだって出す。それでお栄が帰ってくるなら、御の字だ、といったところだろう。
「しかしまたお栄と会える事が謙作には妙に嬉しい気がした。彼は我知らず快活な気分になっていた。」とか、「「そら、見た事か」とでもいって、手を差しのべてやりたいような気持になっていた。」とか、はずむような謙作の気持ちが率直に描かれていて、ほほえましい。
しかし、そのほほえましさの陰で、直子の気持ちがどうなのかという思いが拭いきれない。謙作は、直子の感情を想像するだろうか。
信行は、寺への寄付を謙作にも求める。
「どうだい。お前も少し寄附しないか」こういって信行は角張った手提鞄の中から、袈裟の古布か何かを表紙にした鳥の子紙の帳面を出した。
謙作はそれを取上げて見た。「二百円、──二百五十円──三拾円──拾円、五百円、── なかなか大きいんだな。百五拾円、──これが君か」
「金がないから、払わないんだ」
「払わずにただ書いておくのかい」
「そりゃ何時か払うよ、ある時に……」信行は笑った。
「お兄様。いくらでもよろしいの?」傍(わき)から直子がいった。
「ああ、いくらでもいいよ。二円でも三円でも」
「そう? そんなら私五円奉納しますわ」
「それは、ありがとう。早速これへ書いておくれ」
直子は箪笥の上の硯箱を持って来て、
「貴方は?」といった。
「あなたがすればもう沢山だよ。僕は寺なんかがよく保存される事は大賛成だが、自分が寄附するのは不賛成だよ。そういう事はもっと政府で金を出すのが本統だよ」
「猾(ずる)いのね」
「猾かないさ。しかしいくらでもいいなら、僕は十円だ。一緒に僕のも書いてくれ」
謙作は人並はずれて字が下手だった。殊に毛筆で書くと自分でも下手なのに感心した。そして彼に較べれば直子の方が遥かに人並である所から、近頃は筆の字は大概直子に代筆さす事にしていた。
「いや、ありがとう」信行は墨の乾くのを待ってその帳面を手提にしまった。
このやりとり、おもしろい。志賀直哉という人がよく出ている。寺の保存は大賛成だが、自分は金は出したくない。政府がやればいいんだ。というのは、なかなか筋が通っている。しかし、直子に「ずるい」と言われると、なにを! と思って、直子の倍額を寄付する。合理主義者のエゴイストで負けず嫌い。
戦後間もなく、志賀直哉は、国語はフランス語にしたほうがいいというような、びっくりするようなことを言って世間を驚かせたが、それもこの延長線上にあるのかもしれない。
ちなみに、謙作は「人並はずれて字が下手だった」とあるが、志賀直哉自身は、決して悪筆ではない(と思う。)
最後の引用文、「信行は墨の乾くのを待ってその帳面を手提にしまった。」は、なんの変哲もない文章のように見えるが、普通なら「信行はその帳面を手提にしまった。」と書いてしまうところ。ちゃんと「墨の乾くのを待って」を入れるあたりは、志賀らしい細やかさが際立つ文章だ。こう書くことで、信行のいい加減にみえて、案外几帳面な性格をサッと描き出している。毎度のことだが、感心してしまう。