真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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南京大虐殺と外交官 石射猪太郎

2014年10月19日 | 国際・政治

 10月16日の朝日新聞夕刊に「慰安婦巡るクマラスワミ報告 政府が一部修正を要請 本人は拒否」という記事が掲載された。日本政府の報告書修正の要請は、クマラスワミ報告が吉田清治氏(故人)の著作を一部引用しているからであり、朝日新聞が先だって吉田氏の証言を虚偽と判断し、証言を報じた過去の記事を取り消したことに対応したものであろう。

 クマラスワミ氏は「証拠の一つに過ぎない」として修正を拒んだというが、その詳細はわからない。私は、クマラスワミ氏が「日本政府が国家的に行うべきである」とした「勧告」の下記6項目に誠実に取り組むことなく、報告書の修正を要請することに違和感を感じると同時に、元「慰安婦」の証言を最も重視したというクマラスワミ氏が、中国や韓国の政府と同様、日本政府の姿勢に歴史修正の動きを感じ、報告書修正の要請に応じなかったのではないか、と想像する。

クマラスワミ6項目の勧告ーーー
A 国家レベルで
137. 日本政府は、以下を行うべきである。
 (a)第2次大戦中に日本帝国軍によって設置された慰安所制度が国際法の下で その義務に違反したことを承認し、かつその違反の法的責任を受諾すること
 (b)日本軍性奴隷制の被害者個々人に対し、人権および基本的自由の重大侵害被害者の原状回復、賠償および更正への権利に関する差別防止少数者保護小委員会の特別報告者によって示された原則に従って、賠償を支払うこと。多くの被害者がきわめて高齢なので、この目的のために特別の行政的審査会を短期間内に設置すること。
 (c)第2次大戦中の日本帝国軍の慰安所および他の関連する活動に関し、日本政府が所持するすべての文書および資料の完全な開示を確実なものにすること。
 (d)名乗り出た女性で、日本軍性奴隷制の女性被害者であることが立証される女性個々人に対し、書面による公的謝罪ををなすこと。
 (e)歴史的現実を反映するように教育課程を改めることによって、これらの問題についての意識を高めること。
 (f)第2次大戦中に、慰安所への募集および収容に関与した犯行者をできる限り特定し、かつ処罰すること。
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 また、私たちはクマラスワミ報告書の一部をたとえ修正したとしても、元慰安婦の「問題」はかわらずにあることを忘れてはならないと思う。元慰安婦の証言だけではなく、1993年(平成5年)8月4日、日本政府が「慰安婦関係調査結果」として発表した『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』に多くの日本の関係資料が入っている(河野談話はその発表にあたって語られたものである)。「慰安婦」の問題は、吉田証言や朝日新聞の報道によって作り出されたものではないということである。

 「慰安婦」の問題と同じように、もうひとつ気になる問題がある。「南京大虐殺」の問題である。日本の一部学者や研究者とその支持者が、国際社会ではとても受け入れられないであろうと思う主張を繰り返しているのである。

 たとえば、「南京大虐殺は中国の作り話」とか、「南京大虐殺は連合国の創作」とか、「南京の軍事法廷もデタラメの復讐劇」というような主張があり、また、「東京裁判でアメリカが原爆の被害を小さく見せるために、それを上まわる虐殺数30万人説を突然持ち出した」というような主張である。そして、「平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》」などという、当時の軍が作成し提供したのではないかと思われるような新聞の記事や写真も活用され、「南京戦で日本軍は非常に人道的で、攻撃前に南京市内にいた民間人全員に戦火が及ばないように、南京市内に設けられた「安全区」に集めた為に日本軍の攻撃で、安全区の民間人は誰一人死にませんでした」などというのである。「中国兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた」という文章も目にした。私は、それらは歴史の修正ではないかと思う。ここでは「外交官の一生」石射猪太郎(中公文庫)から、そうした主張に疑問を感じさせる「南京大虐殺」に関わる記述を抜粋した。当時東亜局長という立場にあった外交官の文章である。

 また、「バネー号、レディー・バード号事件」と題された部分の文章も抜粋したが、「海軍機の過失によって、撃沈された」というのは、どうも疑わしいようなのである。
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                           東亜局長時代──中日事変

 南京アトロシティーズ

 南京は暮れの13日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危ないとさえ報ぜられた。1938年(昭和13年)1月3日の日記にいう。

 上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。
 南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召中尉であった。部下を使って宿営所に女を拉し来っては暴行を加え、悪鬼のごとくふるまった。何か言えばすぐ銃剣をがちゃつかせるので、危険で近よれないらしかった。

 私は三省事務局長会議でたびたび陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛正を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりにも大量な暴行なので、手のつけようがなかったのだろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した国際安全委員会なるものから日本側に提出された報告書には、昭和13年1月末、数日間の出来事として、70余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。最も多いのは強姦、60余歳の老婆が犯され、臨月の女も容赦されなかったという記述は、ほとんど読むに耐えないものであった。その頃、参謀本部第二部長本間少将が、軍紀粛正のため現地に派遣されたと伝えられ、それが功を奏したのか、暴虐事件はやがて下火になっていった。

 これが聖戦と呼ばれ、皇軍と呼ばれるものの姿であった。私はその当時からこの事件を南京アトロシティーズと呼びならわしていた。暴虐という漢字よりも適切な語感が出るからであった。

 日本の新聞は、記事差し止めのために、この同胞の鬼畜の行為に沈黙を守ったが、悪事は直ちに千里を走って海外に大センセーションを引き起こし、あらゆる非難が日本軍に向けられた。わが民族史上、千子の汚点、知らぬは日本国民ばかり、大衆はいわゆる赫々たる戦果を礼讃するのみであった。


 バネー号、レディー・バード号事件

 わが軍の南京攻略に際して、揚子江停泊中のアメリカ艦バネー号と、イギリス艦レディー・バード号がそば杖を食った。バネー号はわが海軍機の過失によって、撃沈されたのである。アメリカからの厳重な抗議に対して、日本政府は平あやまりにあやまり、海軍はすぐ責任者を処分した。この時の海軍の処置ぶりはあざやかであった。一時沸騰したアメリカの世論がそれで納まった。

 日本の子供までが事件を心配して、在京のアメリカ大使館に同情の手紙を寄せたり、救恤のたしにとお金を送ったりしたことが新聞に見えた。本当に童心から出た誠意なのであろうか。私はちょっと不純さを感じた。その頃、日本国民の頭には米主英従とでもいうか、イギリスはどうでもよいが、アメリカのご機嫌は損じないようにとの空気がしみこんでいた。それが童心にも反映したのかもしれなかった。

 レディー・バード号は、蕪湖沖で橋本欣五郎大佐の砲兵隊から撃たれたのである。イギリスからやはり厳重な抗議が来たが、陸軍は素直に非を認めようとしない。イギリス艦の方で煙幕を張って、敗残中国兵を収容したのが悪いのだ、などと虚構の説を言いふらして頑張ろうとしたが、結局陸軍も、イギリスに対する謝罪には反対しきれなくなった。ただ明らかにこの事件の責任者である橋本大佐を、どうにもし得ないのだ。12月末、私がイギリス謝罪文の案を確定するために陸軍省に行った時、橋本大佐を処分しきれない手ぬるさをなじると、町尻軍務局長は、軍の内部状勢上、彼を処分し得ない事情を諒察されたい、と逃げるのであった。
 一予備大佐ながら、軍も憚らねばならぬ橋本大佐の威力は、英雄的であるというべきであった。

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