真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「帝国の慰安婦」 事実に反する断定の数々 NO1

2019年06月21日 | 国際・政治

 朴裕河世宗大学教授の書いた「帝国の慰安婦」が、韓国において裁判沙汰になり、彼女が有罪判決を受けたということを知ったので、「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」朴裕河(朝日新聞出版)を手に取り、昔読んだ日本軍慰安婦関係の書籍や資料を思い出しながら読みました。

 そして、有罪であるかどうかは別にして、反発があるのは当然だろうと思いました。私自身がいろいろ疑問を感じました。したがって、そうした部分の一部を抜粋し、私自身の考えたことや疑問をまとめておくことにしました(「p101」などとあるのは、同書の101頁に書かれている文章であることを示します)。
p101
これまで慰安婦たちは経験を淡々と話してきた。しかしそれを聞く者たちは、それぞれ聞きたいことだけを選びとってきた。それは、慰安婦問題を否定してきたひとでも、慰安婦たちを支援してきたひとたちでも、基本的には変わらない。さまざまな状況を語っていた証言のなかから、それぞれ持っていた日本帝国のイメージに合わせて、慰安婦たちの<記憶>を取捨選択してきたのである。

 著者は、序文で”「慰安婦」に関する世界の理解は「第二次世界大戦中に二十万人のアジアの少女たちが日本軍に強制的に連行されて虐げられた性奴隷」というものです”と書き、”「慰安婦」を否定する人たちは「慰安婦は売春婦」と主張しています”として、その対立をなんとかしたいと思い、したことは、”「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性の声にひたすら耳を澄ませることでした”と書いています。
 そして、多くの証言を取り上げて、自分は、そうした対立を乗り越えているかのように書いておられるのですが、”慰安婦たちの<記憶>を取捨選択”するのは、何が問題の本質かを突き詰めていくとき、当然なされることで、「日本軍慰安婦」として戦地に連れて行かれた人と、「売春婦」として自ら納得して戦地に行った人の証言を等しく扱えば、日本軍慰安婦問題の本質は、理解できなくなるのではないかと思います。
 私は、教授の”慰安婦たちの<記憶>を取捨選択”することが間違いであるかのような考え方が、日本軍慰安婦問題の本質理解を歪めることにつながったのではないかと思います。

P106
しかし、資料や証言を見る限り、少女の数はむしろ少数で例外的だったように見える。しかも幼い少女たちまで集めたのは、軍の意志よりは業者の意志の結果だったと考えられる。そこにはあきらかに行動主体としての「業者」の意志が反映されている。多くの慰安婦を確保するのは、まずは業者の利益につながることであり、慰安婦強制募集が軍の命令でないかぎり、そこに存在した業者の意志を無視することはできない。集めてきた少女たちに性労働を強制していたのが、軍人以前に業者だったことを見ることは重要だ。

 巻末の参考文献には、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』が入っています。したがって、著者が、その中の「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」という文書(当時和歌山県知事が、内務省警保局長などに宛てた文書)を知らないはずはないと思います。和歌山県下田辺警察署で婦女誘拐被疑事件が発生し、検挙したした犯人が「…派出所巡査ニ対シ疑ハシキモノニ非ス軍部ヨリノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来リタルモノニシテ…」と語ったので、軍部が酌婦(慰安婦)募集を命じるというようなことがあるのか、と問い合わせているのです。その回答が「…上海派遣軍慰安所従業酌婦募集方ニ関シ内務省ヨリ非公式ナガラ当府警察部長ヘ依頼ノ次第モ有之当府ニ於テハ相当便宜ヲヘ既ニ第1回ハ本月3日渡航セシメタル次第ニテ目下貴管下ヘモ募集者出張中ノ趣ナルカ左記ノ者ハ当署管内居住者ニシテ身元不正者ニ非サル者関係者ヨリ願出候ニ就キ之カ事実ニ相違ナキ点ノミ小職ニ於テ証明書致候間可然御取計願上候」とあるのです。慰安婦募集が軍命あるいは軍の依頼であることは否定できないことだと思います。当時、他県の知事からも業者による「慰安婦」集めを問題視する指摘が寄せられているのです。

 また、陸軍省兵務局兵務課起案の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」には、「支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故ラ(コトサラ)ニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且(カ)ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞(オソレ)アルモノ、或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ、或ハ募集ニ任ズル者ノ人選適切ヲ欠キ、為ニ募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等(コレラ)ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度(アイナリタク)、依命(メイニヨリ)通牒ス」とあり、軍・憲兵・警察などが業者と一体となって「慰安婦」集めが続けられていたことを窺い知ることができます。「是等(コレラ)ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ」とあるのに、「… しかも幼い少女たちまで集めたのは、軍の意志よりは業者の意志の結果だったと考えられる」と言えるでしょうか。

p107
こうした事業は軍が取り仕切っており、細かい規則を決めていた。(中略)
将校は毎晩でも来ることが認められていた。兵士たちは行列で順番がくるのを待った。女性たちは客をとるのを拒む権利を与えられていた。
「舎監」(業者のこと──引用者注)は、女性たちの借金の度合いに応じて彼女たちの「稼ぎ」のうち50~60%を取った。平均して彼女たちの一ヶ月の「稼ぎ」は1500円だった。「舎監」の多くは食費を高くして、カツカツの生活をさせた。(船橋 297頁)

 慰安婦の体験は、慰安婦がいた慰安所の設けられた時期や地域、戦況その他の状況によって大きく異なります。したがって、慰安所の設けられた時期や地域、戦況その他の状況に触れることなく、多くの日本軍慰安婦の「拒むことができなかった」という証言と正反対の、「女性たちは客をとるのを拒む権利を与えられていた」というような内容を含んだ文章を引用をすることには、問題を感じます。また、証言集などを読んでいない人たちは、慰安婦は拒む権利があったと誤解するのではないかと思います。”彼女たちの一ヶ月の「稼ぎ」は1500円だった”などと言う文章も同様ですが、こうした従軍慰安婦問題にとって極めて大事な内容を含む文章を、何の説明を加えることなく引くことが、”「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性の声にひたすら耳を澄ませることでした”ということの結果なのか、と疑問に思いました。お金を受取ったことはない、という証言も数多くあるのです。

p113
朝鮮人慰安婦をめぐる複雑な構造に向き合わずに、慰安所をめぐる責任の主体を日本軍や日本国家だけにして単純化したことは、逆にこの問題への理解を妨害し、結果的に解決を難しくした

p106のところで触れたように、日本国内でさえも、「…軍部ヨリノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来リタルモノ…」という業者の言葉が残されており、また、慰安婦の募集に関して「…募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等(コレラ)ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度(アイナリタク)、依命(メイニヨリ)通牒ス」というような文書が残されていることを無視してはならないと思います。責任の主体を「業者」にすることこそ、日本軍慰安婦問題の理解を妨げることになるのではないかと思います。

p137
 挺対協のホームページは続けて、「どんな女性が慰安婦として連れて行かれたのか知っていますか?」との質問を作り、「アジア太平洋全地域に渡る各国の未婚女性が慰安婦になったが、その中の80パーセントが韓国人未婚女性だった」と答えている(以下も2012年7月現在)。これは韓国人女性がどのようにして慰安婦になったのかを説明しないため、「アジア太平洋地域」の女性と「朝鮮人」女性の位置が日本軍に対して同じであるかのように思わせる。しかし、すでに見たように、同じ「アジア太平洋地域」といっても、それぞれの地域と日本との関係は異なっていた。当然ながら、そこに属する女性たちと「日本軍」との関係も同じではなかった。
 この説明は、「朝鮮人女性」もその他の地域の女性と同じく、「強制連行」されたかのようなイメージを抱かせる。だまされて行ったとはいえ、「朝鮮人の未婚女性」が<帝国支配以下の日本国民>として戦場へと移動させられたことが、ここでは見えにくいのである。朝鮮人女性が「日本人」として動員された、日本人女性を代替・補充した存在だったこと、軍人を励まし補助するために動員された存在であることも、そこでは見えない。
 朝鮮人女性が多かったのは確かでも、そのことが宗主国日本が意識して植民地の女性をターゲットにして動員した、ということになるのではない。それは、植民地となった朝鮮が、大日本帝国内において相対的に貧しかったために、動員の対象になりやすかった結果だったはずだ。そして戦争末期には、「内地慰安婦の補充は、東支那海、揚子江の航行の困難が増すにつれて、先細りになる」(長澤健一 1983、221頁)というような、地理的要因も手伝ってのことだった。
 つまり、植民地だったことが、最初から朝鮮人女性が慰安婦の中に多かった理由だったのではない。内地という<中心>を支える日本のローカル地域になり、改善されることのなかった貧困こそが、戦争遂行のための安い労働力を提供する構造を作ったのである。そのことが、朝鮮を政治的のみならず経済的にも隷属する、実質的な植民地として、人々を動員しやすくした。しかも彼女たちは、中国やその他の地域の女性に比べて日本語の理解度が高く、外見も日本人女性に近かった。朝鮮人女性が日本軍を支える慰安婦として多用されていたのは、彼女たちが日本人を代替するにもっともふさわしかったからであろう。皇民教育さえも施され、精神的にも国家に必要な存在として鍛えられたことこそが、日本軍を支える慰安婦として朝鮮人女性が多かった理由だったと考えられる

という文章にも疑問を感じました。特に、”朝鮮人女性が多かったのは確かでも、そのことが宗主国日本が意識して植民地の女性をターゲットにして動員した、ということになるのではない。それは、植民地となった朝鮮が、大日本帝国内において相対的に貧しかったために、動員の対象になりやすかった結果だったはずだ。”という指摘で、群馬県知事が内務大臣や陸軍大臣等に宛てた「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」の文書を思い出しました。当時、日本国内から次々に慰安婦を戦地におくることに批判が高まっていたのです。「神戸市 ○○○○○○、貸座敷、大内○ ○、右者肩書地ニ於テ娼妓数十名ヲ抱エ貸座敷営業ヲ為シ居ル由ナルカ今回支那事変ニ出征シタル将兵慰安トシテ在上海軍特務機関ノ依頼ナリト称シ上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(醜業)ヲ為ス酌婦三千人ヲ必要ナリト称シ本年1月5日之カ募集ノ為、管下前橋市 ○○○○○○ 芸娼妓酌婦紹介業 反町○○方ヲ訪レ其ノ後屡々来橋別記一件書類[契約書(一号)承諾書(二号)借用証書(三号)契約条件(四号)]ヲ示シ酌婦募集方ヲ依頼シタルモ本件ハ果シテ軍ノ依頼アルヤ否ヤ不明且公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ厳重取締方所轄前橋警察署長に対シ指揮致置候條此段及申(通)報候也」と慰安婦を集める者を取り締まることを報告しているのです。
 また、山形県知事が内務大臣や陸軍大臣等に宛てた「北支派遣軍慰安婦酌婦募集ニ関スル件」の文書にも、「管下最上郡新庄町桜馬場芸娼妓酌婦紹介業者戸塚○○ハ右者ヨリ「今般北支派遣軍ニ於テ将兵慰問ノ為全国ヨリ2500名ノ酌婦ヲ募集スルコトトナリタル趣ヲ以テ500名ノ募集方依頼越下リ該酌婦ハ年齢16歳ヨリ30歳迄前借ハ500円ヨリ1000円迄稼業年限2ヶ年之カ紹介手数料ハ前借金ノ1割ヲ軍部ニ於テ支給スルモノナリ 云々」ト称シアルヲ所轄新庄警察署ニ於テ聞知シタルカ如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄カニ信シ難キノミナラス斯ル事案カ公然流布セラルルニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響尠カラス更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノトシテ所轄警察署長ニ於テ右ノ趣旨ヲ本人ニ懇諭シタルニ之ヲ諒棏シ且ツ本人老齢ニシテ活動意ニ委セサル等ノ事情ヨリ之カ募集ヲ断念シ…」とあります。
 慰安婦集めが国内では行き詰まっていたことがわかります。それで朝鮮から集めることにしたのであって、「…植民地となった朝鮮が、大日本帝国内において相対的に貧しかったために、動員の対象になりやすかった結果だったはずだ」というのは、ちょっと違うと思うのです。
 それは、内務省警保局長が各庁府県長官宛に出した「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」という文書に「最近支那各地ニ於ケル秩序ノ恢復ニ伴ヒ、渡航者著シク増加シツツアルモ、是等の中ニハ同地ニ於ケル料理店、飲食店ニ類似ノ営業者ト聯繋ヲ有シ、是等営業ニ従事スルコトヲ目的トスル婦女寡ナカラザルモノアリ、更ニ亦内地ニ於テ是等婦女ノ募集周旋ヲ為ス者ニシテ、恰モ軍当局ノ諒解アルカノ如キ言辞ヲ弄スル者モ最近各地ニ頻出シツツアル状況ニ在リ、婦女ノ渡航ハ現地ニ於ケル実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザルモノアリ警察当局ニ於テモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ、実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルルモ、是等婦女ノ募集周旋等ノ取締リニシテ、適正ヲ欠カンカ帝国ノ威信ヲ毀ケ皇軍ノ名誉ヲ害フノミニ止マラズ、銃後国民特ニ出征兵士遺家族ニ好マシカラザル影響ヲ与フルト共ニ、婦女売買ニ関スル国際条約ノ趣旨ニモ悖ルコト無キヲ保シ難キヲ以テ、旁々現地ノ実情其ノ他各般ノ事情ヲ考慮シ爾今之ガ取扱ニ関シテハ左記各号ニ準拠スルコトト致度依命此段及通牒候」とあることでもわかります。
 また、同文書で、当時の政府が国際法上、国内から戦地に送る「慰安婦」は「醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ昭和12年8月米三機密合第3776号外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト」とせざるを得なかったことがわかるのですが、戦地の軍医は全く反対の「戦地ヘ送リ込マレル娼婦ハ年若キ者ヲ必要トス」と主張し、「事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上」ではだめであるという姿勢なので、板挟みになった軍や政府が朝鮮の少女をその対象にしていったのだと思います。朝鮮が貧しかったためではないのです。
 それはまた、当時の日本政府が、「婦人児童売買禁止国際条約」になかなか調印せず、督促され追い込まれて、「帝国ニ於テモ余リ遅レサル方然ルヘシト思考」するに至って、調印したものの、調印にあたって”下記署名ノ日本「国」代表者ハ政府ノ名ニ於テ本条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ且其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス”と、わざわざ朝鮮、台湾を外している事実からも明らかだと思います(第5条は慰安婦の年齢に関わるものです)。
 

 
 P139
 韓国に於ける代表的な慰安婦写真として知られている妊娠した慰安婦の写真に関しても、「日本軍は戦争で日本軍の慰安婦女性をそのまま捨てて行った」という説明だけがついている。しかしこれも、「敗戦後の慰安婦と日本軍」を十分に語っているものではない。本来なら彼女たちを保護すべき「業者」の存在がすっぽり抜けおちて、日本軍だけが慰安婦を置き去りにした主体として認識されているからである。もちろん「国民」を守るのは軍人の役割だったはずだが、日本軍人は日本人さえも守ってはいない。中国東北部や北朝鮮にいた日本人はシベリアに連行されたリ、飢餓、寒さ、伝染病で数万人が死亡した。自分の命すら維持するのは至難だった極限状況の中で、民間人より自分の家族を優先する場合もあった。日本軍が慰安婦を「捨てた」とするためには、そうした全体の状況の中でも語られるべきである。
 それは何も、慰安婦の悲惨さを軽く扱うためではない。戦争に動員された全ての人々の悲劇の中に慰安婦の悲惨さを位置づけてこそ、性までをも動員してしまう<国家>の奇怪さが浮き彫りになるからだ。そして、それぞれの境遇が必ずしも一つではなかったことを認識して初めて、「慰安婦問題」は見えてくるだろう。

 という指摘にも違和感を感じます。戦地で多数の慰安婦を必要としたのは軍であり、軍の働きかけで業者が動いたことを無視してはならないと思います。また、戦時中、慰安婦を戦地に送り込むことも、慰安婦を連れて帰ることも、軍の力を借りなければ、業者にできることではなかったと思います。したがって、”…本来なら彼女たちを保護すべき「業者」の存在がすっぽり抜けおちて…”ということには、違和感を感じるのです。「捨てる」ということが、連れて帰れたのに、そうしなかったということであると考えれば、当時、連れて帰れることが可能だったのは、軍だったのではないかと思います。

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