真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「帝国の慰安婦」 事実に反する断定の数々 NO3

2019年06月25日 | 国際・政治

 「帝国の慰安婦」における問題意識が、私には理解できません。甘言や強圧などによって、意思に反して戦地の慰安所に連れて行かれ、性奴隷といわれるような状況におかれた朝鮮人慰安婦にとって、一番大事なことは、名誉・尊厳・人権の回復ではないかと思います。ところが、「帝国の慰安婦」では、そこのところが曖昧のまま、直接関係のないことがいろいろ語られているような気がします。

 p157
 日本による被害を記憶することは大切なことだ。しかし、大使館前の少女像は本当の慰安婦とはいえない。朝鮮人慰安婦が、朝鮮人のままでいられず、「日本人」にならなければならなかったために経験した悲しい記憶が、そこでは消されている。少女像は、今や韓国のみならずアメリカにまで拡散されるようになった。アメリカの記念碑では、「強制的に連れていかれた二十万の少女」という言葉をチマチョゴリを着た少女の台座に刻んでいるが、それは<アジア全域の慰安婦>ではなく、<韓国>の公的記憶を形にしたものでしかない。そのようなひとつの記憶だけを表している以上、慰安婦問題の否定者たちは、彼らの記憶──<ただの売春婦>の記憶にこだわりつづけるだろう。
 慰安婦の苦痛を共有し、記憶することが目的なら、その像が立つべきは、慰安所があった場所か彼女たちが戦争で命を落とした場所がよりふさわしいはずだ。また、ノイズを除去した怒りよりは、複数のアイデンティティを生きるほかなかった植民地の悲しみを表したほうが、より普遍的な共感を得られるだろう。少女像が本当に<平和>を作る可能性も、そこから初めてうまれてくるはずだ。

 これは、国際的に「戦時性暴力」の問題と認知されている日本軍慰安婦の問題に、無理矢理当時の日本による植民地支配の問題を関連付け、絡ませる著者独特の認識ではないかと思います。大使館前の少女像に、”朝鮮人慰安婦が、朝鮮人のままでいられず、「日本人」にならなければならなかったために経験した悲しい記憶が、そこでは消されている”というような思いを持っている朝鮮人慰安婦が存在するとは、私には考えられません。
 日本軍慰安婦は意思に反して慰安婦にされ、奴隷的生活を強いられたので、名誉・尊厳・人権の回復を求めて名乗り出たのであって、たとえ、”朝鮮人のままでいられず、「日本人」にならなければならなかったために経験した悲しい記憶”があるとしても、それは、意思に反して慰安婦にされたことと別の問題としてあるのではないと思います。だから、”大使館前の少女像は本当の慰安婦とはいえない”などというのは、難しい環境のなかで名乗り出た朝鮮人慰安婦の思いとは別の著者独特のものだろうと、私は思うのです。

 また、日本大使館前に慰安婦の少女像が設置されたのは、朝鮮人慰安婦の名誉・尊厳・人権の回復のためにくり返し求めた日本政府よる公式謝罪や法的賠償を、日本政府が受け入れないので、抗議の意思表示をすることがきっかけだったのではないでしょうか。慰安婦の少女像は、単に慰安婦の苦痛を共有し、記憶することが目的ではないと、私は思います。いろいろなところに、次々に像が設置されることになったのも、日本軍慰安婦の名誉・尊厳・人権の回復に欠かせない公式謝罪や法的賠償がなされないことへの抗議の意味が込められていると思います。著者は、そういうことをどのような考えているのか、と疑問に思います。 

  p163
 韓国政府は、みずから解決を迫っておきながら、「支援団体の意向」を気にして日本の提案を受取らなかった。そして、「人道的措置」を提案していた韓国政が日本政府の提案を受け入れなかったのには、これに先立っての支援団体のイ・ミョンバク大統領批判が影響した可能性が高い。三月に大統領が「人道的措置」がいいとの意見を出した時、挺対協は声明書を出して大統領を強く批判していた。<イ・ミョンバク大統領は日本政府が主張する「人道的解決」に同調せず、公式的に日本政府に法的解決を要求しろ>
 イ大統領はソウルで開催される第二次核安保会議を前に、本日国内外のマスコミ六社と合同記者会見を開き、日本軍「慰安婦」問題に対して「法よりも人道的に解決」しなければならないと発言した。我々は被害者の思いを無視し、本質から遠ざかったこうした発言に、強く抗議する。今まで日本軍慰安婦被害者と挺対協は日本政府に対し、日本軍慰安婦問題に対する罪を明らかにし、罪に対する反省を元に、被害者の名誉と人権を回復するための公式謝罪と法的賠償を求めてきた。日本軍慰安婦問題は当時の国家として管理し行った制度的犯罪であり、日本政府が国家として責任を認め、法的に解決しなければならない問題だからだ。そして日本政府が未だ誇らしげに広報しているアジア女性基金が失敗に終ったということからも、国家ではない民間の責任にすり替えた「人道的支援」は問題解決を困難にするだけだからである。(後略)(2012年3月23日)

 挺対協の主張をそのまま紹介していることは評価したいと思いますが、挺対協のこうした基本的認識に対する著者の考え方が示されていない上に、何か不当な圧力をかけたかのような表現が気になります。

 p66
 国家や社会や家族によって遠くへと移動させられ、つらい体験を強いられた慰安婦たちを、そして、帰ってきてからも数十年間、同じく国家と社会と家族の冷たい視線にさらされながら苦痛に満ちた生を営んできた彼女たちを、九十年代から、また、あらたに二十年以上も<韓国の自尊心>の中心に立たせてしまったのは、酷なことではなかったろうか。彼女たちに<正しい民族の娘>の役割を要求してきたのは、果たして彼女自身のためだったろうか。
 おそらく、日本兵と恋愛し、慰安を<愛国>することと考えてもいた慰安婦たちの記憶が抑圧されてきたのは、彼女たちがいつまでも民族を代表する存在でなければならなかったからである。彼女たちがいつまでも十五歳の少女被害者かあるいは闘士として生き続けなければならなかったのも、その結果である。
 完璧な被害者であることを確認し続けようとする欲望は、日本兵に対する愛も、朝鮮人業者や親に対する憎しみも、解放後五十年も続いた韓国人自身の冷たい視線も覆い隠してきた。「慰安婦問題」とは、そのような欲望と期待が優先され、当事者たちの<今、ここ>の苦痛は十分顧みられなかった問題でもある。

 なぜ、慰安婦募集に関する軍の文書や『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』のなかにある慰安婦集めに関わる文書に基づいて、日本軍や日本政府が主導した慰安婦集めの実態に迫ることなく、逆に” 国家や社会や家族によって遠くへと移動させられ”というように、責任の所在を曖昧にする表現をするのでしょうか。
 ”また、あらたに二十年以上も<韓国の自尊心>の中心に立たせてしまったのは、酷なことではなかったろうか”というのはその通りだと思いますが、慰安婦であったことを名乗り出た朝鮮人慰安婦は、日本政府がきちんと対応しなかったから、名誉・尊厳・人権の回復のために、苦痛に堪えて声をあげ、二十年以上も頑張り続けているのではないでしょうか。だから、一日も早く朝鮮人慰安婦の名誉・尊厳・人権を回復するために、公式謝罪と法的賠償を行って、そうした苦痛から解放することこそが、何より大事なのに、”完璧な被害者であることを確認し続けようとする欲望は、日本兵に対する愛も、朝鮮人業者や親に対する憎しみも、解放後五十年も続いた韓国人自身の冷たい視線も覆い隠してきた。「慰安婦問題」とは、そのような欲望と期待が優先され、当事者たちの<今、ここ>の苦痛は十分顧みられなかった”などと言って、日本政府ではなく、朝鮮人慰安婦の名誉・尊厳・人権回復の運動の方を批判するのは、本末転倒ではないかと思います。

 p170
 挺対協はこれまで日本を外から圧迫することに多くの力注いできた。そして、90年代に挺対協が慰安婦問題を中心に、世界の女性や人権活動家たちと連帯して「戦時における女性への暴力」という問題を世界の関心事にした功績は大きい。そして挺対協の運動は、今や世界まで味方につけた。
 しかし、そのような外からの圧迫は、いまだに慰安婦問題を解決できていない。逆に反撥者を数多く作り、ますます混迷状態に追い込む結果となった。実らずに終わってしまったが、2012年春に日本が動き出したのは、韓国以外の圧迫ゆえのことではなく、韓国の大統領が直接訴えたからだった。日本の応答を導き出せるのは、ほかの国を集めての「圧迫」ではなく、日本と向き合うことによってである。
 世界を相手にした挺対協の運動が成功したのは、同時代の戦争と連携して「世界的人権問題」として訴えたからだった。そのような連帯は女性問題には効果的でも慰安婦問題、しかも朝鮮人慰安婦問題とは構造が違う以上、この問題をめぐる矛盾を隠した連帯でしかない。いずれその矛盾は露呈されるだろう。

 ”外からの圧迫”という表現や、”日本の応答を導き出せるのは、ほかの国を集めての「圧迫」ではなく、日本と向き合うことによってである”という考え方にも、とても問題を感じます。多くの人や組織と連帯して日本軍慰安婦の名誉・尊厳・人権回復を求め、日本政府に働きかけることが、どうして”外からの圧迫”であるとして否定できるのでしょうか。日本軍慰安婦の名誉・尊厳・人権回復のために、日本政府に公式謝罪と法的賠償を求めることは、日本軍慰安婦であったことを名乗り出た人たちや、これからの日本にとって必要なことではないでしょうか。
 ”そのような外からの圧迫は、いまだに慰安婦問題を解決できていない。逆に反発者を数多く作り、ますます混迷状態に追い込む結果となった”ということは、日本軍慰安婦の名誉・尊厳・人権回復のために、日本政府に公式謝罪と法的賠償を求めることが誤りであり、反発は当然で、混迷状態の責任は日本政府にはないと主張されているように受けとめられるのですが、そうでしょうか。私には理解できません。
 また、女性に対する「戦時性暴力」としての、日本軍慰安婦の問題に、無理に当時の日本による植民地支配の問題を絡ませて、”朝鮮人慰安婦問題とは構造が違う”とか”矛盾を隠した連帯”とか言うことも、ずいぶんおかしなことだと思います。

 p171
 オランダ女性を集めて「売春収容所」を作った主導者は日本の敗戦後に処罰され、オランダは国民基金を受け入れてもいる。何よりも、挺対協とオランダとの連帯には、オランダがもう一つの「帝国」としてそこにいたこと──つまり元帝国の一員としてインドネシアにいたがために、そういう事態に遭ったという認識がすっぽり抜け落ちている。「慰安婦問題」が「戦争での性暴力問題」ならば、朝鮮戦争での韓国軍の問題、ベトナム戦争での韓国の問題、米軍基地周辺の公娼を許容することで、軍隊慰安婦制度の維持に加担している韓国も、また同様に批判されなければならない。

 戦時性暴力としての日本軍慰安婦の問題は、意思に反して慰安婦にさせられ、性奴隷と表現されるような状態におかれた女性の問題であって、慰安婦にさせられた人がどこの国の人かということや、どういう階層の人か、どういう家庭で育ったのか、などということは、関係のないことだと思います。
 ”挺対協とオランダとの連帯には、オランダがもう一つの「帝国」としてそこにいたこと──つまり元帝国の一員としてインドネシアにいたがために、そういう事態に遭ったという認識がすっぽり抜け落ちている。”などというのも、戦時性暴力としての日本軍慰安婦の問題に、無理矢理帝国主義の問題を関連付け、絡ませる著者独特の認識で、元日本軍慰安婦の人たちの名誉・尊厳・人権の回復とは関係のないことだと思居ます。
 また、朝鮮戦争での韓国軍の問題、ベトナム戦争での韓国の問題、米軍基地周辺の公娼の問題なども「戦時性暴力」の問題として共通部分があると思いますが、日本軍や日本政府主導の日本軍慰安婦問題とは異質の面もあり、”また同様に批判されなければならない”などといって、日本政府の責任を問わず、免責することは許されないと思います。

 p171
 挺対協は2013年はるから「世界一億人署名運動」というのを始めている。しかしこのような外からの圧迫の方法では、日本を動かすことはできない。これまでの日本への圧迫が効をなさなかったことがそれを証明している。慰安婦の記念碑をアメリカに建てるのは、世界の裁判官の役割をアメリカに期待してのことだが、日韓に軍事基地を持っていて、今でも新しい慰安婦を作り続けているアメリカにそれを建てることはアイロニーでしかない。アメリカ下院が(その後ニューヨーク州上院決議案などが続いた)この問題をめぐって韓国の味方だったのは、アメリカの慰安所問題を指摘されなかったからでしかない。そして下院での証言者の中に白人女性(オランダの女性)が入っていたのが影響した可能性が高い。
 少女像が本当の「平和碑」になるためには、<怨恨の記憶>だけでなく、<許しと和解の記憶>も刻むべきである。今の運動は、平和ではなく不和をのみ作り続けているだけだ。

 日本政府が公式謝罪や法的賠償に応じないことをまったく問題とせず、”今の運動は、平和ではなく不和をのみ作り続けているだけだ”というのは、なぜでしょうか。日本軍慰安婦であったことを名乗り出た人たちの思いを押し潰すものではないでしょうか。また、”日韓に軍事基地を持っていて、今でも新しい慰安婦を作り続けているアメリカ”というのは、本当でしょうか。アメリカ軍やアメリカ政府が主導して、慰安所を作り、女性の意思に反して慰安所に拘束し、性奴隷のような状態に置いているとすれば、大問題ですが、著者が問題を正しくとらえていない証しのように思います。

 p172
 日本に対する挺対協の具体的な要求の中心は、「法的責任」と「公的賠償」である。
 軍を派遣し続けるために必要な慰安婦システムとは、言うまでもなく倫理に悖る行為である。しかし、システム自体が禁止されていなかった限り、それを「法的」に追及できる根拠はない。慰安婦を対象とした暴力は規定では禁止されていたのだから、暴力を受けていたとしたら、それを犯罪視することは可能で、暴力を行った個人を対象とした法的処罰の要求も可能だろう。しかし強姦や暴行とは異なるシステムだった「慰安」を犯罪視するのは、すくなくとも法的には不可能である。
 慰安婦問題における総責任者は、慰安婦を必要として容認し、兵士の福祉の名目で個人の性欲を管理し、戦争機械としての能力を長持ちさせようとした<国家>と言うほかない。しかし、法的賠償を求める挺対協の要求は、「強制連行」の指示や実践が、軍全体の系統だった方針と命令系統が確認されない限り、妥当なものとは言えない。法的賠償は問えないのである。しかも「業者」をも法的責任を問うべき対象と想定すると、韓国人もまた共犯者としての対象になるほかない。彼女たちが慰安婦になった道義的責任を問うなら、彼女たちを守れずに慰安婦にした家父長制や、国家制度に依存していたすべての人にも、責任を問うべきだろう。

 なぜ、事実や証言に基づいて、戦時中の日本軍や日本政府の責任を問わず、免責することに熱心なのでしょうか。それで、日本軍慰安婦だった人たちの名誉・尊厳・人権の回復ができるのでしょうか。それとも、それは必要ないということでしょうか。
 なぜ、簡単に” システム自体が禁止されていなかった限り、それを「法的」に追及できる根拠はない”などと断定するのでしょうか。
 世界の著名な法律家30人によって構成された国際法律家委員会(ICJ)が、1993年4月から5ヶ月かけてフィリピン、日本、韓国、朝鮮民主主義共和国で、のべ40人以上の証言者からの聞き取りを行い、また資料を収集し、10章からなる厖大な報告書を作成しています。その結論と勧告は21項目にわたります【『国際法からみた「従軍慰安婦」問題』国際法律家委員会(ICJ)著:自由人権協会(JCLU)・日本の戦争責任資料センター訳(明石書店)】。ICJの法的判断には、世界の法曹界から深い信頼が寄せられてきたということです。なぜ、その報告書の判断を無視するのでしょうか。また、日本軍慰安婦に関する国連人権委員会の報告者ラディカ・クマラスワミやゲイ・マクドゥーガルも法律家です。日本弁護士連合会も、1995年2月に「従軍慰安婦」問題について、被害者個人に対する国家補償のための立法による解決を提言しています。なぜ、そうした専門家の法的判断を無視して、”強姦や暴行とは異なるシステムだった「慰安」を犯罪視するのは、すくなくとも法的には不可能である”など断定するのでしょうか。
 ”法的賠償を求める挺対協の要求は、「強制連行」の指示や実践が、軍全体の系統だった方針と命令系統が確認されない限り、妥当なものとは言えない”とありますが、甘言や強圧があったことは日本政府も認めているのに、慰安婦の証言がすべて嘘であるかのようにいうのはなぜでしょうか。すでに触れたように、慰安婦集めでは、当初、日本国内でも誘拐に類することがあり、業者が検挙されているのです。 そして、国際法律家委員会も国連人権委員会の報告者も日弁連も、日本軍慰安婦であった人たちの証言や当時の文書資料などに基づいて法的判断をしているのに、なぜ、それらを尊重しないのかと疑問に思います。
 さらに言えば、日本軍慰安婦の法的問題は、「強制連行」の問題だけではありません。性奴隷といわれるような慰安所における慰安婦の生活実態や人身売買その他の問題もあるのです。

コメント (2)
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