日本軍が日本軍兵士のために設置した「慰安所」は、国連人権委員会小委員会で採択されたはマクドゥーガル報告書の附属書では、「強かん所(レイプ・センター)」と位置づけされています。そして、そこに拘束された若い女性を、「日本軍性奴隷制」の被害者として、日本政府に対応を勧告しているのです。だらから、慰安婦問題を、帝国主義や植民地支配の問題に置き換えたり、帝国主義や植民地支配の問題の中に埋没させたりしてはならない、と私は思います。でも、「帝国の慰安婦」には下記のようにあります。(前稿とおなじようにp142というような表示は「帝国の慰安婦」における頁を示しています。)
p142
もっとも、慰安婦の身体の<主人>が自分自身ではなかったという意味で、ほとんどの慰安婦は奴隷である。しかしその奴隷的労働の物理的な<主人>は、軍隊ではなく業者だった。「奴隷」の辞書的意味が「自由と権利を奪われた他人の所有の客体となる者」(韓国版ウィキペディア)である限り、彼女たちの「自由と権利」を奪った直接的主体が、慰安婦たちが図らずも「主人」と呼んでいた業者たちだったことは記されないのである。
もっとも、そのような構図を作ったのは慰安婦を必要とした国家なのだから、日本こそが、奴隷の「主人」と言えないわけではない。しかしそれは、「植民地とは奴隷情態のこと」あるいは「女性は家父長制的な家庭の奴隷だ」というような、大きな枠組みの中のことであって、構造的権力と現実的権力の区別は必要だ。
朝鮮人慰安婦は、植民地の国民として、日本という帝国の国民動員に抵抗できずに動員されたという点において、まぎれもない日本の奴隷だった。朝鮮人としての国家主権を持っていたなら得られたはずの精神的な「自由」と「権利」を奪われた点でも、間違いなく「奴隷」だった。
しかし、慰安婦=「性奴隷」が、<監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された>ということを意味する限り、朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような「奴隷」ではない。たとえそういう状況にいたとしても、それが初めから「慰安婦」に与えられた役割ではないからだ。
何よりも、「性奴隷」とは、性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう言葉である。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、そのような側面のみに注目して、「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。それは、慰安婦たちから、自らの記憶の<主人>になる権利を奪うことである。他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いることになる。
植民地だったがために朝鮮人慰安婦となった彼女たちは「皇国臣民ノ誓詞」を覚えさせられながら日本軍の戦争を支えた存在でもあった。それは、韓国が植民地になった瞬間からさけられなかった矛盾であった。しかし挺対協の慰安婦理解は、そのような植民地の複雑な側面を隠蔽してしまう。そのことは、「植民地」とはどういう事態だったのか、「朝鮮人慰安婦」とはどういう存在だったのかに対する理解をいつまでも拒むだろう。
私には、そういう慰安婦の存在は信じ難いのですが、たとえ朝鮮人慰安婦の中に、皇国臣民としての意識を持って日本の戦争を支え、日本軍兵士のために慰安所で尽くしたという人がいたとしても、常にそういう意識で性行為を受け入れていたとか、朝鮮人慰安婦がみんなそうであったかのように言うことは許されないことではないかと思います。なぜなら、挺対協の見解や国連人権委員会報告者の勧告は、日本の公式謝罪や補償を求めて、自ら名乗り出た元慰安婦やその他の関係者の証言に基づいたものだからであり、戦時性暴力の問題だからです。「…挺対協の慰安婦理解は、そのような植民地の複雑な側面を隠蔽してしまう」などと言って、日本軍慰安婦の問題すなわち戦時性暴力の問題を、植民地の問題にすり替えたり、植民地の問題に埋没させたり、慰安婦個人の意識の問題したりしてはならないと思います。
p144
太平洋戦争の時、日本が慰安婦を必要とし、慰安婦の効果的な供給のために<管理>したのは間違いない。しかし<責任>を問うべき主体を明確にし、その責任を負わせることが運動の目的なら、まずは慰安婦をめぐる実態を正確に知る必要がある。
慰安婦を否定してきた人たちが<強制性>を否定してきたのは、慰安婦をめぐるさまざまな状況のうち、自らの記憶にのみこだわるためである。そしてその多くは「強制連行」や「二十万人」という数字に反発した。韓国の支援団体の記憶もまた、それに対抗するもう一つの記憶でしかなかった。
日本の否定者たちは植民地朝鮮との関係を見ないまま単なる「売春」とのみ考え、韓国は被害者としての思いを「強姦」のイメージに集約させたが、そこでは植民地だったゆえに強いられた協力的構造が両方によって否認されていた。
私には、”「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性の声にひたすら耳を澄ませ”たという著者が、なぜ、慰安婦を支援する人たちの運動を、”しかし<責任>を問うべき主体を明確にし、その責任を負わせることが運動の目的なら…”などという言い方で語るのかわかりません。名乗りを上げた朝鮮人慰安婦の人達に寄り添い、慰安婦を支援する人たちの運動の目的は、先ず何より、慰安婦の名誉回復であり、法的賠償であって、責任の追及は、そのためになされるものではないかと思います。
また、”韓国は被害者としての思いを「強姦」のイメージに集約させたが、そこでは植民地だったゆえに強いられた協力的構造…”というようなことを考えるのも、多くの慰安婦の人たちの訴えを受けとめた結果とは思えません。
戦時中、意志に反して慰安所に連れて行かれ、慰安所に拘束され、意志に反して性行為を強いられた慰安婦の立場に立てば、それは「強姦」でなくて何でしょうか。奴隷的状況下にあった朝鮮人慰安婦にとって、植民地であったことや、「植民地だったゆえに強いられた協力的構造」などというのは、直接関係のない別の問題ではないでしょうか。名乗り出た朝鮮人慰安婦の人たちが求めているのは名誉回復であり、法的賠償です。
p145
「ナヌムの家」から100メートルほど離れたところで、犬一匹とともに一人暮らしをしていたある元慰安婦は、「ナヌムの家」が嫌いだと言っていた。そしてその慰安婦は、行き違いがもとで、愛した日本兵と別れてしまったという昔の恋愛談を話してくれた。
彼女に「ナヌムの家」が居心地が悪かったのは、そこが愛の記憶をも抱きとめてくれる空間ではなかったからだろう。言い換えれば「ナヌムの家」は完璧な被害者の記憶だけを必要とした空間だった。日本の補償金を受け取った慰安婦たちがいまだに声を出せない理由もそこにある。
”そこが愛の記憶をも抱きとめてくれる空間ではなかったからだろう”や”ナヌムの家は完璧な被害者の記憶だけを必要とした空間だった”というのは、本当でしょうか。また、”日本の補償金を受け取った慰安婦たちがいまだに声を出せない理由もそこにある”というようなことを断定する根拠はあるのでしょうか。日本に名誉回復のための公式謝罪を求め、補償を要求する運動を継続するには、大変なエネルギーがいるのではないかと思います。長くつらい生活を強いられた人たちにとっては、果てしなくくりかえしの必要な日本政府に対する運動から身を引いて、「もう、静かに暮らしたい」というような思いがあるのではないでしょうか。”声を出せない理由もそこにある”と断定するのであれば、そうした証言を示してほしいのです。
p149
2012年の春から夏にかけて放映されたドラマ「カクシタル(花嫁の面)」も、大日本帝国朝鮮軍司令部の「陰謀」が介入した募集として描写されている。軍が主体となって慰安婦を募集したことを「隠すために」親日派業者を軍が利用したようになっているのである。それは、必ずしも嘘とばかりは言えないだろう。しかしそこでは、慰安婦の募集以前から存在し、自分の利益のために動いた業者の姿は見えてこない。なによりも、そこでの業者に「親日」的要素があったのなら、それが民族を裏切る特別な姿ではなく、皇国臣民化された植民地の普通の姿でもあったことが見えてこないのである。
『「帝国の慰安婦」を読んで NO1』で取り上げましたが、当時、内務省警保局長が、各庁府県長官宛(除東京府知事)に発した「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」と陸軍省兵務局兵務課による「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒」の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」の内容は大事なところが異なります。それは、国内世論や国際世論の批判をかわすために、国内向けには国際条約に則って「慰安婦」集めに7つの制限項目を設けた文書を発し、植民地や占領地での「慰安婦」集めには、現地の軍医の要請にこたえるために、そうした制限を設けない文書を発する必要があったからだと思います。
また、日本の政府が「婦人児童売買禁止国際条約」になかなか調印せず、調印にあたっては、”下記署名ノ日本「国」代表者ハ政府ノ名ニ於テ本条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ且其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス”と朝鮮、台湾を外したことにも触れました。そこには、明らかに植民地差別がありましたが、慰安婦集めは、そうした差別的な方針に基づいて行われたのだと思います。
命令か、指示か、依頼かはわかりませんが、植民地であった朝鮮においては、急に多数の慰安婦を集めることになったのですから、それまでそうした仕事をしていた人たちだけでできることではなかったと思います。そして、もし慰安婦集めにおける日本軍や日本政府の二重基準を知って、業者や新たにそうした仕事に従事した関係者が、大勢の少女を本人の意志に反する慰安婦として集めたのなら、その業者や関係者は間違いなく裏切り者であり、”皇国臣民化された植民地の普通の姿でもあった”などと言うことはできないと思います。また、業者や関係者が二重基準を知らずに慰安婦を集めたとしても、朝鮮の人達を裏切る日本の皇国臣民化政策に従ったのであり、民族を裏切る者の協力者であって、意志に反して慰安所に連れていかれた朝鮮人慰安婦だった人たちはもちろん、その親族や一般の朝鮮の人にとっても、植民地だったから仕方がなかったとして受け入れることはできないことだと思います。
P151
そして証言では、自分にアヘンを打ったのは「主人」だったとしているが、アニメーションでは「軍人」が打ったかのように描かれる。「主人」の姿は消えて、軍人だけが前景化しているのである。阿片に関する話はほかの証言でも時折現れるが、阿片は、身体の痛みをやわらげる一方で、時には性的快楽を倍増するためにも使われていた(『強制』2 157~158頁 「強制」3 133~134)。そしてそのほとんどは、主人か商人を通して買われていた。しかしそのような阿片使用の元の目的は消えて、ただ日本軍の悪行の証拠としてのみ位置づけられる。証言を加工した二次生産物が、慰安婦のありのままの生をますます見えにくくしている最近の代表的な例といえるだろう。
You Tubeにアップされている「少女物語」における”証言とアニメーションの内容の微妙な違い”のことは、私にはよくわかりませんが、この記述にも、とても問題があると思います。当時の日本軍や日本政府の阿片政策に触れることなく、このようなことを書くことに問題を感じるのです。
近代史家の江口圭一氏は、日本が戦争中に朝鮮、満州、内蒙古で広範にアヘンを生産し販売した事実を論証しながら、「占領地と植民地でこのように大量のアヘンを生産・販売・使用した戦争は史上ほかに例をみない」と指摘し「日中戦争はまさに真の意味でアヘン戦争であった」として、それが中国を「毒化」したと、さまざまな事実をあげて断定されています。そして、その「毒化政策」が出先の軍や機関のものではなく、また偶発的ないし一時的なものでもなくて、日本国家そのものによって組織的・系統的に遂行されたということを論証されています。日本の阿片政策は、首相を総裁とし、外、蔵、陸、海相を副総裁とする興亜院およびその後身の大東亜省によって管掌され、立案され、指導され、国策として計画的に展開されたというのです。
また、「続・現代史資料(12)阿片問題」(みすず書房)には、日本の針路を左右したといわれる多額の軍事機密費が阿片・麻薬売買から生み出された事実が明らかにされています。その阿片・麻薬売買に関わった里見機関の里見甫は「阿片王」と呼ばれていたといいます。「ヘロイン 戦闘機に化ける」というような論文も取り上げられており、日中戦争が、麻薬で得られた利益によって支えられていた事実も分かります。
したがって、”アニメーションでは「軍人」が打ったかのように描かれる。「主人」の姿は消えて、軍人だけが前景化している”という批判はあたらないと思います。たとえ「主人」が打ったとしても、それは、日本のアヘン政策によるものだからです。
また、そのこと以上に問題なのは、”阿片に関する話はほかの証言でも時折現れるが、阿片は、身体の痛みをやわらげる一方で、時には性的快楽を倍増するためにも使われていた(『強制』2 157~158頁 「強制」3 133~134)。そしてそのほとんどは、主人か商人を通して買われていた。しかしそのような阿片使用の元の目的は消えて、ただ日本軍の悪行の証拠としてのみ位置づけられる”という部分です。主人か商人を通して買われていた、とあたかも軍は関係ないかのようにいうのですが、”買われていた”というより、むしろ「売りつけられていた」といえるような実態が背景にあることを無視してはならないと思います。まして、慰安婦が、”性的快楽を倍増するために”自らの意志で阿片を使っていたかのようにいうことは許されないことではないかと思います。日本軍や日本政府の阿片政策の実態や慰安婦のおかれた状況を無視して、このようなことを書くことが、”「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性の声にひたすら耳を澄ませ”た結果であるとは、私にはとても考えらません。
p152
おそらく、2012年に韓国で慰安婦の公式名称を「性奴隷」にすべきとの議論が出たとき、本人たちが拒否した理由もそこにあったはずだ。長い間、自分の慰安婦生活が性奴隷的生活だったと言われることを了解しておきながら、いざその名称が固着しそうになったときにこだわったのは、意識したどうかとは別にして、その名称が自分たちの過去のすべてを表現するものとは思わなかったからであろう。彼女たちを「性奴隷」としてのみイメージし続けるのは、過酷な生活の中であえて持とうとした、彼女たちのわずかな誇りさえも踏みにじることでしかない。「慰安婦のための」物語であるはずの「少女物語」は、彼女たち自身の誇りを守ることには関心がなかった。
慰安婦の誇りが注目されるのは、ただ日本を相手にした朝鮮人としての誇りであるときに限られる。日本に虐げられた被害者であることのみが、彼女たちを代表するアイデンティティとして選ばれているのである。彼女たちには、日本を相手に闘う闘士としてのイメージもあるが、それはあくまでも彼女たちが「性奴隷」であることを受け入れる限りにおいてのことでしかない。性奴隷以外の記憶を抑圧しつつ慰安婦自身の生きた記憶をより理想化された<植民地の記憶>を、彼女たちは代表することになっている。
韓国において、慰安婦の公式名称について、いつどんな議論がなされたのか、私は知りませんが、この文章も大事な部分が、”本人たちが拒否した理由もそこにあったはずだ”と著者の推察になっており、引っかかります。特に、”「慰安婦のための」物語であるはずの「少女物語」は、彼女たち自身の誇りを守ることには関心がなかった”という著者の批判には疑問を感じます。ほんとうに関心がなかったのでしょうか。私は、”彼女たち自身の誇りを守る”ために最も大事なことは、まず何より、事実に基づいて、朝鮮人慰安婦だったことを名乗り出た人たちの名誉や尊厳を回復することではないかと思います。なぜ、彼女たちが求めている名誉や尊厳の回復について論じることなく、”彼女たち自身の誇り”について語るのか、私には理解できません。