2月5日朝日新聞社説は、”側近の差別発言 「包摂社会」は口だけか”と題して、下記のような記事を掲載しました。
”岸田首相と日常的に行動を共にし、広報担当としてスポークスマン的な役割も担っている秘書官から、耳を疑う差別発言が飛び出した。
首相は就任当初から、「多様性のある包摂社会」を掲げながら、内実が伴わずにきた。即座に更迭を決めたとはいえ、それで不問に付される話ではない。政権の人権意識の欠如が厳しく問われねばならない。
問題の発言は一昨日夜、8人いる首相秘書官の一人で、経済産業省出身の荒井勝喜氏が、首相官邸で記者団に語った。性的少数者や同性婚をめぐり、「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「見るのも嫌だ」「認めたら国を捨てる人が出てくる」などと述べたとされる。
首相の側近といっていい、重い公的な立場にある者の、差別丸出しの放言に、驚きあきれるほかない。・・・”
そして、岸田首相が同性婚法制化への賛否を問われた際、慎重な検討が必要な理由として、
”すべての国民にとって、家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ”
と述べていたことも報じました。重要な指摘だと思います。
だから私は、再び自民党、特に安倍元首相を中心とした人たちの問題を取り上げなければなりません。
神政連や日本会議に関わる自民党の人たちが、憲法を改正し、「伝統的な家族観」を軸にした国家をとり戻そうとしていることを見逃してはならないと思います。
しばらく前、丸川珠代・男女共同参画担当相や高市早苗・元男女共同参画担当相ら自民党の国会議員有志が、埼玉県議会議長の田村琢実県議に、「選択的夫婦別姓の反対を求める文書」を送るという問題がありました。自民党国会議員有志は、地方自治や民主主義のルールを無視するようなかたちで、「選択的夫婦別姓を求める要求」に反対するよう要請する文書を地方議会の関係者に送ったのです。事実上、政府中枢から、地方議会関係者に、夫婦別姓に反対する考え方を押し付けるものであったと思います。それも、今回の差別発言と同じ「伝統的な家族観」に関わる問題です。
そして、安倍政権と関わりを持った長谷川三千子教授や八木秀次教授など、国民主権や人権さえも否定するような考え方をする人たちが、まわりにいることも見逃せないと思います。
その文書のなかには、”戸籍上の「夫婦親子別氏」(ファミリー・ネームの喪失)を認めることによって、家族単位の社会制度の崩壊を招く可能性がある”などとあるのですが、私は、家族単位の社会制度の崩壊ではなく、戦争指導層の考え方を受け継ぐ自民党保守派が復活を意図する、戦前の「家族国家観」が崩壊するということだろうと思います。
自民党保守派の人たちは、明治維新によってつくりあげられた皇国日本の家制度、「一家一氏一籍」の原則が崩壊することは、皇国日本の考え方の「崩壊」を意味し、受け入れることができなのだろうと思います。
遠藤正敬氏が『戸籍と無戸籍 「日本人」の輪郭』(人文書院)で取り上げていますが、明治期における家族国家思想の理論的指導者であった法学者、穂積八束は「我千古ノ国体ハ家制ニ則ル、家ヲ大ニスレハ国ヲ成シ国ヲ小ニスレハ家ヲナス」と述べています。それは、明治民法制定以来、日本の敗戦に至るまで維持された、家は「万世一系」の皇統を基軸にした「国体」の私的領域における縮図であり、家の維持こそは「国体」の安寧をもたらすものであるという思想です。
日本国憲法の制定に基づく民法の大改正によって、家制度が廃止され,家督相続も廃止されましたが、自民党保守派は、それを一部復活させ、祖先崇拝や男性優先(男尊女卑)の考え方に基づく”家の系譜”として戸籍制度を復活させたいのだと思います。
明治維新以来、日本は万世一系の天皇が統治する「国」であり、「家」は、戸主の系譜として受け継がれるものと考えられてきました。そして、「戸籍」は「祖孫一体」を本義とする連続性を記録するものであるのです。そうした「国体」と「家」を直結した「家族国家観」は、戦時中の「国体の本義」に、はっきり示されています。
”大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我万古不易の国体である。而(シコウ)してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克(ヨ)く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。”
したがって、先だって更迭された、杉田水脈総務大臣政務官や、今回更迭された荒井勝喜秘書官の発言は、決して個人的なものではなく、憲法改正を目指す自民党、特に右派が共有している考え方だと思います。それは、同性婚についての荒井勝喜秘書官の”秘書官室もみな反対する”という発言に示されていると思います。
そして、私は、現在国民の意識と乖離した考え方をする自民党の人たちが、戦後、長く政権を担ってくることができたのは、公職追放解除によって、戦争指導層を復活させたアメリカの対日政策によるものであることを見逃すことができないのです。
アメリカは、日本をアメリカに都合よく従えるために、日本が社会主義化することはもちろん、真に民主化することも許さなかったのだと思います。だから公職追放解除の際、日本の戦争指導層がアメリカに逆らうことがないように工作し、その上で戦争指導層や富裕層と手を結ぶことにしたのだと思います。その方が、民主化された日本より、影響力を行使しやすいということだったのだろうと思います。社会主義的な政権や民主的な政権では、「密約」の締結は難しいのです。
そう考えるのは、下記の文章が示すような、アメリカのニカラグアやパナマやグレナダその他、中南米諸国に対する影響力の行使の仕方、また、すでに取り上げてきた、アジアにおけるアメリカの独裁政権支援の政策と同じだと思うからです。アメリカは社会主義政権はもちろん、民主的な民族主義政権をも潰し、独裁者や一部の富裕層と手を結んで、共に搾取や収奪をくり返してきた歴史があるのです。
下記は、「燃える中南米 特派員報告」伊藤千尋(岩波新書23)から「第4章 出口なき?経済」の一部を抜粋しました。
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第4章 出口なき?経済
富裕層と貧困層
皆が一様に貧しいのなら、まだしも納得できよう。しかし、中南米はかつて「エル・ドラド(黄金郷)」と呼ばれた地であり、今も緑の肥沃な大地の下には豊富な鉱物資源が眠る。メキシコは世界最大の銀生産国であり、サウジアラビアに次ぐ世界第四位の産油国でもある。ベネズエラとエクアドルはOPEC(石油輸出国機構)の加盟国だ。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを一歩郊外に出ると、黄金の穂波に揺れる小麦畑や、太った牛が群がる緑豊かな牧場が地平線まで続く。豊かさの極みは、GNP(国民総生産)世界第八位のブラジルである。
ブラジルのアマゾン河流域に、カラジャスという鉱山地帯がある。日本の面積の三分の一に当たる広大な地に、鉄や金、ボーキサイトなど様々な鉱物資源が詰まっている。アマゾン河口の町から軽飛行機を乗り継ぎ現地に行くと、見渡すかぎり大地が赤い。足下の土を手にすくうとズッシリと重い。鉄鉱石が露出しているのだ。推定埋蔵量は180億トン。日本の鉄鉱石消費の180年分に当たる。高品質のうえ露天掘りだ。地面の鉄鉱石をさらってはダンプカーに積む。ダンプは120トン。人間が側に立つと、タイヤの半径にもならない。採取した鉄鉱石は、三両連結の機関車が160両の貨車を引く専用鉄道で大西洋岸の港に運ぶ。その巨大なショベルカー、ダンプ、汽車さえミニカーのように見える広大な鉱山にたつと、「資源大国」という名が実感される。鉄のほかにも、石油は国内消費の半分を自前で生産する。名高いイグアスの滝には、世界一の容量を誇る水力発電所もある。
こうした富を背景に、とてつもない金持がいる。ブラジルには1000ヘクタール以上の土地をもつ農場が焼く5万もある。農場のなかに飛行機の滑走路を七つももち、自家用飛行機で自分の農場をみて回るのに一週間かかるという大農園主もいる。きわめて多数の貧民がいるかたわら、日本の金持など足下にも及ばないほどのこうした資産家が中南米各地にいるのだ。中南米の最貧国ハイチでは、人口の5%の富裕層が国の富の90%を所有し、一方で75%の国民が飢えていた。飢える国民を尻目に、大統領夫人は18人のお付きを従えて超音速機コンコルドでパリに買物に行き、ブランド商品を買いそろえた。
中南米に共通しているのは、社会がごく少数の富裕層と大多数の貧困層にくっきり二分され、中産階級がきわめて少ないことである。ベネズエラは「王様と乞食の国」といわれる。中南米に関する質問で最も無意味なのは「平均的家庭の収入は?」という問いだ。平均家庭など中南米にはありはしない。
富裕層は白人系、貧困層はインディオや黒人と、肌の色ではっきり分かれる。国家の支配層はほぼ白人が占める。スペイン人などによる新大陸征服以来、少数の白人が統治して多数のインディオや混血が支配される、という基本的な構造は500年にわたって今日も続いているのだ。インディオが住む山岳部や地方には、国の予算は回らない。都市が近代化する反面、農村部はいつまでも昔ながらのままに取り残される。そればかりか企業や大農園による土地の囲い込みが進み、貧農はわずかな農地をも失い、農奴同然となるか農村を去る。都市のスラムに農民がなだれ込むのは必然的な現象なのだ。金持はますます金持ちに、貧民は一層貧しくなる。
富裕層は国政を私物化して公然と汚職をはたらき、富を増やす。メキシコのドゥラス警視総監は、5年間の在職中に部下の2万人の給料をピンハネした。公金横領と脱税、さらに麻薬にも手を染め、25億ドルもの膨大な不正蓄財をおこなった。法を守る立場の最高責任者が、地位を利用して法を犯し、私腹を肥やしていたのだ。首都郊外にある彼の家は白亜の豪華なもので、「宮殿」と呼ばれていた。
メキシコでは、権力を握ったものが不正・汚職をするのが常識とされる。大統領が替わると門番まで替わるといわれ、公職が血縁やコネで左右された。大統領任期の最後の年には、大統領から門番まで不正蓄財に走る、とも言われた。ドゥラソ警視総監は、幼友達だったロペス・ポルティーヨ元大統領によって警視総監に任命され、ロペス政権の任期が終了すると同時に職を辞し、悪事が露見しそうになると大金を米国の銀行に移して逃亡した。ブラジルなど他の国でも、警官は信用されていない。泥棒の被害にあって警察に届けても無駄だという。捜査して犯人が判明しても、警官がその品物を横取りしたうえ、犯人から見逃し料をとって放免する、と市民たちは首をすくめる。
中南米の各地で、「日本は理想的な国だ」「社会主義社会ではないのか」という言葉を聞く。経済大国として発展し、しかも国民の大多数が平等な経済生活を送っている、とのほめ言葉としていっているのだ。その当否はともかく、これが貧困と不平等にあえぐ中南米の民の素直な声なのだ。
累積債務危機・・・略
高揚する民族主義
追い詰められた債務国が債権国に反抗したように、経済危機が引き金となって「持たざるもの」による「持てるもの」への反乱が表面化してきた。対外的な民族主義、国内での富の分配の公平を求める運動がそれである。
「米国の裏庭」と呼ばれるのに甘んじてきた中南米諸国が、民族主義の旗を掲げて、米国の政治・経済支配に抗議する。中米の小国ニカラグアが、米国の侵略の危険を冒してまでこの身近な超大国に刃向かうのはその代表だ。ニカラグアの民族主義的政権を政治・経済的な圧力でつぶそうとする米国に対し、中米周辺のメキシコなど四か国は83年1月にパナマのコンタドーラ島でコンタドーラ・グループを結成し、中米紛争は中南米諸国の手で域内自主解決する、と宣言した。従来、民族主義的な動きは分断、孤立化されて米国の手で一つ一つつぶされてきたが、中南米諸国が結束して米国に対抗する動きを見せるようになったことが注目される。また、ラテンアメリカ経済機構(SELA)は緊急特別会議を開き、ニカラグアに対する経済制裁の撤回を米国に要求するとともに、加盟国に対してニカラグアに金融面で協力するよう促した。これは米国の中南米への「干渉」に中南米全域が共同で対処する方向を示した点で画期的なものだ。
中南米各国の国会議員で構成するラテンアメリカ議会の第七回総会は85年6月、キューバの加盟を圧倒的多数の賛成で承認した。ブラジルやペルーなど民政移管した国でキューバと復交する国が相次いだ。米州機構(OAS)第16回総会では、フォークランド紛争で、米国のみが英国とアルゼンチンとの交渉を求める中立的な姿勢を示したのに対し、他の諸国はすべてアルゼンチンを支持した。かつて「米国の中南米支配の道具」といわれてきた米州機構の変貌を示すものである。ジュネーブでの国連人委員会で米国が提出したキューバ人権侵犯非難決議は、中南米諸国の反対で否決された。米国代表が中南米代表を「裏切り者」とののしると、中南米側は「我々は独立と自由を放棄しない」と逆に反発した。かつて米国の外交をそのままなぞり追随していた国々が、国際社会で独自の判断を下すようになったわけだ。
モンロー主義を宣言した1823年以来、米国は中南米を準領土に見立て、不都合が生じると「米国の権益の擁護」を唱えて海兵隊を派遣した。1983年10月には民族主義政策を進めていたカリブ海の島グレナダの政変に乗じて、同国に住む米人学生の生命保護などを理由に派兵し、政権を武力で覆した。米人の安全のためには中南米の国に干渉し、その国の人々を殺害したうえ、政府をつぶす。「米国人でなければ人間ではないのか」と中南米の人々は反発する。
グレナダへの侵攻は、最近のほんの一例にすぎない。米国による中南米地域への武力介入は、1833年アルゼンチンへの海兵隊派兵を手始めに、150年の歴史があるのだ。米国に逆らえば力で押しつぶすという砲艦外交の圧力の下、中南米諸国を政治も、経済も、文化も従属させてきた。グレナダの旧民族主義政権の閣僚は、これを「新植民地主義」と非難した。中南米の人々は、恐れとあこがれと嫌悪の入り混じった複雑な気持ちで、米国を「北方の巨人」と呼ぶ。ニカラグアは、米国を聖書の中の伝説の巨人ゴリアテに、自身はゴリアテを倒しダビデにたとえる。
中南米の各国の内部でも、これまで虐げられてきた国民が、平等と社会的正義を求めて実力を行使するようになった。
ブラジルでは、土地を求める小作農が大地主の所有する遊休地を占拠し、武装集団を雇って自衛する地主との間で血を血で洗う抗争となっている。労働者は合法化された政党の傘下に結集し、賃上げや反政府政治集会が相次いでいる。アンデス諸国では、餓死する前に実力に訴えようと左翼ゲリラが武装闘争を繰り広げる。コロンビアでは6つのゲリラ組織が入り乱れて攻撃し、85年には首都中心部の最高裁判所をゲリラ組織が占拠し、政府軍がロケット砲で攻撃、炎上させる事態にまで至った。左翼ゲリラは主要組織だけでも中南米9か国に計27組織、総兵力2万5000を数える。
ペルーではインディオがゲリラとなったように、スペインによる新大陸征服以来、白人に圧迫され続けて来たインディオが武器を手に立ち上がった。スペイン軍にアステカ帝国を滅ぼされたメキシコでも、インディオが農地改革を主張してデモやハンストを実施する。デモの横断幕には「インディオの飢餓は社会の不公正の証拠」と書かれていた。デモの指導者は「我々は五世紀の間、食料と正義に飢えてきた。土地と言葉を略奪されてきた」と叫んだ。五世紀とは、コロンブスが新大陸を発見して以来、ということだ。1992年には新大陸発見からちょうど500年を迎える。500年の怨念が、いま吹き出して来た。もの言わぬ無告の民が主張を始めたのだ。
コロンブスの名を取って建国されたコロンビアの病院の壁にスプレーで「飢餓と抑圧の下で社会の平和なし」と書かれている。貧しい人々は、現在の苦しい生活の原因が歴史的な特権支配の構造にあることを知っている。
中南米の支配層は、被支配層が支配層にはなれないようにするとともに、貧しい人々でも最低生活なら何とか生きていけるような社会的な仕組みを整えた。第一に愚民政策だ。国民教育とは名のみで、多数の文盲を放置した。教育費は少なく、学校を作らず教師も養成しない。義務教育は名目にすぎない。被支配層の貧しい家庭の子どもたちにとって、出世のための努力をする機会すらないのだ。ブラジルでは学校が少ないため小学校にも通えない子が多く、一つの校舎を午前と午後と夜間の三部制にして使用する所もある。文盲率は21%というが、実際には30%を越すとも言われる。中南米の最貧国ハイチでは文盲率が62%で、国民の三人に二人は字が読めない。雇用や取引きにあたって契約書の内容を理解せずにサインさせられ、しかもその不当性に気付かない。ハイチで86年に食料暴動を機に独裁者が国を去ったが、そのすぐ後には民主化が達成されなかった。国民の大多数が民主主義の概念はもとより、労働組合や政党というものを理解できなかったからである。一定の教育が行き届かなければ、暴動は起きても革命は起きず、ましてや新国家の建設など出来はしない。
第二に、支配層は公共料金を安く抑え、貧民でも最低限の生活ができるようにした。不満を暴動につなげないためだ。メキシコの地下鉄料金は、全線一律0.04円である。貧しい人々も主食のトウモロコシのパンが格安のため、最低給料でも食べていける。このため社会変革の大衆的な運動は起こりにくい。
このような支配の構造が、民主化の潮流と経済危機の中で崩壊してきた。民主化のうねりは国民全体が政治に参加できるシステムを求め、経済危機での公共料金引き上げで最低生活もできないようになると、貧民は政府への抗議行動に立ち上がった。
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