リットン報告書をめぐる国際連盟理事会において、日本の首席代表、元外交官の松岡洋右衆議院議員と激論を戦わた中国代表、顧維鈞が取り上げたのが「田中上奏文」でした。
その「田中上奏文」には、
”支那を征服せんと欲せば、先づ満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ず先づ支那を征服せざるべからず。……之れ乃ち明治大帝の遺策にして、亦我が日本帝国の存立上必要事たるなり”
というような一節があることから、日本の中国侵略を裏づけるものとして取り上げたのだと思います。
「田中上奏文」を偽書と確信していた松岡は、「そのような文書が、天皇に上奏されたことはない。」と反論するのですが、顧維鈞は、「この問題についての最善の証明は、今日の満州における全局である。仮にこれが偽書であるとしても、日本人によって偽造されたものである。その点について松岡氏も、近著『動く満蒙』のなかで同意されている」などと言い返し、皆が納得できる決着はつかなかったようです。
そうした議論を踏まえて「現代史資料 7 満州事変」(みすず書房)の、下記のような資料を読むと、私は、「田中上奏文」を読んでいるような気がするのです。”好機会ノ偶発ヲ待ツハ不可ナリ機会ヲ自ラ作ルヲ要ス”等というような記述や、同じような考え方の記述があるからです。
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十四 昭和六年四月策定の参謀本部情勢判断(「満洲事変ニ於ケル軍ノ統帥」より抜萃)
(昭和六年九月)十九日深更軍幕僚ノ一部、板垣、石原両参謀、花谷少佐、片倉大尉ハ十八日午後九時頃奉天ニ到着シ事変勃発以来軍ノ行動ヲ静観シアリシ参謀本部第一部長少将・建川美次ト密ニ会シ激論数刻ニ及ビ意見ヲ交換セリ 建川少将ハ当初事件ノ渦中ニ投し且世ノ疑惑ヲ蒙ルヲ恐レ料亭菊水ノ一室ニ引籠リ一切外部トノ交渉ヲ絶チアリタリ
席上建川少将ハ此年四月策定セル参謀本部情勢判断満蒙問題解決第一段階(条約又ハ契約ニ基キ正当ニ取得シタル我カ権益カ支那側ノ背信不法行為ニ因リ阻害セラレアル現状ヲ打開シ我カ権益ノ実際的効果ヲ確保シ更ニ之ヲ拡充スルコトニ勉ム)実施ノ時期ナル旨(元ヨリ政権ハ學良政権ニ代ルニ親日新政権ヲ以テスルモ支那中央政府ノ主権下ニ置ク)ヲ提言セリ板垣、石原両参謀ハ交ゝ之ヲ駁シ今日満蒙問題ヲ解決セスシテ好機何時カ来ルヘキヲ述ヘ特ニ石原参謀ハ一挙第三段階ノ満蒙占領案ニ向ヒ断乎トシテ進ムヘキヲ提唱シ建川少将亦漸次之ヲ諒トスルニ至レリカ如ク少将自体トシテノ主張ヲ曲ケサルト共ニ一方軍ノ積極的行動ニ敢テ拘束ヲ加ヘサルコトヲ言明シ尚軍事行動ハ吉林、長春、洮昻沿線(成ルヘク洮南迄)ニ留ムルヲ有利トスヘキヲ附言セリ
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十五 情勢判断ニ関スル意見(関東軍参謀部昭和六年七・八月ごろ)
判 決
(1) 極東露領ノ価値如何
(2) 北支那亦可ナラスヤ
(3) 第三国カ我国策遂行ニ妨害セハ武力抗争ハ辞セザルノ断乎タル決心ヲ以テ臨ムヲ要ス之ノ決心ト成算ナクンハ対支政策ノ遂行ハ不可能
(4) 直ニ着手スルヲ要ス
説 明
(1) 東部西比利亜ハ領土トシテノ価値少ナシ森林、水産、鉱山、毛皮等ノ利権ニテ足ラン
(2) 一挙解決何故ニ不利ナリヤ、満蒙ノ解決ハ第三国トノ開戦ヲ誘起スヘク戦勝テハ世界思潮ハ問題ニアラサルヘシ
(3) 好機会ノ偶発ヲ待ツハ不可ナリ機会ヲ自ラ作ルヲ要ス
第二 満蒙ノ情勢ト之カ積極的解決ノ必要
(1) 従来ノ隠忍自重ハ帝国ノ武力不充分ナリシニ非ストシテ而モ米国ニ考慮ヲ払ヒシハ矛盾ニ非スヤ
第三 米国ノ情勢
(1) 満蒙問題解決国策遂行ハ急速ヲ要ス急速解決ハ勢ヒ露骨ナラサルヲ得ス往時露骨ヲ避ケ漸次主義ヲ採用シ来リテ何等得ルトコロ無カリシニア ラスヤ是クノ如クンハ只往時ノ状態ヲ繰返スヘキノミ米国ノ武力及経済的圧迫恐ルルノ必要ナシトセハ何故断然タル決心ヲトラサルヤ
第四 蘇国ノ情勢
(1) 蘇ハ我国厄ニ乗シ只ニ満蒙赤化ノミナラス帝国内部ノ破壊ノ企図ニ出ツルコトアルヘキヲ保シ難シ
(2) 東部西比利亜問題ノ根本解決ニ関シテハ極東露領ノ価値ニ就キ充分ナル吟味ヲ要ス
第六 国際諸条約ノ関係
(1) 九国条約ニ関スル門戸開放機会均等等主義ヲ尊重スルトシテモ満蒙ニ於ケル既得権益ノ実効ヲ収ムル手段ヲ理由トセハ兵力ノ使用何等問題ナ カルヘシ
(2) 九国条約ヲ尊重セサル場合世界各国ノ感情ヲ害スルコトアルモ之カ為帝国ニ対シテ積極的ニ刃向ヒ来ルモノ幾可
(3) 満蒙問題ノ解決ハ米蘇ト開戦ヲ覚悟セサレハ実行シ得ス米蘇ト開戦ヲ覚悟シツツ而モ何ソ之ニ気兼スルノ要アラン満蒙ヲ占領セハ直ニ之ヲ領土化スルヲ有利トス近来ノ列国ハ名ヨリ寧ロ実利ニ依リテ動ク実利ヲ得ントシテ名ヲ作ルナリ
結 言
(1) 未曾有ノ経済艱難不良外来思想ノ浸潤ハ単ニ一般世界現象ナリト云フヲ得ス之ノ間米蘇ノ思想及経済的侵略ニ禍セラレルコト大ナリ従テ之カ防圧ノ手段トシテ両国ノ勢力ヲ打破スルノ必要アリ
但シ経済的社会的必然ノ推移トシテ社会改造ノ必要アリ而シテ如何ニ帝国カ経済及社会組織ヲ改メテ帝国発展ノ基礎ヲ固ムヘキヤハ外方ニ対スル国策遂行ト同時ニ研究スヘキ重大ナ問題ナリ之ニ関シテ予メ充分ノ成案アルヲ要ス
(4) 速戦即決ハ作戦ノ範囲ノミ
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十六 満州問題解決方策の大綱
一、満洲に於ける張學良政権の排日方針の緩和については、外務当局と緊密に連絡の上、その実現につとめ、関東軍の行動を慎重ならしめることについては、陸軍中央部として遺憾なきよう指導に努める。
一、右の努力にもかかわらず排日行動の発展を見ることになれば、遂に軍事行動の已むなきに到ることがあるだらう。
一、満洲問題の解決には、内外の理解を得ることが絶対に必要である。陸軍大臣は閣議を通じ、現地の情況を各大臣に知悉せしめることに努力する。
一、全国民特に操觚界(ソウコカイ:文筆に従事する人々の社会)に満洲の実情を承知せしめる主業務は、主として軍務局の任とし、情報部は之に協力する。
一、陸軍省軍務局と参謀本部情報部とは、緊密に外務省関係局課と連絡の上、関係列国に満洲で行はれてゐる排日行動の実際を承知させ、万一にもわが軍事行動を必要とする事態にはいつたときは列国をして日本の決意を諒とし、不当な反対圧迫の挙に出でしめないやう事前に周到な工作案を立て、予め上司の決裁を得てをき、その実行を順調ならしめる。
一、軍事行動の場合、如何なる兵力を必要とするかは、関東軍と協議の上作戦部に於て計画し上長の決裁を求める。
一、内外の理解を求むるための施策は、約一ヶ年即ち来年春迄を期間とし、之が実施の周到を期する。
一、関東軍首脳部に、中央の方針意図を熟知させて、来る一年間は隠忍自重の上、排日行動から生ずる紛争にまきこまれることを避け、万一に紛争が生じたときは、局部的に処置することに留め、範囲を拡大せしめないことに努めさせる。
(1931.6.19、陸軍省、永田鉄山軍務局軍事課長、岡村寧次人事局補任課長、参謀本部、山脇正隆編制課長、渡久雄欧米課長、重藤千秋支那課長からなる五課長会議にて)
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