日本人が目を背けてはいけない歴史的事実として、第二次世界大戦における日本軍の無謀な作戦によって多くの人が尊い命を落としたこと、特にほとんど全ての戦場で大量の「餓死者」を出したことがあると思う。そこで、「餓死した英霊たち」藤原彰(青木書店)から一人の青年将校のガダルカナルにおける状況を記した文を抜粋するとともに、餓死者の概数を拾い出しておきたい。
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12月27日(1942年)
今朝もまた数名が昇天する。ゴロゴロ転がっている屍体に蠅がぶんぶんたかっている。
どうやら俺たちは人間の肉体の限界まできたらしい。
生き残ったものは全員顔が土色で、頭の毛は赤子の産毛のように薄くぽやぽやになってきた。黒髪が、ウブ毛にいつ変わったのだろう。体内にはもうウブ毛しか生える力が、養分がなくなったらしい。髪の毛が、ボーボーと生え……などという小説を読んだこともあるが、この体力では髪の毛が生える力もないらしい。やせる型の人間は骨までやせ、肥える型の人間はブヨブヨにふくらむだけ。歯でさえも金冠や充填物が外れてしまったのをみると、ボロボロに腐ってきたらしい。歯も生きていることを初めて知った。
この頃アウステン山に不思議な生命判断が流行り出した。限界に近づいた肉体の生命の日数を、統計の結果から、次のようにわけたのである。この非科学的であり、非人道的である生命判断は決して外れなかった。
立つことの出来る人間は………寿命30日間
身体を起こして坐れる人間は………3週間
寝たきり起きられない人間は………1週間
寝たまま小便をするものは………3日間
もの言わなくなったものは………2日間
またたきしなくなったものは………明日
このようにガ島での第一線部隊の食糧欠乏がもたらした凄惨な状況が描かれている。
こうした状況に陥っている第17軍にたいしても、大本営は11月16日、ガ島において持久戦をせよと命令した。この命令に接したときのことを、第17軍参謀長小沼治夫少将は次のように書いている。
輸送、補給が続く状況に於いては持久戦が成立するが、輸送補給が杜絶し第一線将兵が飢え杖をついて辛うじて歩行して居る「ガダルカナル」の第17軍が持久任務を受けて何時迄持久し得るやの回答は単に「敵の大攻勢を受ける迄持久し得」というに止まる。………
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●ガダルカナル
上陸人員 31,400名 途中離島 740名 撤収作戦で収容 9,800名
戦没者 20,860名 戦死 5,000~6,000名 広義の餓死者15,000名
ブーゲンビル島、ニュージョージア、レンドバ、コロンバンガラなど中部ソロモン諸島を含めるとソロモン群島の死没者の4分の3に当たるおよそ66,000名が餓死と考えられる。
また、ラバウルなどビスマルク諸島の餓死者はおよそ27,500名である。
したがって、この方面の餓死者は 93,500名を下らない数になるという。
(広義の餓死とは栄養失調がもとで病死した者も餓死に含めるということである。)
●ポートモレスビー
作戦参加(南海支隊)人員 5,586名 補充人員 1,797名
損耗人員 5,432名 残人員 1,951名
歩兵第41聯隊 戦死約2,000名余(3割が弾丸 7割が病死)
負傷病気で後送約300名 生存者約200名
堀井混成旅団(南海支隊) 15,000名 救出3,000名
●ニューギニア
第18軍及び海軍第9艦隊計148,000名 生還者13,000名
第18軍司令官安達中将(自決)の遺書には
「又作戦三載の間十万に及ぶ青春有為なる陛下の赤子を喪い而して其の大部は栄養失調に起因する戦病死なることに想到する時御上に対 し奉り何と御詫びの言葉も無之候……」
厚生省によると、東ニューギニア(上記ポートモレスビーとニューギニア)の戦没者は127,600名で、関係者の回想や報告を基づい て計算すると約114,840名が餓死と考えられる。
●インパール(ビルマ戦線)
兵力 303,501名 戦没者 185,149名 帰還者 118,352名
烈兵団の村田中隊の割合で概算すると全体では、
戦病死(広義の餓死)約145,000名となる。
●孤島
太平洋の孤島に置き去りにされて餓死した兵も多い。人数が示されているウェー ク島では死没者陸軍 921名 栄養失調による病死者 834名 戦死者87名で 餓死が90%を上回る。
死没者海軍 810名 栄養失調506名 戦死 204名
厚生省調査では、中部太平洋の戦没者247,200名で およそ123,500名が病死、餓死である。
●フィリピン
動員兵力 613,600名 戦没者 498,600名
第30師団の場合は、総員15,500名 戦死2,518名 病死2,137名
生死不明 5,593名
生存者 3,024名(生死不明者はほとんど戦病死であるという)
全体では、戦没者498,600名のうち、約400,000名を餓死とみることができるという。
●中国戦線
戦没者総数 455,700名 帰還者数 1,528,883人
(陸軍軍人軍属 1,050,000人)
大陸打通作戦(湘桂作戦)の場合 戦死11,742名 戦傷22,764名
戦病66,543名
第20軍の芷江作戦の場合 戦死695名 戦傷死 322名
戦病死 2184名 合計3201名
中国戦線全体では、227,800名が栄養失調を原因とする病死であると考えられている。
その他の地域を含め、全体としてみると、軍人軍属の戦没者230万名のうち、
140万名を餓死とみることができるというのである。(戦没者は一般邦人30万、内地での戦災死者50万を加えると310万である)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
全文と各項目へリンクした一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
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12月27日(1942年)
今朝もまた数名が昇天する。ゴロゴロ転がっている屍体に蠅がぶんぶんたかっている。
どうやら俺たちは人間の肉体の限界まできたらしい。
生き残ったものは全員顔が土色で、頭の毛は赤子の産毛のように薄くぽやぽやになってきた。黒髪が、ウブ毛にいつ変わったのだろう。体内にはもうウブ毛しか生える力が、養分がなくなったらしい。髪の毛が、ボーボーと生え……などという小説を読んだこともあるが、この体力では髪の毛が生える力もないらしい。やせる型の人間は骨までやせ、肥える型の人間はブヨブヨにふくらむだけ。歯でさえも金冠や充填物が外れてしまったのをみると、ボロボロに腐ってきたらしい。歯も生きていることを初めて知った。
この頃アウステン山に不思議な生命判断が流行り出した。限界に近づいた肉体の生命の日数を、統計の結果から、次のようにわけたのである。この非科学的であり、非人道的である生命判断は決して外れなかった。
立つことの出来る人間は………寿命30日間
身体を起こして坐れる人間は………3週間
寝たきり起きられない人間は………1週間
寝たまま小便をするものは………3日間
もの言わなくなったものは………2日間
またたきしなくなったものは………明日
このようにガ島での第一線部隊の食糧欠乏がもたらした凄惨な状況が描かれている。
こうした状況に陥っている第17軍にたいしても、大本営は11月16日、ガ島において持久戦をせよと命令した。この命令に接したときのことを、第17軍参謀長小沼治夫少将は次のように書いている。
輸送、補給が続く状況に於いては持久戦が成立するが、輸送補給が杜絶し第一線将兵が飢え杖をついて辛うじて歩行して居る「ガダルカナル」の第17軍が持久任務を受けて何時迄持久し得るやの回答は単に「敵の大攻勢を受ける迄持久し得」というに止まる。………
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●ガダルカナル
上陸人員 31,400名 途中離島 740名 撤収作戦で収容 9,800名
戦没者 20,860名 戦死 5,000~6,000名 広義の餓死者15,000名
ブーゲンビル島、ニュージョージア、レンドバ、コロンバンガラなど中部ソロモン諸島を含めるとソロモン群島の死没者の4分の3に当たるおよそ66,000名が餓死と考えられる。
また、ラバウルなどビスマルク諸島の餓死者はおよそ27,500名である。
したがって、この方面の餓死者は 93,500名を下らない数になるという。
(広義の餓死とは栄養失調がもとで病死した者も餓死に含めるということである。)
●ポートモレスビー
作戦参加(南海支隊)人員 5,586名 補充人員 1,797名
損耗人員 5,432名 残人員 1,951名
歩兵第41聯隊 戦死約2,000名余(3割が弾丸 7割が病死)
負傷病気で後送約300名 生存者約200名
堀井混成旅団(南海支隊) 15,000名 救出3,000名
●ニューギニア
第18軍及び海軍第9艦隊計148,000名 生還者13,000名
第18軍司令官安達中将(自決)の遺書には
「又作戦三載の間十万に及ぶ青春有為なる陛下の赤子を喪い而して其の大部は栄養失調に起因する戦病死なることに想到する時御上に対 し奉り何と御詫びの言葉も無之候……」
厚生省によると、東ニューギニア(上記ポートモレスビーとニューギニア)の戦没者は127,600名で、関係者の回想や報告を基づい て計算すると約114,840名が餓死と考えられる。
●インパール(ビルマ戦線)
兵力 303,501名 戦没者 185,149名 帰還者 118,352名
烈兵団の村田中隊の割合で概算すると全体では、
戦病死(広義の餓死)約145,000名となる。
●孤島
太平洋の孤島に置き去りにされて餓死した兵も多い。人数が示されているウェー ク島では死没者陸軍 921名 栄養失調による病死者 834名 戦死者87名で 餓死が90%を上回る。
死没者海軍 810名 栄養失調506名 戦死 204名
厚生省調査では、中部太平洋の戦没者247,200名で およそ123,500名が病死、餓死である。
●フィリピン
動員兵力 613,600名 戦没者 498,600名
第30師団の場合は、総員15,500名 戦死2,518名 病死2,137名
生死不明 5,593名
生存者 3,024名(生死不明者はほとんど戦病死であるという)
全体では、戦没者498,600名のうち、約400,000名を餓死とみることができるという。
●中国戦線
戦没者総数 455,700名 帰還者数 1,528,883人
(陸軍軍人軍属 1,050,000人)
大陸打通作戦(湘桂作戦)の場合 戦死11,742名 戦傷22,764名
戦病66,543名
第20軍の芷江作戦の場合 戦死695名 戦傷死 322名
戦病死 2184名 合計3201名
中国戦線全体では、227,800名が栄養失調を原因とする病死であると考えられている。
その他の地域を含め、全体としてみると、軍人軍属の戦没者230万名のうち、
140万名を餓死とみることができるというのである。(戦没者は一般邦人30万、内地での戦災死者50万を加えると310万である)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
全文と各項目へリンクした一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
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