1923年関東大震災の戒厳令下で、憲兵や特高が「労働運動に関わる主義者」と見なしていた10人を検挙し、亀戸警察署構内で虐殺した。亀戸事件である。虐殺されたのは南葛労働組合の川合義虎、北島吉蔵、加藤高寿、近藤廣造、山岸実司、鈴木直一、吉村光治、佐藤欣治の8人、及び純労働組合の平沢計七と中筋宇八の2人の計10人であるが、検挙そのものが不当であった。直接の加害者は近衛師団習志野騎兵第13連隊の田村春吉少尉他3名であるという。
軍や官憲側発表は、下記資料1「震災後に於ける刑事事犯及之に関聨する事項調査書 (秘)」や資料2「近衛師団習志野騎兵第13連隊から戒厳地司令官宛ての報告書」のような内容である。彼ら社会主義者が鮮人来襲などの流言蜚語を流布し、不穏の言動をくり返しているとの申告があったので検挙し連行したが、署内でも革命歌を高唱し、収容中の多数の鮮人に対し扇動的行動を止めず混乱させた。多数の収容者がおり、不穏な空気が漲ったため殺害したというわけである。
(ここでは「川合義虎」は「河合義虎」となっている。)
資料3は、亀戸署に保護を願い出て虐殺のあった日に亀戸署にいた全虎岩(日本人名 立花春吉)の証言である。全虎岩の証言も、検挙当時、検挙された人たちのまわりにいた人物の証言も、また、知人・友人の証言も、軍の報告書や警察発表など官憲側の主張とは著しく異なる。全虎岩の証言は、「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」には「地獄の亀戸署」と題して「種播き雑記」から引用されているが、ここでは「亀戸事件 隠された権力犯罪」加藤文三(大月書店)の「聴取書」から、その全文を抜粋した。
資料4は松谷法律事務所において作成された正岡高一の「聴取書」であり、虐殺された平沢計七に関する重要証言の一つである。これらの証言によって、官憲側の虚言が否定できないものとなっている。これも「亀戸事件 隠された権力犯罪」加藤文三(大月書店)から抜粋する(同書には、この他にも官憲側発表が虚言であることを裏付ける、多数の証言が取り上げられている)。
資料5は、「平澤計七刺殺」を知った菊池寛の言葉である。「評伝 平澤計七 亀戸事件で犠牲となった労働演劇・生協・労金の先駆者」 藤田富士男・大和田茂著(恒文社)からの抜粋である。
資料1「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」より-------------
政府による事件調査
5
震災後に於ける刑事事犯及之に関聨する事項調査書 秘
第10章 軍隊の行為に就て
第1 概 説
1、震災後警備の任に膺れる軍隊に対して鮮人其の他を殺傷したりとの風評なきに非ず殊に江東方面に於ては軍隊に於て殺傷の行為逞しうしたるが為に衆之に倣ひて殺傷を敢てしたりとの巷説あり然れども調査の結果に依れば之に関する事実は大要左の如くにして軍隊の責に帰すべきものなきが如し
第2 亀戸警察署構内に於ける社会主義者等殺害事件
1、9月2日午後7時頃より亀戸警察署管内一帯に「海嘯来る」と流布する者あり次
で間もなく「海嘯は鮮人が虚報を伝へ其隙に乗じ掠奪を恣にせんとするものな
り」との風評盛に行はれ更に「鮮人の集団襲来す」と伝えられし為青年団員、在
郷軍人団員等互に相協力して鮮人を同警察署に連行し来たるもの頻々たり一
方社会主義者河合義虎外8名は震災当日より盛に革命歌を高唱するのみなら
ず故意に鮮人来襲の噂を流布し或は斯る際に井戸又は水道に毒薬を投下せり
云々などと濫りに不穏の言動ある旨附近避難者よりの申告に接したるに依り、
9月3日夜10時頃数名の警察官を派して同人等を同警察署に同行せり。
先是9月2日夜以来亀戸警察署に収容せる内鮮人総計760~770名の多数
を算するに至れり而して此多数収容人員に対し警備の任に当たるものは僅に
兵卒数名と巡査14名とに過ぎず併かも被収容者等は終始喧囂を極め一人大
声を発すれば直に是に付和雷同するの状態にて漸次不穏の空気収容所内に
漲り此の儘にて推移せんか何時何如なる椿事を勃発するやも計り難き実況に
立至れり。
然るに4日夜鮮人中鮮語を以て何事か大声で怒号するものあるや前記社会
主義者河合義虎外8名竝に中筋宇八が忽ち之に相呼応して騒ぎ立て一斉に革
命歌を高唱し扇動的言動を為し為に場内響の応ずるが如く之に和し喧々囂々
全く混乱に陥り到底制止すること能はざりしを以て軍隊の応援を求めて之と協
力して右河合義虎8人の主義者を監房外に隔離したるも彼等は容易に鎮静せ
ざるをのみならず甚しく抵抗を試み他の多数の収容者に波及するの状態を呈
し兵器を用ふるの止むを得ざるに至りたる為軍隊は遂に彼等を死に致したり。
(海嘯は津波のこと) (喧囂-ケンゴウ:喧しいこと)
資料2「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」より------------ 7 近衛・第1両師団の行動
近衛師団
4
9月4日
騎兵第13聯隊
近衛師団司令部ヨリ戒厳地司令官宛
9月5日通報
9月4日午後8時 亀戸ニ於テ4名ノ兇漢、警官ニ抵抗シ騎兵13聯隊之ヲ刺殺ス。内鮮人ノ区別ヲ調査中
5
9月5日
騎兵第13聯隊
9月5日午前2時30分 亀戸警察署ニ検束中ノ内地人及鮮人6名、警官ニ暴行シ他ノ拘禁者ヲ扇動シ暴行セントセシ故、同聯隊之ヲ刺殺セリ。
彼等ハ最後迄革命万歳ヲ叫ビ居タリ。
・・・
資料3「亀戸事件 隠された権力犯罪」加藤文三(大月書店)より-------
第2章 亀戸事件の真相
4 殺害されたのはいつか
・・・
聴 取 書
府下亀戸町3378番地
福島由太郎方
立花春吉 22才
1、私ハ9月3日亀戸警察署ニ4時頃保護ヲ願出デ同署ニ6日午前5時頃迄居リマシタ。而シテ自分ハ奥2階ノ広キ間ニ居リマシタ。其2階ハ井戸ノ隣ニアリマシタ。自分ノ居タ部屋ニハイリタル時ハ20人位居リマシタ。ソシテ其20人ハ皆朝鮮人計リデシタ。入ツタ時ニハ自分ノ住所氏名年令職業等ノ取調ガアリ署長ヨリ「オトナシク」スレバ飽迄モ保護スルト云ハレマシタ。
2、食物ハ玄米ノ握リ飯1ツ、1日2食デアリマシタ。皆ガ腹ガ減ルダローガ鮮人ガ米ノ倉庫ニ爆弾ヲ投入シタカラ米ガナイ為メ少シシカ当ラヌト立番ノ巡査ガ云ヒマシタ。
3、私ガ入リタル3日ノ晩ハ別ニナニゴトモモナク寝入リマシタ。然ル処4日朝カラ鮮人ガ多数入レラレ116名位ニナリマシタ。夫レデ狭マクテ足ヲ伸スコトスラ出来マセンデシタ。
4、4日ノ朝6時頃便所ニ行キタル処便所ニ行ク道ノ入口ノ処ニ兵士ガ立番シ其処ニ7、8人ノ死骸ヤ半殺シノ鮮人ニ筵ヲ被セテアリマシタ。而シテ其横手ノ演武場ニハ縛セラレタル鮮人ガ血ダラケニナリテ300人位居リマシタ。而シテ演武場ノ外側ニハ支那人ガ一列ニナリ軒下ニ50~60人位座ツテ居リマシタ。
5、4日ノ晩暗クナツテカラ銃ノ音ガポンポン夜明迄キコヘマシタ。其ノ銃声ハ自分ノ居タ2階ノ下ノ方ニ聞ヘマシタ。即兵隊ガ立番シテ居テ7、8名ノ死骸ノアツタアタリデアリマス。其夜ハ只銃声計リデ人ガ騒グ音ナゾハ少シモ致シマセン。又1人丈泣キ叫ブ声ヲキキマシタガ其ニ9他ニハ泣声叫ビ声等ハ致シマセン。
右ノ泣キ叫ブ声ハ鮮人ノ声デ夜明方デシタ。ソシテ其鮮人ハ自分ガ悪ルイコトヲセヌノニ殺サレルノハ国ニ妻子ヲ置イテ来タ罪ダロウカ貯金ハドウナツタロウト云フ様ナコトヲ云フテ泣キ叫ビマシタ。
7、其立番ノ巡査ハ又昨夜日本人7、8名鮮人共16名殺サレタ、夫レハ鮮人計リ殺スノデハナイ、日本人モ悪イコトヲスレバ殺サレルノダ、君等モ悪イコトヲスレバ殺サレルカラ従順ニセヨト云ヒマシタ。
8、此時巡査ガ3人デ立話ヲシテ居ルノヲ何心ナクキイテ居タ処南葛労働組合川合ト云フ言葉丈ケ漏レキコヘマシタ。自分ガ川合トハ知合デアツタタメ特ニキコヘマシタノデ自分ハ恐ロシクナリマシタ。
9、5日ノ昼頃自分等ノ居ル部屋ガ狭キ故自分等及階下ノ温順ナ鮮人ヲ連レテ安全ナ場所ヘ行クト云ヒ騎兵ニ守ラレ附近ノ自動車工場ヘ行キマシタガ、危険ダト云フノデ更ニ署ニ帰リマシタ。
10、夫レカラ暫ク便所ヘ行キマスト、便所ニ行ク道ニ日本人ラシキ35,6才ノ男ガ2人裸デ手ヲ縛リ立タセテアリマシタ。其男ハ創ガアリ半死半生ノ状態デアリマシタ。
11、其日ノ晩方3人ノ立番巡査ガ窓カラ覗イテ殺サレル処ヲ見テ1人ノ年寄ノ巡査ハ剣デ刺ス手附ヲシテ「アノ刺ス音ハズブート云フテ何ト云フ音ダロウ」トイヒ音ノ発音ノ「マネ」ヲシテ居マシタ。
12、其晩モ多数殺サレタ様子デス。夫レハ巡査ノ話ヤ便所ヘ行クコトヲ止メラレタコトヤ四隣ノ気配デ知レマシタ。
自分ノ考デハ4日ノ晩迄ハ銃デ射殺シ5日ヨリハ剣デ刺殺シタモノト思ハレマス。
13、右ノ次第デ3日ノ晩ヨリ5日ノ夜明迄ハ静カデ騒グ様ナコトハアリマセン。夫レハ巡査ノ注意モアリ御互ニ注意シ合ヒ静カニシマシタ。
14、右ノ状況デアリマシタカラ隣室デ騒グ様ナコトガアレバ直チニ分ル筈デシタガ極メテ静カデ騒ギマセンデシタ。
労働歌ヲ歌フ声ハ絶体(ママ)ニ聞キマセン。
15、6日ノ朝5時頃習志野ヘ500人位一緒ニ兵隊ニ送ラレテ行キマシタ。ソシテ習志野ニ26日迄居リ其后青山鮮人収容所ニ廻サレ29日自分ノ家ニ帰リマシタ。
16、右ノ通リ相違アリマセン。
大正12年10月16日午后7時
東京市芝区新桜田町19番地 松谷法律事務所ニ於テ
立 花 春 吉 事
金 虎 岩
資料4「亀戸事件 隠された権力犯罪」加藤文三(大月書店)より-------
聴 取 書
府下大島町3丁目240番地
正 岡 高 一 30才
1、自分ハ平沢計七君トハ近所デ親シク交際シテ居リマシタ。9月1日昼頃地震ガアリ、1時頃平沢君ハ自分宅ノ前ヲ出先ヨリ帰ル途中通リ掛リニ声ヲ掛ケテ行キマシタ。此時自分ノ家ハ地震デ倒潰シテ居タノヲ平沢君ハ一旦家ヘ帰リ私方ニ来リ3時頃迄自分ノ家ノ金品取出方ヲ手伝ツテ呉レマシタ。夫レカラ自分ノ義妹ガ浅草蔵前ノ煙草専売局ニ出テオルノデ、夫レヲ尋ネルタメ、荷物取出ヲ中止シ自分ハ出掛ケマシタ。其後妹ヲ尋ネタリ色々シテ、翌日2日ノ午前8時頃迄平沢君ニ逢ヒマセンデシタ。
2、2日午前8時頃ニ自分ハ平沢君宅ヲ訪ネマシテ更ニ同氏同道錦糸町ヨリ両国ニ出テ浅草橋ヲ渡リ妹ヲ尋ネ浅草公園カラ12階裏ニ出テ上野ヘ廻リ方々妹ヲ尋ネタガ分ラズ上野公園西郷銅像前デ首藤敏雄君ニ逢ヒ妹ノコトナド聞合セタルモ分ラズ依テ元来タ道ヲ歩キ家ニ帰ツタノハ夕方デシタ。
3、ソシテ平沢君方デ夕食ヲ喰ヒ同氏方ニ当分厄介ニナルコトニナリマシタ。
4、ソシテ其晩ハ平沢君ハ家族ト共ニ私モ加ハリ平沢君宅前ノ城東電車ノ道デ畳布団ナド持出シテソコデ夜(野)宿シマシタ。ソコニハ隣家ノ浅野氏其他近所ノ人モ皆一緒ニ野宿シマシタ。ソー云フ訳デ平沢君ガ2日ニ演説ヲシタト云フコト等ハ絶対ニアリマセン。此等ノコトハ近所ノ人等モ十分承知シテ居リマス。
5、3日ハ朝カラ私方ノ倒潰家屋ノ荷物ノ取出シ等ヲ手伝ヒ夕方迄世話ヲシテ呉レマシタ。此事ハ八島京一君(ヤ)近所ノ人モ知ツテ居リマス。八島君ハ3日ノ午后4時頃ヨリ避難シテ平沢君宅ニ来タ人デス。
6、夕食后平沢君ハ夜警ニ出テ9時半頃(多分)帰リマシタ。ソシテ暫ク休ンデ居ル所ヘ正服巡査ガ来テ平沢君ヲ連レテ行キマシタ。其時ハ平沢君モ警察官モ極メテ平穏デ平沢君モ温順ニ警察官ニ附イテ行キマシタ。
7、コウ云フ次第デ自分ハ大抵平沢君ト共ニ居リマシタカラ只自分ガ妹ヲ捜ス為メ独リデ出テ行ツタ時丈ケ平沢君ノ行動ヲ知リマセンガ1日ノ午后3時頃カラ翌2日ノ午前8時頃迄ハ平沢ノ妻君ヤ浅野君等近所ノ人等ノ話ヲキケバ、自宅ニ居ツタソウデスカラ、演説ヲシタリ、騒廻ツタリシタコトハナイト思ヒマス。殊ニ南飾(ママ)労働組合トハ平沢君ハ意見ガ合ハズ、平常往復等ハシテ居リマセンカラ其組合本部ヘ行テ演説ヲシタコトハアル筈ハナイト思ヒマス。
8、平沢君ハ極メテ要領ノ好イ人デスカラ警察署デ騒グ様ナコトハ絶対ニナイト思ヒマス。殊ニ労働歌ヤ革命歌ナドヲ唱フ人デハアリマセン。
右ノ通リ相違アリマセン。
大正12年10月16日午后9時
東京市芝区新桜田町19番地
松谷法律事務所ニ於テ
正岡 高一
聴取任 弁護士 松谷与二郎
立会人 〃 山崎今朝弥
資料5 「評伝 平澤計七 亀戸事件で犠牲となった労働演劇・生協・労金の先駆者 」藤田富士男・大和田茂著(恒文社)より----------------
第10章 追悼
文化人の憤怒
菊池寛は「平澤君の名が、刺殺者の筆頭にあるので、可なり駭いた。大杉氏の時よりも、その人を知っている丈に、私はショックを受けた。あんなに落ち着いている思慮あるひとが、ああした天災のとき、乱暴を働いたとは何うしても思われない。もっとも、人は不当に拘引すれば誰だって多少の抵抗はするだろう。それを理由にして殺すとすれば、あの場合誰だって殺し得る」(「文芸当座手帳」)
と怒りを隠さない。
・・・
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
軍や官憲側発表は、下記資料1「震災後に於ける刑事事犯及之に関聨する事項調査書 (秘)」や資料2「近衛師団習志野騎兵第13連隊から戒厳地司令官宛ての報告書」のような内容である。彼ら社会主義者が鮮人来襲などの流言蜚語を流布し、不穏の言動をくり返しているとの申告があったので検挙し連行したが、署内でも革命歌を高唱し、収容中の多数の鮮人に対し扇動的行動を止めず混乱させた。多数の収容者がおり、不穏な空気が漲ったため殺害したというわけである。
(ここでは「川合義虎」は「河合義虎」となっている。)
資料3は、亀戸署に保護を願い出て虐殺のあった日に亀戸署にいた全虎岩(日本人名 立花春吉)の証言である。全虎岩の証言も、検挙当時、検挙された人たちのまわりにいた人物の証言も、また、知人・友人の証言も、軍の報告書や警察発表など官憲側の主張とは著しく異なる。全虎岩の証言は、「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」には「地獄の亀戸署」と題して「種播き雑記」から引用されているが、ここでは「亀戸事件 隠された権力犯罪」加藤文三(大月書店)の「聴取書」から、その全文を抜粋した。
資料4は松谷法律事務所において作成された正岡高一の「聴取書」であり、虐殺された平沢計七に関する重要証言の一つである。これらの証言によって、官憲側の虚言が否定できないものとなっている。これも「亀戸事件 隠された権力犯罪」加藤文三(大月書店)から抜粋する(同書には、この他にも官憲側発表が虚言であることを裏付ける、多数の証言が取り上げられている)。
資料5は、「平澤計七刺殺」を知った菊池寛の言葉である。「評伝 平澤計七 亀戸事件で犠牲となった労働演劇・生協・労金の先駆者」 藤田富士男・大和田茂著(恒文社)からの抜粋である。
資料1「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」より-------------
政府による事件調査
5
震災後に於ける刑事事犯及之に関聨する事項調査書 秘
第10章 軍隊の行為に就て
第1 概 説
1、震災後警備の任に膺れる軍隊に対して鮮人其の他を殺傷したりとの風評なきに非ず殊に江東方面に於ては軍隊に於て殺傷の行為逞しうしたるが為に衆之に倣ひて殺傷を敢てしたりとの巷説あり然れども調査の結果に依れば之に関する事実は大要左の如くにして軍隊の責に帰すべきものなきが如し
第2 亀戸警察署構内に於ける社会主義者等殺害事件
1、9月2日午後7時頃より亀戸警察署管内一帯に「海嘯来る」と流布する者あり次
で間もなく「海嘯は鮮人が虚報を伝へ其隙に乗じ掠奪を恣にせんとするものな
り」との風評盛に行はれ更に「鮮人の集団襲来す」と伝えられし為青年団員、在
郷軍人団員等互に相協力して鮮人を同警察署に連行し来たるもの頻々たり一
方社会主義者河合義虎外8名は震災当日より盛に革命歌を高唱するのみなら
ず故意に鮮人来襲の噂を流布し或は斯る際に井戸又は水道に毒薬を投下せり
云々などと濫りに不穏の言動ある旨附近避難者よりの申告に接したるに依り、
9月3日夜10時頃数名の警察官を派して同人等を同警察署に同行せり。
先是9月2日夜以来亀戸警察署に収容せる内鮮人総計760~770名の多数
を算するに至れり而して此多数収容人員に対し警備の任に当たるものは僅に
兵卒数名と巡査14名とに過ぎず併かも被収容者等は終始喧囂を極め一人大
声を発すれば直に是に付和雷同するの状態にて漸次不穏の空気収容所内に
漲り此の儘にて推移せんか何時何如なる椿事を勃発するやも計り難き実況に
立至れり。
然るに4日夜鮮人中鮮語を以て何事か大声で怒号するものあるや前記社会
主義者河合義虎外8名竝に中筋宇八が忽ち之に相呼応して騒ぎ立て一斉に革
命歌を高唱し扇動的言動を為し為に場内響の応ずるが如く之に和し喧々囂々
全く混乱に陥り到底制止すること能はざりしを以て軍隊の応援を求めて之と協
力して右河合義虎8人の主義者を監房外に隔離したるも彼等は容易に鎮静せ
ざるをのみならず甚しく抵抗を試み他の多数の収容者に波及するの状態を呈
し兵器を用ふるの止むを得ざるに至りたる為軍隊は遂に彼等を死に致したり。
(海嘯は津波のこと) (喧囂-ケンゴウ:喧しいこと)
資料2「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」より------------ 7 近衛・第1両師団の行動
近衛師団
4
9月4日
騎兵第13聯隊
近衛師団司令部ヨリ戒厳地司令官宛
9月5日通報
9月4日午後8時 亀戸ニ於テ4名ノ兇漢、警官ニ抵抗シ騎兵13聯隊之ヲ刺殺ス。内鮮人ノ区別ヲ調査中
5
9月5日
騎兵第13聯隊
9月5日午前2時30分 亀戸警察署ニ検束中ノ内地人及鮮人6名、警官ニ暴行シ他ノ拘禁者ヲ扇動シ暴行セントセシ故、同聯隊之ヲ刺殺セリ。
彼等ハ最後迄革命万歳ヲ叫ビ居タリ。
・・・
資料3「亀戸事件 隠された権力犯罪」加藤文三(大月書店)より-------
第2章 亀戸事件の真相
4 殺害されたのはいつか
・・・
聴 取 書
府下亀戸町3378番地
福島由太郎方
立花春吉 22才
1、私ハ9月3日亀戸警察署ニ4時頃保護ヲ願出デ同署ニ6日午前5時頃迄居リマシタ。而シテ自分ハ奥2階ノ広キ間ニ居リマシタ。其2階ハ井戸ノ隣ニアリマシタ。自分ノ居タ部屋ニハイリタル時ハ20人位居リマシタ。ソシテ其20人ハ皆朝鮮人計リデシタ。入ツタ時ニハ自分ノ住所氏名年令職業等ノ取調ガアリ署長ヨリ「オトナシク」スレバ飽迄モ保護スルト云ハレマシタ。
2、食物ハ玄米ノ握リ飯1ツ、1日2食デアリマシタ。皆ガ腹ガ減ルダローガ鮮人ガ米ノ倉庫ニ爆弾ヲ投入シタカラ米ガナイ為メ少シシカ当ラヌト立番ノ巡査ガ云ヒマシタ。
3、私ガ入リタル3日ノ晩ハ別ニナニゴトモモナク寝入リマシタ。然ル処4日朝カラ鮮人ガ多数入レラレ116名位ニナリマシタ。夫レデ狭マクテ足ヲ伸スコトスラ出来マセンデシタ。
4、4日ノ朝6時頃便所ニ行キタル処便所ニ行ク道ノ入口ノ処ニ兵士ガ立番シ其処ニ7、8人ノ死骸ヤ半殺シノ鮮人ニ筵ヲ被セテアリマシタ。而シテ其横手ノ演武場ニハ縛セラレタル鮮人ガ血ダラケニナリテ300人位居リマシタ。而シテ演武場ノ外側ニハ支那人ガ一列ニナリ軒下ニ50~60人位座ツテ居リマシタ。
5、4日ノ晩暗クナツテカラ銃ノ音ガポンポン夜明迄キコヘマシタ。其ノ銃声ハ自分ノ居タ2階ノ下ノ方ニ聞ヘマシタ。即兵隊ガ立番シテ居テ7、8名ノ死骸ノアツタアタリデアリマス。其夜ハ只銃声計リデ人ガ騒グ音ナゾハ少シモ致シマセン。又1人丈泣キ叫ブ声ヲキキマシタガ其ニ9他ニハ泣声叫ビ声等ハ致シマセン。
右ノ泣キ叫ブ声ハ鮮人ノ声デ夜明方デシタ。ソシテ其鮮人ハ自分ガ悪ルイコトヲセヌノニ殺サレルノハ国ニ妻子ヲ置イテ来タ罪ダロウカ貯金ハドウナツタロウト云フ様ナコトヲ云フテ泣キ叫ビマシタ。
7、其立番ノ巡査ハ又昨夜日本人7、8名鮮人共16名殺サレタ、夫レハ鮮人計リ殺スノデハナイ、日本人モ悪イコトヲスレバ殺サレルノダ、君等モ悪イコトヲスレバ殺サレルカラ従順ニセヨト云ヒマシタ。
8、此時巡査ガ3人デ立話ヲシテ居ルノヲ何心ナクキイテ居タ処南葛労働組合川合ト云フ言葉丈ケ漏レキコヘマシタ。自分ガ川合トハ知合デアツタタメ特ニキコヘマシタノデ自分ハ恐ロシクナリマシタ。
9、5日ノ昼頃自分等ノ居ル部屋ガ狭キ故自分等及階下ノ温順ナ鮮人ヲ連レテ安全ナ場所ヘ行クト云ヒ騎兵ニ守ラレ附近ノ自動車工場ヘ行キマシタガ、危険ダト云フノデ更ニ署ニ帰リマシタ。
10、夫レカラ暫ク便所ヘ行キマスト、便所ニ行ク道ニ日本人ラシキ35,6才ノ男ガ2人裸デ手ヲ縛リ立タセテアリマシタ。其男ハ創ガアリ半死半生ノ状態デアリマシタ。
11、其日ノ晩方3人ノ立番巡査ガ窓カラ覗イテ殺サレル処ヲ見テ1人ノ年寄ノ巡査ハ剣デ刺ス手附ヲシテ「アノ刺ス音ハズブート云フテ何ト云フ音ダロウ」トイヒ音ノ発音ノ「マネ」ヲシテ居マシタ。
12、其晩モ多数殺サレタ様子デス。夫レハ巡査ノ話ヤ便所ヘ行クコトヲ止メラレタコトヤ四隣ノ気配デ知レマシタ。
自分ノ考デハ4日ノ晩迄ハ銃デ射殺シ5日ヨリハ剣デ刺殺シタモノト思ハレマス。
13、右ノ次第デ3日ノ晩ヨリ5日ノ夜明迄ハ静カデ騒グ様ナコトハアリマセン。夫レハ巡査ノ注意モアリ御互ニ注意シ合ヒ静カニシマシタ。
14、右ノ状況デアリマシタカラ隣室デ騒グ様ナコトガアレバ直チニ分ル筈デシタガ極メテ静カデ騒ギマセンデシタ。
労働歌ヲ歌フ声ハ絶体(ママ)ニ聞キマセン。
15、6日ノ朝5時頃習志野ヘ500人位一緒ニ兵隊ニ送ラレテ行キマシタ。ソシテ習志野ニ26日迄居リ其后青山鮮人収容所ニ廻サレ29日自分ノ家ニ帰リマシタ。
16、右ノ通リ相違アリマセン。
大正12年10月16日午后7時
東京市芝区新桜田町19番地 松谷法律事務所ニ於テ
立 花 春 吉 事
金 虎 岩
資料4「亀戸事件 隠された権力犯罪」加藤文三(大月書店)より-------
聴 取 書
府下大島町3丁目240番地
正 岡 高 一 30才
1、自分ハ平沢計七君トハ近所デ親シク交際シテ居リマシタ。9月1日昼頃地震ガアリ、1時頃平沢君ハ自分宅ノ前ヲ出先ヨリ帰ル途中通リ掛リニ声ヲ掛ケテ行キマシタ。此時自分ノ家ハ地震デ倒潰シテ居タノヲ平沢君ハ一旦家ヘ帰リ私方ニ来リ3時頃迄自分ノ家ノ金品取出方ヲ手伝ツテ呉レマシタ。夫レカラ自分ノ義妹ガ浅草蔵前ノ煙草専売局ニ出テオルノデ、夫レヲ尋ネルタメ、荷物取出ヲ中止シ自分ハ出掛ケマシタ。其後妹ヲ尋ネタリ色々シテ、翌日2日ノ午前8時頃迄平沢君ニ逢ヒマセンデシタ。
2、2日午前8時頃ニ自分ハ平沢君宅ヲ訪ネマシテ更ニ同氏同道錦糸町ヨリ両国ニ出テ浅草橋ヲ渡リ妹ヲ尋ネ浅草公園カラ12階裏ニ出テ上野ヘ廻リ方々妹ヲ尋ネタガ分ラズ上野公園西郷銅像前デ首藤敏雄君ニ逢ヒ妹ノコトナド聞合セタルモ分ラズ依テ元来タ道ヲ歩キ家ニ帰ツタノハ夕方デシタ。
3、ソシテ平沢君方デ夕食ヲ喰ヒ同氏方ニ当分厄介ニナルコトニナリマシタ。
4、ソシテ其晩ハ平沢君ハ家族ト共ニ私モ加ハリ平沢君宅前ノ城東電車ノ道デ畳布団ナド持出シテソコデ夜(野)宿シマシタ。ソコニハ隣家ノ浅野氏其他近所ノ人モ皆一緒ニ野宿シマシタ。ソー云フ訳デ平沢君ガ2日ニ演説ヲシタト云フコト等ハ絶対ニアリマセン。此等ノコトハ近所ノ人等モ十分承知シテ居リマス。
5、3日ハ朝カラ私方ノ倒潰家屋ノ荷物ノ取出シ等ヲ手伝ヒ夕方迄世話ヲシテ呉レマシタ。此事ハ八島京一君(ヤ)近所ノ人モ知ツテ居リマス。八島君ハ3日ノ午后4時頃ヨリ避難シテ平沢君宅ニ来タ人デス。
6、夕食后平沢君ハ夜警ニ出テ9時半頃(多分)帰リマシタ。ソシテ暫ク休ンデ居ル所ヘ正服巡査ガ来テ平沢君ヲ連レテ行キマシタ。其時ハ平沢君モ警察官モ極メテ平穏デ平沢君モ温順ニ警察官ニ附イテ行キマシタ。
7、コウ云フ次第デ自分ハ大抵平沢君ト共ニ居リマシタカラ只自分ガ妹ヲ捜ス為メ独リデ出テ行ツタ時丈ケ平沢君ノ行動ヲ知リマセンガ1日ノ午后3時頃カラ翌2日ノ午前8時頃迄ハ平沢ノ妻君ヤ浅野君等近所ノ人等ノ話ヲキケバ、自宅ニ居ツタソウデスカラ、演説ヲシタリ、騒廻ツタリシタコトハナイト思ヒマス。殊ニ南飾(ママ)労働組合トハ平沢君ハ意見ガ合ハズ、平常往復等ハシテ居リマセンカラ其組合本部ヘ行テ演説ヲシタコトハアル筈ハナイト思ヒマス。
8、平沢君ハ極メテ要領ノ好イ人デスカラ警察署デ騒グ様ナコトハ絶対ニナイト思ヒマス。殊ニ労働歌ヤ革命歌ナドヲ唱フ人デハアリマセン。
右ノ通リ相違アリマセン。
大正12年10月16日午后9時
東京市芝区新桜田町19番地
松谷法律事務所ニ於テ
正岡 高一
聴取任 弁護士 松谷与二郎
立会人 〃 山崎今朝弥
資料5 「評伝 平澤計七 亀戸事件で犠牲となった労働演劇・生協・労金の先駆者 」藤田富士男・大和田茂著(恒文社)より----------------
第10章 追悼
文化人の憤怒
菊池寛は「平澤君の名が、刺殺者の筆頭にあるので、可なり駭いた。大杉氏の時よりも、その人を知っている丈に、私はショックを受けた。あんなに落ち着いている思慮あるひとが、ああした天災のとき、乱暴を働いたとは何うしても思われない。もっとも、人は不当に拘引すれば誰だって多少の抵抗はするだろう。それを理由にして殺すとすれば、あの場合誰だって殺し得る」(「文芸当座手帳」)
と怒りを隠さない。
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