真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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石原完爾 「東亜連盟」建設綱領と「宣言」及び「運動要領」

2017年02月07日 | 国際・政治

 石原完爾は、関東軍参謀として満州国建国を主導しましたが、その後、参謀本部に入ってからは日中戦争不拡大を主張するようになり、戦後A級戦犯として処刑された強硬派の東條英機と対立します。そのためか、彼の思想や行動を肯定的に捉え、名将として評価する人たちもいるようです。でも、軍人としての石原完爾の評価は、私には分かりませんが、国家の指導者としては、独善的であまりに問題の多い人物ではないかと私は思います。

 満州事変当時、「満州領有」を計画・実行するため関東軍を動かした石原完爾は、その後日中戦争不拡大を主張し、民族協和を唱え、「東亜連盟」建設を呼びかけるようになります。でも、一貫して自らの考えに基づいて、日中の将来を独善的に語っているように思います。

 彼は、「東亜連盟建設綱領」で「満州事変の進歩的意義は、東亜大同の理想を、民族協和の理念をもって、現実に闡明したことである」と書いてますが、自ら主導した関東軍の軍事行動の過ちを認め、謝罪することなく、いつのまにか「満州領有」の方針を変更して「民族協和」を唱え「東亜連盟」建設呼びかけるのは、いかがなものかと思うのです。あまりに手前勝手な話ではないでしょうか。

 柳溝湖事件を画策・実行し、満州事変に発展させたことをはじめとする「満州領有」のための関東軍の様々な軍事行動、およびそれを追認するかたちで進められた日本政府の諸政策が、中国民衆の反日感情を高めたということに対するきちんとした自己批判や謝罪がなされないで、「民族協和」や「東亜連盟」の話に進むことが、日本人である私にさえ理解できません。独善的で強引な姿勢は相変わらずではないかと思います。

 彼が「満州領有」ではなく、「満州国の独立」をもとめ、「東亜連盟」を発展させるという主張に変えるというのであれば、そうした自己批判や謝罪をベースに、軍事力によって確立された関係を根本的に改めることが不可欠なはずです。
 そして、欧米列強の帝国主義に対する、東亜の「王道主義」というものが何であるかを、具体的に示し実践しなければ、日本軍によって、欧米帝国主義による圧迫以上に苦しめられた中国の人たちと連帯し、欧米帝国主義に対することなどできるものではないと思うのです。謀略による柳溝湖事件をきっかけとした関東軍の連続的な軍事行動が「欧米覇道主義ノ圧迫」と、どこがどう違うのかと、疑問に思います。

 さらに言えば、「宣言」に「人類歴史ノ、最大関節タル、世界最終戦争ハ、数十年後ニ近迫シ来レリ、昭和維新トハ、東亜諸民族ノ、全能力ヲ総合運用シテ、コノ決勝戦ニ、必勝ヲ期スルコトニ外ナラス」とありますが、「世界最終戦争」を前提にするような独善的な「東亜連盟」の構想で、連帯して欧米帝国主義に対することなどできるものではないと思います。

 下記は、石原完爾選集6 東亜連盟運動」玉井礼一郎編(たまいらぼ)から抜粋しました。
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                     東亜連盟建設綱領
第一章 東亜連盟の必然性
 満州事変の進歩的意義は、東亜大同の理想を、民族協和の理念をもって、現実に闡明したことである。これ東洋復興の唱えられること久しいものあったに拘らず、或いは亜細亜人の亜細亜といい、或いは大亜細亜主義というその内容が必ずしも判然たらず、むしろある場合は民国一部識者をして日本の野心の代名詞ならずやと警戒すらせしめた従来の日支提携論を、その根底に於て一新するものといわねばならぬ。事実、当時の関東軍は外に東亜を西欧帝国主義より解放することを大目標とし、この実力の下に、内に満州国内に於ては民族抗争より民族協和への飛躍、中華民国に対しては対民国侵略主義より東亜連盟主義への転換ある方針を決定したのであるが、この識見は東亜連盟思想発展の上に永く記憶せられるべきことである。
 東洋近世史は過去一世紀に於て亜細亜が如何に巧妙に西欧帝国主義によって残害せられたるかを教える。この意味に於て明治33年、日本の条約改正成功の意義は極めて大である。これによって亜細亜はその半植民地状態脱却の第一歩を踏むことができたのである。孫文はその大亜細亜主義なる講演に於て、「日本の不平等条約の撤廃の日こそ、亜細亜全民族復興の日であり、この不平等条約廃棄によって、全亜細亜の国家及び民族は独立に対して大なる希望を抱いて来た」と述べている。
 しかし、東亜復興史上に表現される日本の歩みは必ずしも単純たる能わなかった。清国は阿片戦争、太平天国の乱、仏清戦争、日清戦争、義和団事件等、相続く事件に全く衰亡し、武漢革命によって、新しき歴史が創られるに至ったのであるが、これに対して吾人は、西欧帝国主義が先ず印度を征服し、次いで清国を侵し、更に日本に迫りつつあった時、必死の努力をもって幕末より明治への偉大なる転換をなし得た業績を追想するものである。英、米、仏、露の勢力の中心に圧迫されながらよく自力をもって国内の紛乱を処理したことは、等しく不平等条約を課されつつも、内争にまで西欧帝国主義の力を利用せる清朝末期、および成立当初の民国がその後全く欧米の力によって左右されざるを得なかった事情と対比して、如何ばかり幸であったか判らぬ。しかし小国日本がその烈しき努力によって一躍近代化し、膨張的本能によって大陸と交渉を持つに至るや、清国は少なからぬ圧迫感を感ぜざるを得なくなった。殊に日本が強国露国に一勝したことは、一面列強の支那分割の大勢を牽制し、爾来、列国の対支進出は領土保全、機会均等、門戸開放の原則をもって代表される経済的競争に変化するに至ったのであるが、他面に於ては日本の地位はこの戦争によって急速に高められ、その資本主義経済の発展と相俟ち、大陸に対し積極的侵攻の態勢をとるに至ったのである。日本の対露戦勝は、最近数百年間に於ける亜細亜民族の欧州人に対する最初の勝利であった。このことが被圧迫民族にあたえた影響の測るべからざるものであったことは、その後、埃及(エジプト)、ペルシャ、トルコ、アフガニスタン、アラビア、印度等が相次いで独立運動を起こすに至ったことより見ても明らかである。亜細亜諸民族がかかる希望を抱いた反面、日本が一方に於て西欧帝国主義的発展の形相をも具えて来たことに対する彼等の失望大なりしこともまた想像出来るのである。しかし、東洋をおおう西洋の圧力は強大であって、殊に支那は列強の差別的特権の下にある。日本は先ず自らの実力を充実する必要があった。殊に日露戦争以後、列強の対日感情は次第に悪化の傾向にある時、日本は東洋防衛のためといいながら、西欧帝国主義の特権に均霑(キンテン)し、自己の脚下を強化せねばならなかったのである。かの二十一ヶ条約問題は、実に日本自ら極東に於ける地位を確保するために、欧州大戦の混乱に乗じて試みた努力というべきであろう。民国の対外憎悪の焦点が日本に結ばれるに至ったことは、弱小日本の急速なる発展が多く民国を土台とせることに対する失望、怨恨によるのであろうが、民国人としても当時の歴史を虚心に研究し、日本が必死となって西欧帝国主義の圧力に抗した事実およびこのためにはあくまで大陸に進出せざるを得なかった事情を理解すべきである。
 かかる成長過程の当然の結果として、日本は知らず識らず二つの思想を持つこととなった。一は西欧模倣の帝国主義思想であり、他は王道文化の思想である。近年に於ける対支政策の不統一は意識せざるこの二重性格に原因を求むべきであると考える。これを現実歴史の上に見るも、民国の対日感情はウイルソンの民族自決の宣言、蘇連革命影響によってますます悪化の一路を辿った。欧州戦後、欧米の力に余裕を生ずるとともに、国際会議のあらゆる機会に於て、日本は民国代表の抗議の的となり、恰も列強に裁判される被告の如き観を呈したのは吾人の今に記憶するところである。同時に、日本に於ても民国に対して確たる国策を有せざるのみか、民国の抗議に対する態度頗る徹底を欠き、屢次の大陸出兵も一貫せる国策によるものとは言い難い。かくて両国の関係は全く軌道を逸脱し、遂に満州事変となったのである。

 満州事変の特異性は、前述の如くその指導原理の明徴なるにある。西欧帝国主義と一戦を辞せざる日本の国防的地位に対する合理的信念の下に、東亜大同の史的必然を確信し、この確信によって、従来の対支観察を根本的に転換するものである。いわゆる「東亜連盟論」が現実的色彩をを帯びるに至ったのはこの時以後である。東亜連盟の基礎観念は次章に於て論ずるのであるが、満州事変によって生まれたる最も貴重なるものは、西欧模倣の帝国主義より王道主義へ転進の指導精神に外ならぬ。故に満州建国後に於て、日本はこの原理に基づき一意満州国の理想的建設に邁進し、満州国の日華提携の橋梁たるべき意義を明白にし、現実をもって中華民国の諒解を求むるとともに、他面、中華民国に対してはその速やかなる国内統一を援助し、一日も早く完全独立国たる実質を有せしめ もって東亜連盟結成の責任を分担せしむべきであった。しかし遺憾ながら満州国建国の意義識者に徹底せず、ために民国に対する日本の伝統的認識は依然残存し、民国に対する政策また、しかく明瞭たる能わなかった。これと同時に民国に於ても東亜解放について正常なる認識をなさず、例によって欧米依存の愚策を踏襲し、かえって抗日を強化し、日本に於ける強硬論を刺激したのである。かかる情勢の下に支那事変は勃発したのである。
 
 今次事変当初、日本政府は不拡大主義を堅持した。それは本年七月、事変二周年記念講演に於て、近衛前首相が自ら表明せる如く、日満支の一体的連関を認識し、いわば東亜の内乱とも言うべき日支衝突は、あらゆる見地より極力これを避けんとしたがために外ならぬ。しかしながらその後、日華の全面的抗争となり、それに伴って大いに暴支膺懲が叫ばれたのであるが、東亜再建の世界史的意義の闡明につれて、国論は漸次適正建設的となり、政府の説くところもまた、長期建設、東亜新秩序建設と変化し、今や日本の優越的希望のなかに事変処理の条件を求むることなく、日満支提携を可能ならしむべき基礎の成立を真剣に考慮しつつあるものと云えよう。即ち、日本は、差当って東亜の一体化に主たる貢献をなすべき自己の使命を自覚し、自ら現在の抗争的地位を克服し、もって今日以後に於ける東亜の新しき進歩を招来せんと意識し来ったのである。この意味に於て西洋模倣の帝国主義をを残存せしめつつも、日本は今や着々と王道主義に目覚めつつあるものと言える。今こそ日本は民国四億の民心を獲得し得るか否かの分岐点に在る。民国に於ける過去政治家の、偽装的非良心的親日主義に幻惑されることなく、民国の新しき青年を心より納得せしめ得る国策をもって、この時局を収拾しなければならぬ。このためには、もはや新しき民国青年より完全に接触を拒絶されて居る、従来の我が対民国指導者陣営の一掃を断行すべきである。日清戦争以来、日本国民の脳裡に浸潤せる強者対弱者の指導者意識に基づくいわゆる大陸経営論は、今こそ正に歴史的終焉を告げるべき時期である。
 かくて先に道義的見地に基づいて主張されたる東亜連盟主義は、今や血肉同胞の尊い犠牲の下に、日華提携の現実的基礎として主唱されるに至ったのである。
 東亜新秩序の建設は、近衛内閣が聖断を仰いで確定したところの、支那事変処理の原則である。今や西欧帝国主義が堅く維持せる旧支配秩序は潮のひくが如く漸やく崩壊の過程にあり、これに対する東亜の大同は世界史発展の自然に雁行する必然の現象と言わざるを得ない。要はこれを王道の大義に則って建設するにある。欧州は列強対立して平和なき姿であり、亜米利加大陸はモンロー主義の名の下に、強者横暴の支配である。近世文明におくれて起てる弱き東亜が、他の大陸を超えて繁栄するためには王道によって心から結合する以外に途はないのである。日華の責任は重大と言わねばならぬ。
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      宣   言

人類歴史ノ、最大関節タル、世界最終戦争ハ、数十年後ニ近迫シ来レリ、
昭和維新トハ、東亜諸民族ノ、全能力ヲ総合運用シテ、コノ決勝戦ニ、
必勝ヲ期スルコトニ外ナラス
 即チ 昭和維新ノ方針次ノ如シ
一、欧米覇道主義ノ圧迫ヲ、排除シ得ル範囲内ニ於ケル諸国家ヲ以テ、
  東亜連盟ヲ結成ス
二、連盟内ニ於ケル、積極且ツ革新的建設ニヨリ、実力ヲ飛躍的ニ増進シ
  以テ決勝戦ニ於ケル必勝ノ態勢ヲ整フ
三、右建設途上ニ於テ、王道ニ基キ、新時代ノ指導原理ヲ確立ス
 
 皇紀二千六百年二月十一日               東亜連盟協会

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                   東亜連盟協会運動要領
  一、協会創立の趣旨
 昭和維新の必然性が信ぜられて既に数年を経過し、幾多の革新案が発表せられた。しかし、多くは観念的なる革新のための革新の範囲を脱せず、現実的迫力を欠く憾みを禁じ得ない。これは国難の圧迫が切実に国民大衆に感ぜられず、維新の目標が明確を欠くためである。
 東亜連盟協会宣言に示す吾人の世界観は甚だ素朴であるけれども明確に昭和維新の目標を捉え、簡明直截に革新の方向を示すものと信ずる。多数の革新運動が展開せられつつある今日、敢えて同志を糾合して協会を創立せるはこの確信に基づくのである。
 特に「東亜連盟協会」と称するゆえんは、昭和維新の核心問題は東亜の大同すなわち東亜連盟の結成にあるがためである。

  二、協会の運動方針
 東亜連盟協会は政治団体ではない。
 吾人の信ずる所によれば、特に革新の時代に於て政治運動をなさんとするものは、自ら責任を持って政治の大任に当り得る自信が必要である。すなわち昭和維新に対する確固たる方針と具体案を有し、かつその実行に当たり得る同志の結成なくして猥りに政治運動をなすは、皇国民の正しき態度と認め難い。殊に挙国一体の新体制を創造すべく全国民が熱望しある今日、徒らに党を樹つるは慎むべきである。
 協会は宣言の示すところに依り東亜連盟の結成を核心問題とする昭和維新の指導原理を研究立案し、これが普及宣伝を目的とする文化団体である。
 吾人は、吾人の主張が国民の理解に依り全面的に国策として採用せらるることを念願し、この目的を達成せば協会は当然これを解消する。
 協会の目的とする昭和維新指導原理の確立は事極めて重大であり、世間普通の文化団体の如き単なる言論文書活動のみに依りてその目的を達成することは出来ない。協会の信念を、許さるる範囲において熱心に実践する会員の同志的結合を必要とする。これがため協会は常に運動の規範を明確にし、的確合理的なる行動をなすべく、細心の注意を払わねばならぬ。
 協会は自ら進んで政治運動に入ることは堅く欲せざるところであるが、国家の最重要事項と信ずることにつき真剣なる研究実践を行なって国民に訴うる以上、協会所期の指導原理確立し、かつ同志の結成拡大し、しかも我等の待望する新体制運動が万一所望の成果をを挙げ得ざる如き事態に立ち至ったならば、国家に対する義務として已(ヤ)むなく、政治の分野に向かって活動を余儀なくせらるること絶無ならざるべきことを心竊(ヒソカ)に覚悟せねばならぬ。

  三、指導原理の立案
イ、「昭和維新論」は指導原理の「方針」草案である。
不断の努力に依って改訂を重ね、大体協会の「方針書」たり得るに至らば、これを「昭和維新指導綱領」と改称する。
ロ、「昭和維新論」に基づき各要綱を起案する。
 「東亜連盟建設要綱」は外政の要綱たる地位を占むるものである。東亜連盟の結成を昭和維新の核 心問題と主張する協会に於てはこの書の価値を極めて重大視する。
 内政の各革新目標につき、なるべく速かにその要綱を起案せねばならない。
ハ、各「要綱」は更に発展して「各論」を生むのであるが、実際に於ては逆に「各論」の具体問題が起案せられ、文化運動としての同志の研究実践に依り検討進展し、これらを総合する努力に依り「各論」「要綱」「綱領」決定の基礎を得るであろう。すなわち直観的なる根本方針の決定に依り具体案制定に方向を与え、その具体案の実践的展開に依り大綱は更に検討確定されるのである。

  四、協会の組織
 東亜連盟協会は現在東京に本部、要地に地方事務所を置き、各地に支部を置く。支部には分会及び班を設く。
イ、本部の任務
 1、指導原理の立案に依り会運動の方向を統制す
 2、満州国および中華民国その他東亜各地における姉妹団体と密接なる連絡協同
 3、中堅会員の訓練
ロ、地方事務所の任務
 1、管内支部の結成
 2、優良会員の訓練
ハ、支部の任務
 指導原理に基づき同志の発見、獲得、訓練に当る。
 協会会員たるものは単なる知識欲に依る参加者であることは許されない。新時代の重要性を体得し、 その普及および宣伝に当るとともに新しい社会生活への協同的実践の熱意に燃えるものでなけれ  ばならぬ。この原則に立つ限り既成陣営の人士の参加を拒否することはない。しかし旧時代の慣習 に依り自己または郷党の利益を中心として動くものは吾人の同志たる資格はない。すなわち主義如 何が問題で、人を排撃するものであってはならぬ。
ニ、中央支部ともにその統制は会員の合議制に依る。合議制と称するも徒らに自己の主張を固持し、 または策謀に依りて多数を獲得せんとする旧時代の方式は絶対にこれを排撃する。
  更に吾人の銘記すべきは、革新の時代に於ては特に多数凡者の意見よりも達識ある天才的人物の  意見を尊重すべきことである。同志は滅私奉公の心境を以って有能なる同志の発見に努力し、有  能者に対してはその年齢、学歴等に捉わるることなくその分に応ずる指導的役割を演ぜしむべき  である。
かくて同志一同の念力は必ず優れた指導者を発見し得ると確信するも、不幸卓抜なる指導者現出せざる場合においても、右の如き同志の心境はよく協同の実を挙げ、正しき方向を堅持して前進
し得る事を信ずるものである。
  決議権は参与会員にある。しかしなるべく広範囲の事項にわたり一般会員に意見を開陳する機会  を与うる如く努むべきである。

  五、会員の訓練
イ、支部以下の訓練
 1、指導原理の徹底
漫然と時代の重要性を考えるのでなく明確に昭和維新の本質を把握せしめるために、会員に「宣言」「昭和維新論」および「東亜連盟建設要綱」「国民組織要綱」「農村改新要綱」等を正確確実に理解体得せしめねばならぬ。これがため簡易なる方法を以って連続その講習会を開催して、その訓練の結果に応じ、更に中央の訓練に参加せしめる。
 2、外地に於ける支部はもちろん、内地における支部もその境遇に応じ、民族協和の実践運動を組   織化し、東亜連盟結成の基礎工作に努力する。
内政の革新目標につきては、可能の範囲内において同志会の方針に基づき会員一致団結の下に実践体験する。指導原理の総合的立案は中央の任務であるけれども、各支部の訓練により生ずる意見は、中央の立案のために最も重要なる資料たるべきものである。
 統制主義時代は協同生活の最も能率的な運営が要求される時代である。東亜連盟、民族協和の主張者たる会員は、協同生活の基礎たるべき協和道義の熱心なる実践者たる責務をもつ。会員は主義の前に己を虚しゅうして同行讃美の精神に生き、先ず以って同志会内部において見事なる共同動作の成果を挙げるとともに、他の同志団体に対してもまた常に敬愛の念をもち、速やかに無理なく結集し得るよう努力しなければならぬ。更に会員が社会人として立つ場合、あるいは隣組において、あるいは職域において、東亜連盟運動者として率先一般より信頼せられる活模範となり、新しき時代の協同生活の道義確立のため挺身すべきである。
ロ、中央の訓練
 1、地方事務所は支部訓練を活用して優良会員の訓練を行う。
 2、本部は中堅会員を集合し、総合的高度の講習会を行う。

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