マーク・トウェインの下記の指摘は、100年以上も前のものですが、現在も変わらない、興味深い指摘だと思います。
”暗やみに座る人は、ほぼ間違いなくこう言うであろう。「ここには何か奇妙なことがある──奇妙で説明できないものが。二つのアメリカがあるに違いない。一つは囚われ人を自由にするアメリカ、もう一つはかつて囚われ人だった者から、彼が新たに得た自由を奪い、何の根拠もなく彼にけんかを売り、そして彼の土地を奪うために彼を殺すアメリカだ” (「暗やみに座る人」は、アジアやアフリカの文明化されていない人のこと)
マーク・トウェインのこの指摘は、前回取り上げたフィリピン独立運動の指導者エミリオ・アギナルドの、”私は怪物の腹に中に住んだことがあり、その怪物がどのようなものかを知っている”という指摘と重なります。
フィリピンをスペインの帝国主義支配から解放し、「自由の領域」を拡大するという旗印を掲げて戦った米西戦争の結果は、アギナルドにとっては、フィリピンが新たにアメリカの植民地になるということであったからです。
ウクライナの政権転覆によって、ヤヌコビッチ社会主義政権の権力から、ウクライナの人たちを解放し自由にするという、アメリカのオレンジ革命支援は、実は、ヨーロッパ諸国に対するロシアの影響力拡大を排除するための、アメリカの戦争の準備であったといえる、と私は思います。
そして現在、台湾を中国の圧力から解放し、自由な独立国として発展できるようにするという期待を抱かせて、アメリカの台湾支援が続いているようですが、それは実は、アメリカの覇権と利益を維持するための対中戦争の準備である可能性が高いということを私は見逃すことができません。
ウウライナも台湾も、アメリカの道具に過ぎないことを、アギナルドやマーク・トウェインの指摘は示唆していると思います。
現在、日本のメディアは、しきりにロシアや中国の政権の圧政問題や社会状況の問題を取り上げています。確かにロシアや中国の政権にも、いろいろな問題があるだろうとは思います。また、西側諸国に比して、意見の表明や政権批判が難しい側面はあると思います。でもそこには、アメリカをはじめとする西側諸国の政権転覆工作を阻止しようとする意図があることも見逃してはならないと思います。
先だって、中国でゼロコロナ抗議デモがありました。その際、いつの間にか、そのデモが習体制を顚覆しようとするデモに発展していきそうになりました。私は、西側諸国の工作によるものではないかと疑いました。そうしたら、案の定、米国家安全保障会議のカービー戦略広報担当調整官が、その中国のゼロコロナ政策抗議デモに関し、”米国は、平和的抗議の権利を支持する”と述べました。政府高官が、他国のデモを支持するとか、支持しないとかという考えを表明すること自体が、アメリカの体質をよくあらわしているように思いました。
だから、やはりアメリカは、中国の影響力拡大を阻止しするために、中国を孤立化させ、弱体化させなければ、自らの覇権や利益が維持できないところに追い込まれているのだと思います。
先日も、朝日新聞に、”ウイグル族スマホ 中国警察が監視、人権団体「コーラン保存で尋問の可能性」”などと題した記事がありました。その取り上げ方が、朝日新聞も完全にアメリカの影響下に入ってしまったことを示しているように感じました。
私は、そうした記事の背後に、ウイグル族と漢族の民族的な対立を利用し、習近平体制を揺さぶろうとするアメリカの意図を感じるのです。
下記は、「アメリカ外交とは何か」西崎文子(岩波新書)から抜萃しました。
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第2章 西半球の警察官
2 「帝国主義」をめぐる攻防
マーク・トウェインの戦い
1901年2月、マッキンレー大統領の2度目の就任式直前に、『ハックルベリー・フィンの冒険』や『トム・ソーヤの冒険』で知られる人気作家マーク・トウェインは『暗やみに座る人』と題された一つのエッセイを発表した。「暗やみに座る人」とは、アジア、アフリカの「文明化」されていない人々をトウェインが「慣用」にのっとって表現したものである。西欧列強の帝国主義や、アメリカのフィリピン支配を痛烈に批判したこの文章によって、トウェインは最も影響力のある反帝国主義者として名乗りをあげることになる。彼は同じ年、「アメリカ反帝国主義者同盟」の副会長に就任し、1910年に死去するまで、アメリカの帝国主義政策を批判し続けた。
トウェインがエッセイの中で、まっ先に糾弾したのは宣教師たちであった。清朝末期の中国に渡ったアメリカの宣教師たちが、一方ではキリスト教の慈愛や恩寵を説きながら、他方では1900年の義和団の乱に際し、実際に受けた被害の13倍もの賠償額を吹きかけながら平然としている矛盾を彼は皮肉をこめて描き出す。しかも、宣教師たちが、その金の一部を布教活動にあてると公言して憚らないのは、トウェインにとって、神に対する冒涜以外の何ものでもなかった。それは、「文明の恩寵」をもたらすという理由のもとに「暗やみに座る人」を支配し、土地を奪うことと同様に偽善に満ちた行動だったのである。
続いてトウェインは、アメリカのフィリピンでの行動は、ヨーロッパ流の帝国主義ゲームに他ならなかったと批判する。というのも、スペイン艦隊を破ったアメリカは、フィリピン人に主権を渡して自ら望む政府を樹立するよう促すことができたにもかかわらず、それを拒否して居座ったからである。
暗やみに座る人は、ほぼ間違いなくこう言うであろう。「ここには何か奇妙なことがある──奇妙で説明できないものが。二つのアメリカがあるに違いない。一つは囚われ人を自由にするアメリカ、もう一つはかつて囚われ人だった者から、彼が新たに得た自由を奪い、何の根拠もなく彼にけんかを売り、そして彼の土地を奪うために彼を殺すアメリカだ」
アメリカがいかに独立を目指すフィリピン人を蹂躙し、裏切ったかを描写した後、トウェインは「暗やみに座る人」にこう語りかける。
確かにわれわれは、……われわれを信頼してくれた弱く、友人のいない人々に背を向けた。われわれは、正義と知性を持ち、秩序ある共和国を踏み消した。……われわれは信頼を寄せてきた友人の土地と自由を奪った。われわれは、自国の無辜で若い青年たちに、恥辱にまみれたマスコット銃を背負わせ、強盗の仕事をやらせた──しかも、あの旗〔星条旗、引用注〕のもとで、強盗たちが従うどころか、恐れを抱いてきた旗の下で、そのような仕事をやらせたのだ。われわれはアメリカの名誉を貶め、世界の前でアメリカの顔を黒く塗りつぶした。
「しかし、この一つ一つすべては最善の結果をもたらすためであった」と、トウェインは今度は皮肉たっぷりに続ける。
キリスト教世界のすべての国家……の元首と、キリスト教世界のすべての議会……の90%は、教会の一員であるのみならず、[「文明の恩寵」信託]の一員なのである。訓練された道徳、高邁な原則と正義が……貯蓄されているこの信託が、間違いや不正、不寛容で汚れたことをするわけはない。……決して不安がることはない。すべては大丈夫だ。
ここで、トウェインが何よりも伝えたかったのは、「文明の恩寵」という言葉が、西欧列強がアフリカやアジアの植民地で繰り広げている戦争や虐殺、略奪行為を隠すための「隠れ蓑」として使われている状況だったと言える。言い換えるならば「暗やみに座る人」は、まず物質的に搾取され、さらに、それを正当化する崇高な理想をむりやり飲み込まされることによって、精神の上でも搾取されていたのであった。
しかもトウェインは、単にレトリックと現実との齟齬を批判するに止まらなかった。彼はさらに踏み込んで、「文明の恩寵」の授与者を自任する西欧列強が、自らを頂点とした階層的、かつ予定調和的な世界にどっぷりつかっており、そのために、レトリックと現実との齟齬を齟齬として意識すらできずにいることも鋭く指摘していた。帝国主義の泥沼は、被支配者のみならず、支配者自身をも呪縛するために、そこから抜け出すのがいかに困難かを彼の文章は余すところなく語っていた。
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