日本はドイツとともに第二次世界大戦で敗北した。しかし、その戦争責任や戦争犯罪に対する姿勢にはかなりの相違がある。ドイツは反ナチ法を定め、ナチ戦犯の永久訴追を決めている。そして、ナチズムに基づく過去の行為に時効はないという。しかしながら、日本には反ナチ法にあたるようなものがない。のみならず、戦後、日本人自身によって戦争責任や戦争犯罪の追及・総括が行われることも、ほとんどなかった。
逆に、米ソ冷戦の影響であろうが、戦争に関わって公職追放された多くの人物が、何年も経ないで追放を解除され復帰した。一例をあげれば、戦時中第一航空戦隊の参謀として真珠湾奇襲攻撃の作戦立案に関わった源太実中佐(当時)は、自衛隊の初代航空総隊司令であり、第3代航空幕僚長である。後に、政治家としても活躍している。
国内で、「大東亜戦争肯定異論」が公然と議論されたこともあった。そして、多くの閣僚が戦争に関わる発言で世を騒がせ、いまだに、靖国神社惨敗問題が近隣諸国と溝を深める原因となっている。
昨年、安倍首相は参院予算委員会で「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と答弁した。また、中国のハルビン駅に、韓国で英雄とされている安重根の碑の設置を進める朴槿恵韓国大統領の発言に関して、菅義偉官房長官は、「我が国は”安重根は犯罪者”と韓国政府に伝えてきている。このような動きは日韓関係のためにはならない」と言い切った。あらためて、戦争責任や戦争犯罪に関わる歴史に、真摯に向き合う必要性を感じさせられた。植民地支配の問題も、きちんととらえ直すべきだと思う。
下記は、第二次日韓協約(乙巳保護条約)の調印に関わった林権助公使の『わが七十年を語る』(1935年刊)と、伊藤の幕僚として調印時に現場にいた、陸軍大佐西四辻公堯の『韓末外交秘話』(1930年孔版)および『大韓季年史』(鄭喬、韓国国史編纂委員会 『韓国史料叢書』第5所収)と『朝鮮独立運動の血史』(朴殷植)に、記録として残る第二次日韓協約(乙巳保護条約)調印強制に関わる記述である。多少の相違はあるが、強制の実態をとらえていることにかわりはない。日本の植民地支配の合法性が問われる生々しい記録である。「日韓協約と韓国併合 朝鮮植民地支配の合法性を問う」海野福寿編(明石書店)からの孫引きである。
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Ⅲ 乙巳保護条約の強制調印と問題点
琴秉洞
2 強制調印の実態
2 保護条約「調印」の実態(史<資>料中の条約調印)
①日本側の公的記述
保護条約調印に関する経緯は、『日本外交文書』第3巻第1冊中の「奉使記事摘要」の第4号「日韓新協約調印始末」に日本側の公的見解として記述されている。
これによると、林公使は11月17日午前11時、日本公使館で各大臣と条約案を協議して「大体に於て異議な」しとなったが、朝鮮側はこれを持って宮中で御前会議をひらく。参政大臣韓主?は結果を高宗に報告。
ところで、「皇帝陛下は再三、円満に妥協を遂げよとの勅令を下されるに拘わらず、参政始め各大臣の意見は終に之を拒否するに決定したり」と、林は伊藤に報告している。
要するに高宗も各大臣も拒否ということである。林公使の報告を聞いた伊藤は、また宮中に行き、皇帝に会いたいという。高宗は宮内相を通じてノドが痛いので会えないという。そして協議案に至ては朕が政府大臣をして商議妥協を遂げしめんとす。卿、冀くは其間に立ち周旋善く妥協の途を講ぜ」よ、と伝言したという。
この日、王宮内での閣僚協議会に、伊藤が出席して「只今、陛下は勅令を各大臣に下し、妥協を遂げよとの御沙汰なるに、各大臣は無責任にも之が妥協を拒」んでいると非難し、「首相たる韓参政は各大臣の意見を徴し、若し不同意を唱ふる大臣あらば、其如何なる理由に基づくかを一応承知したし」といって、韓参政大臣をして各大臣に可否を問わしめる形をとり、「多数決」だから可決しろと迫り、「閣下は本案を拒否し、終に日本と絶交せんとの意志を表示せらるるや、予は我が天皇陛下の使命を奉じて此任に膺る、諸君に愚弄せられて黙するものにあらず」と凄むのである。
この時韓主・は「日本と絶交せんなどとは思いも寄らず」といい「この妥協に至っては思慮百端、如何せん終に吾意を翻へす能わず、所謂、匹夫の志奪ふべからざる」などといいながら泣く。「因て、欷歔涕泣するに至れり」と記録されているのである。
②『朝鮮最近史』(戸叶薫雄・楢崎観一、1912年刊)略
③『わが七十年を語る』(林権助、1935年刊)
この条約の日本側「全権」であった林権助は、この本(回想記)の中で、かなり忠実に、また、時には虚実を織りまぜてこの時のことを述べている。
林は調印問題と軍事的配置とに関連しては、朝鮮の大臣らが途中で逃げないように「用慎のために憲兵か何かを予め手配しておいて、途中逃げ出さぬように監視してもらいたい。勿論、名目は護衛という形を取る」といい、また、「いざ条約締結となって閣員のうち、一人や二人は自殺する男が出来はせぬかといふ懸念」があるので、これらの予防を長谷川大将に頼んだ、といっている。
そして交渉「成立」の例の閣僚協議会については、「伊藤さんは予めの打合せがあるので、すぐ王城内の協議会の席へ来られた。そこで、かいつまんで話し合いの顛末を、わたしから報告した。(中略)伊藤さんはこのわたしの言につづいて、段々と急ぎ決定すべき必要を説き出した。その席上は異常な緊張をしめしてゐる。
そのとき一騒動がおっぱじまった。朝鮮側の主席である。総理の韓主?の様子が特に尋常でない。余程激してゐる様子だとみてゐるうちに、突然さっと席を蹴って立ち上がった。そして足取りも凄じく、この広間を国王の御座所の方に向かって出ていった。どうしても此の会議の決定を喰止めようとする気魄が看取せられた。すると大奥の方で女官どもの、けたたましい喚き声とともに騒々しい足音が聞えた。
何事がおっ始まったかと朝鮮側の人はおどおどしてゐる。それは王様の許へ行かうとして去った首相が、よほど興奮してゐたのだらう。まちがへて王妃の厳妃の室に闖入したわけだ。これはしまったと気がついたときにはもう遅い。非常な失態だ。急いで出るには出たものの、もう、王様の御座所へ行く気力もなく、失神したままで吾々のゐる会議室の前まで戻って、うんと卒倒してしまった。その騒ぎの顛末を、わたしの席へ報告してきたので、わたしは、『水でも頭に掛けて冷やして置けば宜い』と言ってやった」
ここで林権助のいう韓主?が誤って厳妃の室に入ったという記述は、他の資料には出て来ないものなので真偽の程はわからない。
④ 『韓末外交秘話』(西四辻公堯 1930年孔版)闖
西四辻公堯(陸軍大佐)は伊藤の幕僚として現場にいた人物である。彼は、林権助よりも素直に「交渉」の場について記録している。
「大観亭ニ吉報ヲ待チアグンデ居タ二人侍ナラヌ伊藤候ト長谷川大将ハ、勘平ト御軽ノ口説ガ余リニヒマドルノニ業ヲ煮ヤシ、小山憲兵隊長以下多数ノ憲兵警官ヲ引具シテ午後11時ト云フニ馬車ヲ飛バシテ王宮ヘドットバカリニ繰込ンダ。而シテ宮内大臣李載克氏ヲ通ジテ拝謁ヲ願フト『朕ハ咽喉ヲ患ヒ謁見スル事ガ出来ヌカラ協約ノ事ハ各大臣ト協商妥弁セヨ』トノ御諚ガ降ッタ。其処デ伊藤候ハツカツカト議場ニ入リコミ、全権委員ノ林公使ヲソッチノケンイシテ鉛筆ヲ舐メナガラ各大臣ノメンタルテストヲ初メタ。
『何時マデ愚図愚図考ヘテ居タッテ埒ノアク話デハナイ、唯今皇帝カラ余ニ各大臣ト商議セヨトノ勅諚ヲ賜ハッタカラ、一人一人ニツキテ反対カ賛成カノ意見ヲ訊クカラ答弁セラレタイ。第1ニ参政大臣ノ意見ハ』……
スルト韓主?参政大臣ハ泣キ相ニナッテ絶対反対ダト云ッタ 『然ウカ』ト伊藤候ハ韓主?ト書イタ上ニ×印ヲツケル。
『御次ハ』
御次ハ朴斉純外務大臣デアル、絶対反対デハナイカラ賛成ノ部ニ入レラレテ○印。其後ガ閔泳綺度支部大臣デ反対ノ×印。爾余ハ種々条件ヤ文句ガアッタガ結局全部賛成デ○印デ、直ニ此旨ハ闕下ニ執奏セラレタ。各大臣中デハ李完用学部大臣ガ最モシッカリシタ理ノ通ッタ意見ヲ吐イテ並居ル大臣中一際男振リヲ上ゲ伊藤候ヲシテ感服セシメタ。其レハ兎ニ角、コウシテ皇帝ノ聖断ヲ暫ク待ッテ居ル間ニ突然韓参政大臣ガ声ヲ揚ゲテ哀号シダシ遂ニ別室ニ連レ出サレタ。此時伊藤候ハ他ヲ顧ミテ『余リ駄々ヲ捏ネル様ダッタラ殺ッテシマヘ』ト大キナ声デ囁イタ。然ルニ愈々御裁可ガ出テ調印ノ段トナッテモ参政大臣ハ依然トシテ姿ヲ見セナイ。ソコデ誰カガ之ヲ訝カルト伊藤候ハ呟ク様ニ『殺ッタダロウ』ト澄シテ居ル。列席ノ閣僚中ニハ日本語ヲ解スル者ガ2,3人居テ之ヲ聞クト忽チ其隣ヘ其隣ト此事ヲ囁キ伝ヘテ調印ハ難ナクバタバタト終ッテシマッタ』
西四辻の保護条約締結の場の記録は、日本側のこの問題についての白眉といえる史(資)料である。
⑤ 『大韓季年史』(鄭喬、韓国国史編纂委員会 『韓国史料叢書』第5所収)
「17日早朝、駐屯五江(漢江、銅雀津、麻浦、西江、楊花津ー原註)の日本兵、みな京城に入る。騎兵七、八百名、砲兵四、五千名、歩兵二、三万名、縦横に四処(方)に馳走す。我国の人民、寸歩も自由たるを得ず。宮城の内外は数匝(めぐり)を以て囲み、大小の官吏、出入りに戦慄す。(中略)
伊藤博文およびその随員、長谷川好道およびその部下、各武官多数、歩兵・騎兵・憲兵と巡査および顧問官・補佐員、連続して風雨の如く馳せて闕中に入り、各門を守り、漱玉軒の咫尺を重々に囲み立ち、銃刀森列、鉄桶の如し。内政府および宮中には日兵また排立して、その恐喝の気勢、以て形言し難し。
博文、該件(条約原案)の否決を聞き、更に会議するを請う。主?以て不可と為す。説往、説来するも終に聴かず。博文、宮内大臣李載克を招きて、陛見を請う。たまたま帝、咽頭を患らい、これを謝却す。博文、天陛の咫尺において奏して謁見を請う。帝、これを拒んで曰く、必ずしも(会)見を要せず。出で去りて政府諸大臣と協議せよ。
博文、退きて諸大臣に語りて曰く、すでに協議の下諭あり、さらに議開をなせ、と。政府の主事を招き、さらに該条を書す。主?開議することを肯んぜず。博文叱して曰く、この如きの参政何れの処に用いん。速やかに退去をなせ、と。主?惶悚して対して曰く、我、参政に非ざるのみ、と。即ち退出して御前に入らんと欲す。日本人塩川一太郎等、数三人、その後ろに随う。
主?、顧みてこれを見、また回身す。日本武官数人は、主?を携え夾室に入る。日本兵および曹長(なほ我国の下士なりー原註)、士官等、左右より把守す」(原文は漢文)
鄭喬のこの記述がいかに重要なものであるかは、日本側の諸史(資)料と比較しても看取できよう。
⑦ 『朝鮮独立運動の血史』(朴殷植)
「伊藤は11月)17日には、日本の憲兵、巡査に命じて、わが各大臣の参内を強制させ、御前会議を開かせた。伊藤は、公使林権助、軍司令官長谷川好道らとともに兵を率いて王宮に入り、森厳な銃砲、刀剣の包囲のいなかで諸大臣と協議したが、参政大臣韓主?が『身を賭して絶対拒否する』と誓うと、伊藤は憲兵に命じ、韓主?を別室に連行、拘置した」
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欧米のように武力で蹂躙して植民地にしたにせよ、日本のように併合を装ったにせよ、すべての国がドイツのようだったら、世界が変わるかもしれませんね。
ただ、日本は外交が下手ですね。賠償は人一倍してるのに、他の国とくらべて上手くいってないですよね。
>すべての国がドイツのようだったら、世界が変わるかもしれませんね。
同感です。
>ただ、日本は外交が下手ですね。賠償は人一倍してるのに、他の国とくらべて上手くいってないですよね。
心に届く謝罪がなく、賠償というものが本当の意味の賠償になっていないのではないでしょうか。
繰り返しますが、ほとんどの国は戦争犯罪を謝罪してないか、またはドイツほどには誠実に謝罪してないんですよ。
多くは心に響く謝罪がなくとも、賠償のみ等で平和条約等を締結するなどし、正常化しています。ドイツの対応はまれな例です(ただし、ドイツの謝罪もナチスの罪にたいするものがメインで、ドイツ人自体の戦争犯罪の謝罪は微妙です。
続く
お手数ですが承認お願いします。m(__)m
ドイツは戦争犯罪には謝罪も賠償もしてません。やったのは「ナチスが行ったホロコースト」に対しての謝罪です。
ポーランド侵攻も市街地への爆撃も植民地支配も、反省表明程度にとどまり、謝罪や賠償はしてないです。
いわゆる日本のA級戦犯などにあたりますがね。
むしろ、植民地支配や侵略に対して謝罪や賠償を(形だけでも)おこなった日本は世界でも特異な例です。
見習ってしまうなら、侵略した中国にも支配した韓国にも、取り合う義理がなくなってしまうような…
ホロコーストと戦犯や植民地支配は違いますしね。
ドイツを見習え議論は隣の芝的にずれてるような
>むしろ、植民地支配や侵略に対して謝罪や賠償を(形だけでも)おこなった日本は世界でも特異な例です。
見習ってしまうなら、侵略した中国にも支配した韓国にも、取り合う義理がなくなってしまうような…
ホロコーストと戦犯や植民地支配は違いますしね。
ドイツを見習え議論は隣の芝的にずれてるような
とのことですが、何か過去の日本を正当化しようという意図を感じます。ドイツとフランスは共通の歴史教科書を作りあげたというのに…。
戦後、謝罪や補償をした世界でも特異な国であるという日本が、海外からの戦争に関わる訴訟を、70近くも抱えている事実をどのようにお考えでしょうか。
そもそもドイツが全部解決した、という認識自体が間違ってるよ?
ドイツは植民地や進駐地におけるドイツ資産の返還で、未だにポーランドやチェコと揉めてる。
ソ連との戦争は「正当防衛」という立場をとってるし、ナチスが行った行為の賠償も国家間に限定していて個人の賠償は認めてない。さらに戦中戦後の敵国・進駐国でのドイツ人に対する虐待・虐殺を強く避難してて、賠償問題にもなっている。
基本的に、「条約と謝罪で問題は解決された。それ以外の部分は国際慣習に基づいてきっちりやります。」というスタンス。つまり、ナチス以外の敗戦国へのなすりつけは一切認めないという点で、日本より強固です。同じスタンスとったら、それはそれで怒るでしょうにw
謝罪しようが賠償しようが、訴訟はでるところから出ます。経済危機のギリシャがドイツを訴えようとしたことからも、訴訟の有無が正否に関わるとは思いません。大切なのは証拠であり、訴えの数ではありません。それに、それほとんど中韓だけじゃん・・・
正しいことを元に日本を更生させるのはいいけど、間違ったことを元にすると結局歪みますよ?
>俺が言いたいのは「他国はこうやってるのになぜできない」という議論、しかも脳内ドイツを出すと説得力がないどころか反論を食らうよ、ということ。
「脳内ドイツ?」、意味がわかりません。かつての敵国フランスと共通の歴史教科書を使うまでにこぎつけ、ともにEUを牽引するドイツを見習う必要はないと?どのような反論を食らうと?
>ドイツは植民地や進駐地におけるドイツ資産の返還で、未だにポーランドやチェコと揉めてる。
ソ連との戦争は「正当防衛」という立場をとってるし、ナチスが行った行為の賠償も国家間に限定していて個人の賠償は認めてない。さらに戦中戦後の敵国・進駐国でのドイツ人に対する虐待・虐殺を強く避難してて、賠償問題にもなっている。
こういう主張を、最近は時々見聞きしますが、日本の過去を正当化するためにこのようなことを主張することは、国内的には支持を得ても、国際的には孤立化をまねくだけではないでしょうか。
日本は戦争責任や戦争犯罪に関して共通認識ができていないと思いませんか。だから、近隣諸国と共通の歴史教科書を使うことができないどころか、首脳会談さえもてない状況なのではありませんか。
>正しいことを元に日本を更生させるのはいいけど、間違ったことを元にすると結局歪みますよ?
あなたも、日本は更正させる必要があるとお考えですか。
脳内ドイツってのは「歴史問題を解決したドイツ」ってことね。ドイツも未だに問題山積みってのは例に上げたとおりです。それとも、敵一国と共通の教科書を作れば満足だと?日本もかつての敵と同盟を組み、かつての侵略地(3国以外)と友好関係を結んで、経済支援と経済牽引をおこなってますよ。
>日本の過去を正当化するためにこのようなことを主張する・・・
え~と、立場逆ですよね?俺が言いたいのは「ドイツを見習えという主張をよく見るが、ドイツを見習うといろいろ矛盾がでるよ」ということです。いつ、「ドイツがこうなんだから日本も謝らなくていい」と言いましたか?
とはいえ、俺は基本国際慣習と法に則って処理すべきだとは思ってますけどね。
>共通の歴史認識
今の段階では無理ですね。というか、それはどこの国との間としてお考えですか?台湾は日本植民地近代化論を堂々と載せてますし、インドネシアやインドなどは開放先導者として帝国軍人を英雄扱いですよ?そっちとの整合性は?
そもそも中韓以外の国とは基本仲良くやってるのですから、必要な時期まで遠交近攻でいいと思います。
>日本は更生する必要があるか
愚問ですね、あるに決まってます。間違ったことをしたなら謝罪し補填を試みるべきですし、していないなら堂々と主張すべきです。真実をはっきりさせて公開しないから、曖昧な立場になり結局一番相手を怒らせるのです。
>日本もかつての敵と同盟を組み、かつての侵略地(3国以外)と友好関係を結んで、経済支援と経済牽引をおこなってますよ。
EUにおけるドイツ・フランスのようにですか?そういう話は聞いたことがありませんが…。
>ドイツを見習うといろいろ矛盾がでるよ
こういう言葉ではなく、具体的にお願いします。戦争責任を直視し、個人補償に取り組めば、どのような矛盾がでますか。
>台湾は日本植民地近代化論を堂々と載せてますし、インドネシアやインドなどは開放先導者として帝国軍人を英雄扱いですよ?そっちとの整合性は?
整合性?中国や韓国と共通の歴史認識をもつ努力が、どのように矛盾するのでしょう?インドネシアやインドは、かつての軍国日本の戦争行為を肯定していますか?サンフランシスコ講和条約を批判しているのですか?
>そもそも中韓以外の国とは基本仲良くやってるのですから、必要な時期まで遠交近攻でいいと思います。
必要な時期って?ただ待っていればおとずれるというのですか?
> 愚問ですね、あるに決まってます。間違ったことをしたなら謝罪し補填を試みるべきですし、していないなら堂々と主張すべきです。
こういう評論家的な言い方は感心しません。 日本はどのような点で更正が必要ですか。”間違ったことをしたなら”と他人事のようにいうけれど、どういう間違ったことをしたととらえていますか。そこが問題なんです。
言葉尻をとらえたコメントではなく、できれば、私が取り上げている問題について、具体的な内容批判をいただけるとありがたいのです。