真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「反ユダヤ主義」とイスラエルの犯罪行為

2024年01月08日 | 国際・政治

 年が明けてからの報道は、ほとんど能登地震と羽田空港の飛行機衝突事故に関するものでしたが、そんななかで朝日新聞は、米ハーバード大学のクローディン・ゲイ学長が、論文盗用疑惑に加え、学内の「反ユダヤ主義」に関する議会証言を巡り、ハーバードのユダヤ系コミュニティーや一部議員から辞任圧力を受けて、辞任を表明したことを伝えました。朝日新聞の報道は、見逃されてはならない重大な問題だ、という意識があるからだと思います。
 私は、バイデン政権を支える人たちの正体が、垣間見えるような気がしました。証言内容の過ちを指摘したり、批判したり、また、その撤回を求めたりするのではなく、圧力をかけて、民主的に選ばれた学長を辞任に追い込むということだったからです。
 ネット上のニュースでは、ペンシルベニア大とマサチューセッツ工科大(MIT)の学長も、イスラエルとハマスの戦闘勃発を受けた大学構内での「反ユダヤ主義」の高まりについて、下院公聴会で証言したということです。そして、ゲイ学長を含む3人は、ユダヤ人の虐殺呼びかけが、いじめやハラスメントに関する大学の行動規範に違反するかどうかについて問われたのに対し、明確な回答を避け、文脈が重要であり、言論の自由を考慮に入れなければならない、と発言したことが問題視されたといいます。
 見逃せないのは、 米ハーバード大学理事会のハーバード・コーポレーションが、学長の続投を支持する、と声明を発表したことです。外部の者が、大学の人事に口を出し、学長を辞任に追い込むということがまかり通れば、大学の自治や学問の自由は危うくなると思います。
 民主国家では、学問は、”真理探究のためにいかなることを研究し,発表し,教授しても,政治的・経済的・宗教的な諸権威による侵害を受けない”ことを保障されているはずです。
 民主国家を自認するアメリカで、こういうことが平然と行われるところに、アメリカという国の本性が垣間見えるように思ったのです。

 さらに言えば、パレスチナに対するイスラエルの建国以来の人権侵害、また、国際法無視を無視した入植地の拡大、さらに、くり返されてきた無差別なガザ爆撃や地上侵攻による民間人の殺害行為は、断じて「反ユダヤ主義」というような考え方やイデオロギーの問題ではなく、現実に実行されている犯罪行為の問題だと思います。
 ナチス・ドイツのホロコーストに至ったユダヤ人に対する偏見や差別にまみれた「反ユダヤ主義」の考え方やイデオロギーを持ち出して、現在進行中のイスラエルの犯罪行為を正当化することはできないと思います。過去の「反ユダヤ主義」の過ちを利用し、現在のイスラエルに対する批判や非難を封じることは許されないと思うのです。

 イスラエルのユダヤ人には、同情すべき歴史があるとは思いますが、それをもって、パレスチナ人に対する日常的な人権侵害や無差別爆撃による民間人殺害に目をつぶってはならないのです。
 私は、国際社会がイスラエルの対パレスチナ強硬派の過ちを指摘し、抑えることができなければ、悲劇は何度でもくり返されると思います。
 イスラエルのリクードを中心とする対パレスチナ強硬派は、パレスチナ人と共存することを受け入れていません。旧約聖書に示された「約束の地」全域への領土拡大を目指しているのです。
 最強硬派の中には、イスラエルの国会(クネセト)からアラブ人議員を追放するとともに、非ユダヤ人のイスラエル国外退去を奨励して、ガザ地区再占領を主張する人も少なくないといいます。
 そして、2018年7月19日にクネセトで可決された「ユダヤ人国家法」では、現実に「イスラエルではユダヤ人だけが自決権を持つ」されているのです。
 だから、イスラエルの人口約900万人のうち約2割を占めるアラブ系住民は「ユダヤ人優位を制度の根幹に据えることを明言し、アラブ人を常に『2級市民』とする法律」として反発しているといいます。


 また、 1月1日の朝日新聞、「紛争の時代に 暴力を許さぬ関心と関与を」と題する社説のなかに
下記のような一文がありました。
戦況を注視して驚かされるのは、パレスチナとイスラエルが互いに向ける憎悪の深さだ。とりわけイスラエル高官たちが発する言葉の苛烈さは耳を塞ぎたくなるほどだ。
 イスラエルの国防相は語った。「私たちはhuman animals(人間の姿をした動物)と戦っている」。けだもの扱いである。
 軍の報道官は、戦闘の死者を「ハマス1人にき民間人2人の割合」としたうえで、「市街戦の困難さを考慮すれば、非常にポジティブだ」と言い放った
 
 この記事は誇張でもなんでもないと思います。イスラエルは、ハマス殲滅を掲げつつ、実は、「約束の地」から、パレスチナ人を追い出すための戦争をしているのです。そのイスラエルをアメリカが支援し続け、日本は連帯の意を表明していることを忘れてはならないと思います。
 中東に関する執筆を20年以上に渡って行い、その文章が国際的に配給されているコラムニストでメディアコンサルタントのラムジー・バロウド氏は、見逃すことのできない指摘をしています。いくつか抜萃します。

〇イスラエルによるガザ戦争の根底には、相手を非人間的に扱う虐殺の言葉がある
〇アラブ人は「瓶の中で薬漬けにされたゴキブリだ」
〇多くの人が忘れているようだが、直近のイスラエルによるガザ侵攻より遥か以前、さらにはイスラエルが建国される1948年よりも前から、イスラエルのシオニストによる主張は常に人種差別的で、相手を非人間的に扱い、排除的で、場合によっては明白に虐殺を訴えるものであり続けてきた。
〇イスラエル史から時代を無作為に選んで政府関係者、機関、さらに知識人の政治論を検証してみれば、行き着く結論は同じものになるだろう。それは、イスラエルが常に扇動と憎悪のナラティブを形成し、パレスチナ人の虐殺を絶えず主張し続けてきたということである。
〇イスラエル建国以前、シオニストはパレスチナ人の存在自体を否定していた。多くの者は未だに否定を続けている。そうなってくるとイスラエルの集団意識としては、そもそも存在しない人々を殺すのは倫理的に責められるべきものではないという結論に達するのが合理的だということになる。
〇今こそ、いかにしてイスラエルの虐殺的な言葉が現場での実際の虐殺に結びついているかということに目を向け始めるべきなのだろう
〇パレスチナ人がイスラエルの政治論において考慮される場合でも、彼らは「血に飢えた獣」、「テロリスト」、「瓶の中で薬漬けにされたゴキブリ」として扱われる。
〇ベンヤミン・ネタニヤフ首相のリクード党に所属する国会議員のアリエル・カルナー氏は、ガザ侵攻の背景にあるイスラエルの目的を説明している。「現在の目標はひとつ、ナクバです。1948年のナクバが霞むようなナクバです」
〇ヨアフ・ガラント防衛大臣も同じ心情を表明している。彼こそイスラエルの宣戦布告を行動計画へと変えた責任者である。「我々が戦っている相手は野蛮人たちであり、相手に合わせた行動を取ります」ガラント氏は10月9日にそう述べている。「相手に合わせた」行動とは、つまり「電気、食料、燃料を断ちます。すべてを遮断します」ということだ。当然ながら、数千人の民間人が犠牲になっている。
〇既にイスラエルの政治権力のトップの1人が10月7日の事件はパレスチナ人全員に集団的責任があると宣言しているということは、ガラント氏の評価ではパレスチナ人は全員が慈悲に値しない「野蛮人」であるということになる。
〇予想通り、米国やその他西側諸国のイスラエル支持者たちもこのコーラスに加わり、極めて暴力的かつ相手を非人間的に扱う言葉を用いている。それにより、イスラエルの一般市民の間で主流となっている今の政治的論調が形成されているのである。たとえば、米国の大統領候補の1人であるニッキー・ヘイリー氏はFOXニュースに対し、ハマスの攻撃はイスラエルだけでなく「米国への攻撃」でもあると述べている。そしてヘイリー氏は真っ直ぐにカメラを見据え、「ネタニヤフさん、奴らを仕留めて、仕留めて、仕留めて」と悪意を込めて宣言した。
〇リンゼー・グラム上院議員は米国の保守派と宗教支持者を集めて「我々は宗教戦争の只中にいます。なすべきことをしてください。あの場所を跡形もなく消し去るのです」と述べている。
〇同じように邪悪な言葉が、数多く発せられ続けている。その結果は絶え間なく放映され続けている。イスラエルはガザ地区の民間人を「仕留め」、数千という家屋、モスク、病院、教会、学校を「跡形もなく消し去り」つつある。まさに、またしても痛ましいナクバを生み出しているのである。
ゴルダ・メイア氏のパレスチナ人は「存在しない」、メナヘム・ベギン氏のパレスチナ人は「2本脚で歩く獣だ」、イーライ・ベン・ダハン氏のパレスチナ人は「動物のようなものだ。彼らは人間ではない」をはじめ、人種差別的で相手を非人間的に扱う発言が繰り返されるシオニストの論調は変わらぬままだ。
〇今ではそれらすべてが一体となりつつある。言語と行動の完璧な同調だ。今こそ、いかにしてイスラエルの虐殺的な言葉が現場での実際の虐殺に結びついているかということに目を向け始めるべきなのだろう。残念ながらパレスチナの数千人の民間人にとっては、この気付きは遅きに失するものなのだが。

 下記は、「パレスチナ紛争地」横田隼人(集英社新書 0244D)から「第二章、第一次インティファーダとハマスの誕生」の「立ち上がった民衆」と「ハマスの旗挙げ」の抜萃ですが、ハマス誕生の経緯を踏まえれば、イスラエルやアメリカの主張に弁護の余地はない、と私思います。
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                第二章、第一次インティファーダとハマスの誕生
 立ち上がった民衆
 1987年12月8日。中東といえば、ガザが寒気に包まれるこの時期にしては、暖かい日だった。この日の午後、エジプト国境に近いガザ地区とイスラエル側の境界にあるエレズ検問所でその事件が起きた。イスラエル人が運転するトラックがコントロールを失い、イスラエルへの出稼ぎパレスチナ人労働者を乗せた車に突っ込んだ。この事故でパレスチナ人4人が死亡し、けが人も出た。それは明らかに事故だった。
 ところが運転していたのがイスラエル人だったため。パレスチナ人がそれを事故だと思わなかった。折しもその2日前、ガザの市場でイスラエル人セールスマンが刺し殺される事件が起きたばかりだった。これはイスラエルの報復だ──。それの夕方までにはビラがばらまかれた。噂はまたたく間に広まる。現場がエレズ検問所だったことも火に油に注いだ。エレズは、パレスチナ人がイスラエルへの出稼ぎの労働許可を得るために早朝から長い列に並び、屈辱的なセキュリティチェックを受ける場所で、パレスチナ人に対する抑圧を象徴する所でもある。ただの交通事故が、長年にわたり鬱積していたイスラエルに対する憎悪を爆発させたる起爆剤となった。
 
 その日の夕方、ガザ市に隣接するジャバリア難民キャンプで、葬儀を終えた民衆がキャンプ内のイスラエル衛所に向かって投石を始める。イスラエル兵は空に向かって発砲したが、「ジハード(聖戦)、ジハード」と叫ぶ民衆との衝突は収まらなかった。ところが、イスラエル軍は当初、事態を深刻に受け止めていなかった。ガザ地区を統括する同軍南部司令部の司令官は、エレズ検問所で交通事故が起きたことを知らなかった。ジャバリア難民キャンプに外出禁止令を出すこともなかった。それまでパレスチナ人の抗議行動は夜には収束するのが常だったが、この日は深夜になっても続いた。
  9日朝。イスラエルの衛所から200mのところで事件が起きた。イスラエル兵が投石するパレスチナ人の若者を拘束したため。その身柄を取り戻そうとするパレスチナ群衆と睨み合いになった。近づいてくる群衆の足を狙って撃てとの命令を受けたイスラエル兵が発砲。銃弾を受けた17歳の少年がその場で死亡した。
 これをきっかけに、イスラエルに対する抗議行動がガザ地区全体とヨルダン川西岸に広がった。パレスチナ民衆が石を手に自主的に立ち上がったインティインティファーダ(民衆蜂起)の始まりだった。
 パレスチナの若者らは、「カフィーヤ」と呼ばれる格子模様のスカーフで顔を隠し、少数のグループでパトロール中のイスラエル兵に向かって石を投げつけた。道路にはイスラエル兵のジープが入れないようにバリケードを築き、古タイヤを燃やした。連日のように。横断幕を掲げた反イスラエルデモが繰り広げられた。イスラエルはゴム弾や催涙ガスで応戦、外出禁止令を出したり、水や電気を遮断するなどして対抗する。しかし効果がないとみると、重装備の部隊を占領地に大量投入した。

 イスラエルによる占領地支配が始まったのは、1967年からである。この年の第三次中東戦争でイスラエルが圧勝し、それまでヨルダン領だった東エルサレムとヨルダン川西岸地区、エジプト領だったガザ地区がいずれもイスラエルの支配下に置かれた。イスラエルは東エルサレムを自国領に併合し、ガザと西岸では軍政をしいた。それ以来20年に及ぶイスラエルの占領政策は、パレスチナ人の生活を圧迫し、占領軍として振る舞うイスラエル兵に、彼らの自尊心を大きく傷つけられてきた。

 イスラエル政府は西岸とガザでパレスチナ人の土地を収用し、ユダヤ人入植地を次々と建設した。特に、右派政党リクードはヨルダン川西岸地区をユダヤ教の教えに基づいてイスラエル領とみなす「大イスラエル主義」をとり、77年に建国以来初めて労働党から政権の座を奪うと、ユダヤ人入植政策を強力に押し進めた。入植地の拡大はパレスチナ人にとって、先祖から引き継いだ土地を奪われること以外の何物でもなかった。中東では貴重な水資源もイスラエルが優先的に確保し、地下水の60~75%がイスラエルに振り向けられたという。
 後に首相として歴史的な和平合意を成し遂げる労働党のイツハク・ラビンも、84年に成立した大連立内閣の国防相として厳しい占領政策をとり、占領政策の費用を賄うために課した税金を払えないパレスチナ人を次々と刑務所に入れた。また、英国の委任統治時代の法律を復活させて「行政的拘束」を導入、具体的な容疑なしにパレスチナ人を逮捕・拘束できるようにした。


 ハマスの旗挙げ
 1987年12月9日。インティファーダ勃発を受けて、ヤシンの自宅に、同師を含むガザ支部の幹部7人が集まる。医師、薬剤師、大学職員、エンジニア、教員と職業はまちまちだが、いずれもガザのエリート層であった。ヤアシン自身も体の障害がひどくなる84年までガザで教師をしていた。その中には2004年3月のイスラエルによるヤシン暗殺後、ハマスの指導者となるものの、やはり暗殺されるアブドゥルアゾズ・ランティシの姿もあった。ヤシンらはその数日後、イスラエルの占領に対して立ち向かうよう呼びかける声明を記したビラをヨルダン側西岸とガザでばらまく。イスラム過激派「ハマス」の実質的な旗揚げであった。
 88年8月に発表された「ハマス憲章」は、パレスチナの地はイスラムの土地であり、神からイスラム教徒に委託された土地だと規定し、「敵がイスラム教徒の土地を奪った場合は、ジハード(聖戦)は全てのイスラム教徒の義務であり、ユダヤ人による不当なパレスチナ占領に立ち向かうためにジハードの旗印を掲げる必要がある」として、イスラエルに対する宗教的な聖なる戦いへの参加を呼びかけている。

 ヤシンはエルサレムのイスラム聖地に立つ「アルアクサ・モスク」の若い説教師と連携し。ヨルダン川西岸でもハマスの組織を立ち上げる。それ以降、ハマスはPLO各派と競い合うように、インティファーダの組織化に乗り出す。その規模において、ハマスを上回る動員力を持つのはアラファト議長率いるPLO最大勢力のファタハだけだった。
「それ(インティファーダ)は神に運命づけられて始まったのだ。イスラムに自然発生という概念はない」。単に反イスラエルだけでなく、イスラムの宗教概念を通して語るヤシンの言葉には、宗教色の薄いPLO系組織の指導者にはない、独特の説得力があった。
 ハマスは当初、表立ってデモを呼び掛けることを控えるほど、イスラエルによる摘発を恐れていた最初の一年間で、ハマスによる軍事行動はイスラエル兵への銃撃など十件に留った。しかし、小規模ながらライバルであるイスラム原理主義組織イスラム聖戦が先行して武装闘争を展開していたため、対抗せざるを得なくなる。89年の2月と5月にハマスは、イスラエル兵の誘拐殺人事件を起こす。これを受け、イスラエルはヤシンの逮捕に踏み切り、同年6月にはイスラム聖戦と共にハマスをテロ組織と認定して非合法化した。

 イスラエルへの出稼ぎ拒否や商店のストライキといった経済手段による闘争はイスラエルに打撃を与えた反面、パレスチナ民衆は仕事をしない、占領地の経済は大打撃を受けた。こうした闘争を継続すればするほどインティファーダを主導するPLO系のUNLやハマスは支持を失いかねない状況に陥った。ハマスは否応なく、武装闘争に傾斜して行く。

 「敵に立ち向かうのに、銃以外の手段はないではないか」。ヤシンは力しか信じないイスラエルからパレスチナの地を奪還するには、イスラエルに対する「聖戦」以外に方法はないと説いた。これに対して、イスラエルはハマス幹部を次々に拘束するなど摘発を強めたが、こうした対応がハマスを一段と尖鋭化させていく。摘発から「表」の組織を守る必要もあり、ハマスは91年に「イッザルディンマルカッサム」と呼ぶ軍事部門を設立。武装闘争は地下に潜ると共に、より過激な闘争に傾いた。92年初めにガザでユダヤ人入植者殺害事件を起こしたほか、車に爆弾を仕掛けてイスラエル市民を殺害し、その活動が注目を集め始める。
 イスラエルのラビン政権は92年12月、ハマス幹部らイスラム原理主義組織のメンバー約420人をレバノン国境へ追放した。厳冬の荒野に活動家を放置する行為は、人道面から国際的な批判を浴び、イスラエルは結局活動家の帰還を認めた。

 実はこの追放事件をきっかけに、ハマスはレバノン南部を拠点にしているイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラとの関係を深め、自爆テロのノウハウ提供を受けたと言われている。ヒズボラは80年代に駐留米軍やレバノンに侵入していたイスラエル軍などに対して頻繁に自爆テロを行った。83年4月にベイルートの米国大使館を狙った初めての自爆テロでは63人が死亡し、同年10月の駐留米軍を標的にしたテロでは米兵とフランス兵約300人が犠牲になった。相次ぐテロはイスラエル軍や米軍の撤退のきっかけになった。その後、イスラエルに対する越境ロケット攻撃や攻撃などに武力闘争の比重を移したが、ヒズボラは中東では自爆テロの「パイオニア」とみなされているのである。
 この追放劇を境に、ハマスは自爆テロに手を染め始める。初めての自爆テロとされるのは、93年4月にヨルダン川西岸のユダヤ人入植地メホラ近くにあるカフェテリアの駐車場で起きた爆発事件である。パレスチナ人が乗ったバンが駐車してた二台のバスの間で爆発し、バスに乗っていたイスラエル兵8人が軽傷を負った。バンには調理用ガスボンベを使った爆弾を仕掛けられており、乗っていた2人のパレスチナ人のうち一人が死亡した。奇跡的に被害は小さかったが、イスラエル域内で初めて自爆テロとみられる事件が起きたことは、イスラエルに大きな衝撃を与えた。これ以降、ハマス対イスラエル武装闘争の主な手段として、爆弾テロと自爆テロを展開し始める。


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