真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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アジアの教科書に書かれた日本の戦争 インドネシア

2014年06月19日 | 国際・政治
 下記は、「アジアの教科書に書かれた日本の戦争 東南アジア編」越田 稜編著(梨の木舎)から、「インドネシア」の中学校用『社会科学分野 歴史科 第五分冊』(インドネシア 語)マルトノ著(ティガ・スランカイ社 1988年版)の、ごく一部分を抜粋したものである。
 インドネシアの中学校用教科書には、戦時中の日本の軍政がどのようなものであったのか、詳細に記述されている。多岐にわたる日本の加害責任と、その責任の大きさにあらためて驚かされる。

 ところが逆に、日本では 安倍自民党政権が「自虐史観から脱皮する教育を進める」として、教科書検定基準の「近隣諸国条項」を廃止するという。下村博文文部科学相も、教科書検定制度について「日本に生まれたことを誇らしく思えるような歴史認識が教科書に記載されるようにしていく必要がある」と述べている。「自虐史観に陥ることなく日本の歴史と伝統文化に誇りを持てるよう、教科書の編集・検定・採択で必要措置を講ずる」というわけである。

 1985年、西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、「過去に目を閉ざす者は、未来に対しても盲目になります」という演説をしたことはよく知られているが、日本の戦争における加害責任を教えないことで「誇りを取り戻す」というのは、「未来に対しても盲目」になるということではないのか。きちんと歴史の事実に向き合い、過去を乗り越えて、生まれ変わった日本を示すことで、誇りを取り戻すようにすべきだし、周辺国もそれを望んでいるは明らかだと思う。
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中学校用 『社会科学分野 歴史科 第五分冊』(インドネシア語)マルトノ著 ティガ・スランカイ社 1988年版

               Ⅲ 日本占領時代

B インドネシアは、日本の戦争を支えるために資源および人力を提供させられた
 当初、日本軍の到来はインドネシア民族に歓迎された。インドネシア民族は、長く切望してきた独立を日本が与えてくれるだろうと期待した。
 どうしてインドネシア民族は、このような期待をもったのだろうか。それは、日本がやってきてまもなく、つぎのような宣伝を展開したからである。
──日本民族はインドネシア民族の「兄」である。日本がきた目的は、インドネシア
   民族を西洋の植民地から解放することである。
──日本は「大東亜の共栄」のために開発を実施する。
 その実態はどうであったか。日本時代にインドネシアの民衆は、肉体的にも精神的にも、並はずれた苦痛を体験した。日本は結局、独立を与えるどころか、インドネシア民衆を圧迫し、搾取したのだ。その行いは、強制栽培、強制労働時代のオランダの行為を超える、非人道的なものだった。資源とインドネシア民族の労働力は、日本の戦争のために搾り取られた。
 戦時中であったために、日本による占領時代のインドネシアでは、軍政がしかれた。ジャワ島とスマトラ島は陸軍によって、その他の地域は海軍に支配された。そして、戦時にふさわしいように、あらゆる種類の活動の目的が、戦争に必要とするものにむけられた。


 天然資源が、戦争のために搾取された。労働力が、戦争のために搾取された。その搾取は、つぎのように行われた。

a 天然資源と食糧の搾取─原材料は、戦争が必要とする工業材料を得るために使われた。食糧の供給は、とくに軍人による消費のための備蓄にむけられた。
──あらゆる耕作地は、日本軍政府に監視された。収穫物の販売は独占され、価
   格も日本軍政府によって決定された。それは、モルッカ諸島でのオランダ東イ
   ンド会社による香料の独占と、どこが違うのだろうか。
──戦争にあまり役立たないものの栽培は、制限されたり、完全にやめさせられ
   た。例えば、スマトラでの煙草の栽培は壊滅させられ、ヒマの栽培に替えさせ
   られた。ヒマは飛行機の潤滑油の材料として、非常に必要だったのだ。
──必要性があるため、依然として耕作が続けられたものには、キニーネ、ゴム、
   砂糖きびがあった。

──森林は、農地として利用するという理由で伐採された。森林伐採は、ジャワ島
   だけで、50万ヘクタールにおよんだ。
 農地造成のための場当たり的な森林伐採は、結局のところ、食糧増産にはつながらず、それどころか逆に、収穫は減少した。思慮を欠いた森林伐採は、土地の侵食と洪水の原因となった。侵食は土地の肥沃度を低下させ,灌漑に不可欠な水源を涸れさせた。洪水は、稲作を破壊した。
 そのほかにも、農業生産を減少させた原因があった。
──優れた農業技術を欠いたまま、農業が続けられていた。日本は、その国内で
   実施していたような、近代的農法の指導をしたことがなかった。
──日本軍政府は、軍隊の消費のために、家畜を大量に殺した。その結果、家畜
   の数が次第に減少していった。しかし、農民たちは、田を耕すために、家畜が
   必要だった。

──民衆は、各自の庭でヒマを栽培することを義務づけられた。その収穫は日本
   軍政府にひきわたさねばならなかった。これは、オランダ東インド政府時代の
   強制栽培と、どこがちがうだろうか。結果的に、耕地は減少し、農民には田で
   働く時間が不足してきた。
──多くの民衆が無理やりロームシャ(強制労働者)にされた。こうして、田を耕作
   する労働力が、しだいに減少していった。農業生産はすでに減少していたが、
   民衆は依然として収穫の80パーセントを、日本軍政府に引き渡すよう強制さ
   れた。
 この結果、民衆の間では食糧がたいへん不足してきた。多くの人びとが死んでいった。道端や店先など方々で、しばしば死体が目撃された。
 一方、日本軍政府による衣料品の供給も失敗してしまう。オランダの植民地時代には、輸入によって、民衆の衣料需要を満たしていた。日本植民地時代には、戦時であったので、このような輸入はありえなかった。そのため、民衆は綿の栽培を義務づけられた。しかし、十分な成果は上がらず、またインドネシア国内で加工することは、まだできなかった。
 その結果、民衆の衣料は非常に不足し、地方の多くの人びとは、麻やシュロの繊維で作った粗末な服を、身に着けるしかなかった。それさえも買うことができない民衆もまたいたのである。


b その他の物資の搾取──民衆の負担は、日本が戦争に必要なその他の物資の供出を義務づけたために、いっそう重くなった。
 そのような物資に、屑鉄がある。古い鍬や鎌、そして庭の鉄柵まで取り壊して、差し出さねばならなかった。

c 労働力の搾取──労働力の搾取が、社会の階層を問わず、いたるところで行われた。都市から田舎まで、知識層も文盲の人びともまた、そのすべてが戦争のために搾取されたのだ。

 もっともひどい目にあったのは、強制労働者(ロームシャ)にするために動員された人びとだった。彼らは田舎の出身で、一般的に文盲だった。もし教育のある者がいたとしても、小学校卒業がせいぜいであった。
 そのロームシャたちは、橋、幹線道路、飛行場、防衛拠点、防空壕といった、日本の防衛のために重要であった建設工事で労働を強制された。そのような壕が、いまも残っている。カリウラン(ジョグジャカルタ)にあるのは、その一つだ。

 
 ジャワ島の各地方から集められた数千の人びとが、ジャワ島以外の島の森林で働かされた。それどころか、例えばマラヤ、ビルマ、タイ、インドシナなど、国外で労働させられた人びともいた。ロームシャの仕事は、非常に重労働だった。原始林で木を伐採し、丘を掘り崩し、山の中で岩を砕くことなどが、その仕事だった。それとともに、ロームシャたちの待遇は、きわめて残酷であった。彼らが労働中に少しでも不注意だったりすると、平手でたたかれ、銃で殴られ、鞭で打たれ、足蹴にされた。これにあえて抵抗した者は、殺された。また、彼らの健康は、配慮されなかった。衣服は満足に支給されなかった。彼らは食糧を与えられはしたが、米の飯ではなく、タピオカの粉の粥だあった。それも一日一回であり、量もきわめて限られたものだった。
 その結果、数千人ものロームシャは、二度と故郷に戻ることができなかった。彼らは、働かされていた森林で世を去ったのだ


 ・・・以下略

http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/"に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に変えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です

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