真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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731部隊 石井四郎 直筆ノート

2008年06月17日 | 国際・政治

 「731」(新潮社)の著者である青木冨貴子氏は、2003年に「渡邊あき」を訪ねたとき、長男周一氏から、石井四郎直筆の大学ノート2冊 の存在を知らされたという。「渡邊あき」は石井四郎の薦めで渡邊吉蔵と結婚し、夫婦で石井部隊に勤め、ハルビンに住んでいたときも平房に引っ越してからも石井四郎の身のまわりの世話をしていたという人である。石井四郎直筆の大学ノートは、青木氏が公にするまでは全く知られていなかった「1945-8-16終戦当時メモ」と「終戦メモ1946-1-11」である。それを受け取ったときの感動を、青木氏は下記のように書いている。「731」青木冨貴子(新潮社)からの抜粋である。
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 A5判の黄ばんだ大学ノートで、1946年のノートには表紙に「石井四郎」と本人が名前を記している。開いてみると、鉛筆で、旧漢字を使った独特の崩し文字で書かれている。判読できない文字や数字が並んでいる。表題にメモとあるように、その日の出来事や用件を綴った覚書であり、いわゆる備忘録である。丹念に読みはじめるうち、行間から石井の息遣いが次第に伝わってくるようで、わたしの手はふるえた。
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 青木氏は、重要部分の一行一行をその意味するところを考察しながら書き進めているが、直筆メモの部分のみを、いくつか選んで抜粋する。(一部順不同)
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<新京に軍司令官当地訪問>
徹底的爆破焼却決定す
<1.工兵爆破 2.焼却 3.搬出積込 4.隊長 植村中尉を訪問 5.柴野隊出発 6.第**来訪 7.永山、江口、南棟整理>
<1)新京停車場貴賓室に徹夜>
<2)作業案を碇や況と共に作りて草地参謀と相談 指示を受けて>
<明朝早く安東に飛び、鈴木・柴野梯団を推進せしむ>
<安東へ石井部隊、東郷部隊、25201部隊を第1番に平壌へ向う様に山形参謀から大尉以下8名に厳命ずみなり>
<菊池隊154着釜 貨物汽車 ロスイキ甲は通化の停車>
資材は全部終結して、内地に隠匿すること
<処置、濾水キ用心 トラック、燃料運べ>
<内地へ出来る限り多く輸送する方針 丸太ーPXを先にす>
<帰帆船ならば人員、器材が輸送できる見込み>
<方針 一.婦女子、病者、及び
高度機密作業者は万難を排して内地に能う限り速やかに内地へ帰還せしむ
26/8
<1.医務局 予備 復員 資材は附近の陸病へ
 2.高山、中山 復員案 一部は東一院附 明日退 研究抽出
 3.河辺、民族防御賛成 科学進攻賛成、科学の負け、犬死にをやめよ、予備帰農賛成。
 4.梅津、民族防御賛成 科学進攻賛成、静かに時を待て。多年ご苦労を謝す。
 5.荒尾、予備賛成、説明は誰でもできる。他人の方が可。民族防御賛成、基礎科学をしっかりやること。誠心誠意、最後まで後始末を堂々。豚箱に入る約一年の期間あらん>  

<一.支線不通 暴動のため本線一日一本>
<三.昨夜、3、000朝鮮人 牡丹江終結>
<六.松村参謀は内地から平壌へ>
<皇帝は汽車で平壌迄、飛行機で東京へ>
<疎開支部を作れ><安東、平壌、京城、釜山><私服とせよ、地方人の>
<1.鈴木列車を釜山へ直行 2.野口列車も同様 3.柴野列車も同様 4.草味列車も同様>

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一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
 

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