イギリスの伯爵ナイジェル(小林十市)は、同じ階級の前妻とは違い、ハリウッド女優のミランダ(愛華みれ)を再婚相手に選ぶ。母親の前伯爵夫人フェリシティ(若尾文子)は、内心は反対だが、新しい時代の新しい当主が選択したことなら仕方がないと諦めモード。しかし、ミランダが長年フェリシティに使えてきたメイドのモクシー(柴田理恵)の妹だということが判明。伯爵夫人の姉が、伯爵夫人の母親のメイドであるのは、社会的に許されない、と、モクシーは退職を願い出る。フェリシティは、長年のメイドを手放すまいと、いろいろ策を練る。
チラシ等の解説では「前伯爵夫人vsハリウッド女優」が話のメインだと思ったのですが、実のところは、お気に入りのメイドのために、前伯爵夫人は尽力する、がメインでした。ちょっと肩透かし。それを「コメディ」にするためには「階級社会への風刺」が必要だと思うのですが、その面が台詞だけで、芝居的には掘り下げられていなかったので、戯曲としての面白味は半減。
1幕の前半は、フェリシティとその甥、モクシーと執事、の会話が多いのですが、若尾さんは「昭和の銀幕のスタァ」で、柴田さんはメイドというには、ちょっと前に出すぎている「平成のおばさん」で、執事の綾田さんは「昭和の喜劇役者」。甥の高鹿さんだけが「舞台における『イギリス貴族』」で、演技がまったく噛み合わず、とってももどかしい。「プライベート・ライヴズ」で見たカンジでは、ノエル・カワードの戯曲というのは、緻密に台詞を積み上げていくものだと思っていたのですが、それは演出家の力だったようですね。今回は、台詞の密度があまりにもスカスカでした。舞台転換は長く、その時間を埋めるために「文字による説明」が入り、萎え萎え。考えてみれば、「セレブの資格」って邦題自体もアレだよね。貴族とセレブはイコールではないよね。
その辺のモヤモヤ感を補ったのがミランダでした。たもが出てきて、ようやく話が動き出しました。いやー、よかったよかった。
しかし、まあ、それにしても、階級が全然見えない。ミランダと、彼女を追って来た元カレのドン(縄田さん)が、イギリスの貴族に対してのアメリカ人、ってのを、もっともっと浮き彫りにしないと、話が見えてこないと思うのですが。そこを書き込むことがないので、どんなに台詞を重ねても、空虚になってしまうのが、もう、どうにもならない。見ていてちょっと辛かったです。
若尾さんは、綺麗で品があるけれど、それでも「イギリス貴族」とは、ちょっと違うような。稽古中に脚を痛めたそうですが、そのためか、舞台に立つにはちょっと背筋の張りが違うような。声もあまり通らなし、テンポも悪い。ちょっと噛み噛みだし。柴田さんは、台詞は明瞭なのですが、メイドというには、才気が溢れすぎているような。高鹿さんは、さすがに声がイイ。普通に舞台役者。小林くんは、見た瞬間の印象は「花緑君に似ている!」でした。順番から言うと逆なんだけど。声も演技もいいんだけど、身のこなしも綺麗なんだけど、貴族とはちょっと違う。そして、小さい。縄田さんが大きいのか???縄田さんはアメリカのナイス・ガイ系でした。
たもは相変わらずたもなんだけどねえ。役には合っていました。あそこまで思い切ってやってくれると見ていて楽しい。峰さんはフェリシティの友人役。こちらも声の通りが良い。なにより背筋が綺麗なので、ドレスが映えます。貴族オーラ出まくり。宝塚出身って、使いどころがあるんだな、と、そんなことを感じた舞台でした。あと小林君と高鹿さんの並びね。う~ん、イナゴを生で見るとはなあ。昨年の夏頃には思わなかったよ。
主演が若尾さんのせいなのか、普段はあまり舞台を見ない年配のご婦人が、テアトルにしては多かったと思います。TV感覚なのでしょうか、お喋りも多いし、鼾をかいて寝るしで、ちょっと五月蠅かったなあ。カーテンコール無しは寂しいけど、いろいろ考えると仕方がないんだろうなあ。
チラシ等の解説では「前伯爵夫人vsハリウッド女優」が話のメインだと思ったのですが、実のところは、お気に入りのメイドのために、前伯爵夫人は尽力する、がメインでした。ちょっと肩透かし。それを「コメディ」にするためには「階級社会への風刺」が必要だと思うのですが、その面が台詞だけで、芝居的には掘り下げられていなかったので、戯曲としての面白味は半減。
1幕の前半は、フェリシティとその甥、モクシーと執事、の会話が多いのですが、若尾さんは「昭和の銀幕のスタァ」で、柴田さんはメイドというには、ちょっと前に出すぎている「平成のおばさん」で、執事の綾田さんは「昭和の喜劇役者」。甥の高鹿さんだけが「舞台における『イギリス貴族』」で、演技がまったく噛み合わず、とってももどかしい。「プライベート・ライヴズ」で見たカンジでは、ノエル・カワードの戯曲というのは、緻密に台詞を積み上げていくものだと思っていたのですが、それは演出家の力だったようですね。今回は、台詞の密度があまりにもスカスカでした。舞台転換は長く、その時間を埋めるために「文字による説明」が入り、萎え萎え。考えてみれば、「セレブの資格」って邦題自体もアレだよね。貴族とセレブはイコールではないよね。
その辺のモヤモヤ感を補ったのがミランダでした。たもが出てきて、ようやく話が動き出しました。いやー、よかったよかった。
しかし、まあ、それにしても、階級が全然見えない。ミランダと、彼女を追って来た元カレのドン(縄田さん)が、イギリスの貴族に対してのアメリカ人、ってのを、もっともっと浮き彫りにしないと、話が見えてこないと思うのですが。そこを書き込むことがないので、どんなに台詞を重ねても、空虚になってしまうのが、もう、どうにもならない。見ていてちょっと辛かったです。
若尾さんは、綺麗で品があるけれど、それでも「イギリス貴族」とは、ちょっと違うような。稽古中に脚を痛めたそうですが、そのためか、舞台に立つにはちょっと背筋の張りが違うような。声もあまり通らなし、テンポも悪い。ちょっと噛み噛みだし。柴田さんは、台詞は明瞭なのですが、メイドというには、才気が溢れすぎているような。高鹿さんは、さすがに声がイイ。普通に舞台役者。小林くんは、見た瞬間の印象は「花緑君に似ている!」でした。順番から言うと逆なんだけど。声も演技もいいんだけど、身のこなしも綺麗なんだけど、貴族とはちょっと違う。そして、小さい。縄田さんが大きいのか???縄田さんはアメリカのナイス・ガイ系でした。
たもは相変わらずたもなんだけどねえ。役には合っていました。あそこまで思い切ってやってくれると見ていて楽しい。峰さんはフェリシティの友人役。こちらも声の通りが良い。なにより背筋が綺麗なので、ドレスが映えます。貴族オーラ出まくり。宝塚出身って、使いどころがあるんだな、と、そんなことを感じた舞台でした。あと小林君と高鹿さんの並びね。う~ん、イナゴを生で見るとはなあ。昨年の夏頃には思わなかったよ。
主演が若尾さんのせいなのか、普段はあまり舞台を見ない年配のご婦人が、テアトルにしては多かったと思います。TV感覚なのでしょうか、お喋りも多いし、鼾をかいて寝るしで、ちょっと五月蠅かったなあ。カーテンコール無しは寂しいけど、いろいろ考えると仕方がないんだろうなあ。