きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

大阪天満宮など

2018年02月25日 | 旅行(お散歩・遠征含む)
25日の13時公演まで。
なにをしましょうか、と考えまして。
姪の受験の時期なので、神頼み!
大阪天満宮に行くことにしました。

まずは、おまいり。



雲の模様で、御本殿がめでたく感じる。
吉兆だといいなあ。

境内の梅。



赤と白。

参集殿では「大盆梅展」が開催中。













どれも美しく、生命力に溢れている。
盆の中の完璧な世界。
素晴らしい。
樹齢100年とかもたくさん。

参集殿は建物も


お庭も素敵。


お土産にフクロウのクッキー。

御利益がありますように。

近くの商店街。

アーケード街って、いいよね。

お昼は大阪駅のグランフロントまで行って。
カンテグランデでカレー2種盛り、ラッシー付き。

時間があればゆっくりチャイを飲みたかった・・・。

店内は、中津よりオシャレだけど
やっぱり少しアヤシイ。


食べた後は大急ぎで紀伊國屋書店へ。
平蔵さんの看板チェック。

東京ではサンタ帽だった部分は
赤い紙を貼って春バージョンに。
手にはひなあられ。

帰りの新幹線では、新大阪駅で買った
「シャノワール」のお菓子。
サクサク皮のエクレア。


ふわふわ(← 商品名)バニラ味。


保冷剤もシャノワール。


下車後は、ちなつ茶へ。



ケーキは公演にちなみ、薔薇付き。


おまけ。
24日のおやつ。
新阪急ホテルの肉球ブッセと


猫のフィナンシェ。


24日の夜は海鷲へ。


ビッテンフェルトのカクテルは黒ビールベースかな。


おつまみセット。

と、白ワイン。

田中先生小説家40周年の記念品を見せていただき

ブランデー入りの紅茶をいただきました。

ご馳走様でした!!
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2018年「ジーザス・クライスト=スーパースター(エルサレム・バージョン)」@大阪千秋楽

2018年02月25日 | 劇団四季




キヨミチは昨日の方が声が出てたね。
「アンナス私の友よ」が、
しっかり出るかがいろんな指標。

スーパースター衣装のズボンのベルト上、
上着のベルト下、の、
ほんの少しのスペースのキヨミチの腹は白かったよね。
あそこまでは塗らないのかな。


熱量は昨日の方があったけど、
今日は無言の会話がビシビシ来てた。

神永さんは、ゲッセマネ後半は目が潤んでいたよね。
泣くかと思った。
それぐらい、晩餐の後半からは、
死ぬのが怖い、普通の男だった。

キヨミチも、晩餐の「私は理解ができない」は、
ほぼ泣いていたよね。
自分の気持ちが、伝わらない。

ジーザスが捕らえられ、
「自分のことを・・・」で、
ユダは「違うと言ってくれ、そう言えば命は助かる」と思っている。
けど、ジーザスは言わない。断言もしない。

とにかく今日は芝ユダの
「お願いだから俺を見てくれ」オーラがすごくて、
神永ジーザスはその視線も意味もしっかりガッツリ受け取っているのに、
ユダにコントロールされず、
我が道を行くんだな。
矢来は、いろんな気持ちが込み上げて、矢来を掴んで、離す。
離したときに、全てを振り切る。
そして、終わりが来た、と、告げる。

んで、自分の気持ちが伝わっているのに、
自分の手を離すジーザスを見ることしかできないユダなのであった。

そうよ、晩餐の冒頭で、躊躇しながら腕を伸ばすのに、
視線を逸らされて絶望して地に伏せ嘆くけど、
その姿を、切なそう、なんて
単純な言葉ではとうてい言い表せない表情で、
彼はずっとあなたを見ているんだよ!

「あなたは私を利用された」で、
ユダは指を指していたね。
利用した者が明確に存在している。
神がいるということ、自分を利用したということは、
神の子もまたいる、というよね。
やったぞユダ、も、さよならユダも、神の声なんだ。

ジーザスが捕らえられ、群衆たちが質問責めにし、
徐々に去って行くところ、
賀山司祭が冷静に見ていた。
彼の冷静さも怖いけど、
彼も移り気な群衆を怖いと思ったのでは。
(役としてお着替えがあるのはあの司祭だけなんだよねー。
 他の方はバイトだから。)


大阪公演の千秋楽なので、
これが宝塚ならご挨拶があるのにな、と、
ヅカ的挨拶キヨミチ版を妄想。

無事大阪公演千秋楽迎えることができました。
これも皆様の熱い拍手と声援のおかげと
心より感謝申し上げます。
ツアーはまだ続きますが、
最後の公演まで精一杯精進してまいります。
この次はぜひ、
と来て、
あー、本拠地が無いわー、と。


今日のカテコは、舞台奥に一人去り、から、
舞台奥から登場、みんなを呼ぶ、で、
「復活」だったね。


しみさくはまだ見てないけど、
いまのかみしば系より、もっとこう、
我が兄弟マイブラザー系なんだろうか。
アラゴルンとボロミア系の。
想像ーっ!

そうだ、「たった一度のくちづけ」だけど、
キヨミチは唇がジーザスの頬に触れるかんじで、
でも手はジーザスの身体に触れ彼のぬくもりを確かめている。
佐久間さんは文字通りのくちづけで
ジーザスの頬にブチューって行ってたよね。
私の記憶が確かなら。


今日のように、どう視線を投げるか、
どう視線を受け止めるか、も、
主題をあらわすための重要な要素なんだから、
「脚本に書かれた台詞を正確に発音できれば芝居は成り立つ」
という某演出家の言葉は寝言としか思えないよね!
あの時の新ユダは、ある意味犠牲者だよね。
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