ノーラン監督にキリアン・マーフィーだから絶対見るぜ!の「オッペンハイマー」は、
「テネット」並みに物理学の部分がわからないんだけど、
そんな私の貧弱な脳でも話を掴むのは可能。
オタクの内側には常に話が回流しているように、
量子学者の脳内には量子がパチパチしているのかな。
マーフィーもダウニーもブラントもピューも素晴らしい演技で
受賞やノミネートも納得。
ただ、私には、「オッペンハイマーとマンハッタン計画」、と、
「赤狩りに託けて彼を陥れる」のバランスがとても悪く、
あそこであんなにコロっとああなるなら、
もっと違う流れにしてもいいんじゃないかと。
オッペンハイマー個人とその周囲を描きたいのか、
法廷劇にしたいのか、
どっちつかずで、
「え、また、ここで中断?」のイライラが何度か。
アインシュタインは通りすがりではなかった。
ラストも良いと思うけど、3時間必要か、には
ちょいと疑問だなあ。
新しい理論、新しい諸々を追求する学者の欲が
クリアに描かれているのは良いと思います。
自分が立てた学説と、
それが現実にどう作用するか、繋がっていない。
頭ではわかっていても実感はない。
それを含めての「彼」の話だよね。
彼が原爆投下後に賞賛されているとき
子供の死骸らしきものを踏んでいて、
SNSで、それについて「踏むな!」と怒っているのを見た。
いや、あれは「賞賛はこの犠牲の上にあるのを彼自身が認識してしまった」
ということでだよね。
少なくとも、「得意げに踏みにじった」ではないよね。
それを読み取れない人が多いのなら映画は廃るし、
そういう人でさえ見に来るのだから賞効果は凄い。
この場面の周囲の反応は、
当時はそのとおりだっただろうし。
それを無視することなく、こう描いて、
私は納得だったんだけど、
いまのアメリカでは受け止められたんだろうか。
正直なところ、戦時中までは、
科学者の野心→開発と
実証のステップ→実行の流れがよくわかるんだけど、
戦時中の功績者でさえ糾弾・追放となる「赤狩り」が、
感覚的にまだよくわからない。
赤狩り自体は反共なんだろうけど、
排斥の仕方は、やっぱり潔癖ピューリタンだよねえ。
禁酒法と根が同じ。
理屈はわかるんだけど。
例えば戦時中の日本なら反戦反天皇制に繋がるから、と理解できるけど、
戦後のアメリカで、それこそ和訳のとおり、「狩る」になったのが。
しかも共産党支持と宣言している人だけではなく、
少しの行動でも疑問を持たれたら追放というのがね。
そのおかげで生まれた映画があるにしても。
(MGMミュージカルは思想的に当たり障り無しの産物)
このあたりは、いまのアメリカ人は感覚的に理解できるのか、
オッペンハイマーの名誉が回復されているのなら、
やり過ぎと思うのか、やり過ぎたけど考えは正しいと思うのか。
ここについて、自分の中ではまだ決着がつかないので、
もう少し考えるかな。
知識と、腑に落ちる、は別なので。
公聴会のときだっけ、「フーバー長官」という台詞で
デカプリオのシルエットが脳裏に、、、
縞の服を着ていた人は、で、
知っている人は映像が想起されたように、
アメリカ人なら「ここでこの映像が」とかあるのかな。
いずれにせよ、たくさんの人が見て、
感想、意見を言い合う機会ができたのは
良いことだよね。