ゆいツールブログ:NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)

人と人、人と自然、人と環境などを「結う(ゆう)」ということに関して、団体の活動やスタッフの思いなどを紹介していきます!

ESDスタディーツアーを終えて(3月のツアー参加者の感想)

2019年03月24日 | 6. エコツアー参加者の声

「いろいろな国に行ける日本の学生にとても嫉妬していた」

そう話したロンボク島ランタン村のホストシスター(上の写真手前、右と中央の姉妹)は、自分の村に誇りを持ち、より良くしようと奮闘する強く素敵な女性だった。

本ツアーに参加することになったとき、私は環境問題を学ぶことに意気込んでいた。インドネシアのゴミ問題について、日本のゴミ問題について、排気ガスの環境汚染について…。

ESD」「ゴミ銀行」という名前に捉われて、その小さい枠から何かを得ようと考えを巡らせていた。しかしランタン村でのホームステイを通して、日々の生活の中に学びが溢れていることを実感した。

ホストシスターは村で小中学校の先生をしていた。英語が堪能で、何よりも日本が大好きだった。いつか日本に行きたいとずっと思っていると聞いたとき、私は「ぜひ来て!」と当たり前のように答えたが、実際日本に行くのに、どれだけの資金や周りの協力が必要になるのだろうか。私は冒頭の言葉を聞いて初めて、彼女の本心を知った。

「本当は留学したかったのに」「自分だって時間をかければできるのに」。私も、日本での生活の中で自分にできないことをする人を見ると、そう感じることが多かった。しかしランタン村の若者たちは、自分たちの村の素晴らしさ、自分が今この状況にいることの素晴らしさを知っていた。それは、過去にこの村を訪れた日本の若者たちとの交流の中で、気づいたものだそうだ。だから彼女の日本人への嫉妬心は過去形だった。そのことを知ったとき、自分はなんて恵まれていたのだろうと感じるのと同時に、感謝すべきことをいくつ見落としてきたのだろうと、今までの自分の愚かさを感じた。

ロンボク島で関わった現地の人々は「今」を非常に大切に生きていた。未来の予定は、「今」の状況によって自由に変化する。普段、日本の時間に追われて生活していた私は「今すべきこと」をこなしながらも未来の予定に振り回されていたように感じる。そして、自分一人だけで生きているように錯覚してしまう。しかし「今」を大切していると、今関わっている人や現状のありがたさにしっかり目を向けることができ、自分はたくさんの人々とともに生きていると感じることができるのかもしれない。

ロンボク島での学びは環境問題、食や生活の文化、言語、教育と、多岐にわたった。特に、サスティナブルな教育をはじめたばかりのスンギギ第一小学校の授業カリキュラムには感銘を受けた。これらのたくさんの学びがある中で、「今を大切にすること、今に感謝すること」を学んでからの本ツアーは、私に小さくも数多くの経験を与えてくれた。初めは戸惑った水でのマンディや右手を使っての食事、滝への飛び込みも、今しかできないことだと意識することで挑戦することができた。

4月からは長い学生生活を卒業し、社会に出る。自分にとって節目となるこの時期に、現地の同世代から学んだことはこれからの自分の糧になると確信している。この学びに出会えたこと、今の自分があることに感謝して、社会人を精一杯駆け抜けたいと思う。

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彼女が参加したツアーの様子はこちらから。

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ロンボク島で持続可能な観光開発について考えた!(ツアー参加者より)in Lombok

2019年02月26日 | 6. エコツアー参加者の声

2月上旬に、ロンボク島に来てくれた学生さんのツアー体験記です。

12月のスタディツアー(ロンボクの若者向け)を経て、ブウン・スジャティ村とランタン村で、彼女を迎えてくれた若者たちの成長ぶりが伺えます。

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ゆいツールのご協力を得て私はロンボク島に1週間ほど滞在しました。目的は、持続可能な観光開発について考えること。

(自分で作ったココナッツの葉で編んだ帽子をかぶって。ブウン・スジャティ村)

ロンボク島で進む観光開発が、環境問題や伝統文化にどのような影響をもたらし、それに対して現地の人々がどのような活動をしているのか、アレンジしていただいたプログラムのおかげでローカルの人との交流を通してロンボク島のリアルな現実を見ることができたように思います。ご協力いただいた全ての皆様に感謝申し上げます。

(ランタン村でイスラムファッションを体験)

私は西ロンボクのブウン・スジャティ村と中部ロンボクのランタン村にそれぞれ2泊3日ずつのホームステイをしました。村で迎えてくれた若者たちは、エネルギーに満ち溢れており、自由な発想で村を持続可能な形で発展させていこうと活動しています。私は、彼らの「自分たちがこの村の未来を作るんだ」という強い責任感を終始感じていました。

村での活動で印象的だったことがあります。
村の若者たちと一緒にゴミ拾いをした時のことです。あっという間に持っていたゴミ袋3枚がいっぱいになりそれを持って村の青年が「ゴミを拾ったはいいものの、僕たちはこれをどうしたらいいのかわからないんだ」とつぶやいていました。
ホームステイ先に持ち帰ったそのゴミ袋は私が帰る日まで玄関に置きっ放しでした。

(ランタン村にて)

ゴミ拾いをして虚しさを感じたのは初めてでした。ここではゴミの処理をする施設がないためゴミを拾ってもそのゴミは行き場を失ったままなのです。

観光開発によって観光客が増えれば外から持ち込まれるゴミも増えます。これは、私の15日間のインドネシア滞在(ロンボク島以外の場所も含む)で自分が出したゴミです。 

たった数日の滞在であっても観光客が置いていったゴミは、行き場を失ったまま10年20年と島に残るかもしれない。そう考えると自分が持ち込んだゴミを置いてくるわけには行かず、私は全て日本に持ち帰ってきました。

(ランタン村にて)

ロンボク島の村は人と人の強い繋がりによって成り立っています。
ランタン村の青年に、この村に貧困はあるのかと聞くと「ここの人はみんな貧しいよ。お金をたくさん持っている人はいない。でもお金がなくても生きていける。何か必要なものがあれば親戚やご近所さんに聞けばいい。ここの暮らしはすごくシンプルなんだ。」と答えていました。

(ランタン村にて)

村人が互いに交わす挨拶、赤ちゃんをあやすおじいちゃんとおばあちゃん、夜空の下で村の若者たちが集まってギターを弾いて歌って語り合う時間。

シンプルで純粋な幸せがここにある。

(ランタン村にて)

経済的に発展している日本の社会が忘れかけている「本当の豊かさ」を私はロンボク島で感じていました。

「ガイド」として出会った村の若者たちは、今では私の「大切な友だち」です。
ロンボク島が美しい自然と愛情深い人々によっていつまでも心安らぐ温かな空間であることを心から祈っています。

(ブウン・スジャティ村にて)

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インドネシア大学に留学中の学生さんを受け入れました! in Lombok

2018年12月05日 | 6. エコツアー参加者の声

インドネシア大学に留学中の東京農工大学の学生さんがひとり、1泊2日でロンボク島に遊びに来ました。

どんな旅だったのでしょう。

***

ロンボク島 観光記

2018年11月24日・25日にインドネシアのロンボク島を観光しました。空港から出ると辺りは田舎ですね!

 

早速、興味のあったゴミ銀行を見学しました。ゴミ銀行とは、地域からゴミを集めてリサイクルする活動のことです。

 

インドネシアはコーヒーが大人気なのですが、家庭から出たコーヒーの袋を集めて、ポーチとかバッグとか作ってます。

 

 

余ったプラスチックは、ペットボトルに詰めて、椅子を作ってました。意外と座り心地は安定していました。


キッチンから出たゴミをコンポストで肥料にして、ペットボトルで作った植木鉢に入れて、植物を育てます。

 

ペットボトルのキャップで描いた絵


ゴミ銀行を回った後は、スンギギの海に行きました。丁度、晴れ&日の入りで、とても綺麗でした。

 

泊めてくださり、ありがとうございました!

 

朝食は宿泊先の奥様が用意してくださいました。美味しかったです。


翌日は、ブウン・スジャティ村というところに行きました。伝統的な方法で作っている木製の皿を見学しました。

 

トゥリゴナというとても小さいハチの巣を見ました。ハチが耳に入らないように耳栓しました。

 

あま~い!

 

次は滝へ!(自転車で移動しているのでヘルメットをかぶっています)


30 mくらいあって、怖かった、写真では躊躇してるが、最終的にはジャンプした。

 

滝に打たれて修行

 

池で釣りもしました。


落ち着いた場所で怪しげな果物を食べる、どれも派手な色だが、うまい。

 

そのあと、ナルマダということろへ。触ると若返るという言い伝えのある池で、危うく落ちそうになる。


バリから来た王様の部屋、体が弱ったために、身近にお参りする施設を造ったというから驚き。


イスラム教とヒンズー教が同時に祀られている寺。リンサール。

 

丁度、儀式の最中でした。


二日間、案内ありがとうございました!

***

駆け足で観光したMくん。またゆっくり遊びに来てください。(山)

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地震後のロンボク島に滞在して(学生さんのレポート)in Lombok

2018年09月14日 | 6. エコツアー参加者の声

大学生Oさんに続いて、地震後のロンボク島に入った長野県の大学院生Aくんのレポートを紹介します。

Oさんの体験はこちら⇒村の様子。⇒地震の時の様子

***

(↑ 村の子供たちと。後ろの白いTシャツの男性が筆者)

私は8月26日~9月2日にロンボク島に滞在した。もともとの目的は、友達の大学の先生を通して現地の学校を見させていただくことだった。しかし、8月5日にあった地震によってその目的が全くの白紙になった。そんな中、その大学の先生(以下ニスワトゥル先生)から「ロンボクに来て、被災した人たちと交流して慰めてくれたらありがたい」という話を受けて、私はほぼ無計画にロンボクに飛んだ。

そんな私のロンボク滞在のスタートであったが、内容はとても濃いものになった。それもこれもすべてロンボクの人々の温かさによるものである。例えば、ニスワトゥル先生は私のために様々な村で親戚の子をはじめ村中の子を集めて、私が日本語を教えながら交流する機会を設定してくれた。また、パプア在住でたまたま帰省していたニスワトゥル先生の親戚の人を紹介してくれた。その人は帰省中にもかかわらず、私をロンボクの観光名所に案内してくれたり、村人と交流するのに付き添ってくれたりした。さらに、そうして訪問した村、学校、家庭すべての場所で全くの部外者である私をみんなが全面的に受け入れてくれた。出会ったロンボクの人々の”人の温かさ”を常に感じることとなった。

(↑ ランタン村で)

また、私が感じたことはもう一つ家族のつながりがすごく強い、ということ。私が滞在させていただいたのは、パヌジャ、ランタンという小さな村と、州都のマタラム市の3か所だけだったが、どこに行ってもすぐ近くに親戚がいて、そこに挨拶に伺わせてもらうと「朝ごはん食べた?」「寄ってきなよ」と声をかけてくれる。そしてみんな「家族だ」と紹介してくれる。また、私が行った時期が地震が起こった直後であり、まだ余震も続いているような時期であったため、ロンボクでは住民は、家の庭や公園などでテントを張って寝ているところが多くあった。私が最初に泊めさせていただいた家庭もそうであった。その家族は2、3家庭が同じテントで寝ていた。そのため、私は最初全員が兄弟か、と勘違いしてしまった。しかし実際には遠縁の親戚や近所の人であった。それくらい一緒にご飯を食べ、テレビを見る姿が自然であった。また行かせていただいたどの家にも庭に東屋(ブルガ)があり、そこにふらっと近所の人が来てコーヒーを飲みながら話して帰る、ということもあった。「家族」の繋がりの強さ、そして他者に対する壁を作らない人柄を感じることができた。

そんなロンボクの人々の「温かさ」におんぶにだっこの状態にもかかわらず、どこを訪れても来てくれてありがとう、と言ってくれる。そして、逆に日本に帰ってきた後、関西国際空港を襲った台風21号、北海道を襲った地震に対し「大丈夫?」と気遣ってくれた。自分たちもつらい状況にあるはずにもかかわらず。常にほかの人のことを気にかけている、そんな姿がロンボクのどの場所でも見られた。そんなロンボクで一番印象に残った言葉がある。それは”Guest is KING”という言葉。”何かを得ること”ではなく“何かを与えること”に価値を置く、そして、それが当たり前となっているロンボクの人々の姿に、私は「自分は人に何かを与えられているだろうか」と考えさせられた。今回の経験を通して、将来的に、誰に、どのような形かはわからないが、こんなちっぽけな自分でも他人のためになにかできることがあるならしたい、本気でそう思うようになった。

この度お世話になったすべての方々に、ただひたすらに感謝申し上げます。そして、一日でも早い、ロンボクと日本の被災された方の復興を願っています。

(↑ ランタン村で)

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ロンボクのランタン村に滞在して(学生さんのレポート)in Lombok

2018年09月11日 | 6. エコツアー参加者の声

ロンボク島で大地震が発生した時、中部ロンボクのランタン村に滞在していた日本人大学生Oさんのレポートです。

今回は、地震が発生する前の様子を中心に書いてもらいました。地震発生後の様子はこちら

***

私は、7/23〜8/7までロンボク島に滞在し、そのうち12日間をランタン村で過ごした。このような旅をすることの目的は、自分の価値観を拡大するためであった。
現代の日本では、多くの若者が生きづらさを感じている。それは、日本における常識や共通認識に思考をとらわれて、本来の自分らしさを出せていないからである。それら偏見に囚われているせいもあり、私は、多くの人が他者を受け入れることができていないと感じていた。自分らしく在れないこと、本来の自分を理解すらできていないことは、他者を理解することを阻害していると感じていたのである。
それはもちろん自身にも言えることである。私自身も日本という国の狭い了見と価値観に囚われて、自分らしさを出しきれておらず、その圧迫感から、他者を受け入れ切れていないことを常々感じていた。
そこで考えたのが、ロンボク島に行くことである。本来、違う場所に行くつもりであったが、師事している教授に相談したところ、その場合だと、ロンボク島のランタン村の、日本にかつてあったような村社会を体感することが私の役に立つのではないかとのことだった。私も、その言葉と、インドネシアの自然に何か感覚的な惹かれるものがあって、行き先をロンボク島に決めた。

実際にロンボク島を訪問して感じたのは、まず、豊富な自然である。空港を出て、州都のマタラムに行く道すがら、あまりにもたくさんの木がはえていて、緑に満ちていて、そして、人々が生き生きしていることに感動したことを覚えている。ずっと飽きもせず、南国の自然と生い茂る緑を見て、心が自然に帰って行くことを感じていたのを覚えている。そこには、心に張っていたバリアのようなものが、自然を通して取り払われて行く感覚が確かにあった。

次に感じたことはやはり、人と人の距離の近さである。空港では、インドネシア語がわからない私の英語を親身になって聞いてくれる店員がいたり、タクシーの運転手は町のガイドをしてあげようかと言ってくれたり、そんなことにロンボクの優しい島民性を見たような気がした。それがなんだか微笑ましく、凝り固まっていた心が溶けていくようで、私も優しさを返そうと思った。しかし、同時にすんなりと心に踏み込まれることに、戸惑いも感じた。その時私はまだ自分を繕っていて、その繕った自分を認めてもらうことに必死すぎて、踏み込まれて、自分を暴かれることが怖かった。だから私は、懸命に距離を取ろうとしていた。

そんな自分の思いを良い意味であきらめさせたのは、ランタン村でホームステイした先の家族である。彼らは本当に良い意味でグイグイくる人たちであった。部屋にいても勝手に入ってくるし、人のものは勝手に使うし、お腹いっぱいでもご飯をもっと食べろ!と言われるし、ちょっと1人で出歩くだけで心配されるし。当初はその、おばあちゃん家にいるような感覚に、疎ましささえ感じた。

でも、何をしても許してくれて、常に気にかけてくれて、優しくて、まっすぐで。いつも笑顔で、本物の家族のように接してくれた。

ホームステイ先の家族だけではない。近所の子供達。彼らはランタン村の初日、緊張してた私に近寄ってくれて、一緒に遊んでくれた。私を見るとすぐ近寄ってくれて、私の名前を呼んでくれた。
近所のママたち。ホームステイもしてないのに、まるで本物の娘のように扱ってくれて、道を歩いていると「うちでお茶を飲んで行きなよ!」って誘ってくれた。
農家のおじさん。私の帽子が欲しいと言っていて、それをあげたら、「お祈りの時、あなたの無事をずっと祈り続ける」って言ってくれた。

村の友達。私がいなくなるとき、ホテルまで私を送ってくれて、みんな半泣きで「最高のゲストだった、また必ずきて」って言ってくれた。

そんな優しさと暖かさに触れて、自分を取り繕っていたものがどんどん取り払われて、他者を冷たく見る気持ちがどんどん変わっていった。自分はありのままでいて良いのだと思った。人に優しくしようと思った。どんな人でも、距離を取らず、同じ人間として接しようと思った。自分を取り繕うことに必死だった私が、どうしたら人に優しくできるのだろうと考えられるようになった。

現代の日本の周りの冷たさの中でその気持ちを持ち続けることは確かに少し難しいことかもしれない。日本に帰ってきて、人と人との距離を感じたし、冷たさもすごく感じたし、近く、優しく接する自分がバカらしく感じる時もあった。でも、私はそれでも人に優しくあることをあきらめたくない。他者に優しく、ありのままの他者を認めたい。やっぱりずっとそのようにありたいのである。

今、ロンボクでの日々を思い出しながら、これからも人に優しくあれたらと思う。
そして、もう一度あの心地よさに触れるため、そしてあたらしくてきた家族に会うため、ロンボクに帰りたいと思う。

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ロンボク島地震を経験して(学生さんのレポート)in Lombok

2018年08月19日 | 6. エコツアー参加者の声

ロンボク島で大地震が発生した時、中部ロンボクのランタン村に滞在していた日本人大学生Oさんのレポートです。

(その後、無事に帰国しました)

(写真中央が筆者)

私は、8月5日の夜(ランタン村に滞在して11日目)に震度6程度の地震を経験した。私はそのとき、ホームステイ先の家の中の一室にいて、強い揺れを感じ、ほぼ同時に家族の「早く外に出て!」という声に反応して家の外に駆け出した。同時に電気が消えて村は暗闇に包まれた。

最初に感じたのは全員がパニック状態にあるな、ということである。インドネシアのロンボク島において、めったにない大地震だったこともあるのだろう、ただただ立ち尽くして家族で身を寄せ合っているか、どこか他の場所にいる家族に連絡をとっているというのが印象だった。驚いたのは、日本のように避難場所に指定されているところがないことである。そのせいで、多くの人たちがどこにいるべきか決めかねていたし、村民全体の安全を把握できない状態であった。

少し時間が経過し村が少しの落ち着きを取り戻し始めた時、動き出したのは村の若い男たちだった。睡眠時の家屋倒壊を恐れて野宿を決行することに際して、仮設テントを作ったり、村の安全確認のための見回りに行ったり、火を起こして暖を取っていた。また、離れて生活している家族はひとつの場所に集合しようとしていたり、離れたところにいる家族を迎えに行こうとしていた。

私も、州都マタラム市(ランタン村から車で40分ほどの大きな街)にいる妹を迎えに行くというひとりの兄に同行して車でマタラムに向かうという貴重な出来事を経験した。マタラム市の被害はその時点でランタン村より大きかったように思える。マタラムに向かう途上では、倒壊している家屋を何件も見かけた。また、避難する場所がないため道路に毛布をしき、一晩を越そうとしている家族もいた。(別の時には、この目でモスクの一柱が倒壊している様を目撃した。)

村に戻った私を待っていたのは人生初の野宿だった。庭にはビニールシートを敷き、その上に毛布を並べて枕を置き、その上に木にひもでビニールシートを括り付けて、簡易テントを作成した。余震が立て続けに起こり、緊迫した状況だからか、多くの人は満足に睡眠をとれない状況だった。また、ランタン村の夜の冷え込みや、野鳥や野犬の鳴き声も多くの人の睡眠を妨害した。

翌日の8月6日の朝は、大きな余震も無く、比較的穏やかに迎えられたように思える。人々の心にも余裕が出てきて、私は、その日の夕方にランタン村を発ってマタラム市のホテルに移動した。

ランタン村で被災した際に感じたことは主に二点である。1点目は、地震災害に関する知識の少なさである。先に述べた、避難場所がないことも然りだが、地震に関する細かい基礎知識が足りていないように思えた。例としては、緊急避難バッグを作成していなかったり、外を平気で裸足で出歩いたり、当たり前のように火を使っていたことが挙げられる。

2点目は、被災中でもなお感じる人の温かさと繋がりである。キャンプファイヤーをして、村の若者たちと一緒に火を囲み、そこで食べ物を焼いて食べた。その時、彼らは自分が空腹なのにも関わらず、まず最初に私に食べ物を与えようとしてくれた。また、マタラムから車で帰ってくる際は、緊急事態なのにもかかわらず私にリンゴを買い与えてくれた。また、普段から村全体が家族のようだからか、私が「〇〇さんはは無事?」と聞くと必ずだれかはその行方を知っていて、「△△にいるらしい!」と答えが返ってきた。また、すべての家族が一つになろうとしていた。

状況は、地震経験の少ない彼らにとっては絶望的だったはずだが、火を囲むとき、野宿するとき、食べ物を食べるとき、彼らは笑顔だった。彼らにはいつでも温かさがあったし、繋がりがあった。

私がランタン村で経験した地震では家屋の倒壊はあったものの、死者はいなかったし、行方不明者はいなかった。それはもちろん運が味方したのかもしれないが、地震への備えが不十分な中で、家族を決して見捨てない彼らの温かさも関係しているのだと感じた。

8月7日の朝、私は、彼らを未だに続く余震の中に残してゆくことに罪悪感を感じながら日本へと帰国の途についた。帰国してからも彼らからのメッセージは絶えない。彼らは未だに災害に苦しんでいるにもかかわらず、私に、「あなたは無事?調子はどう?」とメッセージを送ってくれている。日本にいても、どこにいても、家族のようにつながり続けてくれている彼らのために何ができるのか、私は考えつづけている。

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2月のツアー参加者の感想

2018年04月10日 | 6. エコツアー参加者の声

2月のツアー、一般参加のYさんの感想です。

インドネシアは新興国と呼ばれる国の一つだという。世界最大の島嶼国家であるインドネシアの人口は日本の約2倍程だが、その平均年齢は日本のそれより遥かに若い。少子高齢化に悩む日本を初老の国に喩えるなら、インドネシアは今まさに躍進中の青年国家なのだろう。と、ここまではネットでも簡単に検索できるインドネシアに関する情報だが、実際にインドネシアという国を訪れた時は、肌で感じたインドネシアという国の活気や発展の様子に驚くばかりだった。ジャカルタ空港は開放的で観光客への配慮も行き届いており、もしかしたら羽田空港より先進的なのではないかと感じた程だし、飛行機内からみたジャカルタ市街地には高層ビル群が立ち並び街の繁栄ぶりが伺えた。

一方で、今回ツアーで訪れたロンボク島は東南アジアの新興国と聞いて多くの人が思い浮かべるような、乱雑さと長閑さが入り乱れた場所だった。空港から出ると、常夏の国らしい温く湿った空気が体に纏わりつき、何かが熟れたような臭いがした。耳慣れない言葉が飛び交う人混みの中で、裸足の子供がはしゃいでいた。私は、東南アジアの観光はこれが初めてだった。見るもの全てが新鮮で、五感を介して押し寄せる情報の波に溺れそうだった。必死に今までの経験や日本の事例と照らし合わせて情報の波の衝撃を緩和しようとしたけれど、うまくいっていたのかは未だに疑問だ。

そんなわけで、7泊8日間のインドネシア・ロンボク島スタディーツアーでは、ともかく見るもの聞くもの全てが分からない事だらけだった。ツアー主催者のゆいツールから多少の事前知識を教えて貰ってはいたものの、インドネシアという国がいまどのように発展していて、それが地方にどういった影響を与えているのかとか、一つの地域に異なるアイデンティティーや宗教を持った民族が暮らしているという事がどういうことなのかとか、そうしたインドネシアの経済状況や価値観がゴミ処理問題を含めた環境問題にどういった影響を与えているのかだとか、実際にロンボク島で過ごすと数々の疑問が湧いてきた。なのに、そうして湧きてきた疑問の数々をロンボク島で出会った人に上手く尋ねられない事に苛立ちもした。結局「ともかく分からない事が沢山あるという事」が、この8日間のツアーを通して何よりもよくわかった事だった。

ところで、これまで色々な報告者が既に報告しているように、このインドネシア・ロンボク島でのスタディーツアーは、ランタン村でのホームステイ体験から現地の方々をとても近しく感じる事ができるのがとても面白い点だと思う。そんな風に距離が近いと感じる事が出来るのは、インドネシアでの暮らしが長いかおりさんや、日本語喋れる現地ガイドのサポートのおかげで見知らぬ土地でも安心感を得られたり、ランタン村での手厚いオモテナシによって時に私たちが異国の相手に感じてしまいがちな警戒心を解いてくれたりしたからかもしれない。日本の歌を歌い日本のアニメの登場キャラクターの話をしてモテナシてくれたランタン村の皆や日本のサッカーユニフォームを着てきてくれた現地ガイドのオモテナシは、見た目も言葉も異なる異国の相手と私達との共通点を見つける事を意図も容易くしてくれた。だから、私達は殆ど努力をせず、日本のそれとは全く異なる共同体の一員に加えてもらったような感覚さえ覚える事ができ、それによって言語も宗教も異なる相手でもその本質は同じ人間だと再認識できた。そうした心遣いはとても嬉しいものだったが、事前にインドネシアについて全く調べてこなかった自分に対する恥じらいを少し感じた。

私は、言語や宗教や価値観、見た目や育ってきた環境が違う相手であろうとも同じ人間である、というのはとても正しい考え方だと思う。でも、だから同じような考えを持ち得るというのは思い込みだとも思う。喜怒哀楽の基準も善悪の基準ですら個々人によって違いがあるし、その違いは両者の距離が空間や時間的に隔たっているほど大きいかもしれない。相手と自分はどれくらい同じで、どれくらい違うのか。それが分からないという事が、恐怖心と好奇心を生む。インドネシアで出会った多くの人は、私と彼らとの違いに対して、好奇心でもって接してくれたように思う。私がインドネシアという異国に身を置いた時により強く感じたのはどちらだったのだろう。ただ、今はっきりしている事は、出会った多くの人が私達や私達日本の文化に関心を寄せていたインドネシアを、私は前よりもずっと好きになったという事だ。「好き」は、別の言葉で言い換えると「興味をもった」という事だ。何事も、知れば知るほど負の面が見えてくるものだから「素敵な旅の思い出になった」という事にして終わりにした方が良いのかもしれない。けれど、折角のスタディーツアー、この好奇心が覚めないうちにインドネシアやイスラム教について書籍でも読んで少し調べてみたいと思っている。若いエネルギーに溢れ急速に姿を変えていく新興国、日本とは全く異なるけれどもしかした昔日本にも少しあったかもしれないものがある東南の島国、そんなインドネシアについて「何も知らないという事」という事がこのスタディーツアーで得た一番の学びで、知らない事を知ってみたいという気持ちが冷めるまで私のスタディーツアーは継続中だ。

Yさんが参加したツアーの報告 ⇒ 報告①報告②報告③報告④報告⑤報告⑥報告⑦報告⑧

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学生さんの感想(名古屋市立大編 )その4

2018年04月03日 | 6. エコツアー参加者の声
2月のツアー 学生さんの感想 Sさん

2/9~20で参加したゼミ合宿についての振り返りをしたいと思う。

まずロンボク島スタディツアーに参加し、ごみ銀行を訪問したり、ランタン村にホームステイで宿泊したりした。それらの体験や人々との関わりを通して、ロンボク島はイスラムと自然と人の温かさに満ちているということを実感した。またインドネシアの街並みにフィリピンやインドの街並みと同様にごみが大量に散乱していたことに気づいた。すべての国は発展する過程においてごみが街に散乱するという状態を経験するのではないか、そして日本もかつては同じように街にごみが散乱し、いつからか日本人にモラルが備わり、現在のきれいな街並みが保たれているのではないかという疑問を持つようになった。

スタディツアー後にはバリ島とジョグジャカルタを訪れた。飛行機が遅延したため宿泊するにとどまったバリ島ではタクシーでの移動中、ヒンドゥー教に関連する建物や銅像を多く見ることができ、イスラムが多いロンボクとは異なった風景を見ることができた。空港から入る際に割れ門を通ったのも印象的だ。ジョグジャカルタでは仏教寺院であるボロブドゥールとヒンドゥー教の遺跡であるプランバナンを見学する。インドネシアでは各島々や年代によってマジョリティとなる宗教が異なる。横軸と縦軸とで異なるのが面白い。

この合宿で一番印象に残っているのはやはりランタン村で一日寝込んだことだ。体調を崩した異国人に対してホストファミリーは家族のように親身になって看病をしてくれた。甘いおかゆや果実を用意してくれたが、おなかの調子が良くなく食べることができなかった。私はそんな体調とホストファミリーに言葉があまり通じない状況にかなり不安を抱いていた。そんな中、ホストファミリーはインドネシア語で私に話しかけてくれた。何を言っているか正確にはわからないが、かなり心配していることは伝わってきた。また私は話し続ける元気のないためホストファミリーは私抜きで私の部屋で子どもと遊んだり、会話を楽しんだりしていた。その行動は私にとって直接的に関わりを持たない行為であったが、私になぜか安心感をもたらしていた。そこにいる、そこに存在するということから私は決してあなたを見捨てないという思いを読み取ったような気がした。そこに安心感があったのであろう。このように言語が通じなくても人間の態度や表情、行動からホストファミリーの思いが伝わってきた。それは肌の色や目の大きさなどの人種の違いや言語の違いを超える、人類という括りで意思疎通する方法に共通するものがあることを感じた。私は出会ってきた様々な外国人に対して、同じ人類だと頭で理解はしていたが、違いをかなり感じていた。しかし、今回の経験で外国人との違いを感じつつも本当に人類という共通の種族であることを肌で感じることができた。私を家族と言って迎え入れてくれたホストファザーとマザーは私とランタン村の人々は同じ人間であると本当の意味で理解していたのかもしれない。

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学生さんの感想(名古屋市立大編 )その3

2018年04月01日 | 6. エコツアー参加者の声
2月のツアー 学生さんの感想 Iさん

出会いの場、つながりの場

今回のツアーでは、さまざまな出会いがありました。まずは、ゆいツールのかおりさんらをはじめ、一般参加のお二人、ランタン村の人々などといった「人」との出会いです。今までの旅行やツアーのなかで、これほどさまざまな人と出会って話をする機会はありませんでした。次に、「自然」との出会いです。村での生活、マングローブ見学では、きれいな空気に包まれて心が洗われる感覚がありました。反対に、コンクリートが多い町の日中の暑さには驚きました。名古屋の暑さもこれに匹敵すると思うと、私たちは自分事として、都会の気象の問題について問い続ける必要があります。ゴミ銀行との出会いは、発展途上の地域の環境問題や環境教育について深く考えるきっかけになりました。そして、「文化」との出会いは私のなかで特に大きなものでした。村での生活のなかで「文化とは何だろう」という問いがキーワードになるという話になりました。この問いに私が答えるとしたら、「暮らしのかたち」ではないかと思います。そのかたちは、モスクや布や食べ物のように見えるものもあれば、歌や宗教そのもののように見えないものもあります。ムスリムの多いロンボク島で、イスラム教のなかの暮らしに出会って触れたことは、私のなかでとても良い経験になりました。神を信じることが文化の土台であり、それが暮らしを形づくっていく。その形はとてもシンプルであることもわかりました。村のなかで感じた、動物や植物といった自然との共生や、他人への気遣いもそこからあらわれているのではないでしょうか。多くの場面で宗教と生活のつながりを感じました。一方で、私たちは何を信じているのか、何を大事にしているのか問い続けなければならないと思いました。

自分を見つめて

これらのさまざまな出会いを通して、あらためて自分について省察することができました。それを自分の「強みと弱み」という言葉で言い換えるなら、例えば、強みに関しては、私は歌が好きであるということ。村で覚えたあの歌を、村のみんなで気持ちよく歌えたことはとても嬉しかったし、これからも大切にしたい曲です。一方で、弱みに関しては、気持ちを形にするのが苦手であること。折り紙について説明するときやワークショップでの発言では声が小さくなり、自分でも何を伝えようとしているのかわかりませんでした。基本的に受け身なので、他人の気持ちを聴き取ることに優先し、自分の気持ちを言葉で表出しないことが多いです。だからこそ、今回のツアーでは、「悲しい」とか「ありがとう」とか「嬉しい」とか「つらい」という思いが表現できず、特に村では涙を流すことしかできなかったのではないかと思います。これからは一大人として、自分の言葉で気持ちを表したいです。まずは、このツアーのなかで出会った皆様に感謝です。本当にありがとうございました。

最後に、教育にたずさわる人間として、このツアーでの学びをもっと掘り深めて、伝えていきたいです。方法は無限にあります。

Iさんが参加したツアーの報告 ⇒ 報告①報告②報告③報告④報告⑤報告⑥報告⑦報告⑧

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学生さんの感想(名古屋市立大編 )その2

2018年03月22日 | 6. エコツアー参加者の声

2月のツアー 学生さんの感想 Nさん

ゆいツールの方々が組んでくださった今回のプログラムは、エコツアーが主たるテーマだったと思う。小さなごみから作られるリサイクル商品、すべての材料が現地のものから作られるヤシ砂糖や伝統お菓子など、ものの循環を体験という形で見せてくださった。2年前にフィリピンのスタディツアーに参加した際は、ゴミ問題があるという現状だけを見たため、それに比べてインドネシアはゴミが少なく、住民による取り組みも実施されており、ゴミ焼却炉の機能性に頼る日本人(特に私の住む地域の人)が、逆に学ぶ面が多いように感じた。

プログラムとして組んでくださった体験は大変貴重なものであったが、それ以上に私の印象に残ったことは、ランタン村での生活だった。海外での初めてのホームステイは、とてもシンプルな暮らしだった。家にある電気製品は、照明、洗濯機、テレビ、炊飯器のみ。それでも生活はできた。冷たい水のマンディも苦にならず、多くのハエが寄ってきても全然気にならない。猫が家の中に入ってきたって、それは子どもの遊び相手になった。小さくてうす暗い家でも、自然に家族全員が居間に集い、円になって談話するような温かさがあった。朝ごはんを家の庭で食べていたら、ふらっと近所の住人がやってきて、気づけば隣に座っている。言葉は通じなくても、みんな笑顔だった。今まで20年以上日本で暮らしてきて、たった一度でさえこんなことはなかった。ランタン村での生活は、私にとってすべてが新鮮だった。そこにはたしかに心地よい感覚があった。これを、人間らしさが取り戻される感覚といっては、単純すぎるだろうか。日本各地で行われている「居場所」づくりなんて、村では必要ないほど、誰もが受け容れられ、そこに居られる場が自明としてあった。百聞は一見に如かずという言葉の通り、私の卒論でかいた「かつてあった村社会」や「存在自体が受け容れられる場」とはこういうことか、と感じとることができた。

また、ツアーを通じてロンボクで出会った人びとからも多くの気づきを得た。一人ひとり違った立場からの様々な考え方に触れることができ、人は一直線上に並ぶ必要なんてなく、いろんな生き方や考え方があっていいんだと思わされた。日本にいると、どこに住むか、何をするか、誰といるか、を決めないと安心できない。もっと自由で、流されるような生き方がしたいのに、それが許されない風潮がある。私は多くの場合、自分に迫りくる漠然とした危機感を原動力として、それをひたすら処理する生き方をしてきた、と振り返ってみて思う。一方で、ロンボクで暮らす人びとは、楽しさやあこがれといった前向きなものを原動力にしているように感じた。そのポジティブな姿勢の背景の一つには、宗教が大きく関係しているだろう。どんな話をするときも、彼らから神の存在を感じた。いいことがあると神に感謝し、悪いことがあっても神のせいにすればいい。文化的には一様性に近いが、信仰により人びとの生き方は多様に認められるのかもしれない。

ランタン村は、すべての住民が家族であり、宗教のある暮らしの中で、下心のない優しさに包まれた村だった。村には多くの若者や子どもがいたが、きっと彼らはあの土地に愛着をもっているだろう。しかし、日本にかつてあった村社会は、都市での労働力の需要により、またたく間に消滅していった。地方の高齢化、過疎化は留まることを知らず、人間関係は希薄化していった。私は、ランタン村もそのような未来になってしまわないかと、一抹の不安を抱く。彼らは、ずっとあの村で暮らしていきたいと考えているのだろうか。もっと多くの娯楽があって、たくさんのお金が稼げるところに行きたいと思っていないのだろうか。地域のつながりを失ってしまった日本人がロンボクへ行くことは、その大切さを感じる有意義な機会となった。では、便利さや先進性にあこがれをいだくロンボク人にとって、私たち日本人が関わることに、どんな意義があるのだろうか。開発を援助できる立場にある人間は、自分たちの生活を顧みながら、何が大切で何を守りたいのか、じっくりと考えることを怠ってはいけないと感じた。

誰も犠牲にしない開発をするには、より多様な視点から、より多くの立場の人に対する想像力が必要であると考えるが、今回のインドネシアでの小さな体験を通じて、それを膨らますことができ、私はより一歩優しくなれたように思う。

Nさんが参加したツアーの報告 ⇒ 報告①報告②報告③報告④報告⑤報告⑥報告⑦報告⑧

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