ゆいツールブログ:NPO法人ゆいツール開発工房(ラボ)

人と人、人と自然、人と環境などを「結う(ゆう)」ということに関して、団体の活動やスタッフの思いなどを紹介していきます!

ロンボク島現地の状況 2018年7月8月の地震に関連して

2018年08月25日 | 7. ロンボク島地震災害支援

今回は、ロンボク島で発生した地震による被害状況や、現地の様子を具体的にお届けします。

2018年7月29日(日)の朝、インドネシアのロンボク島東部でマグニチュード6.4の地震が発生しました。

その1週間後の8月5日(日)の夜19:46には、本震と思われるマグニチュード6.9の地震が発生。

さらに2週間後の8月19日(日)の深夜にも、マグニチュード7.0の地震が起こりました。

立て続けにロンボクを襲った地震の被害は、東ロンボクのリンジャニ山(3,726 m)のふもとの地区から、北ロンボクのタンジュンからスナルにかけて、西ロンボクや中部ロンボクの一部の地域に広がりました。

参考:ロンボク島の地図

Rumah pak Dediy, desa Sumbalun bumbung, Kecamatan sembalun, Lombok Timur. Setelah gempa ke2 kali. Sekarang sudah ambruk total, tidak ada lagi tembok.

(↑2回目の地震の後。リンジャニ山のふもと、スンバルン地区のスンバルン・ブンブン村の建物の様子。3回目の地震で、壁はすべて崩れ落ちた)

ロンボクの住民の多くは、2回目の大地震の後から野外での暮らしを強いられています。

家が壊れていなくても、いつ大きな地震が襲ってきて家が崩れるかわからないので、家の中で寝ることができません。

インドネシアの住宅は、耐震補強はしてありません。そういう概念は欠如していました。

なぜなら、ここ十数年で国が急激に発展し、お金を稼いだ住民は見栄えのいい家を建てて、暮らしが豊かになったことを周囲に示してきましたが、いつ起こるかよくわからない地震に備えて余分なお金をかけることなど、だれも考えなかったのです。

また、地震発生直後から、ロンボクでは泥棒が横行しています。

この混乱に乗じて、得をしようという人たちがいるというのは非常に残念なことです。

被害が大きかった地域では、村ごとに非難キャンプを作って生活しています。

Desa Kekait, Kecamatan Gunung sari, Lombok Barat.

(↑ 西ロンボクのグヌンサリ地区クカイ村の避難キャンプの様子)

現地では、多くの学校も倒壊しました。

Sekolah yang berada di Kecamatan Gunug sari, Lombok barat.

(↑ グヌンサリ地区の学校の様子)

校舎を失った子供たちは、学校に行くことができなくなりました。

ゆいツールの現地スタッフの話によると、インドネシア政府からは「薬」や「衣類」は十分に届けられている、ということでした。

また、ジャカルタの中央政府が北ロンボクに関しては、重点的に復興のための支援を約束したそうです。

ロンボク島は観光の島なので、多くの欧米人がサポートにやってきてもいます。

インドネシア政府は、他国に公式に支援要請をしていません。自分たちでやれる、と言っています。

ちょうど今、ジャカルタ周辺ではアジア大会が開催されています。

インドネシアは、アジアの中で存在感を示そうとがんばっているところで、せっかく盛り上がっているところにロンボクがたいへんだ、というニュースを世界に向けて発信したくないのかな、という感じもします。

さて、リンジャニ山のふもとの村、スンバルン・ブンブン村のデディくんからミニレポートが届いたのでお知らせします。

~2018年8月24日のレポート。Dediyくんより。~

数回にわたりロンボク東部で発生した地震は、スンバルン地区の次の地域で深刻な被害をもたらしました。

スンバルン・ブンブン村、スンバルン・ラワン村、スンバルン村、サジャン村、ビロク・プトゥン村。

2018年7月29日にマグニチュード6.4の地震で揺れた後、何回か発生した地震は7.0 に達しました。

住民の90%が完全に被害を受けています。

地震後、政府によって、ブルーシート、毛布、寝具、医薬品、食料品などが配布されましたが、いくつかのコミュニティは、アクセスが困難で援助の分布が不均一であることから、政府からの適切な支援も受けられていません。

民間ボランティアの支援は、地震の影響を受けた人々を助けています。

現在の状況としては、住民たちはまだ地震の恐怖のため通常の生活のための活動を行うことができず避難キャンプに留まっています。

人々はまだ地震を恐れ、心配しています。

住民たちは現在、政府や民間機関からの追加の支援を期待しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ロンボクには、在住日本人のネットワーク「日本人会」があります。

日本人会のみなさんも、支援に向けて動き出しています。

ただ、現地は余震も続き、州都マタラム市でも物資が十分に手に入らない状況が続いているようです。

今回被害が大きかった地域の一部は、標高の高いところにある村で、インドネシアではめずらしく日本の秋のような気候の場所です。

それは、裏を返すと夜はとても冷え込む場所、ということになります。

ロンボクでは、多くのデマや噂話が飛び交っているそうです。

また大地震がやってくる、津波が襲ってくる、泥棒に関するニュース、幽霊などの神秘的なことに関するニュース。

幽霊の話で言うと、夕べゆいツールのボランティアのアンディくんの家族が、孫をトイレに連れて行ったときに、上から幽霊が降りてきて子供をさらおうとしたそうです。

それは体験した本人にとってはデマではなく、体験談なのですが、もはや何が体験談で何がウソの情報なのかわかりません。

ロンボクはもともと、黒魔術(ブラック・マジック)がさかんなところで、多くの住人がイスラム教徒であるにもかかわらず(イスラム教では、神以外の力を信じてはいけないとされている)日常生活の中に、神秘的な話が普通に登場します。

ロンボク島に多くの幽霊がさまよっているのかどうかはわかりませんが、人々が不安を抱え生活しているのは確かです。

現地では、10月の後半ころから雨季に入ります。3月頃まで毎日のように大雨が降ります。

それまでに、できるだけ人々の生活を立て直しておかなければ、たいへんなことになるでしょう。

ゆいツールは、西ロンボクのふたつの地域の学校を支援するプロジェクトを立ち上げました。

こちらもあわせてごらんください。多くのみなさんのご支援をお待ちしています。(山)

◎ゆいツールが行っているロンボク島地震災害のための支援金募集の情報はこちら

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ロンボク島地震を経験して(学生さんのレポート)in Lombok

2018年08月19日 | 6. エコツアー参加者の声

ロンボク島で大地震が発生した時、中部ロンボクのランタン村に滞在していた日本人大学生Oさんのレポートです。

(その後、無事に帰国しました)

(写真中央が筆者)

私は、8月5日の夜(ランタン村に滞在して11日目)に震度6程度の地震を経験した。私はそのとき、ホームステイ先の家の中の一室にいて、強い揺れを感じ、ほぼ同時に家族の「早く外に出て!」という声に反応して家の外に駆け出した。同時に電気が消えて村は暗闇に包まれた。

最初に感じたのは全員がパニック状態にあるな、ということである。インドネシアのロンボク島において、めったにない大地震だったこともあるのだろう、ただただ立ち尽くして家族で身を寄せ合っているか、どこか他の場所にいる家族に連絡をとっているというのが印象だった。驚いたのは、日本のように避難場所に指定されているところがないことである。そのせいで、多くの人たちがどこにいるべきか決めかねていたし、村民全体の安全を把握できない状態であった。

少し時間が経過し村が少しの落ち着きを取り戻し始めた時、動き出したのは村の若い男たちだった。睡眠時の家屋倒壊を恐れて野宿を決行することに際して、仮設テントを作ったり、村の安全確認のための見回りに行ったり、火を起こして暖を取っていた。また、離れて生活している家族はひとつの場所に集合しようとしていたり、離れたところにいる家族を迎えに行こうとしていた。

私も、州都マタラム市(ランタン村から車で40分ほどの大きな街)にいる妹を迎えに行くというひとりの兄に同行して車でマタラムに向かうという貴重な出来事を経験した。マタラム市の被害はその時点でランタン村より大きかったように思える。マタラムに向かう途上では、倒壊している家屋を何件も見かけた。また、避難する場所がないため道路に毛布をしき、一晩を越そうとしている家族もいた。(別の時には、この目でモスクの一柱が倒壊している様を目撃した。)

村に戻った私を待っていたのは人生初の野宿だった。庭にはビニールシートを敷き、その上に毛布を並べて枕を置き、その上に木にひもでビニールシートを括り付けて、簡易テントを作成した。余震が立て続けに起こり、緊迫した状況だからか、多くの人は満足に睡眠をとれない状況だった。また、ランタン村の夜の冷え込みや、野鳥や野犬の鳴き声も多くの人の睡眠を妨害した。

翌日の8月6日の朝は、大きな余震も無く、比較的穏やかに迎えられたように思える。人々の心にも余裕が出てきて、私は、その日の夕方にランタン村を発ってマタラム市のホテルに移動した。

ランタン村で被災した際に感じたことは主に二点である。1点目は、地震災害に関する知識の少なさである。先に述べた、避難場所がないことも然りだが、地震に関する細かい基礎知識が足りていないように思えた。例としては、緊急避難バッグを作成していなかったり、外を平気で裸足で出歩いたり、当たり前のように火を使っていたことが挙げられる。

2点目は、被災中でもなお感じる人の温かさと繋がりである。キャンプファイヤーをして、村の若者たちと一緒に火を囲み、そこで食べ物を焼いて食べた。その時、彼らは自分が空腹なのにも関わらず、まず最初に私に食べ物を与えようとしてくれた。また、マタラムから車で帰ってくる際は、緊急事態なのにもかかわらず私にリンゴを買い与えてくれた。また、普段から村全体が家族のようだからか、私が「〇〇さんはは無事?」と聞くと必ずだれかはその行方を知っていて、「△△にいるらしい!」と答えが返ってきた。また、すべての家族が一つになろうとしていた。

状況は、地震経験の少ない彼らにとっては絶望的だったはずだが、火を囲むとき、野宿するとき、食べ物を食べるとき、彼らは笑顔だった。彼らにはいつでも温かさがあったし、繋がりがあった。

私がランタン村で経験した地震では家屋の倒壊はあったものの、死者はいなかったし、行方不明者はいなかった。それはもちろん運が味方したのかもしれないが、地震への備えが不十分な中で、家族を決して見捨てない彼らの温かさも関係しているのだと感じた。

8月7日の朝、私は、彼らを未だに続く余震の中に残してゆくことに罪悪感を感じながら日本へと帰国の途についた。帰国してからも彼らからのメッセージは絶えない。彼らは未だに災害に苦しんでいるにもかかわらず、私に、「あなたは無事?調子はどう?」とメッセージを送ってくれている。日本にいても、どこにいても、家族のようにつながり続けてくれている彼らのために何ができるのか、私は考えつづけている。

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「インドネシア・ロンボク島地震災害支援~学校に大型テントを届けたい」

2018年08月16日 | 7. ロンボク島地震災害支援

前回のブログで予告をしたプロジェクトについてです。

クラウドファウンディング(インターネットを通してクレジットカードで募金できるシステム)も準備中です。

(8月20日、クラウドファンディング、スタートしました!GAMPFIREのページへ

銀行振り込みでも受け付けています。

銀行振り込みでご支援くださる方は、こちらより「お名前、支援額」をお知らせください。

お礼のメールや現地からの報告映像などをお送りさせていただきます。

また、ゆいツールのホームページにて、お名前(カタカナ)を記載させていただきます。

みなさまのご支援を、心よりお待ちしています。(山)

【支援金振込先】

みずほ銀行新横浜支店 普通 1606993

トクヒ)ユイツールカイハツラボ

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【予告】ロンボク島大地震のための支援金の募集を始めます(近日中)

2018年08月12日 | 7. ロンボク島地震災害支援

8月5日にロンボク島で発生した地震に関連して、ゆいツールでは支援金を募集することにしました。

インドネシア・ロンボク島地震災害支援~学校に大型テントを届けたい」

ただいま、クラウドファウンディングのプロジェクト審査中です。

審査に通過次第、プロジェクトを公開いたします。

また、それと併せて、ホームページにも寄付先の情報をアップする予定です。

(⇒ゆいツールホームページ支援金に関する情報はこちら。クラウドファンディングはこちら

ゆいツールには、現地から次々と写真が送られてきます。

(↑ 壊れてしまった建物)西ロンボクのグヌンサリ地区クカイ村の様子

(↑ 避難生活の様子)西ロンボクのグヌンサリ地区クカイ村の様子

学校が壊れてしまったところでは、子供たちは学校がお休みになったままです。

11月頃からは雨季が始まります。人々の暮らしが、なんとか早く元に戻る様に、ゆいツールもできることをしていきたいと思っています。

(山)

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現地時間2018年8月5日19時46分にロンボクで巨大地震が発生しました

2018年08月07日 | 7. ロンボク島地震災害支援

8月5日の夜9時すぎ、ロンボクから日本にいる私に「大きな地震が起こった!」と連絡がありました。

北ロンボクを震源とする、マグニチュード7.0(6.9)の地震でした。

上の写真は、一夜明けたスンギギ(西ロンボク)という海岸沿いの地域の集落の写真です。

日本でも、ネットニュースや新聞でちょろりと情報が載っていましたが、2晩経っても日本のテレビからは特に現地からの映像は入ってこなくて、バリのすぐとなりの島なのに、テレビ局は特に関心がないのか、と思いました。(日本の災害や広島原爆の日などが重なっていたせいもあるでしょう)

ロンボクでは、この地震の約1週間前にもマグニチュード6.4の地震が発生していました。

その時には、国立公園にもなっているリンジャニ山の登山口の村(スンバルン)などが被害の中心で、他の地域の人たちはそちらに支援に行ったり、在住日本人の友人も支援金募集を呼び掛けたりしていました。

2回目の地震では、助けに行っていた他の地域(州都マタラム市、北ロンボク、西ロンボク)にも被害は広がりました。

また、1回目の地震で家の一部が崩れていたスンバルンでは、さらに大きな被害になったようです。

(↓ スンバルンの様子)

現時点で、死者は98人と言われています。

多くの人たちは無事ですが、家が半壊/全壊したり、2日たってもお店や市場などが再開できないため、食べ物や飲み物の入手に困っている様子です。余震が来るため、人々は、家の庭や近所の空き地や道ばたで過ごしています。

ゆいツールが関わっている人達の中にも、家が壊れてしまった人がいます。

ゆいツールは現在、現地の日本人会のメンバーに連絡を取って、どんな支援ができるか考え中です。

募金を集める予定ですが、現地での受け入れ態勢が整ってからみなさまに呼びかけたいと思います。

現地では、あちこちで「食べ物と飲み物と衣類を!」というSOSが上がっています。

インドネシア政府も動いています。

日本でもそうですが、家が倒壊してしまった人たちの再建のための支援が、これから必要になってくるでしょう。

今回はひとまず、現地の様子ということでお伝えしました。

募金の情報はまた改めてお知らせいたします。(山)

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