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施設長の資格!―福祉経営に役立つ30項 |
クリエーター情報なし | |
中央法規出版 |
社会福祉の施設長さん向けに、「戦略の立案」「新規事業」「集客力」「人財育成」など、経営に役立つ項目をまとめているのが本書「施設長の資格」です。
「このままではいけない」「なんとかしよう」と考えている施設長さんにとっては、施設の職員や利用者に対する見方を変えるきっかけになったり、提供しているサービスについて発想の転換を図ることにつながるかもしれないと感じました。
私は、社会福祉施設の施設長さんでも、職員さんでも、利用者さんでもありません。
しかし、本書のなかで、もっともいろいろ考えさせられたのは、『「権利擁護」を施設・事業所の長所=USP(unique selling proposition)にする』のなかで、著者が「自分が虐待していることを前提にしよう」と書かれていた部分でした。
著者によると
虐待は、虐待をしてやろうと思ってするわけではなく、「相手のため」と思ってしている。
虐待とは、自分の判断基準や都合や思いを相手に押しつけること。
この点を考えていくと、私は、自分がしていることも、ここでいう「虐待」に含まれるんじゃないかと思い当たることが出てきます。
障害者就労を推進する活動に参加していますが、それは「障害のある人のために、何かしたい」というより、私自身が「みんながいきいきと働ける社会だったらいいな」と思うからです。
言いきってしまえば、「自分のため」。
「誰かのために献身している良い子ちゃん」という自己評価の錯覚をもちたくないという思いもあります。
でも、結局、いろいろ話しをしているなかで、「障害のある人」という表現を使うことがあり、そのとき私自身は「障害のない人」のほうへ置き、自分ではない「誰かのために」という前提で話しを進めてしまっている瞬間があるのは事実です。
そんな瞬間に気がつくとき、私の心のなかに「誰かのため」という偽善があるのだと思い、また、虐待の芽が潜んでいるような気にもなるのです。
著者は次のように書いています。
『「私は自分の都合を相手に押しつけていないか。自分の価値観を相手もそのまま受け入れるべきだと考えていないか。そのほうが、結局相手にとってもプラスになることであり、今は理解できなくても将来必ず理解できるときが来るはずである、自分の振る舞いは必ず感謝されるときが来るはずである、と思い込んでいないか。このときが虐待の芽の出ているときであり、その芽を摘む訓練と努力をどのようにしているか」と問うべきなのです。』
虐待の芽を摘む訓練と努力とは、自分自身の考えや行動、その根拠となる思いや信念を、よい意味で「疑う」ということかな。と考えています。
それは、日々の修行なのかもしれません。