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発達障害は治りますか? |
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「障害」という言葉が、なくなってしまえばいいのに…。
そんなふうに、考えたことがありました。
「障害」は、「害」という漢字が使われていることもあり、「○○できない」「○○するのに困難がある」というマイナスの意味で受けとめられがちな言葉です。
文章を書いたり、話しをするなかで、「視覚障害のある○○さん」「知的障害のある▽▽さん」と表現するとき、私は、なんとなくその人にマイナスのラベルを貼りつけるような気がしていました。「障害」「障害者」って、なんだか、嫌な言葉だなぁ…と、思っていました。
「発達障害は治りますか?」(著者・神田橋條治ほか)を読み、発達障害という障害を「害」としてではなく、「可能性」や「希望」をもって見ていく見方、考え方を教えられました。
著者のひとり、医師の神田橋氏は、「発達障害は、発達する」といいます。
「発達障害」といわれると、「発達できない。発達しにくい」と受けとめてしまいそうですが、「発達障害は、発達する」といわれると、とたんに目の前が開けて、希望が膨らみます。
「発達障害」に「発達する」を加えただけなのに、マイナスからプラスに意味が逆転し、世界がひっくり返ったような気持ちになりました。
「障害」に伴うマイナスの意味が、一気に払しょくされて、「これです!」という感覚です。
神田橋氏によると、
「要は知的障害も含めて、全部脳にシナプスの発育のおくれがあるだけのことだからね。だから現れるかたちは様々だし、一般の人との間にきれいな連続性がある。そりゃあね、軸索が一本少ないとか二本少ないとか、いっぱいいますよ。ちゃんと社会適応している人の中にもね。だから、みんなみんな発達障害だ」
改めて、「障害者って、一体、誰のことだろう?」と、よくよく考えてみれば、制度上で一定の線引きがあるけれど、それは、それだけのこと。「みんな発達障害だ」に「なるほど!」でした。
病気についても同様です。
神田橋氏は、
「うつの患者さんには、『意志が強い人しかうつ病にはなれないのよ』と言うことにしています。どうしてかというと、意志の強い人しか頑張れないからです。意志が弱い人は、うつ病が完成するほどに脳を酷使することができません。だから患者さんには『うつになる能力があったね』と言います」
うつ病という病気も、こんなふうに言われると、患者さんの肩の荷が軽くなりそうです。
神田橋氏は、人の「生きる力」を深く信じているからこそ、こういう言葉を発することができるのでしょう。
生きる力は、成長する力、発達する力と言い換えられるのかもしれません。
病気や障害を抱えた人に対する「支援」や「関わり」を考えたときも、その人ももっている「力」を深く信じて、支援や関わりをもつことが大事だと感じています。
「障害」という言葉を使うとき、私自身が、どういう方向に向けて使っていくか。信念に基づき、誠実に、言葉を発することができているか。そこが肝心でした。