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なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書) |
クリエーター情報なし | |
講談社 |
私は、取材・執筆の仕事をしています。
仕事でなくても、「これは面白い」という感じたものは、NPO活動という別の枠を使って、取材しにでかけています。
「取材したい」と思うのは、その取材対象に魅力を感じているから。
だから、その対象に会って、もっと詳しく聞きたい。
だから、取材に出かける。そういうことだと思っていました。
もちろん、好きは、好きなのですが、
「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」(相田和弘・著、講談社現代新書)を読んで、もう少し深い欲求が、私の中にあることに気がつきました。
相田監督は「観察映画」という映画を撮影されています。
「観察映画」では、撮影する人は、テーマを設定せず、台本をつくらず、ひたすら対象者を「観察」しながら撮っていきます。
映画にはナレーションや音楽、テロップはつけず、完成した映画を見る人にも、ひたすら「観察」してもらいます。
見る人それぞれに、映像を受けとめてもらい、感じとってもらう映画です。
この本の中で、相田監督は、「観察」について次のように書かれています。
『観察は、他者に関心を持ち、その世界をよく観て、よく耳を傾けることである。それはすなわち自分自身を見直すことにもつながる。観察は結局、自分も含めた世界の観察(参与観察)に他ならない。観察は、自己や他者の理解や肯定への第一歩になり得るのである』
ここを読んで、
「ああ、そうだったのね。私」
と、自分の行為に、自分で納得しました。
薄々感じつつも、言葉にできなかったことでした。
私は、「人と関わりたい」という欲求を、おそらく、心のどこかに強く持っているのです。
人と関わることによって、何かを発見したり、刺激を受けたり、
自分自身についてよく分かったり、自分も変わったり…。
そういう経験をすることを求めているのだと思います。
その欲求に従って、自ら行動せずにいられない。そういうタイプなのでしょう。
ただし、「人と関わりたい」と思っても、すぐに親しくなれたり、仲良くなれるわけではありません。
家族でも、友人でも、知人でもない、「取材する人」という立場に立つとき、取材する相手との間には距離があります。
その人について詳しく知りたいので、じりじりとその距離を詰めていくのですが、打ち解けてきたように感じても、やっぱり第三者だよな、距離があるなぁ…と感じることもあります。
逆に、取材が終わっても、メールのやりとりしたり、ご飯を食べたり、友達のように親しい間柄になれる場合もあります。
「人と関わりたい」といっても、「取材」という特別な理由で出会って関わっていくので、
相手と緊張感のある関係になったり、家族でも友人でもないからこそ大事なことを教えていただける関係になったりします。
取材は、人と出会うための口実といえるのかもしれません。
この本には、「ドキュメンタリーをつくる」ということに関する相田監督の考え方が盛り込まれていて、上記の引用箇所だけでなく、興味深い箇所がたくさんありました。