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敗れざる者たち (文春文庫) |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
沢木耕太郎のスポーツノンフィクション「敗れざる者たち」。
初版は1979年。かなり古い作品で、取材対象となった野球選手、ボクサー、競馬関係者の現役時代を、私はまったく知りません。
カシアス内藤、榎本喜八、土屋正孝…。
正直にいうと、名前を聞いても分かりませんでした。
でも、この作品は10代、20代の時ではなく、ちょうど今、読んでよかったなと思います。
「敗れざる者たち」には、「勝負の世界に何かを賭けて、喪っていった者たち」というテーマで貫かれた、6つの短編が収められています。
プロの世界に入ったものの、ヒーローになれなかったスポーツ選手たちに注目して、
天才の素質をもった者が、なぜ天才になれなかったのか。
プロの舞台に上がったものの、活躍できる人とできない人を分けるものは何なのか。
プロの勝負の舞台から、いつ、どのように降りるのか。
引退後の人生は?…。
こんな問いを持ちながら、取材されたものだと思います。
私が、一番じんときたのは、「3人の3塁手」という作品の中で、
著者が、巨人の長島茂雄選手と3塁のポジションでライバルだった難波昭二郎氏を取材して感じたことを書いた箇所でした。
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眼を上げると、壁に大きな写真が掲げられていた。長島と難波が映っている。それは東の長島と西の難波との写真ではなく、“栄光の背番号3”の長島と、“栄光の背番号3”を売る難波がパブリシティ用に握手している写真だった。
不意に訳もなく理不尽としかいいようのない、熱い衝動がこみあげてきた。
幸せですか、大事なものを手にいれたのですか、心残りはないのですか、口惜しくはないのですか、本当に幸せですか・・・。
(中略)
そんなことを言う権利は誰にもありはしないのだ、と気づいたからである。
誰が“本当に”などと断言できよう。たとえ“形”だけでも、たとえ“もろく”とも、幸せの姿を身にまとうために、人は悪戦苦闘し、難波もまた悪戦苦闘してきたのだから。
(中略)
忘れ去ろうとし、彼はできた。
彼にそれができたのは、何かが欠けていたからだ。プロスポーツマンとしての何かが。しかし、それは大事な何かを持っていたということと同じなのだ。プロスポーツ以外の世界で生きるための・・・。
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一選手として活躍できるかどうかは、プロ野球という舞台での勝負。
しかし、活躍の機会に恵まれず、選手として必要とされなくなった時、目の前にある現実をどう受けとめ、その後の人生をどのように切りひらいていくのか。
それもまた、一つの勝負だと思いました。