昼下がり、住宅街を散歩をしていると、
私の数メートル先を、3歳くらいの幼児と母親が歩いていた。
子どもは楽しそうにはしゃぎ、勢いよく駆け出したが、体勢が崩れて転んだ。
すぐ後ろを歩いている母親が、子どもに声をかけている。
母親は手を出さず、子どもが体を起こす様子を見守っていた。
子育て中の親は、子どもが自分の力で立ち上がることができるように、あえて「手を貸さない」こともあるのだろう。
子どもに怪我がある様子であれば、すぐに助けにいくに違いない。
親は子どもの成長や自立などを念頭に、様々な場面で、何を、どの程度、どのように手助けするのか、判断しているのかもしれない。
小説「車いすでジャンプ!」(モニカ・ロー著、中井はるの訳、小学館)は、車いすユーザーの少女エミーの視点から、支援を申し出る人との間で発生する認識のズレを描いている。
そして、そのズレをどのように埋めていけばよいのか?という問いを投げかけてくる。
エミーは、車いすで学校生活を送る12歳の女の子だが、車いすモトクロス選手になりたいと考えている。
スピードを出して、ジャンプを決めるには、日常生活用の車いすではなく、モトクロス用の車いすが必要だ。
そのため、エミーはネットショップを立ち上げ、自作の車いす専用バッグのオーダーを受けて販売している。
バッグの評判は上々で、貯金をコツコツと殖やしている。
そんな中、学校の校舎内で、エミーが転倒する。
けがはなかったが、問題が大きくなり、エミーの「支援」の在り方が検討されることになる。
さらに、モトクロス選手という夢を「支援」するための寄付活動も展開されることになる。
望んでいない、求めていない「支援」に対して、どう対応するか?
エミーに、ある先生がこう話す。
「先生は、自分の側から見た不公平はどんなものか分かる。
だけど、車いすから見た不公平がどんなものかは分からない。
(中略)ぼくらは自分が何を知っているかは分かるけれど、知らないことについては間違いをおかすものだ。
だから、対話しつづけるんだ。自分の意見をいう。人に伝えて教えて、そして人から教わるんだ。
それが目的を達成するための唯一の方法なんだよ」
自分自身で、答えを見つけて、行動するエミーの姿が清々しい。
「児童書」と位置付けられているが、子育てや教育に関わっている人、障害者の支援などに携わっている人に読んでほしい1冊。
「車いすでジャンプ!」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます