本と猫好きの日日社会メモ

本当の豊かさって何?などとたまに考えつつ、日日生活に流されながら、猫と戯れ本を読む・・そんな毎日を時々アップします。

休日~だら読~感動=「大志」

2011-07-17 18:47:33 | 日記(日々の出来事)
仕事関連の講座受講のための2日間のお休み+暦どおりの3連休で5連休です。

言い訳すれば、最初の2日間はハードだし、職場からお金が出なかったので休んで参加しましたが、ほとんど仕事。

ということで、一応連休2日目。

家族が仕事で一人だったので、自分だけをいいことに意図的にだらだらしてみました。

やり遂げたいことがあってその準備に追われ、常に何かを考えていて、最近ちょっと壁に突き当たっている感じがあります。

それでいつも時間が足りないとかもったいないって思っている気持にあえて逆らってみました。

そうはいってもリゾート地に行って、浜辺で寝ころんで・・なんていうことではなく、

散らかっている我が家で、読みたいと思って買っていた本を数冊小脇に抱え、涼しい部屋を選びつつ、結局たいして本も読めず、ただだらだらしただけで・・ぜんぜんリフレッシュしていませんが・・

他の本をパラパラ読んだ後に、以前Facebookの勉強会に参加した際に紹介いただいた「1日2400時間吉良式発想法」を読み始めました。

まだ読み始めたばかりなんで本に何が書いてあるかよくわかっていないんですが、
最初の書き出しで、いつものとおり感動してしまいました。そして「あれっ?」と考えました。

それは「教学相長也」という言葉を上司からもらって、あまり気の進まないまま中国人民大学で初めて講義をした時の話です。

学生が350人収容の講義室をびっしりと埋め尽くし、立ち見の学生さえいたそうですが、

「そしていざ話し始めると、通訳が翻訳するやいなや数百人の学生たちが鉛筆でノートに書く音が講義中に静かに響きだしたのである。荘厳と言ってもいい音だった。戦慄さえ覚えた。彼らはエリートなのに、どうしてこんなにも熱心なのか。いや。彼らはエリートだからこそ、こんなにも熱心なのである。当時の、あるいは現在の日本の学生たちは、学ぼうとするパッションが彼らほどあるだろうか・・・答えは明解である。
彼らは皆、見えない未来へ立ち向かおうとしていた。そんな態度を表現しうる言葉を、私は一つしか知らない。大志だ。彼らには大使があった。・・・」

1997年の話だからいまから10年ちょっと前、この人たちがいま30代で中国を最前線で支えているんでしょうね。本にもありますが、明治時代や終戦直後の日本にあった「大志」がいままさに中国にあるとすれば・・ぞくぞくしますね。

振り返って日本を見ると、いまの大学生世代は、既に強かった日本を知らず、日本の将来に強い不安を持っていて、それこそエリートって呼ばれる人たちはすごく優秀で、社会についていろいろ考えてはいるけれど・・

それはあくまで自分がどのように生き延びるか、あるいは自分に関係のある身近な世界がどうあるべきかってことに関心があったり、自分の能力を使って影響を及ぼすことができる特定の問題に関心が向いていて、「大志」を抱いている人がいるのかなって暗い気持ちになりました。

まあ大学生をそれほど見ているわけではないし、いまの世の中、「大志」ありますなんて様子をしていたら「おまえバカか」みたいになっちゃうから、本当はいるのかもしれませんが・・

だらだらしようとするにしては、選んだ本が間違っていて、結局なにやらいつもと同じようなことを考えている自分・・困ったもんです。


コメント
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