”ハーバード”?”白熱”? 完全に二匹目のドジョウですね。。って具合で、最近見た雑誌で、高校卒業後、すぐに海外の大学に留学したこの著者が、福岡県の出身だっていうことを知らなければ絶対に読まなかった本です。
編集者?出版社?このタイトルはないよね~と思ってました。
でも売れている・・みんなタイトルで手に取っているのかな?それもどうなのよ!とも思っていましたが・・
書店でパラパラとめくってみて、第一章の「ハーバードの先生になるまで」を読んで、購入しました。
第一章 感激しました。読んでいて胸が苦しくなって読み進められなくなる。ああいいなって本を読んだ時に時々感じるその感覚をこの本から感じました。
ちょうど日経新聞で、海外の大学への進学を考える高校生が増え始めたって記事を読んで、海外の大学に行くこと自体はとってもいいことだけど、その動機がよくわからないなあとちょっと違和感を感じていました。その違和感のわけがこの本の第一章を読んで解決しました。
初めての海外旅行先だったカナダが素晴らしく見えて、高校卒業後、カナダの大学に留学する。
苦労話が書かれていないので、本当のところはどうだったかわかりませんが、同級生が将来の就職を考えて、自分の成績と照らし合わせながら、受験できそうな日本の大学を選んでいる状況で、素敵だから絶対カナダの大学に行きたい。
ここから、あっ、この著者いいなって、思います。
その大学で日本史の教授のリサーチをアルバイトで手伝った際に、感じたいままでの日本史研究への疑問から始まって、大学では理系の専攻だったものが日本史の研究に入った経緯、カナダからアメリカの大学で研究を始めた経緯・・純粋にわからないこと、疑問に思ったこと、自分がやりたいことを追求し続けている著者の姿に、いまの若い方にもこんな方いるんだと自分のことのように嬉しくなります。
進路で悩んでいる高校生に読んで欲しい、読んだらどう感じるだろうなんて考えました。将来の損得だけを考えずに、こういう選択の仕方についても考えて欲しい。
著者が教える日本史の内容については、著者の研究が大学院生になった時から始まっていて、日本の中では、純粋な日本史の研究者ではないっていう整理なのか、批判のコメントばかりです。
曰く、過去の研究者の研究を尊重していない、過去にも同じような研究をした人がいるのに自分が初めて気がついたように書かれている。
日本史研究を知らない全くの素人が読んでも、そういう解釈でいいのかなっていうところが出てきて、それをアメリカ人に教えていいのかなとちょっとさびしい気持ちになるところもあったんですが、
新人の研究者であっても過去の研究をおかしいと思って自分なりに研究を進めること、異説を唱えればバッシングを受ける可能性があるとわかっていながら、それでも自分なりの方法を取るっているところは、これまた日本人らしくなくってとっても頼もしく感じました。
新しい視点から研究に取り組んでいるものを否定して、いままでどおりのやり方を踏襲するなら、新しい発見は出てこないわけで、新しい発見を得るのが研究じゃないかな~と、素人の私は、批判には若くしてハーバードで教鞭を取られた先生への嫉妬も入っているんじゃないかと寂しく感じてしまいます。
まだまだ未熟と感じるのなら、きっとネット上の批判で終わるんじゃなくて、議論を仕掛けたり、日本に招いて意見を交換したり、前向きなことに発展するんだろうと日本の研究者の方々の対応に期待をしております。
そしてもし北川先生の講義が間違ったもの、あるいは未熟なものとするなら、海外の一流の大学で、これから世界のリーダーとなる人たちが集まる大学で、誤った日本感が作られるのは、これからの日本に大きなマイナスにならないとも限りませんから、私が教えなければ、私が教えたいって発言をしていただきたいなあ~、日本にもそんな気概のある研究者がいるはずだって思いたいです。
批判は大事だけれど、単に批判して”終わり”じゃつまらないなあって感じるし、じゃ”自分だったらどうする”ってところ、是非聞きたいなって思うところです。
ところで、本題に戻して、北川先生の講義にかける情熱はすごい。自分の趣味の音楽、絵画等などを取り入れて、新しいスタイルを目指す。
高い学費を払っていて、とびきり優秀なハーバードの学生が時間を使って聴いてもいいと思う講義ですから、それを実現されたプロセス、発想、実際の内容、もっと詳しく知りたいですね。きっとビジネスプレゼンなどに参考になるものがあると思います。日本の大学でも、著者の教授法について、もっと関心を持って、いいところは取りいれて欲しいです。
ということで、この本、”白熱”がメインでも”日本史”がメインでもないとみました。
タイトルが頭に入ってしまうので、きちんと読めません。
これは絶対、出版社のミスだと思うんですが、でもこのタイトルだったから売れたっていうところもあるだろうから。。
それでもタイトルはもっとちゃんとつけて欲しいな。
編集者?出版社?このタイトルはないよね~と思ってました。
でも売れている・・みんなタイトルで手に取っているのかな?それもどうなのよ!とも思っていましたが・・
書店でパラパラとめくってみて、第一章の「ハーバードの先生になるまで」を読んで、購入しました。
第一章 感激しました。読んでいて胸が苦しくなって読み進められなくなる。ああいいなって本を読んだ時に時々感じるその感覚をこの本から感じました。
ちょうど日経新聞で、海外の大学への進学を考える高校生が増え始めたって記事を読んで、海外の大学に行くこと自体はとってもいいことだけど、その動機がよくわからないなあとちょっと違和感を感じていました。その違和感のわけがこの本の第一章を読んで解決しました。
初めての海外旅行先だったカナダが素晴らしく見えて、高校卒業後、カナダの大学に留学する。
苦労話が書かれていないので、本当のところはどうだったかわかりませんが、同級生が将来の就職を考えて、自分の成績と照らし合わせながら、受験できそうな日本の大学を選んでいる状況で、素敵だから絶対カナダの大学に行きたい。
ここから、あっ、この著者いいなって、思います。
その大学で日本史の教授のリサーチをアルバイトで手伝った際に、感じたいままでの日本史研究への疑問から始まって、大学では理系の専攻だったものが日本史の研究に入った経緯、カナダからアメリカの大学で研究を始めた経緯・・純粋にわからないこと、疑問に思ったこと、自分がやりたいことを追求し続けている著者の姿に、いまの若い方にもこんな方いるんだと自分のことのように嬉しくなります。
進路で悩んでいる高校生に読んで欲しい、読んだらどう感じるだろうなんて考えました。将来の損得だけを考えずに、こういう選択の仕方についても考えて欲しい。
著者が教える日本史の内容については、著者の研究が大学院生になった時から始まっていて、日本の中では、純粋な日本史の研究者ではないっていう整理なのか、批判のコメントばかりです。
曰く、過去の研究者の研究を尊重していない、過去にも同じような研究をした人がいるのに自分が初めて気がついたように書かれている。
日本史研究を知らない全くの素人が読んでも、そういう解釈でいいのかなっていうところが出てきて、それをアメリカ人に教えていいのかなとちょっとさびしい気持ちになるところもあったんですが、
新人の研究者であっても過去の研究をおかしいと思って自分なりに研究を進めること、異説を唱えればバッシングを受ける可能性があるとわかっていながら、それでも自分なりの方法を取るっているところは、これまた日本人らしくなくってとっても頼もしく感じました。
新しい視点から研究に取り組んでいるものを否定して、いままでどおりのやり方を踏襲するなら、新しい発見は出てこないわけで、新しい発見を得るのが研究じゃないかな~と、素人の私は、批判には若くしてハーバードで教鞭を取られた先生への嫉妬も入っているんじゃないかと寂しく感じてしまいます。
まだまだ未熟と感じるのなら、きっとネット上の批判で終わるんじゃなくて、議論を仕掛けたり、日本に招いて意見を交換したり、前向きなことに発展するんだろうと日本の研究者の方々の対応に期待をしております。
そしてもし北川先生の講義が間違ったもの、あるいは未熟なものとするなら、海外の一流の大学で、これから世界のリーダーとなる人たちが集まる大学で、誤った日本感が作られるのは、これからの日本に大きなマイナスにならないとも限りませんから、私が教えなければ、私が教えたいって発言をしていただきたいなあ~、日本にもそんな気概のある研究者がいるはずだって思いたいです。
批判は大事だけれど、単に批判して”終わり”じゃつまらないなあって感じるし、じゃ”自分だったらどうする”ってところ、是非聞きたいなって思うところです。
ところで、本題に戻して、北川先生の講義にかける情熱はすごい。自分の趣味の音楽、絵画等などを取り入れて、新しいスタイルを目指す。
高い学費を払っていて、とびきり優秀なハーバードの学生が時間を使って聴いてもいいと思う講義ですから、それを実現されたプロセス、発想、実際の内容、もっと詳しく知りたいですね。きっとビジネスプレゼンなどに参考になるものがあると思います。日本の大学でも、著者の教授法について、もっと関心を持って、いいところは取りいれて欲しいです。
ということで、この本、”白熱”がメインでも”日本史”がメインでもないとみました。
タイトルが頭に入ってしまうので、きちんと読めません。
これは絶対、出版社のミスだと思うんですが、でもこのタイトルだったから売れたっていうところもあるだろうから。。
それでもタイトルはもっとちゃんとつけて欲しいな。