このところ、沢木耕太郎の「深夜特急」に取りつかれて、ダラダラ読書をしています。
1巻、2巻までは新鮮さがあったのですが、後はけだるさのようなものが漂う内容で、それでも離れられずに読んでいます。
元々シンガポール旅行に行く前に、2巻のマレー半島・シンガポールまで読んでおこうなど思っていたのが、1巻も読み終えないまま旅行を迎えました。
その後、旅行から帰って1巻の香港・マカオ編を読んで、それが旅行の余韻と重なって、年1回ぐらい旅行したいなあなんて思っていたんですが、極端な節約の旅を続けるこの本を読んでいると旅って何?何のために人は旅をするんだろうって疑問がわいてきます。
疑問がわいてきたんで、安直にネットで検索してみました。
すると当然のごとくウィキペディアの記述が出てきました。自分はウィキベディアに記述があるのが、意外でした・・・
いろんなことが書いてあったので、気になるところだけ、一部抜粋してみました。
『概説
旅とは、住む土地を離れて、一時他の場所へゆくことである。買い物、通勤などのために連日同じ場所へ往復する移動は含まない。
柳田國男によれば、旅の原型は租庸調を納めに行く道のりのことである。食料や寝床は毎日その場で調達しなければならないものであり、道沿いの民家に交易を
求める(物乞いをする)際に、「給べ(たべ)」(「給ふ〔たまう〕」の謙譲語)といっていたことが語源であると考えられる、と柳田は述べている。
旅の歴史を遡って概観してみれば、人類は狩猟採集時代から食糧を得るために旅をしていたのであり、農耕が行われる時代になった後も、全ての人々が定住して
いたわけではなく、猟人、山人、漁師などは食糧採集のための旅を行っていた。 その後、宗教的な目的の旅がさかんに行われていた時代があり、ヨーロッパで
は4世紀ころには巡礼が始まっていた。日本でも平安時代末ころには巡礼が行われるようになった。イギリスでは近世になると裕福市民層の子が学業仕上げのグ
ランドツアーや家庭教師同伴の長期にわたる海外遊学などを行うようになった。日本では江戸時代にいくつもの街道が整備され、馬や駕籠も整備され、治安も改
善されたので、旅がさかんになった。 近代になり西欧で鉄道や汽船などの交通手段が発達すると、ますます旅はさかんになった。
現在の旅は非常に多様であり、様々に分類することが可能である。
目的地の有無
旅には目的地のある旅と無い旅がある。一般的に言えば目的地を決めて行われており、その目的地に行って何かを楽しむ(例えば、温泉で身体を癒したり、ゆっ
くりと宿で滞在したり、観光を楽しんだり 等)。また、“目的地”は形式的に設定されているだけであまり重要でなく実質は移動途中の行為であるような旅、
移動中に様々なものを見てゆくことが主たる愉しみである旅もある。
目的地を定めず期間だけを決めて旅に出る人、つまり行き先は成行き(旅先での偶然や必然)に任せてゆく、という旅をする人もいる。また目的地だけでなく期
間も定めず(あてどもなく)長期の旅に出る人もいる。「放浪の旅に出る」という表現もある。』
知人によく旅行に出る方がいて、その方はどちらかというと贅沢旅行ではなく、バックパックを背負って旅行に行く方を好まれていまして、私から見ると旅行通なんですが、旅がしたいがために早期に退職をされました。自分には理解ができない世界ですが、その方には、旅を通じて、私には見えないものが見えていたんだろうなと思います。
職をなげうつほどの魅力が旅にはあるんですね~
それが何なのか見たい気もしますが、ハマったら怖いなとも。
お金も時間もない自分がこれから旅にハマることはないでしょうが・・
ところで「深夜特急」、最終巻に入りました。淡々とロンドンについてしまうのか、それとも私の疑問の答えらしきものが出てくるのか・・