(4)旧みどり橋
「水門橋」から先、池から流れ出して神田川となった水流は、公園の林の中をひっそりと流れ、そして、公募で名を付けた「みどり橋」と言う木橋の下を潜り抜けている筈だった。それが、今回来てみると、「みどり橋」らしき橋はどこにもない。辺りをよく探してみると、橋が置かれていた橋台らしきものが、ひっそりと残っている。直ぐに壊せそうな仮橋だったので、さっさと壊してしまったに違いない。南側の広場に、プールか釣り堀があった頃ならいざ知らず、今時、この橋を利用する人なんぞは居なかったのだろう。
(5)旧よしきり橋
次の「よしきり橋」も、公募により名を付けた橋で、利用する人が結構居そうな橋なのだが、どこか変である。遠目には黒く塗った木橋のように見えるが、近くに寄ってみると、木製に偽装した橋であることが、すぐに分かる。となると、前に来た時に見た木製の「旧よしきり橋」はどこへいったのだろう。多分、「旧よしきり橋」も仮橋に過ぎなかったので、「みどり橋」と同様に、すぐに壊してしまったのだろうが、今はその痕跡すら見当たらない。そういえば、「旧よしきり橋」が架かっていたのは、京王線のガードの下という妙な場所だった。道は橋脚のアーチの下を潜るようになっていて、橋脚に頭上注意と書かれてはいたが、自転車で通行する人にとっては、少々危険な通路でもあった。いま来てみると、橋が撤去されているばかりでなく、橋脚の下のアーチの部分も塞がれている。やはり、事故があってもおかしくない場所ではあったのだ。では、どうして、こんな場所に橋を架けたのだろうか。何か謂れがありそうである。
(6)旧夕やけ橋
駅舎は新しくなってはいるものの、どこか懐かしい井の頭公園駅に立ち寄ってから、今の「よしきり橋」を渡り、神田川に沿って下っていく。明るい日差しの中を、川はのんびりと流れていて、子供たちが何人か、川遊びをしているのが見える。こちらも水遊びをしたい気分だが、今日のところは先を急ぐゆえ、取り止めにして、次の木の橋、「夕やけ橋」を渡る。この橋の名も公募によるものだという。橋を渡りきって、何気なく振り返ると、どこかおかしい。前に来た時は、親柱も木製だった筈だが、今見ると、石の親柱になっている。橋の形も以前と違っていて、何となく安っぽく見える。前の橋は丈夫そうに見えたのだが、橋を架け替えざるを得ない事情が生じたのだろうか。
(7)神田上水橋
「夕やけ橋」の下流に、「神田上水橋」という橋が架かっている。橋の名の由来は不明だが、何の変哲もない橋である。橋から上流を眺めると、「夕やけ橋」を過ぎた辺りから、神田川が何段かの小さな滝となって、切り立ったコンクリートの谷の中へと落込んで行くのが見える。川の中には草が茂り、ちょっぴり自然が残っているように見えてはいるが、この橋の下を流れているのは、神田上水ではなく、まごうことなき都市河川の一つとなった神田川である。この橋は、神田上水、さようなら、と言っているようにも見える。
(8)あしはら橋
明治の頃、この辺りに小橋があり、細い道が通っていたらしい。「あしはら橋」が、その名残かどうかは分からないが、昔は芦の茂る湿地帯であったようで、橋の名も、それに由来するのだろう。今でも川の中を芦らしきものが占領しているが、橋の名に因んで植えたのか、自然発生したのかどうかは分からない。この辺では、カワセミを見かけることもあるそうだが、コンクリート岸壁ゆえ住みつくのは無理というものだ。それに代わって、都市部に適応したハクセキレイが一羽。ひらりと現れて、また何処かに飛んでいった。
この橋の下流で、神田川は井の頭線に沿って流れるようになる。この辺りは地盤が軟弱だったので、井の頭線の開通当時は電車が脱線したこともあったと聞く。今はもちろん、そんな事は無いが、歩く傍を電車が追い抜いて行くのはあまり気分が良くない。そこで、ここからは左岸の道を歩く。その道の途中に親水テラスがあったので下りてみる。テラスと水面との距離はあまり無い。もっとも、昔の神田川の水面と、川縁との段差はこの程度のもので、すぐに川の中に入れたのだ。そんなことを思っているうちに、川の中に入ってみたい衝動に駆られた。しかし、残念ながら柵にはカギが掛っている。諦めて、道に上がり、少し先の丸山橋に行く。
「水門橋」から先、池から流れ出して神田川となった水流は、公園の林の中をひっそりと流れ、そして、公募で名を付けた「みどり橋」と言う木橋の下を潜り抜けている筈だった。それが、今回来てみると、「みどり橋」らしき橋はどこにもない。辺りをよく探してみると、橋が置かれていた橋台らしきものが、ひっそりと残っている。直ぐに壊せそうな仮橋だったので、さっさと壊してしまったに違いない。南側の広場に、プールか釣り堀があった頃ならいざ知らず、今時、この橋を利用する人なんぞは居なかったのだろう。
(5)旧よしきり橋
次の「よしきり橋」も、公募により名を付けた橋で、利用する人が結構居そうな橋なのだが、どこか変である。遠目には黒く塗った木橋のように見えるが、近くに寄ってみると、木製に偽装した橋であることが、すぐに分かる。となると、前に来た時に見た木製の「旧よしきり橋」はどこへいったのだろう。多分、「旧よしきり橋」も仮橋に過ぎなかったので、「みどり橋」と同様に、すぐに壊してしまったのだろうが、今はその痕跡すら見当たらない。そういえば、「旧よしきり橋」が架かっていたのは、京王線のガードの下という妙な場所だった。道は橋脚のアーチの下を潜るようになっていて、橋脚に頭上注意と書かれてはいたが、自転車で通行する人にとっては、少々危険な通路でもあった。いま来てみると、橋が撤去されているばかりでなく、橋脚の下のアーチの部分も塞がれている。やはり、事故があってもおかしくない場所ではあったのだ。では、どうして、こんな場所に橋を架けたのだろうか。何か謂れがありそうである。
(6)旧夕やけ橋
駅舎は新しくなってはいるものの、どこか懐かしい井の頭公園駅に立ち寄ってから、今の「よしきり橋」を渡り、神田川に沿って下っていく。明るい日差しの中を、川はのんびりと流れていて、子供たちが何人か、川遊びをしているのが見える。こちらも水遊びをしたい気分だが、今日のところは先を急ぐゆえ、取り止めにして、次の木の橋、「夕やけ橋」を渡る。この橋の名も公募によるものだという。橋を渡りきって、何気なく振り返ると、どこかおかしい。前に来た時は、親柱も木製だった筈だが、今見ると、石の親柱になっている。橋の形も以前と違っていて、何となく安っぽく見える。前の橋は丈夫そうに見えたのだが、橋を架け替えざるを得ない事情が生じたのだろうか。
(7)神田上水橋
「夕やけ橋」の下流に、「神田上水橋」という橋が架かっている。橋の名の由来は不明だが、何の変哲もない橋である。橋から上流を眺めると、「夕やけ橋」を過ぎた辺りから、神田川が何段かの小さな滝となって、切り立ったコンクリートの谷の中へと落込んで行くのが見える。川の中には草が茂り、ちょっぴり自然が残っているように見えてはいるが、この橋の下を流れているのは、神田上水ではなく、まごうことなき都市河川の一つとなった神田川である。この橋は、神田上水、さようなら、と言っているようにも見える。
(8)あしはら橋
明治の頃、この辺りに小橋があり、細い道が通っていたらしい。「あしはら橋」が、その名残かどうかは分からないが、昔は芦の茂る湿地帯であったようで、橋の名も、それに由来するのだろう。今でも川の中を芦らしきものが占領しているが、橋の名に因んで植えたのか、自然発生したのかどうかは分からない。この辺では、カワセミを見かけることもあるそうだが、コンクリート岸壁ゆえ住みつくのは無理というものだ。それに代わって、都市部に適応したハクセキレイが一羽。ひらりと現れて、また何処かに飛んでいった。
この橋の下流で、神田川は井の頭線に沿って流れるようになる。この辺りは地盤が軟弱だったので、井の頭線の開通当時は電車が脱線したこともあったと聞く。今はもちろん、そんな事は無いが、歩く傍を電車が追い抜いて行くのはあまり気分が良くない。そこで、ここからは左岸の道を歩く。その道の途中に親水テラスがあったので下りてみる。テラスと水面との距離はあまり無い。もっとも、昔の神田川の水面と、川縁との段差はこの程度のもので、すぐに川の中に入れたのだ。そんなことを思っているうちに、川の中に入ってみたい衝動に駆られた。しかし、残念ながら柵にはカギが掛っている。諦めて、道に上がり、少し先の丸山橋に行く。