夢七雑録

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都電荒川線について

2010-11-01 17:22:21 | 都電荒川線に沿って
 都電荒川線は現在まで唯一残った都電の路線で、三ノ輪橋から早稲田まで12.2Km、30か所の停留所を、一両編成のワンマンカーが50分ほどかけて走っている。その沿線には、一昔前の懐かしい風景が広がっている。電車に揺られながら窓の外を眺めるのも良し、途中下車して周辺を散歩するのも、また楽しからずやである。次に都電荒川線の路線図を示しておく(東京都交通局のパンフレットより)。

 都電荒川線のルーツは、明治44年に王子電気軌道株式会社が大塚・飛鳥山間の電車を開業したことに始まる。その後、王子から三ノ輪への路線、王子から赤羽への路線が開業し、昭和5年には三ノ輪・早稲田間の直通運転が開始される。昭和17年、王電と呼ばれて親しまれていた王子電気軌道株式会社が東京市電に統合され、翌年には都電に改称される。戦後、都電は庶民の足として発展し路線の総延長が200kmを越えるまでになるが、やがて都電が交通渋滞の一因とされるようになり、また都電が赤字事業であったことから、昭和40年代になって都電の廃止が進むようになる。その中で、早稲田・三ノ輪間については専用軌道の区間が多いこともあり、バスによる代替えも難しく、住民の要望も強かったことから、都電のなかで唯一存続することが決定され、都電荒川線として現在に至っている。以下に略年表を記しておく。

・明治43年4月。王子電気軌道株式会社創立。
・明治44年8月。大塚~飛鳥山で電車開業(大塚線)。
・大正2年4月。三ノ輪~飛鳥山下で電車開業(三ノ輪線)。
・大正4年4月。飛鳥山から王子まで延長。
・大正12年9月。関東大震災で被災するが、8日後には復旧。
・大正14年2月。飛鳥山下から王子駅前まで延長。
・大正14年11月。大塚から鬼子母神まで延長。
・大正15年3月。王子駅前~神谷橋で電車開業(赤羽線)。
・昭和2年12月。神谷橋から赤羽まで延長。
・昭和3年5月。三ノ輪~鬼子母神が直通運転。
・昭和3年12月。鬼子母神から面影橋まで延長。
・昭和5年3月。面影橋から早稲田まで延長。三ノ輪~早稲田が直通運転。
・昭和17年2月。王子電気軌道㈱は東京市電気局に統合。王電から東京市電へ
・昭和18年7月。東京都交通局に改称。市電から都電へ。
・昭和24年2月。戦災路線の復旧完了。
・昭和42年12月。都電撤去開始。
・昭和47年11月。三ノ輪~早稲田以外の都電撤去終了。
・昭和49年10月。都電荒川線の存続決定。
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