夢七雑録

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学習院下から鬼子母神前へ

2010-11-14 14:04:25 | 都電荒川線に沿って

 学習院下の停留所から都電の線路に沿って明治通りを上がる。少し行くと、昭和7年に竣工し翌年に開通した立体交差橋・千登世橋に出る。その東側は千登世小橋で、都電はその下を潜っている。千登世橋の付近は、南から谷が入り込む地形になっていて、その谷合を通る道が江戸時代にも存在していたようだが、台地の近くでは急傾斜であったと思われる。明治通りを開設するに際し、清戸道(現・目白通り)と平面交差する案も検討されたが、傾斜が急すぎる等の理由から取りやめとなり、切通しを掘って明治通りを緩傾斜とし、千登世橋を架け清戸道と立体交差させる事にしたという。なお、現在の千登世小橋は、千登世橋を架橋する際に架けられたものである。

 千登世橋に上り目白通りに出る。橋の上の記念碑の横から南側を暫く眺めたあと、西側の信号を渡って北側の歩道を歩き、今度は千登世小橋から北の方を眺める。坂を上がった電車が、ちょうど今、鬼子母神前の停留所に到着したばかりのようである。都電沿いには道路工事が進められていて、その横を通って行くこともできそうだが、今回は目白通りを東に次の信号まで行く。南から上ってくる坂は宿坂である。ここを北に入り商店街を抜け、鬼子母神前の停留所に出る。南の方を見ると、都電がS字カーブを描きながら、千登世小橋の下を潜って行くのが見える。鬼子母神前と面影橋間の電車は、明治通りに先だって昭和3年に開通しているが、傾斜を緩やかにするため、切通しを堀って、清戸道(現・目白通り)の下を潜るようにしたのだろう。

 江戸時代、江戸川橋から目白坂を上り練馬方面に向かう道(現・目白通り)と、宿坂を上がって鬼子母神方面に向かう旧鎌倉街道とが交差する付近を高田四谷町と呼び町屋が並んでいた。当時は、物見遊山を兼ねた多くの参詣客が、この町並みを通って鬼子母神に向かっていたのだろう。参詣客にとって交通の便が格段に良くなったのは、王子電気軌道が大塚から延長されて鬼子母神近くに停留所が設けられた、大正14年になってからである。現在は、地下鉄副都心線・雑司ヶ谷駅が開業し、鬼子母神の最寄り駅になっており、また、都電の鬼子母神前の乗換駅にもなっている。

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