夢七雑録

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12.小滝橋から田島橋

2009-11-14 09:09:55 | 神田川と支流

(96)小滝橋

 「小滝橋」の名の由来は、下流に堰があって滝の音がしていたからという。また、姿見ず橋と呼ばれた「淀橋」に対して、姿見橋とも呼ばれていた。江戸時代は周囲に茶店が並び、涼を求める人で賑わったと言われている。また、ここを通る道は青梅街道の裏街道として利用され、小滝橋を渡って北へ行くと板橋・練馬方面に、南へ行くと中野に出られる、一寸した交通の要所であったため、「小滝橋」の西側は、荷を運ぶ人たちの休憩地になっていた。現在の「小滝橋」は当時とは位置がずれて、堰も失われてしまったが、交通量の多い早稲田通りが通過し、西側に都バス営業所もあって、交通の要所である点は変わらない。この橋から先も、桜は続いている。その右岸を先へと歩く。

(97)久保前橋
 桜と桜の間に隙間が出来るようになると「久保前橋」で、大正15年の竣工という。近くの碑に由来が書いてありそうだが、読めそうになく、読む気もないのでパスして橋を渡る。向こう側は落合水再生センターで、上が落合中央公園になっている。階段を上がって、桜の並木を見下ろし、それから、橋を渡って広場に行く。短い距離なら全力疾走出来そうな広さだが、走るのは駄目だという。狭い場所を駆けずり回っても面白くないので、橋まで戻って、今度は左岸を歩く。

(98)せせらぎ橋

せせらぎ橋は、せせらぎの里公苑に由来する、新しい橋である。折角なので、近くの妙正寺川を見に行く。公苑の横の桜の下を通り、下落合駅の踏切を渡り、「落合橋」も渡って、右に折れ、妙正寺川に沿って歩くと、すぐに「西ノ橋」に出る。この橋は、比丘尼橋、落合土橋とも呼ばれていた橋で、今でこそ、昭和になって架けられた「落合橋」に主役を奪われているが、江戸から明治にかけては、この橋が主役で、妙正寺川の上流は中井の「寺斉橋」まで橋が無く、下流はすぐに旧神田上水に合流していた。現在の妙正寺川は、神田川との合流点を先に延ばして、「西ノ橋」から東流し、「千代久保橋」の先で斜面を滑り落ち、「辰巳橋」の下を潜って、暗渠の中に吸い込まれている。じっと見ていると、こちらまで吸い込まれそうなので、早々に切り上げ、踏切を渡って右に行く。念のため、川沿いに歩いて「せせらぎ橋」まで戻り、橋を渡って今度は右岸の桜の下を「新堀橋」に向かう。

 

(99)新堀橋
 新堀橋の手前には、神田川が溢れた時に妙正寺川に水を流す「高田馬場分水路」の暗渠が口をあけているが、桜景色の中では、アクセントと言えなくもない。ところで、旧神田上水は現在の流路とはかなり異なり、北に蛇行して、現・下落合駅の南側で妙正寺川と合流したあと、線路の北側を流れ、「千代久保橋」の下を通って、再び線路の南側へと流れていた。昭和の初期、これをショートカットし、東に流れる水路が新しく掘削されたが、ここに架けられたのが「新堀橋」で、橋の名の由来にもなっている。

(100)瀧澤橋
 新堀橋から右岸の桜の下を歩き、「瀧澤橋」に出る。この橋の下流で、神田川は小さな段差を落ちて小滝のようになっている。その手前に、昭和初期の河川改修によって変えられた、妙正寺川との合流点があった筈だが、今はその跡も判別しづらくなっている。この河川改修では、線路北側の妙正寺川も直線の多い流路に変わり、下落合駅の南側にあった旧神田上水との合流点は、一枚岩の名勝もろとも埋め立てられて消滅している。また、妙正寺川は「西ノ橋」から東に流れるよう改修され、旧神田上水の橋だった「千代久保橋」の下を流れ、斜め右方に直進して旧神田上水と合流するよう改修された。この時、合流点の上流部に架けられたのが「瀧澤橋」である。現在はこの合流点も消滅し、神田川と妙正寺川との合流点は、ずっと下流の高田橋付近に移っている。

(101)落合橋

 「瀧澤橋」から先は川沿いに歩けないため、南側に回って、古い鋼橋のままの「落合橋」に行く。橋から上流を眺めると、しだれ桜と川の流れの対比が面白く、小さな滝と組み合わせて切り取ると、一寸した渓流美のようにも見える。旧神田上水は、戸塚三小の東側を南に流れ、次いで東に転じ、「田島橋」の手前で北に向かっていたが、昭和初期の河川改修によって、神田上水の流路が変わり、現在の場所に「落合橋」が架けられる。橋の名の由来だが、河川改修により作られた神田川と妙正寺川の合流点の近くにあったからだろうか。

(102)宮田橋
 「宮田橋」は、昭和初期の河川改修の際に、現在の位置に架けられるが、南側を流れていた旧神田上水に架かっていた宮田橋が、その前身と言える。橋の名は地名(字)に由来し、橋は今も古い鋼橋のままである。この先、川沿いの道は無い。橋から下流を眺めると、「田島橋」の手前に橋が架かっているのが見える。「富士短大」敷地内の橋である。十数年前に来た時には、橋は一階部分に架かっていた筈なのだが、何時の間にか高い位置に移動している。どのみち、構内橋ゆえ、神田川の橋としては番外の橋にはなるのだが。


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