全く暑いときに生まれてきたものです。
1946年8月27日、私は原爆で荒廃した広島の街で次女として生を受けました。
荒廃した街でよくぞ母のお腹の中で10月10日、無事育ったものと思います。
正確には覚えていませんが、食糧事情の劣悪だった戦後にもかかわらず、標準体重で生まれ、
ミルクもむせるほどの一気飲みをする元気な赤ちゃんだったと母から聞いたことがあります。
そしてこんな面白い話もあるんですよ。
その頃の広島市街地の住宅は被爆により傷みがひどく、どこからでも空き巣、泥棒が入れる物騒な状態。
ある時、空き巣に入られ、私の寝ている布団のすぐわきに泥靴の跡があったとか。
私は何も知らずスヤスヤと寝ていたようですよ。母はよくさらわれなかったと安堵したとか。
その頃は「人さらい」と言って、子供を売り飛ばしてお金をてにいれるという悪行がまかり通っていたようです。
私って高く売れるような可愛い赤ちゃんでもなかったのでしょうね(苦笑)。
そんな私も母が亡くなった年齢75歳なりました。これからは母の分まで元気に長生きをしたいと思います。
昨日のお誕生日は特に何もする予定はありませんでしたが、夫Aさんがゴルフに誘ってくれました。
コロナ禍の中でもゴルフは安全と思い、友達と月1~2回、夫Aさんと月1でプレーしていました。
しかし昨年末頃から徐々にコロナ蔓延が危機的状況となり、その回数は激減。
気心が知れているとは言え、感染のリスクはゼロとはいえず、友人とのゴルフは辞退することにしました。
グループを抜けた理由はコロナだけではありません。
私の体力、気力、知力が友人についていけなかったというのも理由の一つでした。
夫Aさんも彼のゴルフ仲間、飲み仲間もとても慎重な方たちです
(皆さんとてもお元気ですが、年齢的に持病のある方も多くいらっしゃいます)
私が友人とゴルフプレーをまだ楽しんでいるときでも、彼は私以外とはゴルフには出かけませんでした。
もう2年近く仲間とはゴルフをしていないんじゃないかしら。
今ではふたりとも、それも夫婦で、3~4カ月に1回の割合でのゴルフプレーになっています。
昨日もクラブにカビが生えているんじゃない?と笑いました。
<アウトスタートコース>
昨日はゴルフと言っても本コースではなくショートコース。私のゴルフの原点となったコースです。
富士山の麓、鳴沢村にあり、コースからは富士山がよく見えます。それも一つの楽しみ!
ところが残念ながら昨日は晴天ながら湿度もも高かったためか、
靄がかかり全く富士山を見ることはできませんでした。そこは期待外れでしたが、
東京を出発した時は車の外気温は既に30度(早朝6時)、現地に着いた8時の気温は25度!
とっても涼しかったです。もちろん徐々に気温は上がり、それもスポーツに興じるのですから暑かった
ショートコースにしては距離も長く、練習には最適なゴルフコースです。
ショートコースと言えども馬鹿にできません。久しぶりのゴルフに息が切れました。
ご興味のある方は下記をクリックしてご覧ください。
全コース歩きのうえ、手動の手引きカートを引きながら回ります。これが結構疲れます。
アップダウンもあり、まるで山登りをしている様。
コロナ禍の家籠りで体力がかなり落ちていることを痛感しました。
以前はアウト→イン→アウト→インと18ホールを2回周るだけの体力気力がありました。(回り放題です)、
昨日は1回周ったところで、はやばやギブアップ。情けないですね~。
往復私の運転ということもあり(高速を利用、片道120キロあります)、帰路の運転の体力温存も必要。
レストランで簡単なランチを済ませ、車の中でしばし休息。無事帰宅、バタンキューです
<以前にはなかった新しいメニュー 揚げなすのぶっかけうどん 美味しかったです>
パラリンピック、着々とメダルが増えていきます。嬉しいです!
そういえば、パラリンピックの競技種目の中に「ブラインドゴルフ」がありませんね。なぜ?
ブラインドゴルフは視覚障害者が介添え者と二人一組でプレーするゴルフ競技で、
以前通っていたゴルフスクールのインスタラクターはその介添え者をしたことがると仰っていました。
観てみたいスポーツのひとつです。
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