『根拠のない自信』の大切さ、折に触れて、いろんな人に伝えています。
生きづらさを抱えた子どもも大人もたくさんいる混迷の「先進国ニッポン」だから。
結果重視、成果主義、他人との比較による評価が中心の学校教育、塾、習い事、スポーツクラブでは、どんなに優れた子どもでも『根拠のある自信』しか身につきません。
そしてそれは本当は『自信』ではなく、ただの『優越感』です。
結果が優れているから、他人より優れているから評価されただけの。
だからその評価軸において、自分より優れている人に出会うと昨日までの『優越感』は『劣等感』に変わります。
そしてつぶやきます。
『自信を失くした…』
自信(だと思い込んでいるもの)を回復するためにどうするか。
自分より劣っているものを踏み台にするしかありません。
さて、子どもたちの自由な遊びの世界です。
「上がれねぇ」「登れねぇ」
「登れたっ」「掴まれっ」「下から押すぞっ」
「今度はオレを頼むっ」「よし掴まれっ」「せーのっ」
「一緒に跳ぼうぜっ」「いっせきのーせっ」
大人から見たら実にくだらないことかも知れません。
人生の何の役にも立たないと思うかも知れません。
でも、こうして彼らが着々と手に入れていくのは『信じられる他人』です。
身軽な者がそれを苦手とする者を嘲笑しながら自分だけが楽しむのではない。
仲間と喜びを共有するために手を差し伸べたり、下から押し上げたり。
そこに偏差値、点数、級・段、レベル、賞…といった他人との比較による数字的根拠はありません。
ありませんが、こうした遊びをたっぷりすればするほど、信じられる仲間、そして、信じられる自分、つまり本当の意味での『自信』を手に入れていくことでしょう。
子どもたちが繰り広げる自由な遊びの価値がもっともっと評価される社会になるといいのですが。
幼児3人 小学生8人 中学生9人 高校生5人 大学生2人 大人19人 計46人
生きづらさを抱えた子どもも大人もたくさんいる混迷の「先進国ニッポン」だから。
結果重視、成果主義、他人との比較による評価が中心の学校教育、塾、習い事、スポーツクラブでは、どんなに優れた子どもでも『根拠のある自信』しか身につきません。
そしてそれは本当は『自信』ではなく、ただの『優越感』です。
結果が優れているから、他人より優れているから評価されただけの。
だからその評価軸において、自分より優れている人に出会うと昨日までの『優越感』は『劣等感』に変わります。
そしてつぶやきます。
『自信を失くした…』
自信(だと思い込んでいるもの)を回復するためにどうするか。
自分より劣っているものを踏み台にするしかありません。
さて、子どもたちの自由な遊びの世界です。
「上がれねぇ」「登れねぇ」
「登れたっ」「掴まれっ」「下から押すぞっ」
「今度はオレを頼むっ」「よし掴まれっ」「せーのっ」
「一緒に跳ぼうぜっ」「いっせきのーせっ」
大人から見たら実にくだらないことかも知れません。
人生の何の役にも立たないと思うかも知れません。
でも、こうして彼らが着々と手に入れていくのは『信じられる他人』です。
身軽な者がそれを苦手とする者を嘲笑しながら自分だけが楽しむのではない。
仲間と喜びを共有するために手を差し伸べたり、下から押し上げたり。
そこに偏差値、点数、級・段、レベル、賞…といった他人との比較による数字的根拠はありません。
ありませんが、こうした遊びをたっぷりすればするほど、信じられる仲間、そして、信じられる自分、つまり本当の意味での『自信』を手に入れていくことでしょう。
子どもたちが繰り広げる自由な遊びの価値がもっともっと評価される社会になるといいのですが。
幼児3人 小学生8人 中学生9人 高校生5人 大学生2人 大人19人 計46人
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