冒険遊び場(プレーパーク)『たごっこパーク』

心が折れるより、骨が折れるほうがましだ。富士山麓の麓、田子浦港近くの公園と川ではちゃめちゃに遊ぶ子どもたちの日常。

[通算652回目]2014年10月11日(土) 大学生の卒業論文取材

2014年10月11日 | 冒険遊び場たごっこパーク26年度
大学生のミサキさんが卒論で居場所づくりをテーマにしているとのことで現場取材にいらっしゃいました。



【質疑応答より】
Q「冒険遊び場たごっこパーク」や「おもしろ荘」といった活動に触れてきた子どもたちが、どのように変わっていったのでしょうか。
  身体的なものや、精神的に成長したなと感じたことはありますでしょうか。
A研究テーマである「居場所」をまさに提供しようとしているわけですから、そもそも、身体的な成長も精神的な発達も求めてはいません。
 子ども・若者の成長や発達は、「目的」ではなく、「結果」だからです。
 なので、「結果」として、変化したなぁとか、生きづらさを乗り越えたなぁと思うような子ども・若者には、たくさん出会ってきました。

Q活動を行っていく中で、渡部さんが感じた「子どもを迎えるために必要だと思うこと」は何でしょうか。
 心がけていらっしゃることや、運営していく上で必要だと感じた業務的なもの等お聞かせ願えたらと思います。
A 志と想像力ですね。
 必要としてくれて手を差し伸べてきたときに、それを握り返してあげたら、何があってもこちらからは離さないという志。
 そのためにありとあらゆるものとときには戦い、ときにはしたたかに頭を垂れ、そして志をともにできる者とは共感し合い、ということなども含めて。
 と同時に想像力。
 子ども・若者の外に現している言動の向こう側に何を抱えているんだろうと想像する力です。
 細かなことで言えば、どうしてあんな暴言を吐くのかとか、どうしてすぐに他人を突き飛ばすのかとか、
 どうしていちいち遊ぶ前に許可を求めてくるのかとか、どうして夕方遅くまで帰路に着こうとしないのかとか、
 もう少し大きな表れで言えば、どうして不登校という選択をしたのかとか、どうして非行に走ったのかとか、
 どうして教師に手を出したのかとか、そういうことです。
 
 そのどうしてに結び付くような言動は観察をするしかありません。
 そして相手がその疑問に答えるかのようにつぶやいてくれる存在になれるよう関係性を紡いでいくしかありません。
 「志と想像力」、極端に言えば必要なものはその二つだけで、それがブレずにあれば、業務的に必要なものなんかなんとかなるものです。
 大切なのは居場所づくりを「なぜやるか」ということであり、「なにをどのようにやるか」は、どうでもいいのです。

Q活動を通して、地域の方々に何か変化はありましたでしょうか。
 例えば支援してくださる方や、共に子どもたちと遊ぶ方が増えたりといったことです。
A 細かなことはいろいろありますが、本当に細かなことがいろいろです。
 それよりは、10年やってきましたから、もう少し広い範囲でと言いますか、全国各地から注目をいただき、
 「自分の地でもやってみたい」という方々との出会いが年々蓄積されていることが大きな変化であると思っています。

Q「冒険遊び場たごっこパーク」等はどんな子どもでも受け入れる居場所でありますが、逆に大人の居場所やコミュニティでもあると感じたことはあります でしょうか。
A それはもうすごく感じます。
 これはただ、難しい側面もあり、必ずしも、大人が100%居場所だと感じられるような場所が子どもにとっても心地よいのかは別物だったりします。
 「親の目を盗んで」とか「校則を破って」といった要素に子どもたちはワクワクドキドキしたりする生き物だからです。


幼児1人 小学生5人 中学生5人 高校生7人 大学生1人 子ども若者19人 大人13人 計33人
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