自分がはっきりと試合を覚えているのは
新日本設立後の金曜夜八時
ワールドプロレスリングの時代から
もちろん私の世代であれば日本プロレスも
見ている。
小学生低学年のころは
家のテレビはまだ白黒テレビの時代
馬場、猪木のBIを見た記憶がある。
毎週見る番組は決まっていたので
毎週見ていたはずである。
家は両親が商売で家にはおらず
おばあちゃんと弟の3人で物心ついたころから
ずっと見ていた。
デストロイヤーに4の字をかけられた
馬場の足が折れたかとヒヤヒヤ
した記憶もあるし、
鉄の爪エリックフォンエリックの
アイアンクロー印象は強烈だった、
多くの外人レスラーを見たはずだが
意外と記憶に残っているレスラーは少ない。
猪木のドリーとのNWA世界戦
引き分けは見た記憶はあるが、
その他もろもろの試合の記憶がほとんど
消えさってしまってる。
そういえば、おばあちゃんと二人で「馬場と猪木
どっちが強いんやろう」と話していたことも
懐かしい記憶である。
そんな私であったのでこの10年ほどは
ゴダイゴ探究の旅に加えて
猪木の日本プロレス時代探究の旅も始めていた。
資料として集め出したのは
東京スポーツの「馬場と猪木」
新大阪新聞社の「週刊ファイト縮刷版」
レスラーの自叙伝など
さすがに当時に月刊誌までは手はだせなかったが、
他にも多くの書籍を買い求めた。
そしてその中でもうひとつ関心を持ち始めたのが
日本人レスラーの海外武者修行時代だ。
多くのレスラーが若手時代に海外に修行にでて
凱旋帰国している。
2000年代の米国駐在時代
私がいたジョージア州で
知り合いから永田裕司がアトランタで修行中で
ご飯を一緒に食べたと聞いてたこともあるし
米国移動中の飛行機のなかでWWF/WWEの
船木選手を見かけたこともある。
猪木が修行できていたテネシー州のチャタヌーガという街は
ジョージアのすぐとなりでそこにある水族館には
何度か訪れたことがある。
すこしだけど接点が生まれたようで
嬉しくなったものである。
その若手修行時代のデータ収集
これもまま新たな探究の旅に加わろうとしている。
新日本設立後の金曜夜八時
ワールドプロレスリングの時代から
もちろん私の世代であれば日本プロレスも
見ている。
小学生低学年のころは
家のテレビはまだ白黒テレビの時代
馬場、猪木のBIを見た記憶がある。
毎週見る番組は決まっていたので
毎週見ていたはずである。
家は両親が商売で家にはおらず
おばあちゃんと弟の3人で物心ついたころから
ずっと見ていた。
デストロイヤーに4の字をかけられた
馬場の足が折れたかとヒヤヒヤ
した記憶もあるし、
鉄の爪エリックフォンエリックの
アイアンクロー印象は強烈だった、
多くの外人レスラーを見たはずだが
意外と記憶に残っているレスラーは少ない。
猪木のドリーとのNWA世界戦
引き分けは見た記憶はあるが、
その他もろもろの試合の記憶がほとんど
消えさってしまってる。
そういえば、おばあちゃんと二人で「馬場と猪木
どっちが強いんやろう」と話していたことも
懐かしい記憶である。
そんな私であったのでこの10年ほどは
ゴダイゴ探究の旅に加えて
猪木の日本プロレス時代探究の旅も始めていた。
資料として集め出したのは
東京スポーツの「馬場と猪木」
新大阪新聞社の「週刊ファイト縮刷版」
レスラーの自叙伝など
さすがに当時に月刊誌までは手はだせなかったが、
他にも多くの書籍を買い求めた。
そしてその中でもうひとつ関心を持ち始めたのが
日本人レスラーの海外武者修行時代だ。
多くのレスラーが若手時代に海外に修行にでて
凱旋帰国している。
2000年代の米国駐在時代
私がいたジョージア州で
知り合いから永田裕司がアトランタで修行中で
ご飯を一緒に食べたと聞いてたこともあるし
米国移動中の飛行機のなかでWWF/WWEの
船木選手を見かけたこともある。
猪木が修行できていたテネシー州のチャタヌーガという街は
ジョージアのすぐとなりでそこにある水族館には
何度か訪れたことがある。
すこしだけど接点が生まれたようで
嬉しくなったものである。
その若手修行時代のデータ収集
これもまま新たな探究の旅に加わろうとしている。
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