夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2017年 2月 6日(月)「道半ば」

2017年02月06日 19時56分29秒 | 「政治・経済」
安倍政権は良く「道半ば」という言葉を使う。
アベノミクスは失敗ではないかといった批判に対してこの「道半ば」を使う。
アベノミクスも5年目に入っている。同時に日銀の量的緩和も並行しながら行われてきた。
それらしく成果もないままに「道半ば」は続く。
しかしなぜいつまでも成果らしい成果も見えずに「道半ば」が続くのだろう?
政府も日銀も当初は「インフレ」として2%のインフレを目標とした。しかし途中からトーンダウンをしてインフレではなくて「2%の物価安定目標」に。
なぜいつまでたっても「道半ば」なのか答えは、政府や日銀の経済政策を支える経済学にごまかしがあったということである。
デフレ矛盾に陥っている日本ですからここから脱却をしなければならない。デフレとは物価が下がり続ける現象だ。デフレの中で経済の好循環は生まれない。経済の好循環はインフレとなる。物価が上がっていく現象である。よって、物価が上がれば経済の好循環も生まれる。ここではインフレもデフレも単に物価が騰がることか下がることかでしか見ていない。
そこで政府と日銀は2%のインフレターゲットを掲げて日銀は量的緩和を行い、政府はこの量的緩和のもう一つの作用である円安を利用して輸出関連企業の株価が騰がることにその成果を見始める。
これが4年も続けば政府日銀の政策は円安誘導でしかないことがはっきりしてくる。
この円安誘導により輸入原材料やエネルギー価格が上昇をして物価が上がっていく。
この物価が上がっていく中で一定の日銀金融緩和や政府の政策は成功しているという判断が出る。
しかしここで先にも触れたように、インフレやデフレを物価だけで考えることにより、円安誘導による物価上昇をインフレと勘違いをしていく。円安誘導による物価の値上がりは本来の景気の好循環による経済法則としてのインフレではなく、ただの悪性の物価高であることに気が付かない。インフレと悪性の物価高という味噌も糞も一緒にした経済判断が出てきてしまう。
世界的な原油安は本来この悪性の物価高を緩和する役割を果たすのだが、この悪性の物価高をインフレとすり替えてしまう中に、またさらなる緩和となっていく。
円安誘導による株価だけのバブル傾向に対して、悪性の物価高は個人消費を減少させていく。
個人消費の減少は経済の好循環どころか経済を後退させていく。経済の後退は好循環によるインフレを起こすはずもない。さすがの政府も管制賃上げをせざるを得ない。もちろんインフレは起きないのですから企業活動の結果としての物価は上がらない。企業の業績は上がらない。
こうなると政府や日銀はその経済政策からの2%物価目標を「道半ば」としてごまかすことしかできなくなるのである。
しかし、政府・日銀政策の真の狙いは、所得(富)の再分配にある。と言っても低いところから高いところへの再配分です。
株価や内部留保の拡大という企業利益の増大や株価バブルによる投資家(ここでも企業が含まれる)そして銀行への緩和マネーが流れる。一方国民は悪性の物価高により実質賃金は下がり、ましてや年金生活者や生活保護者などの給付水準が下がっていく。
この低いところから高いところへの所得移転が「道半ば」としていく中で政府はさらに進めることができるのである。
どこまで行ったらゴールなのか?
「新たな」経済政策は、社会保障の切り捨てへ向かい、税は公共事業に向かい、そして資金はアメリカにわたっていく。公助社会から自助社会に向かっていることが明らかになりつつある。
さらに進めて公助をなくしすべてを自助にしていくこと、その経済政策の背景にあるあるのは政治政策であり、自助は国への忠誠としてあらわれる。
改憲がゴールでしょう。
しかしこのゴールはさらに経済矛盾を広げるでしょう。
インフレもデフレもどちらもが経済矛盾なのですが、共通するのは貨幣の回転が鈍くなるということです。ゴールはスタグフレーションを起こす。しかしのちに停滞を起こすでしょう。もちろん貨幣の回転は鈍くなる。貨幣の回転の鈍さは金融の危機です。恐慌が始まる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする