夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2017年 2月24日(金)2「プレミアム・フライデー」

2017年02月24日 19時00分03秒 | 「政治・経済」
プレミアム・フライデーで仕事を早く終わり遊ぶ人が出る。
しかしその遊ぶ人のためには忙しく働く人が出る。
外国人労働者やブルカーラー層が忙しく働くことになる。
プレミアム・フライデーはある意味時短です。
しかしよく働くようになった人の時短は?
時給労働者は時短をすれば言及になる。
経済効果だけを考えるとこんな矛盾が出る。
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2017年 2月24日(金)「夏目漱石「こころ」Kはなぜ自殺したか」

2017年02月24日 14時49分07秒 | 「本・文学」
駅で妻と待ち合わせをしていたら、旅行などのポンフレットのケースに「Kはなぜ死んだのか」という文字が書かれたパンフレット(講演会)があった。夏目漱石「こころ」に登場するKである。
ここでは「こころ」のあらすじ棟は書きませんが、kの自殺と先生の自殺という二つの自殺をどのようにとらえるかでこの作品の重さの解釈が違ってくると思います。
三角関係で敗れたkが自殺をし、Kを追い込んで自殺させてしまった先生も自殺をしてしまうという一見単純な小説なのですが、この二つの自殺がなぜ起きてしまったかの解釈は十人十色のようです。
読む者によっていろいろと考えさせられる作品というのはやはり傑作なのでしょう。世代を超えて読んだ者が考えさせられるのですから。
パンフレットの講演会は残念ながらすでに終わっていましたのですが、パンフレットだけはいただいて帰りました。そして考え込みました。
「こころ」との出会いは高校生の国語の時間でした。
「こころ」の授業が終わりになった時、その国語の先生が、「先生がなぜ自殺したと思いますか?これは僕からの皆さんへの宿題です。一生懸命に考えてみてください。」という言葉を残して授業は終わりになりました。
今、思うと大きな宿題を残してくれた素敵な先生だったと思います。
その後文庫で読んだり全集で読んだりして、国語の先生の宿題を思い出しました。
先生の自殺がなぜか、同時にKの自殺はなぜかを考えたとき、先生の自殺がなぜかを理解したときにKの自殺の作品上の位置づけとしてわかるのではないかと思います。そして先生は弟子である「私」にどのような宿題を残したのかも理解できるのではないかと思います。
先生の自殺は、Kを自殺に追い込んだ自分を責めて自殺したのでしょうが、それだけではなくて、先生は遺書に「明治の世に殉死する」と書いています。ただ悔いてつい言自殺するのではないことが分かりますし、「私」にどのような宿題を残したのかがわかります。
漱石の明治批判は文学者として痛烈です。
明治天皇の崩御により明治という時代は終わる。その明治という時代に先生は殉死する。
「私」が父親の死去によって帰郷をして遺産問題について先生の手紙を出す。先生は金というものは人を変えてしまうものだと「私」に忠告する。明治は貨幣経済が急速に発達をした金の社会になっていました。
金と同じく恋は人を変えてしまう。その変わっていく自分を遺書に書きます。
明治は人を大きく変えてしまった社会です。こころが替わってしまった社会です。
その明治が終わるならば、先生は自分という人間も消えなければならないと考えたのでしょう。
これが先生の自殺の真意とすれば、Kの自殺はどうでしょうか?
Kという人間は封建的とは言いませんが古い社会の思考などを残した人間ではないかと思います。古い時代の良い面を残した人間です。
しかし明治はその古い社会を一変させました。
先ほども書いたように金が中心となった社会にもなりましたが、西洋をあらゆる進歩的な思想も入ってきました。その中でKは自身の思考方法の中でこの新しい明治がもたらした思想にも入りきれなくなったのかもしれません。明治の社会に取り残された自分を常に見ていたのかもしれません。そしてこの社会に自分はいらないものと考えていたのかもしれません。その意味で常に自殺を考えていたのでしょう。その自殺のきっかけを作ってくれたのが、「お嬢さん」を好きでいた自分だが、自由恋愛として自分を表現できなかったことで「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と自分を責めての自殺だったのではないでしょうか?
こうしてみると、古い社会である徳川幕府時代が否定をされて、さらに新たな社会である明治も否定をされた。ということになります。
ですから先生は弟子である「私」に明治の後の社会を託すわけです。
漱石の思想にはイギリスで猛勉強する中での西洋思想が強く表れています。
しかしそれはのちに西洋をもう一度否定をして日本人を考えます。しかしその日本人は徳川幕府時代の日本寺院ではない。
ここには否定の否定から更に発展した社会を考えます。
漱石には弁証法が多く垣間見られます。岩波文庫でも小説以外の講演や短文などを集めたものを読むとわかると思います。ちなみに漱石の戦争観も大切です。漱石と子規の違い・・・・・
明治の後に対象が来て発展しあ太社会に日本は向かいました。しかしそれが否定をされて戦時国家に。またこれが否定をされて平和主義の自由と民主主義の社会に。しかしまたこの社会が否定されはじめています。
戦時国家を否定をして平和な民主的国家がまた否定をされる。ここにも否定の否定があるのですが、これがまた戦時国家に戻ることでは日本の発展はありません。戦後国家も否定されなくてはならない時代です。金まみれで力のある者による何でもあり国家そしてそこからの経済矛盾の拡大。ここを否定しなければなりませんが、先にも書いたようにこの否定は戦時国家ではありません。平和と民主主義をさらに生かした経済的平等社会への発展が必要なのです。
この中で人の「こころ」も変わっていくでしょう。
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