夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2017年10月20日(金)「自助社会の行き着くところ」

2017年10月20日 22時16分22秒 | 「思うこと」
小泉政権時に「自己責任」という言葉が広まり、それ以来公助から自助へという社会の動きが加速したように思う。政府はそれを引き継いできたのではないか。
現在もこの公助から自助へは加速をしている。
これは人の考え方にも大きく変化をして、それがまた現実の社会の中の動きとしてあらわれてくるでしょう。
富を築くのも貧困となっていくのも個人の力の差だという常識作りは進んでいる。しかし貧困は人並みに労働をしていれば防げる社会システムになっているでしょうか?逆に人並みに労働しなくても金を儲ける手段があれば金が入ってくるという社会システムにもなっている。時には犯罪すらも個人の能力次第では金を手に入れられるというものも出てくるでしょう。
自助社会が個人の責任という構図は、ずっと前から企業内に出来上がっていました。年功序列ではなくて実力第一とか、仕事上の失敗はすべて個人の責任にとか。
すると、企業内で自分を守るにはどうしたらよいか?会社のやり方に逆らわずにいることが一番で、会社のやり方を忖度して動くことが自分を守ることになります。ここから最近多く発生している巨大企業の不祥事にもつながるわけです。法的にもおかしいのではないかと思う事でも、まぁ、会社がやれと言っていると忖度してやっていれば自分を守るには間違いはないのです。
政治はどうでしょうか?
政治家にとって自分を守るというのはバッジをつけ続けることです。
バッジをつけ続けるなら踏み絵でも何でも踏むわけです。
長い物には巻かれろ。。。。。
昔からこれが会社勤めの原則でしたが、それでも昔はなんだかんだと言いながらもある程度は会社もいう事を聞かねばならないことを自覚していました。しかし企業トップが絶大な力を持ち(株主も企業業績よりも売買利益で企業への責任は持たないでもいい)一つの組織のシステムが出来上がるとこれに反対はできなくなりがんじがらめに。政治の世界も同じでしょう。
以上が自助社会の生れの果てです。
これを変えていくには何が必要か?
民主主義と自由ですね。
という事は自助社会や個人責任社会は民主主義と自由を放棄した社会と言えます。
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gooお題「服はリサイクルしていますか?」

2017年10月20日 20時15分06秒 | 「思うこと」
服をリサイクル。。。。。?
しているようでしていないようで。。。。。
というのも息子はまだ切れる着れると思われる洋服をいつも捨てようとしています。ゴミ袋に時々大量に詰め込んであります。
そこで僕と妻はそのゴミ袋を開いて
「これ、まだ着られるよなぁ・・・・」
「そうよ、もったいないからお父さんが着れば?」
という夫婦の会話になります。
僕と息子とはほぼ体形が同じなんです。
結婚してからこの間背広もその当時のものが着れます。
という事で、今はいている高そうなジーパンやシャツは息子のおさがりです。
息子は捨てる。僕がゴミ袋を漁ってそれを切る着る。。。。これもリサイクルと言えるのでしょうか?
家庭内リサイクル。。。。。
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