ツイッターからの転載です。
人を一人殺しても罪人になるが、戦争で数万人殺したら英雄となる。チャップリンがこのようなことを映画の中で表現していますね。私刑というのも同じなんでしょうか?英雄にはならないが職務の執行だと。「あんな奴は早く死刑にしろ」という国民の一部の感情で動いて死刑を執行したら英雄かも?
私刑は殺人ではないという論理は絶対に成り立ちませんね。
そのために職務の執行という抜け道があるだけです。ですから刑務官の責任は食味に徹する心ならば責任はないのかもしれません。しかし職務も政治家が法律をつくって政治家が執行命令をするというおかしないびつな制度になっています。
「あんな奴は早く死刑にしろ」という感情はどうでしょうか?やはり殺人を認めることになるでしょう。ただ私刑は個人的に殺人罪になるから死刑制度で殺せというだけに。「あんな奴は早く死刑にしろ」と声高に叫ぶことにより英雄になるかもしれませんね。
戦争も死刑も正義はありません。
「あんな奴は早く死刑にしろ」。。。。このようなものが心に浮かび上がってくることは仕方ありません。人の心に憎しみのようなものが存在する限り。その憎しみを表に出して行動することを理性が抑えるわけですが、この理性を見て見ぬふりをさせるのが正義という欺瞞です。
人を一人殺しても罪人になるが、戦争で数万人殺したら英雄となる。チャップリンがこのようなことを映画の中で表現していますね。私刑というのも同じなんでしょうか?英雄にはならないが職務の執行だと。「あんな奴は早く死刑にしろ」という国民の一部の感情で動いて死刑を執行したら英雄かも?
私刑は殺人ではないという論理は絶対に成り立ちませんね。
そのために職務の執行という抜け道があるだけです。ですから刑務官の責任は食味に徹する心ならば責任はないのかもしれません。しかし職務も政治家が法律をつくって政治家が執行命令をするというおかしないびつな制度になっています。
「あんな奴は早く死刑にしろ」という感情はどうでしょうか?やはり殺人を認めることになるでしょう。ただ私刑は個人的に殺人罪になるから死刑制度で殺せというだけに。「あんな奴は早く死刑にしろ」と声高に叫ぶことにより英雄になるかもしれませんね。
戦争も死刑も正義はありません。
「あんな奴は早く死刑にしろ」。。。。このようなものが心に浮かび上がってくることは仕方ありません。人の心に憎しみのようなものが存在する限り。その憎しみを表に出して行動することを理性が抑えるわけですが、この理性を見て見ぬふりをさせるのが正義という欺瞞です。