夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2018年 7月30日(月)「自己責任と個人攻撃」

2018年07月30日 22時27分24秒 | 「思うこと」
現在の政治は公助から自助へと個人責任論が重視されている。しかし一方では国家主義的な国家が個人を統制する動きも高まっている。早い話が貧乏になるのも競争に負けるのも自己責任だという反面、国民は国家の中では個人として存在できない状態という事です。
今自民党議員の性的少数者(LGBT)の皆さんに対して子どもを作らない、つまり生産性がないといった発言に保守系の人からも批判が出ている。半面保守系の人の中には支持する人々も出ている。リベラル系という人たちは概ね批判をしているでしょう。自己責任は個人の自由をも尊重しなければならないはずだが、国会議員が個人(特定の人々)に向けて批判を浴びせかける。
国家主義というものはこういう傾向が顕著になっていく国なのでしょう。
ある種の人々に対して批判を集中させること、ヘイトというものに近いのかもしれないが、これは危険な思考回路です。それを国会議員が始めてしまうとは。
そもそも少子化問題は個々人の生き方の結果として見えるが、実は社会的な経済的な状況から生まれる。昔の様に貧乏の子だくさんと言われた時代もあるが、労働力を家族も必要としたし、中学卒業でも働きに行くことが当たり前の状態。現代は学歴社会は高度に組織化されて子供を大学まで出さないと正社員にも慣れないかもしれない社会。経済問題から多くの子供を持てない。女性は寿退社やマタニティ・出産退職が当たり前となり、男は長時間労働が当たり前で子育てまでは。。。。と。企業においては昔から会社が大事化過程が大事かと。休暇も取れない状態。
こういった社会の流れの中においては少子化も社会の生産性を上げようとしたことのしっぺ返しとしての反作用でしょう。あえて生産性という言葉を使うならば、政治が生産性を上げようとしたことが結果としては生産性を落としたことになる。
この政治の状態の中で、政治家が国民個人あるいは少数者に対して攻撃をする。
政治家はこれまでの政治の総括をしなくてはいけないのです。それが仕事。それが政治家の生産性。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池に浮かぶ月206【7月30日】

2018年07月30日 18時13分08秒 | 「池に浮かぶ月」
自民党政権は自壊をしている。。。。。
もちろん安倍3選ははっきりしてきましたし今の政権は続くでしょう。しかし政治も官僚も様々な政策上の問題にしてもほころびばかりです。これが自壊です。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「7月30日という日」
【2017年】ツイッターつぶやき 6月28日に「自壊」というものを書い......
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする