ツイッターでも「#検察庁法改正案に抗議します」と広がりが出ています。
その中での特徴の一つが芸能人による発言です。
芸能人の発言へ多くの批判があるようですが、芸能人の発言に対する反論というものはもちろんあってよいでしょう。しかし芸能人が政治的発言するのはおかしいといった批判は絶対行ってはいけない。反民主主義、反言論の自由となります。
むしろ日本の芸能人は政治的発言をずっと抑えてきたのだと思います。
芸能人は人気商売ですし、テレビなどによって収入を得ていますからそれがある意味足かせになったり自己規制してしまう原因にもなっていると思います。これは何も芸能人だけではなくて、サラリーマンも会社つながりの人間関係において政治的は発言というものを自己規制していると思います。昔から「あいつはアカだ」というレッテル張りがありましたからね。いまでは「反日」でしょうか。逆に「あいつは右翼だ」というレッテル張りも。
日本人は社会の中で自己主張までも下手になっているような気がしますし、多数意見に自分を入れておく「保険」意識もあります。
ひどい場合は政治どころかまじめな話や芸術や文学の話もできなくなっていることがあります。
真面目が異端になる。
こういう社会が芸能人は政治的発言をするなとなるのでしょうし、分からない奴は黙っているとも。
でも政治は国民のものなんです。政治がこの国民を扇動したりしますが、国民はそうは皆バカではない。
その中での特徴の一つが芸能人による発言です。
芸能人の発言へ多くの批判があるようですが、芸能人の発言に対する反論というものはもちろんあってよいでしょう。しかし芸能人が政治的発言するのはおかしいといった批判は絶対行ってはいけない。反民主主義、反言論の自由となります。
むしろ日本の芸能人は政治的発言をずっと抑えてきたのだと思います。
芸能人は人気商売ですし、テレビなどによって収入を得ていますからそれがある意味足かせになったり自己規制してしまう原因にもなっていると思います。これは何も芸能人だけではなくて、サラリーマンも会社つながりの人間関係において政治的は発言というものを自己規制していると思います。昔から「あいつはアカだ」というレッテル張りがありましたからね。いまでは「反日」でしょうか。逆に「あいつは右翼だ」というレッテル張りも。
日本人は社会の中で自己主張までも下手になっているような気がしますし、多数意見に自分を入れておく「保険」意識もあります。
ひどい場合は政治どころかまじめな話や芸術や文学の話もできなくなっていることがあります。
真面目が異端になる。
こういう社会が芸能人は政治的発言をするなとなるのでしょうし、分からない奴は黙っているとも。
でも政治は国民のものなんです。政治がこの国民を扇動したりしますが、国民はそうは皆バカではない。