庭の花たちと野の花散策記

山野草と梅が大好きの「雑草」。花以外は思考不可の植物人間の庭の花と野の花散策記です。

歯科技工士さんの睡魔

2007年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

4月から虫歯の治療をしてきたのが一応終わった。最後の仕上げに歯肉が退化した部分の歯を磨いて象牙質に似たものを塗ることにした。1回目は右下側、2回目は左下側を終えて今日は3回目で右上側である。虫歯の治療とは違って、歯を削ったり、神経にさわるようなことはなくて治療中に患者に居眠りも出ようかというほど楽な治療である。下顎の左右2回の治療の経験から、3回目の今度も楽々すむものと思って治療台に腰掛けた。

この医院は治療台が10台もあり、歯科医師が院長、中堅、研修終了程度の若手の3名いる。歯科技工士さんは数えたことはないが治療台の数に近いのだろうか。最初に掛ったのは院長が大学を卒業し開業してまもなくの時であった。痛さもあってか大分不機嫌な顔をして治療を受けたせいか、治療費を払って帰ろうとすると院長が出てきて深々と頭を下げて、「今日は痛くて申し訳ありませんでした」と言ったのが思い出される。2回目に掛ったのは新しい建屋に移ったあとで、大きな虫歯治療のあと小さな虫歯や歯石除去その他あれこれ治療すると言われたが中断した。あまり自分の歯をいじくりたくないと思ったからである。そのとき右上の歯の虫歯部分を掘って埋めた銀歯が数ヵ月後に飴を噛んだときに取れてしまった。

今回は初回に治療して銀歯を載せた右下奥歯が、空洞ができてしまうほど虫歯が進行して痛くて我慢できなくなっての治療であったが、上左奥歯も自覚症状はなかったが、虫歯が進行しているので治療することに。さらに右上の掘って埋めたものが取れたままになっていたのでこれを治療することにして、主たる治療は終了した。

主たる治療が終わったとき、歯肉が退化しているのでこれを保護する治療を勧められてすることにした。歯肉が退化して露出した歯の部分を磨いて、マニュキアのようなものを塗って、固まったら磨いて歯を滑らかにするというもの。先に書いたように、虫歯の治療に比べたら治療を受けながら居眠りもできようかと思うほど楽なものであった。それも今日は3回目とあってすっかりリラックスして治療台に腰を降ろしたのだが、どこか違っていた。

10月からNHKは地震速報を放送するそうである。その仕組みは、大きな揺れの前の小さな揺れから、大きな地震が来るぞおと放送するそうだ。大きな揺れの前には小さな揺れが必ずあるらしい。自然災害にも前兆がありますが、人災にも前兆というか、事故にはならない小さなことが起きているものである。一つの重大災害の陰には多くの前兆とも言うべき災害の芽がひそんでいるものです。飲酒運転による大事故を引き金に飲酒運転撲滅の機運が高まっています。大事故の裏には、その何倍もの飲酒運転の検挙がありますが、検挙も氷山の一角であって、その何千倍といえるほどの飲酒運転があるのではないでしょうか。たまに見かけることですが、前の車が意味なくセンターラインに寄ったり、路肩に寄ったりする車があります。中には助手席の人といちゃついていたり、携帯電話を操作したり、これも危ないです。でも何もせずに揺れているほど怖いものはありません。

さて話しを戻します。医師が歯を磨き始めました。歯科技工士さんは水を噴射、吸引するホースを操作していました。そのホースが私の横っ面をかるく打つように触れました。今回の治療では4月から10回以上治療を受けてきましたが、顔に触れることすらなかったと思います。もし触れたとしてもそっとさわった程度と思います。ところが今日は打たれたというと痛いわけではないので大袈裟ですが、さわったとういうより当たったというほうが適切でした。その時これは歯科技工士さんのちょっとした手違いかと気にはしませんでしたが、しばらくして歯科技工士さんが治療してくださっているとき、今日は道具が歯によく当たるなと思いました。狭い口の中ですから何回か歯に当たるのはやむを得ないことですが今日は頻繁なようです。今日の担当は新人なので慣れていないのかな。それでホースも顔に当たったのかと思いました。次にそのホースが口から出てしまったのか私の首に水が吹きかけられましたので、タオルをかけてくれました。これも新人ゆえの手違いかと考えました。霧が飛んで顔にかかることはありましたが、水をかけられたのは初めてです。

さてマニュキアのようなものを歯の根元に塗っていただくことになりました。初めは今日の方はやけに丁寧にしてくれているなと思いました。というのは先の下の左右2回はいとも簡単に終わったように思いましたから。それにしては同じところを何回もやっているようでした。また塗りながら乾燥させるためなのか ピ、ピとなにやら操作しています。その道具が治療箇所ではないところに向いているようなときもあるような気がしました。塗っては乾燥?するのでしょうか。過去2回より長い時間と繰り返しを感じましたが新人が丁寧に慎重に治療しているのかなと思い、それなら技術向上のために我慢していようと思いました。もし間違えたとしても歯がダメになってしまうような治療ではないはずですから。

しばらくしてオヤっと思う出来事が起こりました。唇を押さえている歯科技工士さんの手が私の顔の上で重くなり、手術手袋をした手が右頬に押し付けられてきました。体の揺れを手で支えるようでした。すぐに正常に戻りましたがもう一度押し付けてきました。私は思わず目を開けて技工士さんの指の間から技工士さんの顔を見上げました。すると顔が私のほうを向いていません。天井のほうを向いています。そしてゆっくり動いています。天井から下に、また天井のほうに動いているではありませんか。でも手は治療しています。

技工士さんの顔を手術手袋の指の間から垣間見ていてさらにびっくりしました。瞳に輝きがなく目を開いているがあきらかに眠った眼です。顔が下から天井を向くときにそのまぶたが閉じられてしまいます。頭をふって目をあけようとしますが、また閉じてしまいます。これはまさに舟こぎ状態です。昨夜は遅かったのかな。夏の疲れからかな。もしかして共稼ぎなのかな。院長を呼ぼうかな。でも何か言うとこの人はまさかキレてしまったりしないだろうか。そうしたら恐ろしいことにならないかな。いろいろ考えてしまいます。そうこうして終わって、中堅医師が磨き始めましたが、これが前回よりまた手間取っているようでした。塗りすぎたのを取っているのではないかと考えると急に嫌気がしてきました。患者が不愉快な顔になったので中休みにしました。これも今回初めてです。

今回の虫歯治療は治療の説明なども治療の都度説明し、技術も向上してよくやっていただいたと思っていました。その通りであると今も思うが、評判もよく客が増え、従業員も増えてくることによる管理の不行き届きが芽を出し始めたのかなと思われて残念である。先に書いたように一つの事故には数多くの小さい軽微な現象があり、これを撲滅してゆこうとする強い意志が管理者に求められる。たてまえだけではなく踏み込んだ管理が求められる。また従業員ひとりひとりには安全第一を徹底して身につけていただきたい。ボクシングかレスリングではたしかタオルが投げ込まれたときは試合が終わります。今回も治療もタオルが出たとき終りにすべきだったのではないか。そんな管理ルールを作ってはどうでしょう。たかがタオルで中断するのは勇気が必要です。だからルールにして止めるのです。こういうのが本当の安全第一です。

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眠れない夜に そしてその時

2006年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ハワイ旅行も終わろうとする夜夜中。とても目が覚めるとは思われない爆睡時間帯に目が覚めた。寝ようとしても脳ミソが睡眠モードにならない。どうしたものかと思っていると、ふとエステル記の一文を思い出した。

その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持ってくるように命じ、王の前でそれを読ませた。その中に、入り口を守っていた王のふたりの宦官が、王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれてあるのが見つかった。そこで王は尋ねた。「このことのために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。」王に仕える若い者たちは答えた。「彼には何もしていません。」エステル記6章1-3

私はこの一文をもって主が私に何かを今語ろうとしておられることを察した。それは「お前はお前のいのちを救ってくださった方に何かをしたか。」という語りかけであった。私のモルデカイは誰だろうと思い巡らせるとすぐに気がついた。その方は「私のためにご自分のいのちをも投げ出して十字架にかかってくださったイエス様です。ではイエス様に何かをしたか。」ということだと。私の答えは若い者たちと同じで。「彼には何もしていません。」であった。何と情けない者であることか。このことを深く考えたことがなかったとは。ツジツマあわせ程度のことはしたがそれが何だというのだ。

ハマンがはいってきたので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」エステル記6章6

この私は。私は今もって自分の名誉とかばかり求めているではないか。ハマンと少しも変らないではないか。だからハマンのように、それは私が受けるべきだなどと早とちり、思い違いをしないように気をつけなさい。いつでもそれはイエス様にふさわしいと心得よ。

「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、王がきておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。』とふれさせてください。」エステル記6章7-9

そうです。イエス様こそ王服を着るのにふさわしい方です。主の主、王の王であられる方はイエス様です。父なる神さまが真に望んでいることはイエス様を十字架にかけることではなく、イエス様が王となられることです。ところがハマンも私も、自分こそ栄誉を受けるにふさわしいと思い違いをしました。

栄誉ばかりか「ハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の庭に入ってきた。」と6章6にあるように、王が栄誉を与えようとする者を逆に十字架にかけようとしていました。「事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」7章4

自分の心に栄誉を求める野心がある限り、私は本当に栄誉を受けるにふさわしい方に気づくことはないでしょう。それどころか、その方の抹殺に加担しているのです。

「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」彼は、主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えていましたが、これで目からうろこが落ちました。

これまでモルデカイは決して王宮に入ろうとしませんでした。「モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真中に出て行き、王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門にはいることができなかったからである。」4章1-2

「モルデカイは王の前に来た。」8章1栄誉を与えられたモルデカイは王宮に来ました。主イエス様を王としてお迎えしない限り、自我が心の王座を占めている限り、主イエス様は心という宮殿にお入りになってはくださいません。

「見よ、わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それはわたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」

主イエス様を王としてお迎えすることにより、私も主イエス様の栄誉に預かる者とされるとは、何と不思議で恵多い幸いなことではありませんか。

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眠れない夜に

2006年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ハワイ旅行中の4日目の夜中に突然目が覚めた。寝ようとしても眠れない。時刻は2時少し前であった。朝まで爆睡するのが当たり前の状況であるのに。

1日目の26日は実に長い1日であった。日本で朝から夕まで通常に過ごし、夜10時成田発、夜中の3時(日本の27日3時)には機中で日が昇り、27日6時(ハワイ時刻26日午前11時)ころホノルル着、27日8時ころ昼食、27日13時夕食、27日17時から19時まで仮眠、19時(ハワイ時間26日の終わりの24時)から20時まで連鎖祈祷をして20時半(ハワイ時間27日午前1時半)就寝。

つまり1日目の26日は日本での24時間とハワイでの19時間の合計43時間もあったのです。おまけにハワイ時間で27日午前1時半に就寝ですから体は1日44時間半と感じたのです。これが1日目です。27日はハワイ時間朝6時(以降ハワイ時間)から集会ですから就寝時間は4時間半しかない。起きられるか自信がない。目覚ましを持ってこなかったことを悔やんだが後の祭り。主よ起してくださいと祈りつつベッドへ。

2日目の27日、朝気がつくと5時55分。あわてて妻を起し支度を急いで会場へ。すでに6時からの集会が始っていて賛美が聞こえてくる。~歌いつつ歩まん、ハレヤー、ハレルヤー。歌いつつ歩まん、ハレヤー、ハレルヤー。~  そうです私はこの歌詞のごとく歩きながら賛美しつつ会場に入りました。2日目は夜10時から仮眠、夜12時から1時まで連鎖祈祷、午前1時半就寝。28日はやはり6時から集会。主よ起してくださいと昨夜よりさらに切実に祈りつつベッドへ。

3日目の28日、朝気がつくと5時45分。主よ間に合いました。感謝します。妻をおこして会場へ。集会と食事の繰り返しが3日続いてやはり疲れが溜まってきているようだ。昼食をとりヌアヌパリを見学してホテルへ。ワイキキ市内へ下りるとここは常夏の国ハワイ。でもせっかく来たのだからいろいろやりたい。妻は疲れて仮眠する間に、ホノルル動物園を一周して公園の花を撮る。夕方から妻と街へ土産の下見と夕食に。大道芸人がたくさんいて楽しい。寿司屋で17ドル。二人で40ドルでつりを貰おうとしたら代金不足。なぜ?税金とサービス料金が。何やかにやで12時就寝とあいなる。ホテルの21階の部屋から明日ダイヤモンドヘッドから昇る朝日を見たい。6時前に起床しなければ。

4日目の29日はふと目覚めると5時半。明るいがまだ街灯やビルの電灯がついていて、太陽は見えない。カーテンが動くのを目ざとく見つけて雀がベランダに来た。ダイヤモンドヘッドを撮っていると今度は鳩が来た。そうこうしている内に陽が昇った。早朝の海岸で妻と遊ぶ。11時からマキキ聖城教会で礼拝。少し余裕をもって出かけてお城の外観を撮り、通りを散策。かなり暑い。礼拝後早々に失礼してダイヤモンドヘッドへ。往きはタクシーで帰りはバスのつもり。約1時間かけて登頂。ハワイでは想像できない乾燥した台地でカメラが忙しく花を探す。帰りも1時間かけて散策下山。トンネルを抜けて外輪山の外のバス停まで歩かねばならない。ところがJAPAHAの方が拾ってくださり、ヒッチハイクで間も無くホテルへ。

夕食と土産物探しに街へ。山を歩いたのに元気な妻。男は力は出せるが持久力では女に劣るのかな。ラーメンを食べていっぱい土産を買って戻る。買い方は同行した方の孫娘さんから教わった。この方はとても張り切っておられたが3日目の午後に泳いだが、その夜熱を出してダウンしてしまわれた。我々も相当疲れがたまっているが、明日は帰国なので、夜は何かと整理して遅くなり、12時を廻ってから就寝する。そしてその時がきた。

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これまでの自民王国では?

2006年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

茨城県は稀に見る自民王国であって、これまでは中央省庁とのパイプの太さ、予算獲得が選挙の売りであった。これは公共工事や農業など地元企業のためで県民のためとは一概にいえないがこれもまた良いことであろう。私が危惧していることは、県の方針があまりにも経営者に都合よく立案されることである。というより経営者の下心通りになりがちであることである。選挙公約は県民の生活向上がめじろ押しである。しかしそれはまず経営者の利益があっての県民の生活向上という方程式に置き換えられてしまうことだ。私が懸念していたことで、やっぱりかと思ったとおりになった恐ろしいことがある。それは鳥インフルエンザである。幸い茨城は毒性が弱いものであったからさほどの被害がなかったが、そうでなければ大事件になっていた。そして同じパターンでさまざまの分野で経営者の下心通りの県方針が実行され県民の本当の生活向上、安全がないがしろにされつつあることを懸念するのである。

鳥インフルエンザで懸念したことは二つあった。ひとつはワクチンなどの予防。これには相応のコストがかかるはずであるが、これを業者は安易な方法でやらないかということ。一歩まちがえば大流行にもなりかねない。

もうひとつは感染をかくすこと。感染がわかれば全数処分。経営の根幹にかかわることであるから、できるだけ感染させたくない。隠したい。それは検査をどう免れるかである。

問題が起きたとき経営者が考えることは残念ながらまずコストであって安全ではない。感染の有無を検査する方法は普通はサンプル採取から始る。このサンプルは全体を反映するよう偏らずに公正に採取されるべきであり、ここで下心を働かせれば、その後の検査がどんなに公正に行われても意味がなくなる。経営者はこのサンプル採取一点に知恵を絞ったのである。まことしやかにこうしますから大丈夫ですとか説明してサンプル採取を経営者側の息のかかったままやってしまった。こうして実質検査逃れがまかり通ってしまった。サンプル採取は一度ではなかったのに発覚するまで一度も公正な採取がなされなかったのだから恐ろしい。こうして茨城にはインフルエンザが有っても無いかののような状態が長く続いていた。

自民議員の方かと思しき若い人に、県民の安全が第一ではないのか。経営者と癒着とまでは言わないが、このよな事態にならないよう気配り目配り、アンテナを高くして県民を守るのが使命ではないのかと言ったことがある。彼はちょっとむっとしたような顔をしたが、あれ(鳥インフルエンザ)では(経営者に)騙されたと言った。私はむっとした表情に落胆して応援しようかと思っていた心が冷えた。また騙されたという言葉が引っかかった。

私も騙された経験はある。内容は違うが本質は同じである。会社で材料などを購入しはじめたときである。長く取引している営業マンはこれが一番良い物で価格もどこにも引けをとらないものであると説明する。私はいつしかそうかなと思うようになってくる。そして金品を持ってきたり、趣味などに便宜を計ろうとしたりさまざまなことで親密な関係をもとうとする。こうなるとこの営業マンの言っていることが正しいと錯覚してくる。金品は避けるも私はもはやこの営業マンと付き合うことが最善で、私は会社に貢献していると誤解するようになったのである。会社の材料は良いものを、安く、継続して入手できることが大切であるが、今のやり方が果たしてそうであるか常に見直してゆかなければならないことである。でもこうすると例の営業マンたちは会社幹部に告げ口して人事権を発動するから怖い。

鳥インフルエンザに戻るが、私と同じような意味で騙されてはいないだろうか。また人事権?を恐れないだろうか。かの若い人が騙されたと言ったことはまことである。彼が騙されない議員になってくれると信じて応援したい。そして行政を本当に改革するために汗することを願って。それにはあのむっとした表情が障害になる。まだまだ騙されてはいけないことがたくさんある。たとえまた騙されても騙されないぞとのあかしが見えるなら喜んで応援しようと思う。行政ももっともっと改革してほしい。自分の保身しか目につかない。近頃は接待とかはあえて自粛するようになったが、動機は保身であって、税金の無駄遣いなどという発想は全く無い。そして幹部は本当の改革者を守ってほしい。それとも自分の保身ですかな。かつて行政のトップが逮捕されるなど言語道断である。今でもそれぞれの地位、立場で役得を得ようとしているようだ。

これから心配していることはたくさんある。教育。狂牛病。原子力。農薬、薬害。遺伝子。介護。廃棄物。温暖化などなどどれも県民の安全第一。経営者の目先の利益に騙されるな。経営者も県民生活の向上、安全に寄与してこそ成り立つものである。大きな会社は一応社会に貢献することをスローガンにしているが、県が対象とする経営者にはそれすらうやむやである。行政も自分の在位期間を逃れられればでは困る。

これは自民王国の弊害だとは思わない。自民が本当の自民になって欲しい。これが願いである。でも議員も官庁も自民安泰王国ではこのことを真剣に考えない。学校のいじめも極論すればいじめが問題ではなく教育行政の問題である。いじめはあってはならないが、昔からある。無い振りををして、無いことにして向き合ってこなかった行政に問題がある。子供を信頼できない教員。教員を信頼しない校長、教育委員会。学校を信頼しない親。親も教員も信頼しない子供。それぞれが信頼できる状態ではないと言う。なぜこんな教育行政が続けられてきたのか。いじめが原因で自殺。自分の立場を守るためにやむなく立ち上がる(これが言いすぎでないことを望む)のでは遅いし本当の対策にならない。問題の多くある学校は幹部が自己保身タイプが多いらしい。校長は保護者に対して教員を信頼している、保護者は生徒を信頼してくださいと言えないものか。教育委員会は名誉職だと思っているのでは。自殺生徒の教育委員長かな。うすら笑みを滲ませて会見したのが気にかかる。

介護保険等についても疑問がある。年金の二の舞にならなければよいが。年金は箱物と言われるような大きな投資・年金会館とかをたくさん作り、それを只同然で処分したなどの無駄遣い、担当部署のあきれるほどのあぶく銭をつかうような感覚でのやり方で肝心の年金が危うくなってきた。介護も最近大きな箱物がたくさんできている。これは官庁の箱ではないが大きな意味では利用者である国民が建てているの箱である。こんな高級ホテル以上のところに老後は住めるだろうか。もし自己資金でやりなさいといわれれば多くの人はそうしないであろう。もっと小さく質素な老後でよいと思う。でも世の中がそういう方向に動いているということは私もあなたも意に反してそうしていることなのかも。本心は多くの人が立派な箱より、立派な介護士を望む。その介護士の待遇が十分でなく人員不足になっている。品質過剰な箱ができて介護士がいなくなるのは本末転倒である。介護は家庭的なものを望む。箱をせっせと作らせるような政策ではなく、本来の家庭介護を手厚く援助するものに転換してはどうか。そうすれば少子化の対策にもつながろう。経営者の喜ぶ介護なんておかしい。役人はもっと汗を流し知恵を絞り本当に国民の福祉になる政策を考えてほしい。改革と言っている議員がまず自己改革をしてほしい。

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鋸の目立て

2006年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

リホームが一段落して大工仕事をしてくれた兄が兄嫁を連れてきてくれた。自分のした仕事を見せたいのもあったろうが、かねてから私が来て欲しいと兄嫁にお願いしていたので弟の私の生活ぶりを姉さんも見ておきたかったこともあったであろう。兄は桜の木とアカシヤが大きくなって電線にも触れているので切ったほうがよいとさっさと枝を切り始め、あっという間に枝を落とし、幹も高さ高さ1mくらにに詰めてくれた。日ごろから詰めなくてはと思っていたが切れ味のよい商売用の鋸で難なく切り詰めてくれた。枝が全く無い状況になってしまい、来春の花が一輪も望めないので、家内からはせめて生花に使う分は残しておいてもらいたかったと言われたが後の祭であった。でもこれで枝ぶりもよくし立てられ、再来年には花をつけるであろうし、明るくなったのがとても気持ちがよい。

ところで兄が帰ったあとで、切り倒した幹を薪のように短く切って片付けようとして古い錆びた鋸で切り始めたところ、最初の1cmくらいは楽に切れたが、それ以上はどうにもならない。鋸が幹に挟まれて引くことも戻すことも出来ない。鋸の切れ味が悪いのと、錆びがこびりついてすべりが悪いためである。新しい鋸を買えば簡単ではあるが、鋸の目立てをすることとした。鋸などそんなに頻繁に使うわけでもなく新品を買っても一度使うとしばらく使わないでまた錆びてしまうかもしれない。昔、子供のころは木挽きさんがいて、大きな太い木から板材を取るために大きな鋸で切り裂いているのを見ていたことがある。今なら製材所の帯鋸であっという間に板材になってしまうが、当時は1枚の板を取るのに何時間もかかったものである。そして鋸の切れ味が悪くなると鋸の目立てをしていた。また目立て屋さんがいて時折注文取りに来ていたようにも思う。今では時折包丁研ぎの注文取りが来ることもあるが、鋸の目立て屋さんは見たことがない。

子供のころはこうして鋸の目立てを見ていたので、一応目立ての要領は見よう見まねで知っていたいたので、数10年ぶりに目立てをしてみることにした。道具はヤスリ1本である。鋸の歯を良く観察すると1個おきに互い違いに左右に向きが違う。鋸を縦方向からみると1個おきに歯の先端が左に曲がっているのと、右に曲がっているのが交互にあって、歯はきれいに二列に並んでいる。この左右への曲がりが鋸の板厚より若干広いので丸太を芯まで切っても鋸が丸太に挟まれることがなく、楽に鋸を押したり引いたりできるのである。この鋸の歯を左右に曲げる道具も必要であるが、どのようなものかは忘れて思い出せない。これがなくてもヤスリで研ぐ時に外側に曲がる方向に力が加わるので若干は曲げることはできるはずである。

いざ目立てをしようと鋸の歯を観察しようとすると、近眼の眼鏡が邪魔になる。近眼の眼鏡では近くが良く見えない。それは目が老眼になってきたためである。遠近両用なら良いのだが眼鏡は遠くが良く見えるもの。その上老眼になり近くが見えにくくなったので眼鏡が邪魔になるのである。ここで眼鏡を外すと置き忘れてしまい、時に置いた場所を思い出せず探し回ることがある。そういうことがないよう眼鏡に紐をつけたが、これまた作業をする時にはぶら下がった眼鏡がじゃまになる。そこで外してどこか思い出しやすいところ、踏みつけたりしないところに置くのであるが、忙しいときにはついつい不要なものを後ろにちょっと置くように無造作に置いてしまうことがあり、あわや踏みつけたり道具をぶつけたりしてぎょっとすることがある。さても眼鏡は厄介なものである。幸いにも眼鏡を外しても机上の書類を読むのには不自由がないので、鋸の目立てには裸眼で十分であるが、作業途中で何か探し物でもしようと立ち上がると足下が遠くなりよく見えないで不自由する。このとき無造作に眼鏡を置いたときは、眼鏡の置き場を思い出せず、まず眼鏡を探し、それから探し物をするという二段階の探し物となり厄介である。

さて鋸の目立てが終わり、錆びも砥石で落として機会油を塗るといかにも切れ味のよさそうである。果たして切り落とした桜の幹を切ってみるとすこぶる切れ味がよろしい。これならそんなに力をいれなくても切れる。そこで一気に作業を進めたところ、やっぱり鋸作業は疲れるものである。小学生のとき父の山仕事を手伝い、鋸作業を1日やってすっかり疲れて入院するほどであったのを思い出した。私は力仕事がさっぱり出来なかった。これに比べ兄は良く働いていた。その兄が今でも我等弟のことを思ってなにかと気遣ってくれることを有難く思う。

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電話の子機を修理

2006年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

10数年使用したFAX兼用電話機の子機が具合がわるくなった。電池が充電できなくなってしまったと思われたので、昔FAXを購入したNTTへ立ち寄ったところ、ここではもう顧客業務はしていないと看板に書いてあり困惑していると、職員とおぼしき方が「どうしました」と声をかけてくださった。「新しい電池が欲しくて来ました」というとこの方は2-3km先に修理センターがあることを教えてくれたが、また考えて、どうも修理センターには新しい電池を置いてないようで、電池センターの電話番号を教えてくださった。番号が誤っているかもと自信がなさそうであったが、その場で携帯でかけてみると果たして電池センターが応答していた。早速電池を注文すると、明日には宅配してくれるとのこと。なるほど便利になったものだが、知らないとなんと不便になったことか。

翌日電池が宅配され早速取り付けてみるが全く反応なしだ。悪い電池が送られてきたのかな?と古い電池を取り付けてみるとちょっと反応してすぐに全く作動しない。新しい電池は時折充電切れになっていることがあるので、もう一度取り付けてそのまま一晩様子をみることにした。翌朝になっても全く反応してない。やはり電池が悪いのか。電池代二千円近く支払ってこれでは納得いかない。修理センターへ充電器と子機を持ち込み調べてもうらう。考えられる不良箇所は、充電器の電源、充電器、子機それから電池。どれが悪いかはっきりしたい。

修理センターではまず電池が悪いと。昨日新品をもらったばかりでそれは納得いかないというとなにやら充電をやったりしているがダメ。電源がわるいのかなというと別の試験用電源で試してみるがダメ。充電器が悪いのかなというとセンターにあった別の子機を持ってきて試してみるがダメ。やっぱり電池が悪いのではというとセンターには電池がないのでわからないという。午後5時を過ぎて他の職員が帰り始める。子機の修理をしたいと。でも保守部品がもうないとのお知らせをだいぶ前に見たというと、この子機はアナログ式で古くて修理できないという。子機だけ買えないかというとそれは出来ない親機と合わせられないと。仕方なく原因がわからないまま持ち帰ることにした。子機なしで不自由するか、新しい電話を購入するかしかない。

帰り道、電気店に立ち寄る。FAXはA4が主流でB4は1機種だけ。2万代はちと痛い。家に帰りダメモトで修理にチャレンジすることに。生還率たった1%にも及ばない危険な手術をするようなもの。でも仮死状態ではこれしか打つ手はない。分解できそうなのは充電器と子機。電源と電池は不可能。そこで簡単な充電器を先に。電源プラグの接触はOK。子機との接触OK。ケースを分解し基板をみる。わずかな部品だけで問題なさそう。息を吹きかけチリを払うだけ。再度子機の充電を試みるがダメ。

次は子機の分解。電池ケースを外す。電池を外す。電池の下に子機の上下のケースを取り付ける木ネジが2個。これを外せば分解可能。ところがこの木ネジはねじ回しでまわらない。溝がつぶれたような形で堅くついている。このネジが廻せなければ分解不可能。諦めるしかないか。でも何とかしたい。よく観察するとネジと反対側の受話器側はプラスチックの上下ケースがはめ合わされているはず。これを外せば中を覗くくらいは出来そうだ。子機の中間の上下ケースのすき間に無理矢理に時計ドライバーを押し込んで開こうとすると上ケースが柔らかくてすき間ができた。慎重に受話器側に移動する。すき間が少し傷ついた。子機を捻じ曲げるとさらにすき間が。慎重に力を加えるとついに受話器側がパカッと音を立てて開いた。

開いたもののワニが口を閉じようとしているようだ。あまり力を加えるとケースが壊れてしまい元も子もなくなる。限度いっぱいに開いて中を覗くと意外と汚れていない。ほとんどチリがない。これではゴミ等によるショートの可能性は少ない。部品が劣化したかも知れない。これでは生還の可能性はなくなる。やっぱり修理不可か。でも万一ということもあるので息を強く吹きかけてチリを払う。二度三度吹きかける。念には念を入れてまた二度三度強く吹きかける。基板の裏側にも吹きかける。これしか打つ手がない。ブラシでも入ればさらに良いのだが入るほど開かないし。こうして祈るように子機の上下ケースを開けたまま電池を取り付け、これまた分解したままの充電器にかけてみた。何と充電中を示す赤ランプがついたではないか。でも安定しているかは疑わしい。もう一度充電器にかけなおすがランプは消えない。大丈夫かも。生還だ。

死んでいたわが子が生き返ったような嬉しさ。ちょっと大袈裟だが聖書の放蕩息子の父親の喜びのようだ。そうだこの子機のために専用の置き場をつくろう。これまでは電話台にあって時々落ちては電源コードで宙吊りになったが、これからは柱にしっかりと充電器を取り付けよう。この子機が死んでいたのに生き返ったのだから、これくらいのことをするのは当たり前ではないか。

こうして一晩充電してみると、見事に満充電の緑色のランプが点灯していました。またしばらくは軽快な電話ワークが楽しめそうだ。IP電話にも切り替えたし。全国どこへ電話しても市内料金並みの通話料とは嬉しい。相手もOCN系のIP電話なら通話料は只とはさらに嬉しい。でもそんなにかけるところはないのであります。

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リホーム一応完了

2006年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日3日(水)にT社の職人が来てユニットバスの壁の音対策をした。壁を押すと外部のコンクリート片に当たってコトコトと音がしていたもの。解体工事で所定の寸法までコンクリートを取り払っていないため出ばっていて、ユニットバスの壁を押すとユニットバスの金属支柱がコンクリートに当たっていることを確認した。このすき間に10mm厚の板(31日に床材として購入して1枚だけ余っていたもの)を打ち込み固定すると、ユニットバスの壁もへこまなくなり音もしなくなった。この間わずか数分、この前ユニットバスの組み立てに来た職人さんが手際よく処置してくれた。この職人さんはかなり腕前がよろしいとお見受けした。T社はこういう職人さんを大切にしているようにも思われる。どんなによい商品を作っても施工技術がすぐれていなければ真に良い商品とは言えない。その点T社は商品もよし、職人もよしと思う。ユニットバスの天井にはマンホールがあるが、ここからは天井に登らないほうがよいとのことで、上を覗くための点検口と考えたほうがよいと教えてくれた。これもこのユニットバスを長いこと使用していく上では大切なこと。自社の製品が何時までも愛用してもらいたいというこの職人さんの気持ちの現れでしょうか。

T社お客様係から風呂の掃除の仕方を書いた お掃除読本が郵送されてきた。実はもう一冊のお掃除読本も同封されていた。それはトイレ。こちらは頼んだわけではないがとてもうれしかった。というのはたまたま我が家はT社の水洗トイレをすでに導入していたからである。聖書にはある人が娘さんに「水をください」と言ったとき「はい。あなたのらくだにもあげましょう」と答えてくれた娘を自分のご主人の息子の嫁にしようと決めていました。彼はご主人からご主人の息子の嫁を探して連れてくるよう頼まれていたのです。彼は祈り深く熟慮のすえにこう決めました。実にすばらしい考えでした。彼の話に比べるほどのことはないかも知れないが頼まなかった「トイレのほうも」とお掃除読本を送ってくださったT社の真心を見たようでうれしくなりました。

4日(金)にクレームをつけたガスレンジがきて、リホーム屋のプロパンガス屋さんが取り替えていった。クレームのレンジはキッチンメーカーへ返品して、新しいガスレンジはガス屋として取り寄せたものであった。ガスレンジのメーカーはどちらも同じR社のものであるが返品したものはOEMでC社名になっていてグレードは一見して下のほうのようであり、新しいガスレンジがはるかによい品であった。取り付けも一発でOKになった。箱の天板を見ると交換前のレンジを取り付けたとき絞めたネジの傷跡が天板についていた。それは傾いたレンジの高いほうであった。レンジの天板への取付部が歪んでいたのではないかと疑われる。そのため取り付けネジが天板に当たり(通常はレンジ本体と取り付けネジが天板を挟むようになるようだ)天板に傷をつけたようだ。

システムキッチンを購入するとき、特に安いシステムキッチンを購入する時はガスレンジは別途ガス屋さんから購入したほうがよいことに気づいた。このたびは箱サイズが小さく我が家にピッタリなのでこれを選んだが安いキッチンには安い(悪い)レンジがついてくる。たまたま今回はリホームをガス屋さんに頼んだことが幸いしてレンジのクレームの処置がうまく出来た。またガス屋さんのリホームの見積は今後ガスを購入してもらうことが前提で、工事は安くしてガスで長いお付き合いをお願いするようリホーム代が良心的で比較的に安く設定されているように思われる。携帯電話を格安で売っているのは電話の使用料金が見込まれるためであるのと同じ理屈である。ところが我が家は都市ガスのため、プロパンガスは使用しない。それでもリホーム代を高くはしないのだからありがたい。その代わり代金は早速明日支払うことにした。

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畳新調 続き

2006年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

翌日1日(火)は4畳半の畳の新調で前日の疲れからか、やはり畳屋さんに急き立てられるように4畳半の鏡台と電話台などを移動。というのも今日はゴミ出しの日で朝から昨日のゴミなどを袋に詰めたりしていたらあっという間に8時になってしまった。畳を剥がしてみると鏡台の重みで床板がたわんでいる。また人の出入りの多い台所側と6畳側の床板もふわふわしていたが、全体としてはしっかりしているようだ。

問題は縁側出入りのところの敷居の高さが1寸7分しかない。標準の畳の厚さは2寸で畳のほうが厚く敷居より高くなり擦り切れやすくなる。他にも深すぎるところ、浅いところがまちまちで、この部屋をやった大工さんの腕前が疑われる。部屋の中央の半畳分は掘り炬燵になっているので畳はふようであるが、コタツの木枠が低いので5分ほどスペーサをつけて高くしなければならない。畳屋さんは午後1時には新しい畳を持ち込むというので昼休みなしでも4時間しかない。この間に出来る範囲で床修理をしなければならない。

たわんだ床は新調しようか。また柔らかい板ではと躊躇する。それとも昨日剥がした6畳の古い床板の中から丈夫そうなところを切り取って使うか。これもいまいちうまく行きそうにない。結局は鏡台の下でたわんでいた板を裏表反対にしてしようすることに。たわみが逆になってまあまあな強度である。他の床板も表裏逆にすることにして我慢することに。もうひとつは釘が腐ってしまい全く利いていないためにたわみが大きくなるところがたくさんあった。昨日ワンパック買った釘は2畳分の補修で使い切ったので、もうワンパック購入した。釘を打ち足すと床がかなりしっかりしてきた。炬燵の枠にスペーサを取り付けで床修理は完了とした。

午後1時に畳屋さんが新品を持ってきた。今度はうまく収まった。敷居が高すぎるところは畳表の切れ端を床に敷いて少し畳を高くした。見事な出来栄えである。いよいよ支払いとなるわけだが、昨日の6畳の際にはすき間ができたのでその理由を聞くと、部屋の大きさを測るとき隅の柱までを測るべきを、敷居のホゾまでしか測らないので畳の寸法が短くなったとのことで計測誤りとのことであった。雑草はこの回答にいまいち納得しない。というのは直角度を測る時は部屋の隅の柱どうしを結ぶ線が直角かどうかをみるべきなのに、敷居どうしの角度を測っているから、柱はずれがなく部屋が真四角だとしても、敷居がずれていると真四角な部屋ではないとの答になり、歪んだ部屋に合わせた畳が真四角な部屋にすんなり収まるはずがないと思うからである。

だから正確に部屋の真四角度を測ろうとしたら四隅の柱どうしをタコ糸で結び直角度を測るべき。なお畳は敷居と敷居の角度に合わせなければ敷居との間にすき間ができるのは当然であるからこれも測るべきだろう。と言うわけで柱どうし、敷居どうしの二通りの角度が必要ではないか。それを敷居どうしだけの角度で経験から部屋全体の畳の寸法、角度を決めているようだが条件によってはちょっと無理があるのかなと考える。1回の計測で済ませるのなら柱どうしの角度を測り、敷居のずれによるはみ出し分は柱どうしの腺からの距離を計測すればよいのではないかと思うがいかがなものだろうか。他でもまた同じようなすき間が出るような気がする。

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畳新調

2006年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

7月31日(月)に6畳間、1日(火)に4畳半の畳を新調した。畳屋さんはなぜか晴れが予想される日を選らんだ。丁度梅雨明けでしかも涼しい日でこちらも助かった。なぜなら床板の修理を短時間にしなければならないので。朝8時畳屋さんに起されるように起床。あわてて布団をたたみ、部屋の箪笥と机、雑物を隣の四畳半や廊下に移動。箪笥や机の陰のホコリや畳の下のゴミがいっぱいあるなかで部屋の寸法を畳屋さん独特の方法で測る。掃除をしようとすると後でしてください。畳屋さんはゴミの中で採寸。畳屋さんはゴミが好きなのか?とんでもない、他人のうちのほこりなど有難迷惑この上ない。掃除をしてホコリを巻き上げられたのではやっていられないのである。それよりそっとホコリがたたないよう素早く採寸して帰りたいのであった。

採寸で面白いのは部屋の真四角度を測定すること。部屋の一角だけを例のピタゴラスの定理で一辺約1Mくらい(本当は尺)と斜線の長さを測定する。その結果、一辺の長さの二乗の和が斜線の二乗になるかどうかでその角度を割り出し、この部屋が真四角かどの程度の菱形かを調べ、それに合わせた畳を作るとのことである。こうして出来上がる畳の角は必ずしも直角ではないのである。

もうひとつは部屋の隅にタコ糸を張り、タコ糸と部屋のへりとの間隔を測る。これは部屋の一辺は必ずしも直線ではなく、柱の部分が出張っていたりしたとき、タコ糸との距離をハンショウとか言って記録し、柱に当たる畳の部分をへこませたりして畳を部屋に合わせるのである。だから畳のヘリは直線ではないのである。

さらに敷居と床の高さを部屋の周囲にわたり細かくチェックしてゆく。畳の厚さを決めるためで、畳の標準の厚さは2寸、すなわち約60mmであり、畳はこれより厚くはならないが、若干薄くすることはできる。でもこれも限度があり、敷居と床の高さがあまりにも少ないと畳が敷居より高くなってしまう。逆に敷居の高さが大きいと畳が低くなってしまう。と言うわけで畳の厚さは均一ではないのである。

更には部屋の大きさを伸縮できる直定規(これも畳屋さん独特の畳の標準寸法が記されているもの)で測定して、部屋の縦横の長さを測りました。

さて採寸が終わると畳屋さんは6畳の場合は午後3時にまたきます、四畳半の場合は午後1時にまた来ますと言って、古い畳を持ってさっさと引き上げてします。工場で採寸通りの畳を作るため時間が欲しいのです。この空白の時間が実はこちらが忙しい。床板が沈下していないか、床板が重いものを載せていたため曲がったり割れたりしていないか点検し即修理をしなければなりません。畳屋さんが来るまでの4-5時間内に、だから気もあせるるが冷静沈着に修理方針を決めまず材料を買いにゆきます。床を本格的に修理しなければならない時は畳屋さんが来る数日前に床を点検し修理しておかないといけません。でも箪笥を移動したり、畳を剥がすのが面倒で、結局は畳屋さんが剥がしに来る当日に床修理となってしまいました。

6畳間の方は大きな問題が3つあった。ひとつは敷居が廊下側へ約く10mmずれていたこと。これは廊下側から敷居をたたけば元に戻せるのですが、廊下に棚があり困難のためそのままに。と言うことは敷居が部屋の外へずれた分畳が大きく、かつ柱の部分でたたみのヘリが直線ではなく曲がることに。二つ目は床が沈下してふわふわしていること。このためには床下につっかえ棒を入れて持ち上げなければならない。実は10年以上前に息子が大学入試のころ、この部屋で宙返りの練習をして床が沈下したときのつっかえ棒が施してあるが、今回はさらに沈下していた。今回はホームセンターからジャッキ式の床上げができるつっかえ棒を購入したので比較的簡単に上げられた。前回は車のジャッキで床を上げて、棒を所定の長さに切って床下に立ててジャッキを降ろしたので大変であったが便利なものがあってよかった。三つ目は床板がふにゃふにゃになっていたり割れたりしているものの張替え。張替えすべき床板はおよそ2畳分もあった。はがした床板を持ってホームセンターに材料を買いに行ったところ、まだ製材したばかりの濡れて柔らかい板、しかも幅が狭いものしかなかった。これではふにゃふにゃ度は変わらないが時間がなくこれに決めた。こうして午後3時までにどうにか床の修理を終えた。

畳が来て並べ始めた畳屋さんが困った顔をしている。1枚の畳の両端にすき間がある。しかもすきまの片側が広い。すぐに直してくると2枚の畳を持ち帰えりおよそ2時間後に来て直した畳を入れたらうまく収まった。新しい畳の香りはいいですね。新しくてよいのは畳と何とか。いやあ、古くてよいのは味噌と何とかといもいいますね。その後で箪笥を元の位置に戻して地震対策を施して6畳間が終わりました。

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電気工事

2006年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

26日(水)電気工事屋がきた。ユニットバスのボイラ配線、換気扇配線。洗面台への配線。台所照明取付。トイレの配線換え。玄関照明取付。各部屋照明への配線換え。コンセント取替えなど。何度も電気を切ったり入れたり。最後に面倒で入れたまま作業して誤って感電。びっくりした。本日のダイヤリーに毒毛虫を載せたがどちらも感電したようなショックを受ける。たまたま電気と毛虫同時となった。照明器具と各部屋、トイレは契約外であるから何がしかの追加料金になるだろう。

本日もT社か電話があり、このたび購入したユニットバスには紫外線吸収剤が使用されていないとのことであった。T社としては使用していないとのコメントはなかったのであるいは使用しているものもあるのだろうか。もしあるとすれば高級壁材の退色防止にかな。

本日もT社ショウルームのエンジニアが訪ねてきた。壁を押すとカタカタと音がする旨をリホーム屋さんに言ってあったので、その様子を見に来たのであった。はじめはユニットバスの鉄製柱とユニットバスの壁が当たってコトコトと音がするのかと思ってショウルームに取付けられた壁をしらべたが、こちらは全く音がしないし、押して堅く取付けられていて壁がほとんどへ込まない。わがやのはやや弱く押してもへこむので若干取り付けがあまいのかも。そこで来てもらったわけであるが、エンジニヤとともに確認すると、解体のときでばっているコンクリートに鉄製柱が当たるようだ。コンクリートに亜鉛鍍金鋼板があたると傷ついて錆る恐れもある。エンジニヤは日を決めて対策するというのでお願いした。

T社エンジニヤが台所の新しいC社製キッチンに気づいたので、T社もキッチンを取り扱っているのでクレームの概要を話した。本人はユニットバスが専門でよくわからないとは言ったがすこぶる適切なアドバイスをいただいたのでアドバイス通りに簡単な追加施工をすることにした。彼にしては同業の悪口に乗ることはできないので専門外と言ったのだろうが、C社の営業マンが同じ状況を確認しても何とも言ってくれなかったのに比べ、誠に適切にアドバイスをくださった。わたしは扉の水平を直しに来ただけと言いながら、箱の施工が不適切だなどと、施工のせいにするのとは大違いである。嗚呼、T社から買いたかったよ。

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キッチンクレーム続きとユニットバス

2006年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

明日来るといったキッチンメーカーは来なかった。リホームを依頼したプロパンガス屋さんだけが来て、キッチンの据付状況を確認して問題なしとのこと。レンジはキッチンメーカーへ返品する。代わりに別のレンジ(もっと良いもの?)を取り寄せてつけるとのこと。キッチンメーカーでは交換に日数がかかるため待てないとのことであった。リホームをプロパンガス屋さんに頼んでよかったと思った。

キッチンメーカーとリホーム屋さんの間でどんなやりとりがあったかはわからないが、このたびのクレームを通して、キッチンメーカーの品質管理のいい加減さがよくわかった。リホーム屋さんはガス器具取り扱いではもっとも信頼できる。なぜならガスが本業だから。キッチンメーカーの器具ではなくなることに安堵した。できれば箱(流し台)も取り替えてもらいたいところだがそれは言うまい。しかしレンジの取付がうまくいかない原因がまだわからない。なぜならすでにガス管を接続したため、簡単に取付部を見ることができない。もしレンジを取付ける部分、すなわち流し台の天板に不具合があるならさらなるクレームをしなければ。もうK社のものは一切買いたくない。

ところでユニットバスのほうは快適である。今日はそのT社のお客様係の方から電話があった。ユニットバスの掃除の方法を聞いたらお掃除読本なるものを送ってくれることに。他に最近新聞に載って気になっていた紫外線吸収剤について聞いたら後日回答するとのこと。二回目の電話で購入したユニットバスの色の確認があった。もしかして紫外線吸収剤と関係があるのかな。夕方三回目の電話があったが不在中で、もういちど架けなおすとの事であった。対応が非常によろしく、製品もよいようだ。キッチンもここに頼めばよかったと後悔する。

そういえば風呂場の古い洗面の陶器もT社製。数十年を経てなお気持ちよく使わせてもらった。このたびのユニットバス化によりお役御免となった。解体屋が取り外そうとしたがネジが固くて外せなかった。沈没する船の船長がその船から離れずに船と運命をともにするような意思がこの陶器にあるかのように思えた。大きな悲鳴とともに消えた。

もうひとつ風呂場の鏡もT社製であることがわかった。かつての風呂の記念遺物として残そうと取り外して汚れを落とすとT社の文字が見えてきた。ここに来たときから30年あまり湯垢が石灰のように付着していてこの文字を見たことがなかった。この風呂場で40年以上家人を見守ってきたこの鏡は手入れ不足にも歪むこともなかった。若干は汚れが残ってしまったが今度は玄関で家人ばかりではなくこの家の訪問客をも見守ってもらうことにした。下駄箱の上のちょっと目立たないところではあるがこれからもよろしく頼むよ。

もうひとつもう少し新しいものであるが水洗トイレもT社製である。これもすこぶる具合がよろしく、快適な生活を送らせてもらっている。このたびはトイレのドアを新品に交換、昔は男女別々で半畳ずつで、その名残の仕切りの壁を取り払った。そこでこの水洗トイレは一畳となってさらに快適空間となった。物を作る工場の管理状態はその作業屑をみればよくわかると教えていただいたことがあった。同じように人間も体から排出するものを見れば健康状態、時に精神状態までわかるものである。これからも家人の健康状態を見守ってくれたまえ。

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システムキッチンのクレーム

2006年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

24日(月)キッチンメーカーの営業マンが来た。開き戸の傾きをを水平に直す。1.引き戸のパネルの傾きも直した。2.香辛料を入れる小さな引出の大きく傾いたパネルについては引き出しのレールに当たる部分に何かスペーサーを入れて調整するというので、余計なものをつけたのではあとで困ることが起きる可能性があるので断った。よくよく見るとネジ止めされていたので緩めて締めなおして我慢できる程度になった。これらは簡単な調整で直せるが、現場で直すのは手間のかかるものである。客からクレームが来なければそのままにすることで組み立て費を節減したつもりなら大間違いで、後々までも笑い話ならぬメーカー不審になる。工場で組立時に冶具を使用すれば素人でもちゃんと傾きなく組み立てられ、現場の手間を省ける。組み立ても手間が増えることなく均一の組み立てができ、検査も同じような冶具を使用すれば計測などが省略され簡単になり、さらにクレームも減る、信用がつくなど一石二鳥どころか一石七鳥以上にもなる。これは設計者が単に品物だけのコスト低減しか考えないで、真にトータルコスト削減に汗を流そうとしない怠慢であろう。

レンジの傾きに起因する不具合については当の営業マンはお手上げ。私は営業で扉の水平を調整に来たので出来ないという。キッチンの据付不良によるかもと言う。この据付は限度内ではというと、限度外だという。限度の基準はと聞くとわからない。据付の傾きは確かに若干あるが、レンジの傾きはそれ以上でも限度内とでもいうのか。とにかく夕方わかる者を連れてくるとのこと。

夕方二人できた。据付の水平度を盛んに見ている。しかしレンジの傾きは別の要因が見えたので、レンジ本体とレンジのパネルの取り付けが傾いているので、どんなにキッチンを水平に施工しても直らないだろう、天板にぶら下がっているレンジはキッチンの箱が少々歪んでもレンジの問題は解決しないだろうと言うと、そのことは二人目の技術者は私の範囲外なのでわからないと。そしてキッチンの施工も問題ありとのこと。明日施工業者もきて調べるとのこと。

明日きたら、その時になってからレンジの不具合だ、その担当に連絡すると言われても待たされるだけなので、今すぐレンジの不具合の様子をしかるべき担当部署に連絡してくれといったが、とにかく営業所に帰ってからガスレンジ担当に連絡すると。不具合の写真はあるからすぐ連絡を取って据付の検討と平行してガスレンジの不具合も検討すれば時間の短縮になるからといっても取り合わない。メール等でどこにでも即座に送れるのだからガスレンジの不具合の程度だけでもすぐ判定できるはずなのに。これでは今日一日が無駄になったように明日も無駄になろう。

早く解決してもらいたくて写真を何枚も準備したが聞く耳を持たず、リホームは遅れるのが当たり前のような対応に立腹する。リホームは使用を中断して不便なのだから、リホームほど時間の感覚に敏感でなければならないのでは。新築とて時間に追われるのはあるからそれも大切である。とにかくリホームは緊急度が高いのが当たり前。営業マンはこの辺を考え、どうしたら短縮できるか考えるべきで、これをしないで、私は傾きだけを治しに来たなどというのは失格である。

そういえばこのC社ショウルームの説明は要領を得なかった。営業マンも要領を得ない。問題の全貌をみてどうしたら適切な処置を最短時間でできて客の要望にこたえられるか考えるる者がいない。夕方は少なくともこういうことを少しは考えてくれる担当者かと思いきや期待外れであった。また明日も同じようなことにならなければよいが。

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排水工事

2006年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

ユニットバスとシステムキッチン、洗面台を入れ替え工事に当たり給排水工事を市外の業者さんに頼んで豪雨で非常に条件の悪い中で予定通りしていただいたことは先に書きました。こういう改造工事をすると以前の工事で手抜きや誤魔化したことが明るみにでることがあります。先にトイレの水洗工事の時に床下に残土を盛ったままで土台の材木が腐食し始めたことに触れましたが今回も不幸にも重大な欠陥が明るみに出ました。それは排水の溜め枡に不用意に腕が通るほどの穴が開けられたままになっていて、ここから排水が漏れていたのです。

当時排水工事後に急に風呂のボイラーの置き台が沈んで傾きました。当初原因はボイラーの土台の下に配水管を通した工法のためと思いました。そのうち沈下が落ち着くと考えていましたところ果たして止まったので一安心しました。ところがそれはブロック塀に当たって沈下が止まったのでした。

その後サッシに変えたドアが開かなくなりました。どうにも素人では直せないのとほとんど使用しないのでそのまま開かずの戸になりました。次に台所の床が例のサッシ付近を中心に下がりました。風呂との境目の土台に接触した木材が腐食して弱くなっていましたので、このために床が下がったと考えました。いずれは床を直さなければと考えていました。

そのころ流し台を新調しましたが、まだ私が通勤現役の時代なので工事を見ていなかったこともあり、流し台を水平に保つために流し台の耳を釘付けにして宙吊りにするという、手抜き工事がされていました。一見頑丈に取り付けられていましたが、排水工事の瑕疵により思わぬことになりました。傾斜のある床上に設置するときは流し台が水平に保たれるような枠を作って入れるのがよいのですが、釘2本で宙吊りで水平を保つという簡単な設置のため床がさらに下がったとき、シンクに荷重がかかりシンクが破れてしまいました。

長らく破れた流し台を使用してきたが、このたび新調するにあたり、床の水平度を確認したところ、1.例の水漏れ溜め枡の近くの土台が約一寸沈下していた。2.これにつれてこの部分の床が沈下。3.これに引かれて風呂との境界の土台付近の床が沈下。ここには重い茶箪笥もあったため沈下に追い討ちをかけたようだ。4.こうして流し台が完全に宙吊りとなったところで荷重がかかったため流し台のシンクが引き裂かれた。との一連の沈下破損原因がわかってきた。すべての原因が排水の漏水にありとは。

このような重大なことを引き起こす可能性があるのに、穴の開いた排水枡を設置した、見つからなければかまわない業者。これも市の指定業者である。わからないところは誤魔化されたわけで、どんな工事でも監理監督が必要であることを痛感した。とはいえ家庭の排水まで監督するのは出来かねることであり、このような重大な誤魔化しはしない優良、良心的なというより当たり前のことを淡々とやってくれる業者に頼みたいものである。このたびの水道業者にこのことを話すとそうです「当たり前のことです」と笑い出しました。市の指定業者だからといって安心は出来ない。なぜ指定業者をつくるのか。表向きは指定した工法通りの工事をするため。でも業者の受注獲得のための指名獲得などが発端というと言いすぎといわれるが、この辺が本音で、それを市が利用されたのが発端であろう。こうして「当たり前のこと」をしない特権業者が出てくるのではないか。市外の業者でもちょっと確認すれば出来る当たり前のことである。

と言うことでこの類は指定業者に都合よく出来ていることが多い。話しは飛ぶが、茨城の鳥インフルエンザ蔓延も集結したようだが、ここにも官民癒着というと言いすぎという方が多いが、長年の自民絶対優位にまんざら原因がないともいえない。多かれ少なかれ民が都合のよいように官を動かそうとしている。今回も業者の目先の利益のための業者の誘導にに乗ってしまったことが発端と思う。これでは市民は困るわけで、そのような目先利益への誘導の兆候を見つけて排除して市民を危険から守るのが本筋であろう。特にインフルエンザ蔓延は大変な恐怖であるのに業者の目先の利益の方向へ誘導されたのでは何のための行政か疑う。先日、自民の若手県議候補者にこのようなことをお話ししてそういうものをいち早くキャッチして市民を守ることがあなた方の使命でしょうといったら、あれは業者に騙されたといってこのような話をされたことに憮然とまではいかないがそのような顔色がちらっと見せた。この議員でさえ県民のためとは言いながら真摯に受け止めず、自分を守ることが第一であるという本音をちらつかせたのであった。彼の一瞬の顔色を見なかったらこの候補のファンになったと思うが、いまいち気が進まない。

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