吐玉泉下にデビューした蓮久の若木と花 2024年1月撮影
蓮久の思い出2の続きです。
本園内の苗木畑
ようやく品種名の確かな苗木が200種類ほど出来上がりました。
この苗木畑にはそれぞれ番地が決められていて、1番地にはどの品種を植えるかがあらかじめ決められています。
苗木畑の番地
竹の杭1本が1番地で、緑色のプレートと白い名札がついています。まだ苗木が植えられていない番地もあります。今後入手予定の品種名が書いてあります。200種類そろったわけですが、さらに希少な未入手の品種もそろえて、名実ともに最高の梅の偕楽園を目指した担当者の意気込みです。
梅の見本園 2019年1月撮影
苗木が大きくなってきて、本園内へデビューし始めると同時に、梅の見本園への植込みが始まりました。
この場所はかつて偕楽園を愛する市民の会が主に東京方面からたくさんの品種を取り寄せて、2008年に第1回植樹祭を行った場所です。この企画は「偕楽園を日本一の梅林にプロジェクト」として、500種類の梅林「平成梅林」を作ることが目標で、そのための苗木畑でした。わたしも資金僅少ながらだしまして、たまたま植樹会に参加して、1本植えさせていただきました。
残念なことに東京方面で梅のウィルスが蔓延して、吉野梅郷の梅林は全て処分されました。平成梅林の苗木にもウィルスが感染していたのがみつかり、全数処分となってしまったのでした。
幸いこのウィルスはアブラムシを介して伝染するので、平成梅林と偕楽園の梅林は離れていたので影響はさけられたのでした。
そして10年後の2019年。ここを梅の見本園とすべく、植樹が始まったのでした。
梅の実本園は全部で3面あります。
梅の見本園 2019年撮影
この3面の見本園に1品種1本ずつと、周辺にしだれ梅などが植えられています。
苗木畑と見本園の植栽位置などもしっかりと資料として残されました。
碑前紅 2017年4月6日 本園苗木畑で撮影
私の大好きな超遅咲きの豪華な花です。
2022年4月8日撮影 梅の見本園の碑前紅
見本園ではこのように200種類の梅の木がすっかり大きくなり花を咲かせています。
このようにして、品種名の確かな梅の木が200種類あまりがそろいました。本園内へも確かな品種名でデビューし始めています。
これからは、安心して確かな品種名で本園への苗木の補充ができるわけで、本園内の梅林が年々良くなってゆくことが期待される基礎ができたわけです。
梅は100年、200年単位で残りますが、一人の管理者の任期は限られています。この偉業を成し遂げられた根本実嗣さんも、この梅の見本園を完成されてまもなく退官されました。ということで、吐玉泉下に植えられた蓮久はこの偉業を代表する記念樹と思っています。
そして同じ気概を持った緻密な管理者が継続することを願ってやみません。
日常の緻密な管理者が不在となると、たちまち品種名などが間違った方向へと動き出します。
これは八重の緑萼の木にいつの間にか一重の月影の名札がついていました。この時は根本さんのおられるときで、すぐにとり替えました。
こちらは品字梅につけられた座論の名札で、一年以上にもなる現在もついています。品字梅は花座論とも言われますが、昔から品字梅と言われてきたもので、弘道館にもありますが、この木だけ座論とするのはいかがなものかと思います。
これは正岡子規の句碑の近くの一流です。2023年3月1日撮影。この名札が一時隣の梅の木に掛かっていました。
外れた名札をお客様かどなたかが、ご親切にも付けてくださったのかもしれません。
隣の、この真っ赤な梅の木は一流ではありません。ちょっとだけ花を知っている人なら、誰でも気づく真っ赤と桃色です。公園事務所に連絡したのですが、1週以上過ぎても間違ったままこの梅の木にかけられていました。
丁度この赤い花が真っ盛りで、多くの観梅客が誤った名札と共に花の撮影をしていました。私はいたたまれなくなり、たまたま師匠の出店に立ち寄った造園屋さんに何とかならないかお願いしたところ、即日名札を正規の一流の梅の木に架け替えてくださいました。
このような名札落ち、掛け違いは多くの品種を扱う偕楽園では、よくあることで、日常の管理が非常に大事なことです。2006年ころに、わたしも間違っていた名札で覚えた叡山白という花がありました。8年後の2014年ころ初めて間違いがわかったのでした。
花を見てわかる担当者がいなくなると、こういうことが積み重なって、品種名がうやむやになってしまう例が多発し、また混乱が起きます。
現在は佐原の造園屋さんの2代目の方が、期限付きで管理をしていてくださり当面は心配はないのですが、期限過ぎたらどうなるのでしょうか。
偕楽園は天下の三名園。梅の偕楽園の名に恥じないよう、専任の管理者をつけてほしいと常々願うものです。