庭の花たちと野の花散策記

山野草と梅が大好きの「雑草」。花以外は思考不可の植物人間の庭の花と野の花散策記です。

気になる名札 カミガヤツリ 植物園をより魅力的にするためには

2019年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

植物園の名札に気になるものがありました。
温室の水辺にカミガヤツリなる名札がありますが、それらしき植物が見当たりません。


名札プレートの周辺には、カミガヤツリではないシュロガヤツリらしいカヤツリグサがたくさん植えられています。
これではカミガヤツリはこれだと誤認してしまいます。


先日はこの近くで小学低学年と思われる親子連れが写生していました。もしもこのシュロガヤツリをカミガヤツリ・パピルスと間違えて覚えたとしたらとんでもないことです。

私もまだカミガヤツリには出会っていません。先のブログ(11月10日)で書いたとおりです。つまり南高校の「楽しい自然観察」で先生がシュロガヤツリを持ってこられたので、カミガヤツリはもっと細い葉であることに気がついたのでした。
それまではこの植物園のこの名札のまわりにあるものをカミガヤツリとしていました。
https://blog.goo.ne.jp/zassougoo/e/d3b3b78c0ec51f06732849dd560b9293

念のためカミガヤツリについて、偕楽園の書棚の図鑑から、カミガヤツリとシュロガヤツリの写真を撮らせてもらいました。

偕楽園の図書よりカミガヤツリ


偕楽園の図書よりシュロガヤツリ
いずれも大きなカヤツリグサですから、似ている点も多くありますが、二つを並べてみると両者は全く違います。

早速明日にも植物園へお知らせしなければ。







追記20190129
以上のブログを投稿してから床に就いたのですが、床の中で考えました。

~より魅力的な植物園にしたい。~

植物園というのは来園者に植物に興味を持っていただくところですが。
だとすれば、このことは、さらに来園者が興味を持っていただく絶好のチャンスではないだろうか。
現にこの温室ではクイズ形式で植物を見てまわるようなのがあるようです。
とても良い方法と思いますが参加者はどのくらいあるのでしょうか。見たことがありません。

ここでのクイズの例としては
カミガヤツリとシュロガヤツリを並べて植栽し、
紀元前の紙の材料となったのはどちらか?・・・・・カミガヤツリ
さらには英語のペーパーの語源となった言葉は?・・パピルス
また英語のバイブルの語源になった言葉は?・・・・パピルス紙の積出港ベイルートのビブロス(Byblos)
  ちょこっと難しいクイズを出して資料室へ誘う。
現場のクイズによって、さらなる興味を持っていただき、紙から広がる世界にいざいます。

そのための資料が別室に用意してあることをお知らせしてはいかがでしょうか。
資料の例としては、思い付きですが、
紙の作り方・・・古代パピルスのすき方 現代の大量な紙の作り方 和紙の作り方
紙の原料・・・・古代のパピルス 現代のパルプ(材料針葉樹と広葉樹)やミツマタやコウゾなど。
紙から見えてくる世界への広がり・・・原材料の生態、資源の継続再生、環境問題などに関する魅力的な様々な資料など。
・・・すでに植物園にあると思いますが、見てみようという気持ちがわいてくるように。

さらに、これらのことを効果的にする施策として、下記のようなイベントがあったらよいとおもいました。
小中学生はクイズの答えを持参した時は入園料を同伴者ともども無料とする。さらに資料室の資料を見て園内のクイズに答えた方には記念品(パピルス製の紙とか)を差し上げたり、食堂で一品無料とする、次回の無料入場券を差し上げるなど。

寝る前に老人が考えたたわごとであるから捨て置いてくださってよいのですが、でも、常にこのような考えをもってより魅力的で活性化された地域にしようと奮起するお方が現れることを期待しています。

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ネットの悪意に満ちた画面「システムが壊れている」 その対処法

2019年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

最近パソコン画面にこんな悪意な画面がよく出ます。
Windowsセキュリテイによって、システムが壊れていることが検出されました。
ファイルはあと222秒で削除されます。とありカウントダウンが進行中です。
必須 下の更新ボタンをクリックして、最新のソフトをインストールしてスキャンし、ファイルが保護されていることを確認してください。

15秒くらいでこの画面に変わりました。
あなたは Windowsドライバを更新していません。
あなたのFileが完全に削除される前にそうしてください。
我々はドライバを更新するまで、あなたがこのページを離れないことを強くお勧めします。

この画面が出るとインターネットの操作ができなくなってしまします。

この画面のアドレスを見ると何とも怪しいアドレスです。


似たような画面が出ることもあります。
Windows 10によって Windowsが古くなり破損していることが検出されました。
ファイルが削除されないように、指示に従ってすぐに修正してください。

いずれの場合もネットの動作が止まってしまいます。唯一OKボタンを押すしかない状態です。
でも、ここで、この怪しい警告に従ってOKボタンを絶対に押してはいけません。


フォト蔵を開いていた時に、この画面が出ました。
なんか本当の警告のようです。もし、本当の警告なら、フォト蔵の画面には何かデータを搾取するようなプログラムがあるのかもしれません。フォト蔵本体画面にはそのようなものがないとしても、広告画面が非常に多く、動画まであって、その中の一つにデータを搾取するような画面が含まれているかもしれませんね。
以前フォト蔵が不調の日は迷惑メールがほとんど来ないことがあったのは偶然の一致ではないと思いました。その時とは違う何かがあるような気がします。

それともこの警告画面は偽物でしょうか。いずれにしてもボタンを押さないと次の動作に入れないことは前の悪意の画面と同じです。

対処方法
このようにネットが止まってしまったときの対処法を聞きました。
キーボードの CTRL と ALT を同時に押しながら、DEL を押すと次の画面がでます。

ここで タスクマネージャーをクリックしますと次の画面に変わります。

これは、現在このパソコンが仕事をしているものの一覧です。
この中から、上記の悪意に満ちた画面が出た仕事をしているものを選択します。
今回は Internet Explorer を選択しました。選択したらタスクの終了ボタンを押します。

タスクマネージャーの一覧からInternet Explorer が消えました。同時に悪意に満ちた画面も消えました。

これで完了ですが、そのあとの注意点として、
もう一度ネット画面を開くと
予期せぬシャットダウンがありました。もとの画面に戻りますか?と聞いてきます。
この時もとの画面に戻ると、また同じ悪意に満ちた画面が出ることがありますので、戻らずに、あらためて開きなおすのが賢明です。

セキュリテイの問題として、このような悪意に満ちた画面を防いでもらいたいところですが、ウィルスではないので対策が難しいようです。そのためセキュリテイ会社が対処していないとか。

このような悪意に満ちた画面はランダムに出るので対策が難しいようです。それで一番出やすいのはというと
Internet Explorerということでした。
次が Microsoft Edgeであり、
一番出にくいのが Google Chrome ということだとの情報をいただきました。
これって高度なネット技術を持っている誰かの陰謀ではないかと思ってしまいました。









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震度3の地震で落ちた掛け時計 こんな物づくりに笑っちゃいました

2017年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム
先日1月18日夕方5時19分にグラグラっと地震がありました。
うたた寝をしていて急に揺れて、何か落ちる音がしました。
直感で地震の方角は北東、震源は近いと思いました。地震の回数が多いため、なぜか震源の方角がわかるようになりました。
発表された震源は我が家から20kmほど北東の東海村沖で東海村が震度4。県内はほとんど震度3。神奈川を除く関東で震度2でした。
震度3で落ちたのは掛け時計でした。
1震度3で落ちた柱時計17012100061震度3で落ちた柱時計1701210006 posted by (C)雑草
なぜ簡単に落ちてしまったのか考えてみました。
2原因はこの形17012100092原因はこの形1701210009 posted by (C)雑草
時計がなぜ震度3くらいで落ちたのか。時計の裏側を見てわかりました。
震源が近いので縦揺れ成分があったために、物が斜め上に飛び上がるような動きをしたことと、この時計の溝が不適切であったためでした。こんなアホな形の溝を誰が作ったのかな? MADE IN CHINA です。

3小さい頭のネジ17012100033小さい頭のネジ1701210003 posted by (C)雑草
頭の小さいねじしかこの溝に入れることができません。

4小さい頭のネジ17012100044小さい頭のネジ1701210004 posted by (C)雑草
頭の小さいねじはわずかに引っかかるというよりは頭が少しだけ通りにくい状態。
これでは上下に揺らして横に引っ張られると簡単に抜けてしまいます。
というわけで震度3でも揺れ方向によっては落ちてしまうことがわかりました。

5大きい頭のネジ17012100075大きい頭のネジ1701210007 posted by (C)雑草
そこで、この大きな頭のねじが入るように溝を加工することにしました。
6大きい頭のネジ17012100086大きい頭のネジ1701210008 posted by (C)雑草
大きな頭のねじは、この穴からは入りません。ということはここに入れてしまえばもう抜けないわけです。
7溝を拡張17012100127溝を拡張1701210012 posted by (C)雑草
大きな頭が入るように溝を拡張しました。
大きな釘をガスレンジで熱して溝に当てて溝を溶かして、溝に大きなねじの頭が入るようにしました。
8大きい頭のネジ17012100138大きい頭のネジ1701210013 posted by (C)雑草
大きなねじの頭が拡張された溝を通って中に入ります。

9大きい頭のネジ17012100149大きい頭のネジ1701210014 posted by (C)雑草
大きな頭は穴からはもう出ることができません。
これなら震度6でも時計が外れて落ちることはないでしょう。

10大きい頭のネジ170121001810大きい頭のネジ1701210018 posted by (C)雑草
大きな頭のねじを柱にねじ込みました。
11完成170121001711完成1701210017 posted by (C)雑草
時計をかけて完成です。
いくら安い掛け時計であっても、こんな欠陥商品を堂々と売っていることが、怒りよりもおかしくなりました。
この時計は1000円でした。

昔仕事で、国外で生産した部品を購入して製品コストを下げようとした時代がありました。
その時の不良品を思い出して懐かしくおかしく笑ってしまいました。
国内製作では考えられないような不良品を、それもちょっとだけ見ればすぐにわかるようなものが次々に入ってきて、何度注意しても不良品がたくさん混じっていました。それで、日本人指導者が海外の生産の指導に行き、だいぶ良い品質になってきました。
しかし、今でも、形はちゃんとしているようだが、ちょっとした仕上げ不良で強度不足とか、似ている形でもこの時計のように使い物にならないとか、また材質が不適切で強度不足や、有害なものなど油断ができないものが多いですね。
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いのちよりも大切なもの ユーオーディア賛美の夕べに

2016年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日7月23日に東京オペラシティコンサートホールで開催された 第23回ユーオディア賛美の夕べ~星野富弘の世界を歌う~を堪能してきました。星野富弘さんの詩とエッセイによる合唱組曲を土井康司さんが作曲されたものです。
この写真は開演前の様子です。
DSCF7458bDSCF7458b posted by (C)雑草
1607240034b1607240034b posted by (C)雑草
今年は富弘美術館開館25周年にあたり、星野富弘さんの詩とエッセイに土井康司さんが作曲された合唱組曲「いのちより大切なもの」が主要演目でした。
ユーオーディア管弦楽団と合唱団いずれも60名以上、あわせておよそ130名あまりの楽器と合唱が響き渡りました。
1607240035b1607240035b posted by (C)雑草
星野富弘さんが「死の淵をさまよい、障害のゆえにできなくなったこともたくさんあります。でも、いのちより大切なものに気づくことができました。」という詩とエッセイは言葉だけでも心を打つ素晴らしいものですが、土井康司さんにより合唱組曲となり、130名の方の楽器と合唱が響き渡ると、心の琴線を大いに震わせるものがありました。
今年11月5日(土)6日(日)にPBAのライフラインでテレビ放送されるそうです。
北海道、青森、福島、群馬、埼玉、千葉、神奈川、新潟、静岡、滋賀、京都、大阪、兵庫、沖縄では見ることができるようです。詳しくはwww.pba-net.comでご確認を。

昨年のユーオーディア賛美の夕べに演じられた「いのちより大切なもの」がCDになっていましたので購入しました。
1607240037b1607240037b posted by (C)雑草
1607240036b1607240036b posted by (C)雑草

来年はどのような賛美がささげられるのでしょか。次回は2017年7月29日(土)です。
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年賀状お年玉当選 

2016年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
今年もお年玉付き年賀はがき当選。とはいってもお年玉切手シート1枚だけです。
送り主は中学の同級生で、ちょっぴりうれしいですね。
昨年は年賀欠礼でなし。一昨年も別の中学同級生からの年賀状が切手シートに当選しました。
中学同級生との年賀のやり取りは比率としては1割以下なのに、なぜか当たりが連続です。
たかが切手シートとはいえ年の初めに福をくださった中学同級生にありがとうをここでお伝えします。
もうみなさん同じように年を積み重ねて、同級会をまとめる力がなくなってきて、大がかりな会合はできなくなってきました。少人数でもできればと心待ちにしています。
ちなみに今年の当選番号は下2桁が「69」でした。私の年より少し小さいです。
私が出した年賀状は誰に何番を出したかは記録がありません。でも購入した年賀はがきは連続番号であったので、少なくともお年玉切手シートが2枚以上は当選しているはずです。もしやと思われたかたは念のためお調べください。
 新聞によると当選番号は 1等現金10万円ほかなどは「667085」
 2等ふるさと小包などは「9648」 3等お年玉切手シートは「69」と「90」とありました。
商品引き渡しは本日18日から7月19日までです。
我が家に来た年賀状は、新聞の当選番号を暗記して逐一対比してみました。あっと胸がときめいた番号は「968548」でした。
なにか覚えがある番号と思ったら、「96 48」は離れていますが2等の当選番号と同じで、さらに中の「85」は1等の下2桁と同じです。
というわけで1等と2等の番号が入り混じった幸運な年賀状をいただきました。まもなく50年のお付き合いになるお方からでした。
それから下3桁が「777」と縁起の良い番号もいただいていました。これはネットの友からでした。
みなさん今年もよろしくお願いいたします。
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本日16日13時までフォト蔵さんメンテナンス中です

2015年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム
本日は13時までの予定でフォト蔵さんがメンテナンス中のため、フォト蔵さんから引用した画像を見ることができません。
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我が家は耐震構造だったのかも

2012年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム
年があけて、まもなく東日本大震災から1年になるわけです。偕楽園内で地震になり、自転車で帰宅する途中で、大谷石やブロック塀が倒れたり、屋根瓦が落ちてしまった家がたくさん見てしまったわけで、築50年になる我が家はどんな惨状かと心穏やかではなかった。 我が家のこれまでの大きなリホーム歴といえば、 1.およそ30数年前に、築およそ15年の古いこの家に来て、台所のガスレンジと湯沸かし器をプロパンガスから都市ガスに変更した。風呂は石油炊きのまま残した。 2.間もなく下水道が整備され、トイレの水洗化と、台所の流し台などを新調した。この時の市の指定業者のごまかし工事が原因で水回り付近の土台の沈下があり、流し台亀裂と外置き風呂釜の傾斜が発生し、のちの流し台再新調などとあいなったわけである。 3.外壁、特に二階の屋根の下の三角形部分の痛みがひどくなり、化粧板張り、また室内では、洋間の天井が雨漏り等で傷んだので、張り替えた。 4.ガラス戸をサッシにした。一階は木製の雨戸、ガラス障子があって、廊下があり、廊下の内側に一部ガラス入りの紙張り障子であった。このうち廊下の外のガラス障子をアルミサッシにした。このとき格段にすきま風が少なくなった。でもまだまだすきま風はいまだに多い。 5.家の外壁は波つきのトタン板で、以前は一戸建て木造貸家ではこのようなトタン板の建物があった。このトタン板の腐食が激しく、断熱材もはいっていないので断熱材入りの外壁材を張り足した。これですきま風が格段に減った。それでもいまだに多い。 6.屋根がスレート瓦葺きで、瓦のひび割れとうがあり、雨漏り激しく、本瓦に葺き替えた。この時に屋根の重みが増して、家がひきしまった感じがして、一階の紙張り障子が動きが悪くなった。7.上記2.の流し台亀裂などによる流し台新調と、ユニットバスへの切り替えをおこなった。このとき、台所天井と壁と出窓、風呂場出窓、洗面所床などをリホームした。また紙張り障子を入れ替えました。このリホームにより住環境がよくなったものです。  このときに上記2.の下水道工事時の台所の穴あき汚水マス設置による水漏れによって、水回り付近の土台沈下があったことがわかった。この土台沈下により、台所、特に流し台下付近の床が沈下したため、流し台が宙づり状態となり、流し台に亀裂ができたことがわかった。またこの沈下により、台所にあったサッシ戸の開閉ができなくなった。さらには外置きの風呂釜の土台も傾いてしまい、風呂釜とのお湯のつなぎが外れそうになったのである。さらには水洗トイレの工事残土で、床下のコンクリートの土台の上の横置きの木の柱が残土に埋まってしまっていることもわかった。下水整備時に、水洗化などの宅内の上下水工事も、市指定業者しかできないと自分で言いながら、目に見えないところはいい加減な工事をしていた、その指定業者の顔が思い出される。  以上のリホームは専門家またはそれらしき修理屋さんが施工したものです。ただし、この時の台所棚取り付け、排煙フード取り付け、台所天井張り、台所出窓修理、洗面所床張りなどは建具屋職人の兄貴との共同作業で、素人雑草の手が入りました。 8.1階の二間の畳表を新調し、この時、たわんでしまった床板を仮に直しました。これは午前11時ころ畳屋さんが古い畳を持ち出してから、6畳では、午後3時ころ張り替えた畳を持ち込むまで、4畳半では午後1時ころ持ち込むまでのわずかの時間内での作業でした。特に6畳間の床の傷みが激しかったのは、この部屋で子供たちがバック転など飛び跳ねたためでした。畳屋さんが張り替えた畳を持ち込んだときに、床が見違えるほど固定されているのにびっくりしていました。 9.2階8畳間の床張りをしました。古い畳の上にカーペットをしいていたのですが、床板もたわみ思い切って、畳敷きから床張りにきりかえました。この時はホームセンターで材料を吟味しながら、店員の方に床張りの要領や、注意点を聞いて施工しました。キシミ音もしないものに仕上がりました。 思い出すままに我が家のリホーム歴を記しました。このような一見安普請の我が家でありまして、まわりの隣近所が次々に新築してゆくなかで、取り残されたような感じであります。そこに今回の大地震です。家にたどり着くまでに、多くの家の瓦屋根や塀の被害を見るにつけ、我が家はもしかすると、瓦が落ちるだけで(塀は生垣で心配ない)はすまないで、潰れてしまったのではないかと、家が見えるところに帰るのが恐ろしいほどでした。瓦の漆喰を施工してくれたリホーム業者が震災後真っ先に来てくれたほどです。彼は仕事を受注に来たというより心配して来てくれたのでした。 さて、震災で、我が家はどうなったのか。震災とは関係なく天井の張り替えを考えていた雑草は、天井板の張り替えと補強を進めてきました。現在は1階二間の天井張り替えと補強が終わり、二階への階段の補強と二階一間の天井張り替えと補強工事を進行中です。それで見えてきたが家は耐震構造でもあり、また免震構造でもあったということがわかり感心しているのであります。雑草が名付けた我が家の耐震構造は、鳥居方式。免震構造は逆さ弥次郎兵衛方式です。補強工事と鳥居方式と逆さ弥次郎兵衛方式については次回記録することにしました。
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2011-03-11 18:04:21

2011年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム
地震 家は大丈夫です 荷物はほとんどみな落ちた 家族は無事です ライフラインストップ

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リモコン分解掃除(修理)

2010年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム

5年前に購入したDVDレコーダのリモコンが故障してしまった。電気店には代替えのリモコンを2-3千円で売っていました。純正でないと若干操作方法が違ってきて最初は面倒のようです。純正は取り寄せになるとのことですが、日曜の夜なので、価格は不明です。NETではほぼ同じ価格のようです。そう高くはないのですが、もったいないので、だめもとで分解してみました。

故障の状況は、電池が激しく液漏れしていたので、電池格納部分にはゼリー状のものが付着していた。電池格納部分を清掃して、新しい電池を入れたら、スイッチが入ったり、入らなかったりして誤動作が多い。そのうちに、スイッチを押してもDVDレコーダーが全く反応しなくなった。このことから考えた推定原因は第一にラバースイッチの導電ゴムと基板の間にゴミが付着し、かつ液漏れによる汚れが深刻になって、スイッチがうまく入らなくなったのではないか。第二はコンデンサーなどが老朽化して、信号を発信しなくなったのではないか。第一の原因なら分解掃除すれば復旧の可能性があります。分解掃除しても復旧しない場合は第二の原因が考えられるので、修理はあきらめて新品を買うことにしよう。

分解は、①下ケースの先端部分のネジを時計ドライバーで外します。②中央部分に大き目の時計用マイナスドライバーを当てて、下ケースを横に膨らますようにしながら、上下に開くよう力を加えると、カチッと音がしてこの部分だけが外れました。反対側も同じように外しました。③次に、ドライバーを当てる位置を少し右側(ネジ側)に移動して同じように外してゆき、右側を先端まで外します。④次に中央より少し左側のところを外し、順次左側先端まで外します。おおむね赤く線を入れた部分に順次ドライバーを当てました。

2010_0701nw0028asshuku

分解すると、下ケースと基板、ラバースイッチ、マルチジョグ、上ケースとになります。

2010_0701nw0026asshuku_2

ラバースイッチの裏側を見ると、押される部分に黒い豆粒のようなゴムがついています。これが導電ゴムといって、電気を通すゴムです。

2010_0701nw0023asshuku_2

一方、この導電ゴムが当たる基板の部分は、赤色と黄色の点線で色づけしたように、入り組んだ配線になっています。この赤色と黄色の配線は基板上では電気的には離れているので、スイッチが切れた状態です。

2010_0701nw0018asshuku

この赤色と黄色の入り組んだ部分に、ラバースイッチの導電ゴムが押し付けられると、赤色と黄色が導電ゴムを介して電気的につながった状態になります。こうして、スイッチが入り、リモコンから信号が発信されて、DVDレコーダのスイッチが入る仕組みになっています。

さて、第一原因の 「ラバースイッチの導電ゴムと基板の間にゴミが付着して」スイッチが入らないことを想定して、①ラバースイッチの導電ゴム部分に付着したゴミ、汚れを丁寧にこすり落とします。これはガーゼのような布で導電ゴム1個ごとにふきとりました。②次に基板の入り組んだ模様の部分に千枚通しの先端を軽く当ててこすり、汚れを落とし、金属の光沢が少し出てくるまで、傷つけないように丁寧に磨ります。傷つけると回路がダメになります。

そのほか、全般に汚れやゴミを吹き払ってから、再組み立てをします。①下ケースの基板の上に、スイッチの位置を合わせて、ラバースイッチを置きます。②マルチジョグをのせます。このとき、マルチジョグを回転させたとき、基板上のメカスイッチが作動するか確認します。③上ケースをのせて、ラバースイッチのボタンが上ケースの穴にちゃんとはまるように位置あわせします。③ケースの中央付近を押すと、上下ケースがはまり、カチッと音がします。中央から順に両端へと音を確認しながら押してゆき、上下ケースを完全にはめ合わせます。④ネジを締めて組み立て完了です。

電池を入れて、スイッチを押してみて、DVDレコーダーが作動すればOK、修理完了です。幸いにも、今回はこれにてDVDレコーダーがちゃんと作動するようになりました。もし、これでも動作しないときは、部品の損傷等第二、第三の原因が考えられますので、素人では修理不可能です。

古くなって故障したテレビ用などの各種リモコンもこのようなラバースイッチタイプで、汚れなどが原因の場合は応用できるかもしれません。あくまでも、自己責任でお試しあれ。

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LEDライト(懐中電灯)の修理

2010年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

デジカメの夜間撮影用にLEDライトの懐中電灯を数年前に購入しました。ところがちょうどそのころ、自転車で雑草散策に出かけたとき、草むらに捨てられていた別のLEDライトを発見しました。それが、このたび修理してよみがえったサンジェルマン社製?の「SUPER GENTOS SG-00です。この修理が終わってみてわかりました。なるほど、こんなに簡単に故障してしまうなら、カーっとなって捨ててしまうでしょうと。

2010_0628ky0007webb (マウスパッドの上のSG-00とマウス)

点灯しないのですが損傷もほとんどないので、電池切れかもしれないと持ち帰って新しい電池を入れてみたが点灯しません。LEDは6個もついているのでLEDの故障とは思われません。また電池ケースにも問題なさそうです。

2010_0628ky0010{単4x3個入り電池ケースのLED(スイッチ)側}

そこで、接触不良かと思って、懐中電灯本体のLED側の端子を覗いてみて、指で動かしてみると、へたっていて、電池ケースの端子とうまく接触していないようです。そこで指を入れてLED側の端子を立て直すと点灯しました。いとも簡単な修理ではないかと思ったのもつかの間、すぐに点灯しなくなってしまいます。よくよく様子を見てみると、LED側は四角い穴から端子が立っていますが、電池の重みですぐに倒れてしまい接触不良になってしまうようです。何度端子を立て直してもすぐへたってしまいます。これではイザと言うときに使えません。①

2010_0628ky0005shuuri

ということで、数年ほったらかしておいたのですが、修理のアイデアが浮かんだのでまたまた修理してみることにしました。最初のアイデアは、四角い穴にゴム片を押し込んで端子が曲がらないようにすることでした。ゴム片を適当な大きさに切って押し込むとみごと点灯して、懐中電灯を少々振っても消えません。うまく修理できたと喜びもつかの間、前よりはちょっぴり改善されましたが、今度は端子が中央側に倒れてしまいました。やはりへたって消灯してしまいました。②

次に考えたのが、硬めのスポンジを丸く切って、切りかき穴から端子を出すというもの。③です。これならスポンジに支えられた端子がどちら側にも曲がらないので、接触不良になりません。さて、スポンジはあったかと探しましたら、スーパーの食品包装用がありましたが、ちょっとやわらかい。他にはと探したのが、最初の画像にある、マウスパッドです。厚みもちょうどよし。早速丸く切り取り、切りかき穴を開けて、懐中電灯の電池室の奥へと挿入し、切りかき穴に端子を差込み、端子の顔をちょっぴり出させました。

2010_0628ky0009_900675 (挿入したマウスパッド片から端子が見える)

この対策が功を奏して、接触が良好となり、端子もへたることがなくなりまして、修理完了です。それにしても、端子がへたり易い形状ですね。たかが懐中電灯ですが、肝心なときに点灯しないなら大変なことです。堅牢性とか防水性は申し分ない製品です。そしてとっても明るくすばらしい懐中電灯です。でも光がいのちの懐中電灯がすぐに点灯しなくなってしまうのでは笑い話にもなりません。それがみごとによみがえりました。これからは庭での夜間撮影用にも、自転車の夜間走行に・・・遠出をして日が暮れることもよくあります・・・、そして夜間に庭の花を見てくるのに・・・NETで雑草のコメントを書くときどうしても見たくなる・・・便利に使わせていただきましょう。

この端子がへたり易いのは一種の設計不良でしょうか。それとも製作上での不良でしょうか。いずれにしても車ならリコールですね。夜間走行中に突然ヘッドライトが消えてしまうなんて、なんと恐ろしいことです。懐中電灯なら許される?いや、懐中電灯だってイザというとき点灯しなかったら、いのちにもかかわるかもしれませんね。NET販売を見たら、もうこれは黙って身を引いて今ではこの機種は売られていないようです。やはり接触不良を起こしやすいからでしょうかね。きっとクレームがたくさん来たのでしょうね。在庫はもう処分してしまったでしょうかね。こんなに簡単な方法で直るのなら、このアイデアで対策して販売してもよいでしょうね。でもアイデア料が高いかも(笑)

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子育て失敗?

2010年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

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いつも二羽一緒に来ていたキジバトは2月20日すぎころから一羽ずつ交互に餌を食べに来ていたので、営巣して卵を温め始めたものと思っていた。5-6年前になるであろうか、愛犬チロの小屋の真上の庇の下に営巣したときの実績では、卵を温め始めてちょうど一ヶ月目くらいにヒナが巣立ったと思う。なのに今回はまだ一ヶ月に満たないのに、今日は二羽が一緒に餌を食べにきましたので、今回は子育てに失敗してしまったのかと心配になった。今回はどこに営巣したのかははっきり確認できていないのであるが、ご近所の庭木などと思われます。多分庭に来るときの方向、また庭から飛び去る方向とは逆方向ではないかと思われます。鳩も営巣したと思われるころから、かなり神経質になり、用心深くなった様子がうかがえます。できるだけ巣があることをわかりにくく行動してきたのでしょうがダメだったのでしょう。

というわけで、天敵が多くて最後まで育てあげるのは本当に大変なことのようです。これまで、天敵の被害が最も少なかったのは、前述の庇の下であったのではないかと思います。その年は春から初秋まで同じ巣で3-4回くらい育ててすべて巣立ちました。でも、その翌年から庭木に巣を作るようになりました。そして、よく卵が落ちていたり、途中で巣を放棄したりすることが多く、最後まで育てたのはまずないのではと思います。卵を温めはじめたころには、なぜかカラスが近くの電柱に来るようになったり、猫が歩き回ったりします。近年は少なくなりましたが、蛇も卵を狙っています。

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それでも、めげずにこの二匹はまた巣を作って子孫を残そうとしているのでしょう。木の上で仲良く毛づくろいをしています。こんなに危険が多いのだから、また庇の下に巣を作ればよいのにと思うのだが、鳩にとっては人間も恐い存在であろう。今度はどこに作ろうとしているのだろう。

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オレオレ詐欺が来た

2008年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日午前10時過ぎ、息子の名を語る電話がありました。家内が電話をとりました。

・・・・・一回目の電話・・・・

「たけしだけれど、お母さん?」「たけしかい。声がちょっとおかしいね。あれ、今SGKで仕事じゃないの、休んだの?」「風邪引いちゃったんだ。それより、結婚式の招待状が来ていないかい?」・・・・・そういえば息子も年頃だし、この夏には友達の結婚式に行ったし、また友達が結婚するのかなと。それから一週間前にあったときは疲れていたようだったので、やっぱり風邪をひいてしまったのかと思っちゃいましたよ。息子宛にはいまだに実家である親元にいろんな手紙が着ていますから・・・・・・「来ていないよ。来たものはみんなメールで知らせてあるでしょう。」「・・・急いでいて日にちがないんだよ。 ほかに何か来ている?」「○○の通知と●●からだけれど。」「そう。じゃあ、今晩帰るからね。」「待っているよ。」これが一回目の電話でした。 

・・・・・・一回目の電話で本人になりすましたことができたと思ったのでしょう。また電話での会話の内容から勤め先などを推理して詐欺作戦を検討したのでしょう。少し時間をおいて二回目の電話がありました。・・・・・

「お母さん?今晩帰れなくなっちゃった。」「あ、そう。風邪大丈夫?。じゃあ、手紙はアパートへ届けようか。」「・・・・・ 」「どうしたの、何かあったの。」「実は言おうかどうか迷っているんだけど。・・・・」「何でも話してごらん。」「先輩のことなんだけれど」「勤め先のSGKのこと?」「うん。実は先輩のAKさんが、証券をやってて誘われたんだ。初めは毎月配当金が来ていたが、だけど最近配当が来なくなって困っているんだ。それで職場の公金を使い込んでしまって、事務の人に見つかったのだけれど、その事務の人がよい人で、まだ公には知られていないんだ。それに後輩のBK君と僕も加担しているんだ。」「・・・・・」「それで、今200万円要るんだけれど持ってこられる?」「持ってこられるかって、SGKへかい?」「いやSGKの近くのいつもの店があるでしょ。その近くへ。」「いつもの店って、店の名前は?」「いつもの店があるでしょうよ」「名前を言わなきゃわからないよ」「・・・・近くへ来たらまた連絡するよ。」・・・・・・SGKから少し離れたKD屋は何回か息子と落ち合ったところです。でも、なんとなく怪しいと感じ始めて、こちらからは店の名前を出しませんでした。・・・・・「とにかく来てくれる?近くに来たらまた連絡するから。」「近くって言ったって、すぐそばには店はないよ。何て言う店なの?」「来ればわかるよ」・・・・・場所の問答をして同じようなやり取りを何度もしていたので不思議に思って私が近づくと、家内は「じゃあ、お父さんに代わるから、場所をちゃんと教えてね」と言って私に受話器をよこしました。「どこへ行けばいいんだ?」「お父さん?話はわかっている?」「わかっているよ。どこへ行けばよいかだろう?」「そうじゃなくって・・・」「そばで聞いていたよ。とにかくどこへ行けばよいのだ」「SGKのそばだよ。」「そばって、言っても、すぐそばには店はなかったはずだが。」「お父さん。たけしのいうことわからないの?」「わからないよ。ちゃんと店の名を言わないと。」「・・・・・」  ・・・・・電話が切れたような気がしたので受話器を置いたら、すぐにまた電話がかかってきました。・・・・・

「たけしだけど、何で電話を切っちゃうんの?」「そっちが切ったからだよ」「切ったのは父さんのほうが先だよ。」「おまえ、たけしたけしといっているが、どこのたけしなんだ。?」「どこのって、決まっているじゃないか。息子を疑っているの?」「うちにはたけちゃんは何人もいるのだよ。どこのたけしなんだよ。」

すぐに家内にわが子たけしにメールをいれさせました。また、SGKに電話を入れて、事務の方に事情を話して、息子が仕事で客と話中であって電話をすることができない状況であることを確認しました。そして息子が仕事が一段落してから電話をよこしました。声が全然違います。これが息子の声だよと。でも、初めて詐欺男の声を聞いたときは、なんか違うなあと感じながらも、否定もできませんで、息子かなあと思っちゃいました。会話しているうちにだんだんと違うと強く思うようになりましたが。

とにかく、詐欺男のペースに乗って話を進めると、気持ちが動転して、本当に息子が困っているのだ。どうにかしてあげなければ。という気持ちになって、本当の息子かどうか確かめようなどということはできませんね。「俺を疑っているの?」なんて言われたくないですからね。

あとで「息子から騙されないように頑張って」などと励まされた?が、「これからは電話の主が本物かどうかしつこく聞くから頭にくるなよ。」と。そこで本人かどうかの確かめ方であるが、住所、生年月日などは聞いても危ない。なぜなら詐欺男はそういうことは知っているかもしれない。それより、昨日のこととか、いつもやっていることなどを聞くと偽男には答えられないので化けの皮がはがれるということである。

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続・人生って不思議なものですね(2)

2008年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

人生って不思議なものですね(1)の続き

初霜のころ結婚式をすることになり、彼女はいろいろと準備をしていました。実にお話しが始まってから4年の空白があり5年目にようやく岸辺にたどり着いたのでした。それもまだ彼女のお父様が出席されないとか、何かと心配の多いときでした。なのに、さらにちょっと心配なことがありました。それは彼女が時々頭痛がすることでした。結婚前に体の悪いところは直しておこうかと相談されましたので、そうしようということで検査を受けることにしました。結婚まであと3ヶ月のときでした。検査結果が出て衝撃は走りました。頭蓋骨を写したレントゲン写真に真っ白なピンポン玉のような影が見えました。大きな脳腫瘍でした。

手術をしなければなりませんが、障害もなく元気になれる保証はありません。多くの場合は半身が不自由になるなどの障害が予想されました。さらに寝たきりとか、意識が戻らないとか、最悪の場合もありうるようでした。でもこの病院は優秀な医師がおられるのでできる限りのことはしますとのことでした。

私は彼にすぐに連絡をとり、状況を説明して、「どうする?。」と聞きました。「どうする?。」とは結婚を再考するか、延期するかをも含めて聞いたつもりでしたが、彼は即座に「すぐそちらに行きます。」と私の思いとは全く違う答えをしてきました。彼らはそれだけ神の前に祈り交わっていたのでした。私は自分の不信仰を恥じました。

ふたりは「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 」という聖書のみことばで強く結ばれていたのでした。

いよいよ手術の日が来ました。彼と彼のご両親も駆けつけてくださいました。術後の経過にもよるが、およそ1ヵ月で退院できるとのことです。ということは結婚式は退院後1ヵ月しかないわけです。私はまたもや彼に愚問を発しました。「式の日取りはどうする?。」当然延期すると思いました。ところが「予定通りです。」彼は神の導きを信じていました。

ついに手術の時間になりました。彼女が移動式のベッドに移されました。このとき彼のお父さんがベッドの彼女に近づき手を握りはっきりとおおきな声で言いました。

「K子。K子。お前は俺の娘だ。ここで待っているから必ず元気になって戻って来いよ。K子。わかったか。戻って来いよ。わかったか。K子。お前は俺の娘だ。わかったか。K子。」言い含めるように何度も何度も彼女の名を呼びました。

私は彼のお父さんは、彼が強引になりふり構わず結婚しようとしているので、不本意ながら息子についてきたのではないかとも思っていました。ところが突然「K子。お前は俺の娘だ。」というではありませんか。どんなにか彼女の励ましになったことでしょうか。彼女は一瞬とはいえ手術の恐怖から解放されたことでした。思わず一同がもらい泣きをしました。

しかし、手術を待つ時間は非常に長く思えました。予定より長引いているようで、重い気持ちになりました。取り出された腫瘍はピンポン玉ではなくテニスボールくらいあったそうです。医師は注意深く全部取り除くことができたと教えてくれました。それでも頭の中に大きな空洞ができてしまい予断を赦さない状況でしたが、予定通り一ヵ月後には退院することができました。大きな障害はなさそうですが、まだまだ安心はできない状況でした。結婚式まであと1ヵ月です。

結婚式は夕方からでした。式場まで車で4時間ほどです。昼に出発すれば間に合います。でも朝から支度をしてしまい、時間をもてあましていました。まだ昼までには時間があります。そのとき隣家で庭石を動かしていました。ちょっとお手伝いのつもりで石を立てようとしたときです。腰の少し上の背中がキリキリと傷みました。でも少しのあいだ我慢していたら動けるようになり出発の時はあまり気にならなくなりました。

ところが長時間車に乗っていて式場に着いたときには腰を曲げてお辞儀をすることが全くできなくなっていました。腰から上を直立させたまま、ヒザをまげて背を低くするのが精一杯です。でも披露宴では雛壇から挨拶をする立場上、誰にもこの故障を言うわけにもゆきません。花嫁に「大丈夫か。歩けるか。」と聞くと「ちょっとふらふらするけど大丈夫。」そして彼女のご両親も出席されています。こっちの体はそれどころではなかったのですがふたりのために大役を降りるわけにはゆかず、痛みをこらえてご来賓のご挨拶から、余興のたびごとに笑顔で起立、最敬礼、着席を繰り返したのでした。

それからふたりは人もうらやむ大の仲良し夫婦になりました。私は電話をするたびに、お前らはあんまり仲がよすぎるのでバットで殴ってやりたいくらいだ。とよく言ったものです。あれから20年、今、私は退職して無職。無職ながら大食の日々を送っております。ふたりにもいろいろなことがあったようで、すべて順風とは行かなかったようですが、彼は弱い彼女を助けてきました。その彼から突然、「仕事をやめた。」と電話がありました。まだ定年まで数年の残していましたが「お疲れさん。」とねぎらいました。かれは心身ともに相当疲れているようでした。

その後ふたりに会う機会が与えられて食事をともにしました。彼女は彼の弱さをよく理解してくれていました。私は彼とふたりだけで風呂に入り、「今度は君があまえる番だね。いい母ちゃんになったね。」と言ったらにっこりとうなずいていました。

人生っていうのは本当に不思議なものですね。思いもよらぬことが起きます。でもそのときそのときを真摯に生きてゆくと考えもしないずっと良いことがついてくるものです。

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人生って不思議なものですね(1)

2008年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

ハワイで知り合ったバイオリニストのCDを車に乗るたびに聞いている。このたびは新車に近い車を買ったので、カーナビがついていて、それで音楽CDも聞くことができるようになった。そこで2年前にハワイで求めたバイオリン演奏のCDを入れっぱなしにして、毎回エンジンをかけると聞こえるようになったわけである。

そのCDの中に美空ひばりの「人生って不思議なものですね」と歌われた曲の演奏がある。歌誌は覚えなかったが、終りのころの「人生って、不思議な、不思議なものですね」というくだりだけは聞くたびに心に語りかけてくるような気がする。不思議な人生といえば一組の不思議な出会いをいつも思い出している。これは小説よりももっと不思議であって、わたしの人生の中で最も不思議なことのひとつである。

まだ私が40代になったばかりのときであった。教会に若い独身の牧師先生がこられました。独身とはいえ人生全般、結婚、子育て、老後、葬式まで何でもしなければならないわけです。たまたま適齢期というのは今は言わないのでしょうが、それを過ぎようとしている女性の結婚のお世話を始めたわけですが、これがなかなかうまく進まなくて困ってしまいました。やはりお世話をするには独身では難しい状況を打開して、女性を結婚に導くには限界を感じられたようです。そこでその女性と同年代のご夫婦に助け舟をお願いしたわけですが、これまたその女性の結婚の障害となっていることを解決することができず結婚の話が頓挫しましてしまったようです。

そこで私に何とか結婚のお世話をしてほしいとお鉢が廻ってきたわけです。状況を全く知らなかった私は開口一番に、「彼女は私の言うことを聞かないからできません。」とお断りしました。事実、私は彼女とあまり親しく話したことがありませんでした。お世話をさせていただくということは彼女を説得もしなければならない事もあるだろうし、無理ですとお断りしたわけです。それでも他にいないし何とかということでしたので、若い牧師先生のお手柄にでもなればと、できる限りのことをしてみますとお引き受けしたのが、不思議な人生の証人としての始まりでした。

状況をよく理解していないというより、説明もほとんど聞いていないまま、彼女のご両親を訪問しました。お父さんは開口一番、「娘に家を継がせる。」と仰いました。でも相手の男性は一人息子です。これは譲れないことです。いろいろとお話しをしましたが、結局は継がせられないならこの話しは無かったことにということでした。「お父さんのお考えはよく分かりました。今日のところは失礼します。」と言えば、「もう来ないでよい。」と家から押し出されるような思いで退散しました。

こういう状況では話を続けるかどうかは、彼女本人のお気持ち如何にかかってきますので確認しますと、「結婚したいです。」それではもう一度ということでご両親を訪問しました。はなっから歓迎しておられないのがわかりました。そこで教会ではこんなふうに結婚について考えています。たとえお嫁にいってしまってもご両親を思う気持ちは少しもなくならないというようなことをお話ししました。そうしたら「わかった。もういいから帰ってくれ。」と追い出されるように帰されました。

状況はますます悪くなってゆきます。そこで彼女のお気持ちはどれほど強いのか、も一度確認しました。「絶対に結婚したい。」ならば再度チャレンジしようか。ふたりが結婚を強く望んでいる以上は私は何と言われてもよいと覚悟を決めました。三度目の訪問で帰るときは石を投げつけられるかと一瞬思うほどの剣幕でした。石はともかく塩くらいはまかれたかもしれません。

お父さんが家を継ぎなさいと特に強く望んでおられました。男の子がいなくて、女の子ばかりで、長女に家を継がせようとしたら、長女はお父さんと喧嘩別れをするほどの確執のすえに、遠くにお嫁に行ってしまいました。お父さんはならば次女に跡継ぎを迫ったわけですが、これも失敗でした。三女も同様でした。嫁いだ娘さんとは今でもお父さんとはうまくない関係が伺われました。末っ子の彼女は気持ちの優しい方でしたので、お父さんは最後のチャンスとばかり、背水の陣で強く跡取りをむかえるよう必死でした。それが撚りによって長男の彼との縁談が来るとは。結婚すれば勘当だとまで言われました。

彼女もお父さんに可愛がられて育てられ、お父さんのお気持ちをよく知っていました。それでも出会いというのは不思議なもので、彼と是非とも結婚したいという気持ちが強くなるばかりでした。あちら立てればこちら立たずでした。この状況ではお父さんの了解は得られそうにありません。どっちを選び取るか彼女に最後の確認をしました。答えは「お嫁に行きます。」でした。

そこで私は正直行き止まりました。話し合いではもうどうにもなりません。祈る気持ちで書いたのが便箋20枚ほどのお父さんあての手紙でした。「お父さん、きょうはこのお手紙を読んでいただきたくて参りました。」と差し出した手紙をお開きになり読み始められました。そこには聖書から教えられた結婚観、親に対する教え、二人のお気持ちなどが書かれていました。お父さんは何か決断しなければと固いお顔つきでしたが、手紙を読んでもどうせ同じだ。気持ちは変らないぞというふうな仕草で読み始められました。

ところが半ばほどまで読み進むと、便箋を持ち替えたりされて、手が落ち着かなくなりました。終りのころはただじっと見つめているようでした。やがて詠み終わりじっと座っておられました。ちょっとの間をおいて「よろしくお願いいたします。」と申し上げましたところ、黙っておられました。黙認されたとわかりいました。「本日はこれにて失礼します。」ということで大きな山は越えられたかのように思いました。

婚約式と結婚式の日取りを決めようとしたところ、式には出席しないとお父さんが彼女に言っているとのことでした。再三お願いしてもダメのようでした。彼女はご両親の出席しない婚約式と結婚式を決断しました。そして婚約式の少し前に婚約式の段取りを彼の教会の牧師先生を入れて打ち合わせをしようと集まった日です。彼女はやっぱり結婚はできませんと言い出したのです。ここで彼の教会の牧師先生が彼女と一対一で話し合ってくださり、彼と私たちは長い時間待っていました。

結果は牧師先生の説得を彼女は受け入れることができませんでした。横に首を振って部屋から出てこられた牧師先生をみて私たちはがっくりとしてしまいました。数日後、私は彼のご両親にお詫びの手紙を送りましたところ、彼のご両親から「あなたの責任ではないからそんなに責任を感じないように。」とこの若造をいたわってくださる手紙をいただきました。

このことで最も傷つき落ち込んだのはお二人です。とりわけ彼は落ち込んでしまったと思われます。こうして心の重い年月が過ぎてゆきました。私もいまひとつ元気が出ない日々を4年も過ごしました。後から聞いたことですが、彼は失意の旅に日本の果てばてまでへも行くほどでした。

数年後、表向きはほとぼりが冷めたと思われるようになったときです。彼女が思いもかけぬことを言いました。「彼をどうしても忘れられない。」これを私には俄かには信じられませんでした。簡単に「はい、そうですか。」とは言えません。また最後に「やっぱりできません。」と言われはしないか。彼だってその気があるかどうか、まず無いだろうと思いました。ところが彼の牧師先生に確認すると、彼も忘れられないようだとのことでした。それではということで話を進めることにしましたが、相変わらず彼女のお父さんは承知してくれません。もう破れかぶれでご両親の承諾なしで進めることにしまして、結婚式の日取りを決めて準備してゆくことにしました。 続く

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民営化は恥ずべきことでは

2007年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム

民営化は恥ずべきことではないか。こういう視点で見ると本当の改革の方向が見えてくるような気がする。国鉄も電電公社も民営化されて今度は郵便局が民営化されようとしているほか社会保険庁ほかさまざまな官の仕事で検討されていることと思う。確かに無気力怠慢、さらには私利私欲に官の地位を存分に用いようとする集団と化した役所に、常に利益追求しなければならない民営企業の宿命的な意欲の片鱗のひとつくらい付与したくなるのは事実である。こういう役所は民営のようにもっと働けというのはある意味で正しい。それが改革だというと、その通りとばかり政治の潮流が、改革、民営化に一挙に加速化されてしまった。

民営化ではなく、民営のようにしっかり働けというのがが筋である。官は公僕であって民の僕であった。それがいつの間にか権威を振るい自己保身、私欲ばかりを追求して民を奴隷にしてしまった。官には公僕として滅私奉公できるようによい待遇が保証されていた。ところがいつのころかそんなに働かなくなった。そのため官の保証は民とかけ離れている見られるようになってきた。そこで民と同程度でよいのではという考えに変ってきた。とはいえ高い保証が民並みになったわけではない。また保証を民並みにすることを筋としてはならない。働きを保証に見あったものにするのが筋である。現状は働かなくとも、極端な例ではほとんど出勤しなくとも解雇はありえない。これは本当はとても良いことである。というのは公僕として思い切った正義を行おうとしたが意に反して批判を受けることもあろうし、身を危険にさらすこともあろう。その時も守られるうように保証されるべきであるから。

ところが今はこの保証の上にあぐらをかいてしまっていて、この保全しか考えていないというよりもっと身を肥やそうとしていることすら伺われる。保証に見合った仕事をしなくなってもなお保証がある。だから初心に返って民のために公僕として保証に見合って働くことではないか。民営は確かに身を粉にして働かざるを得ない。だから働きに見合った保証があっても問題にはならない。官でも働きに見合うということはよければもちろんだが、悪いときもなおさら必要である。ところがこのことは官では全くといってよいほどありえない。だから民営化か。

いきなり民営化する前に官営の原点に立とうとの意識改革が必要ではなかろうか。極論すればできない者は生活保護程度の保証に切り替えてもよいではないか。それでも首を切られる民営よりはどれほどましなことかと思える。そのくらいの覚悟で当事者も改革者も当たってほしい。まずは原点に返って官の魂が職場から抜けたことを恥ずべきである。また手っ取り早い民営化は次善の策でもなく職場から官の魂を抜いてしまう恐れのあるお門違いのことであろう。その手っ取り早い改革の混乱で苦しみ悩む多くの改革被害者ともいうべき当事者と弱者がいよう。その前に誇れる官の魂を吹き込んだ改革を断行するべきと思う。民営化反対者からはこういう魂を吹き込んで自らを改革しようということは聞こえてこなかったように思う。これからは魂を入れ替えて仕事をしますから改革はそれからお考えくださいという当事者のお話が聞こえてきたら嬉しいのだが。こういうことは生温いという批判は大いにあろう。でも即効性がありそうな表向きだけの、きれいごとの改革では済まさないで、魂の入った本当の改革を断行しようとする決意こそ当事者も政治家も国民も持ちたいものと思う。

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