※生徒たちへ、 伝えたい思い、 聴いてくれますか。 辻谷博子
聴いてほしい。
みんなには、誰かに伝えたい、誰かにわかってほしい、と思っていることはありませんか。
私にはあります。
きっと、あと数ヶ月で定年を迎える今だから、そんなことを思うのかもしれません。
できれば、聴いてください。
私は、今年の入学式国歌斉唱のとき、立つことができませんでした。
なぜ、ってみんなは思うかもしれませんね。
ルールを守れという人もいるかもしれません。
でも、私は、どれほどルールだと言われようが、入学式で国歌斉唱の折、立つことも歌うこともできません。
ルールは確かに大事です。それは私たちの約束事ですものね。
だけど、人にはここだけはどうしても譲ることはできないということがあります。
私は入学式や卒業式で国の旗をあげたり、国の歌を歌ったりすることはしてはいけないことだと思っています。
かつて、私の母の時代には、日の丸や君が代をシンボルとして「お国のために」死ぬことが教えられました。
少しずつ少しずつ。私の母はそのうち「お国のために死のうと思うようになっていったそうです。
その話を聞いて以来、ずっと私は、学校では国の旗や歌を子どもたちに半ば強制的に教えてはいけないと考えるようになったのです。
それは絶対にしてはいけないことだと。
それに、学校にはいろんな生徒がいます。
勉強が得意の子も、あんまり得意でない子も。障がいのある子も。民族的ルーツが日本でない子も。
入学式や卒業式って、きっとみんな一つになりたいと思うかもしれません。
一つになるって、一体感を持つって素敵なことです。
でもそのとき、「日本」というくくりの中で一つになる必要があるでしょうか。
私は日本のために仕事をしていると思ったことは一度もありません。
国家のために教育という仕事をしているわけではないのです。
みんなの、一人ひとりが、この社会で生きていく力を身に付けてほしい、そう思ってやってきました。
だから、卒業式や入学式つまり学校での出会いと別れのところで「君が代」ってわけにはいかないのです。
卒業生の一人が言っていました。
「学校でナショナリズムが教えられるとき、次に来るのは戦争だ。歴史を見ればそれがわかる」って。
戦争なんて起こりっこない、そう思う人もいるかもしれませんね。
でも私は不安なのです。ヒトラーを知っていますか。第二次世界大戦ナチスの党首だった人です。
そのヒトラーの部下であったヘルマン・ゲーリングはこう言ったそうです、
「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。
とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、
国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国も有効だ」
国歌斉唱時に立たないというだけで処分される、3回立たなければクビにするという、
私には、どう考えても理不尽なことに思えます。
どうしてそこまでして国歌を歌わせる必要があるのか納得できません。考えれば不安が募ります。
国旗も国歌も戦いのときにこそ必要なのかもしれません。
オリンピックやワールドカップでは歌えばいい。
だけど、入学式は卒業式にはいりません。あってはいけないと思っています。
聴いてくれてありがとう。